5月31日(日)特集:シリーズ『新型コロナウイルス罹患者の体験から学ぼう』症例6:故郷に戻れず逝った父 ⑦

症例6(その7)

 

第7節:たった1人で父を見送る

~息子の話~            

 

トランシーバーで父に最後の言葉をかけた日、息子は病院内で夜を明かした

先生のお話では「そろそろだと思う」ということで、控え室で待機してたら呼びにきてくれまして。駆けつけたときにはもう血圧が20ぐらいまで下がってまして、本当にいよいよだなと思いました。本当につらかったんですけども、やはり父の最期の姿は目を背けちゃいけないと思って見てました。

 

8時48分にですね、心拍数が0になりまして。8時53分に死亡確認ということになってます。先生も部屋の中から深々と頭を下げてくださって、最後まで父のために懸命に医療を尽くしてくれて本当にありがたかったですね。

 

男性はふるさとから遠く離れた東京で、その日のうちにだびに付された

病院の先生には、亡くなった場合に「父を連れて帰ることができますか」っていうことをご相談してたんですけども、東京から名古屋を、しかもコロナで亡くなった人の遺体を運ぶっていうのは、やってくれるところがなくて。

しかたがないですから、「都内で火葬をしていただけるところをどこか知りませんか」っていうことでおうかがいして、情報だけ教えていただいて自分で連絡をとって、都内の火葬場で火葬することになったんですね。

 

そこで「コロナ患者さんを焼いてるということが知れると都合が悪い」ということを優しい言い方ではあったんですが、言われまして。結局、火葬は夕方5時からすることになったんですが、服も普通の私服なものですから、周りの人が見たら、あの人なんだろうって不審に思うじゃないですか。

ですから、控え室の中でずっと5時まで待って、火葬の時間になったら今度は火葬炉の前で待ってると。当然遺体を外には出してもらえませんし、お経ぐらいはっていう話もしたんですけど、「お経も困ります」とお断りされたので、1人で、50分ぐらいだったですかね、火葬が終わるまで、ずっと待ってました。

 

外見ると、たくさんの方に囲まれて見送られている方がいらっしゃって。それは悲しい場面なんですけどね。でも、僕から見たら本当にそれがうらやましくて。棺の前にたくさん人が集まって最期のお別れをしている家族を横目で見ながら、私は1人で立ち会ったんですけど。意地になってるところもあって。

もし僕がここで、泣いたり悲しんだり、誰かに対して怒りをぶつけるようなことをしても、父がよけい悲しむんじゃないかなって思ったものですから。もう、その場では一切感情を押し殺して、ただ50分間、無言で待って。

 

その日は都内のビジネスホテルに泊まる予定だったものですから、ホテルまで戻ってから泣きました。収骨してすぐタクシーに乗ったんですけど、まだお骨があったかくて。

ひざの上が汗でびっしょりになったのを覚えてます。昔よく子どものころはだっこしてもらってたんですけど、その立場がいまや逆になっちゃったなと思いながら。

 

でも不思議と、お骨って気持ち悪いなって思うことがあったんですけど、自分の父のお骨だと思うと、それが本当にいとおしくて、ぎゅっとだきしめて、連れて帰りました。

 

コメント

本日も言葉がございません。合掌。

 

<明日へ続く>