5月10日(日)臨床聖楽法(聖楽療法の理論)

<聖楽院>

 

聖楽療法の体系構成

 

第一部では、聖楽療法の理論の背景としての心身医学について概説し、そのうえで新しい心身医学の考え方を明確にしました。

 

第二部は、聖楽療法の拠点としての聖楽院とは何かについて、その起源を述べ、いくつかの心身医学的アプローチをどのように応用して発展してきたかを省察します。

 

それでは、「第二部 聖楽療法 理論と実践の性質」のアジェンダを示します。

 

第3章 臨床聖楽法の起源と基礎

 

第4章 臨床聖楽法における芸術音楽の価値

第5章 臨床聖楽法の理論的根拠、実践、意味

第6章 音楽療法モデルにおける臨床聖楽法の考え

第7章 現代の音楽療法の枠組みにおける臨床音楽法の考え

 

今月は引き続き第3章 臨床聖楽法の起源と基礎

をすすめています。

 

前回は、媒体としての音楽―臨床聖楽法理論の一つの基礎

手段に内在する媒体としての音楽でした。

 

それでは本題に入ります。

 

第3章 臨床聖楽法の起源と基礎

媒体としての音楽―臨床聖楽法理論の一つの基礎

手段に内在する媒体としての音楽

 

(1)療法の結果とは何を意味するのか?

 

(2)音楽的な結果は、非音楽的な結果とどのような違いがあるのか?

 

 

(1)療法の結果とは何を意味するのか?

 

エイゲンは、音楽を媒体として考える立場から、クライエントが音楽に参加する療法的価値とは、クライエントが音楽と出会って起こる事柄を指す、としています。

そして望ましい臨床的な結果とは、クライエントが音楽と受容的または能動的に係りながら、その時々の瞬間に起こることである、とします。

つまり、音楽的な体験を通じて起こる出来事が療法の目的となる、という主張です。そして臨床における場合と非臨床の状況での美的体験には違いがあるとしながらも、体験そのものに価値があるという類似性に言及しています。

 

 

(2)音楽的な結果は、非音楽的な結果とどのような違いがあるのか?

 

エイゲンは、第一に「音楽の中で起こることはすべて音楽的である」という信念をもとに、「能動的・受容的な音楽への係りの中で起こること」を音楽的な結果として定義しています。

 

第二に、音楽的な用語を用いて説明することのできる体験のみを、音楽的結果と考えるとしています。

しかし、エイゲン自らがこれらの簡潔な答えが最終的には不十分であるとしています。その理由は、そもそも音楽とは何かという定義からして、不可能ではないにしても難しいからです。

また、多くの人が、非音楽的と思う体験を、音楽を通じて得ているからです。

 

エイゲンは、音楽的な用語を用いて説明することのできる体験のみを音楽的結果とする場合の例としては、ノードフ・ロビンズ音楽療法において、クライエントのテンポの幅、声域、フレージング、様々な音楽体験に受容的に係る能力などを焦点として実践を行っていることを挙げます。

そして、エイゲンは、「人が音楽に自分を一体化させる度合いが深くなるほど、音楽自体が具体的に描写されたり体験されたりする度合いは低くなる」という信念を示しています。

それにもかかわらず、音楽と融合したり、自己のアイデンティティを超越したりするといった最も深いレベルの音楽的体験の性質を音楽的用語で特定化することは適切でないし、不可能でさえあることに言及しています。

 

ある人が音楽の中に完全に没入してしまえば、外的存在としての音楽は消滅し、その具体的な性質は体験する者にとって最重要な事柄ではなくなります。そのかわりに音楽と一体となることで得られる体験こそが最も突出した体験になります。

エイゲンは、これを「音楽を体験するのではなく、音楽として自分自身や外界を体験すること」としています。

そのうえで、「クライエントが音楽と融合したために、音楽的要素がクライエントの自主的な関心の中では重要でなくなったとき、セラピストにとって音楽的要素が最も重要なものとなる。」とも述べています。

 

エイゲンの音楽中心理論は、音楽そのものを見つめ、音楽こそが関心を向けるべき最大の現象であるという認識に立ったものです。そこで音楽中心の理論家にとって主要な課題は、「音楽と人間の健康について、音楽中心の立場と一致するような見解を言葉で説明する作業である」とします。

さらに「人間が音楽に係ることについて、広い基盤に立った包括的な考えが、音楽中心の臨床の枠組みにとって最も重要な要素」であるという結論を述べています。

ここで、エイゲンは音楽の定義が難しいこと以上に、人間の健康について、どのように理解しているかについては全く触れていません。

そこが臨床聖楽法との大きな違いです。また、エイゲンは「音楽的な用語を用いて説明することのできる体験のみを音楽的結果」と主張していますが、人間の健康について音楽的な用語のみを用いて説明しることが困難であることをどのように設営するのかも不明です。

臨床聖楽法では、人間の健康を心身医学的さらには全人的な次元で定義すると同時に、音楽的結果をも音楽用語のみならず心身医学の用語を用いて説明する作業を行おうとするものなのです。