特集:シリーズ『新型コロナウイルス罹患者の体験から学ぼう』症例7:母の死 親戚にさえ言えず ②

取材報道<NHK特設サイト 新型コロナウイルス>から学ぶ5症例の研究

症例が増え7症例目に入ります。

新型コロナウイルスに感染したとき、どんな事態に直面するのか。感染した人や家族の話を通して、その一端を知るため、NHKが行ったインタビューの内容をできるかぎり詳細にお伝えします。

以下は、取材記事を下敷きとし、加筆や編集部分は赤もしくは緑文字として区別しました。

症例7:母の死 親戚にさえ言えず


5月9日、13日取材 社会部 山屋智香子

関東地方に住む女性は4月、80代の母親を新型コロナウイルスによる肺炎で亡くしました。救急車に乗ったあと一度も会えないまま遺骨となって帰ってきた母。女性は今も母親の死を、親戚にさえ伝えられずにいると言います。

 

症例7(その2)


第2節:遺骨は玄関に 

病院に運ばれたときにはすでに肺炎の症状が出ていたため、母親は即入院となった。数日後、陽性と確認。家族は全員、濃厚接触者(註)となり、母親を見舞うこともできなくなった


註:5人家族全員感染:クラスター発生と定義されます。

 

自分も陽性かもしれないじゃないですか。出て歩ける状態ではないし。私はもう、母がかかった時点で、私もだな、私のほうが先(に感染していた)かなと思って、絶対そうだなって思ってたので。罪悪感。このコロナを持ち込まなければ元気だったんだよねって。私たちがかかんなかったら(家に)いれたよねっていう、ここに生きてたよねって思います。


だからと言って、私も一緒に検査してくださいって、私はそんなに熱がないし言えないよなあと思いながら。「37度5分以上、4日間」(何と、この基準を、後になって加藤厚労大臣が<保健所と国民の誤解>と全否定、余りにも酷い話です。それにしても、従順で遠慮深い方ほど犠牲者になっています。私の倫理観とは真っ向から対立する残念な結果です。)、それが出てないし。


保健所の方と話してても「発熱がないんでしたら大丈夫ですね」っていう言い方なので、やっぱりそれしかない(実は、それ以外の方法があったのです。これからは、行政任せではいけないということを国民全体が学習すべきときです。かといって、保険診療システムの枠組による負の効果として、医師の臨機応変かつ創意工夫に富んだ診療が委縮しているという現実は多くの患者を犠牲にする結果をもたらしてしまいました。)んだなと思って。


自分のなかでその時に、母が戻って来ないっていう、なんだろうな、覚悟みたいなのはその時はないと思います。死ぬとは思っていない。

 

しかし、入院から6日で母親は亡くなった。家族の誰も立ち会えないまま、母親は火葬された(病院から)電話がかかってきて、4月の16日に。

「きょうは呼吸が荒くなっているんで、大変かと思いますけども」って。「分かりました」って言って。

 

そのあとかかってきたときには「もうそろそろになると思います」。

 

そのときにはたぶんもうだめだったんですよね、きっと。3回目に電話が来たときに、「(死亡時刻は)何時何分でした」っていうお話で、「はい分かりました」って言って、だめだったねっていう話で。

 

葬儀社からは「ちょっとケースがケースなので、日にちがどれだけかかるか分からないです」って言われてたんですけど、「焼き場がとれましたので20日に焼きます、20日の3時です。ちょっと時間遅いですけど、やっぱりコロナの関係で早くは焼けない。

いちばん最後(に火葬する)のパターンなんです」って言われて。そのあと、遺骨だけ帰って来たっていう。

 

私たち濃厚接触者(濃厚接触者という認識をもったときに、国民がどのようなセルフケアができるのか、についてのサポートがないことは、とても残念だったわけです)なので、家自体もそういうことだから、入れないじゃないですか、向こう(葬儀社の人)も。玄関先に(遺骨を)置いてもらったんです。

 

<明日へ続く>