<聖楽院>
臨床聖楽法(聖楽療法の理論)
第一部では、聖楽療法の理論の背景としての心身医学について概説し、そのうえで新しい心身医学の考え方を明確にしました。
第二部は、聖楽療法の拠点としての聖楽院とは何かについて、その起源を述べ、いくつかの心身医学的アプローチをどのように応用して発展してきたかを省察します。
それでは、「第二部 聖楽療法 理論と実践の性質」のアジェンダを示します。
第3章 臨床聖楽法の起源と基礎
第4章 臨床聖楽法における芸術音楽活動の価値
第5章 臨床聖楽法の理論的根拠、実践、意味
第6章 音楽療法モデルにおける臨床聖楽法の考え
第7章 現代の音楽療法の枠組みにおける臨床音楽法の考え
先月は第3章 臨床聖楽法の起源と基礎のなかで
音楽療法はどのように発展してきたのか?
そして臨床聖楽法は音楽療法の中でどのような立場と役割をもつのか?
について論じた後、媒体としての音楽―臨床聖楽法理論の一つの基礎というセクションに入りました。
そして、前回のタイトルは「審美的体験としての音楽体験」でした。
今回は、
第3章 臨床聖楽法の起源と基礎
をすすめていきます。
それでは本題に入ります。
第3章 臨床聖楽法の起源と基礎
媒体としての音楽―臨床聖楽法理論の一つの基礎
手段に内在する媒体としての音楽
音楽中心音楽療法の権威であるケネス・エイゲンは、音楽療法における音楽が手段であるか媒体であるかを考える際には、それが「誰にとって」のものであるかを明確にしなければならない、とします。その際、非音楽中心な理論は正当化されるだろうか?という命題を提示しています。
エイゲンの立場では、理論の役割についてどう考えるかをその答えの基準としています。
クライエントの体験は重要な意味を持つので、それが理論と合致すべきであるとのことから、認識的にも実用的・職業的見地からも非音楽中心な理論を使用することは正当ではないとします。エイゲンは、ここでも「非音楽中心な理論」について言及していますが、何をもって「非音楽的」とするかについては、その根拠を含めて十分に了解可能でないのが残念です。
エイゲンは、その一方で、セラピストのアプローチが完全に非音楽中心で、音楽体験を純粋に非音楽的な目標を達成する手段としてしか考えていない場合でも、クライエントにとっては、音楽は喜びをもたらす媒体であり、それ自体が存在理由であると感じていることもありうることを想定しています。
そして、特定の状況の模範として理論がどれだけ適切に役割を果たすかどうかは関係なく、理論はセラピストにとって実践的な知恵であると考えるなら、クライエントの体験とセラピストの解釈の間にズレがあったとしても何ら問題はないであろう、としています。
ただし、臨床聖楽法の立場では、エイゲンが指摘するような音楽体験を純粋に非音楽的な目標を達成する手段としてしか考えていない場合という例示は、非現実的で極端なまでに概念的であると考えます。「完全に非音楽中心」なアプローチは、そもそも音楽療法ではないはずだからです。
しかし、そのうえで、エイゲンは、こうした実践的な知恵が理論の主な機能であると考えるより、クライエントの体験を正確に捉えた理論の方がより効果的な療法の実践に繋がっていくという信念を表明しています。その理由として、もしセラピストがクライエントとの音楽的な係りを単なる手段としか考えていなければ、音楽の質が低下し、クライエントが可能な限り利益を得ることができなくなってしまうからであるとしています。
音楽は媒体か手段かという議論は音楽療法の目的と切り離して考えることはできません。
ノードフ・ロビンズ音楽療法のアプローチで臨床的ミュージシャンシップとして知られる即興活動を通じて行われる臨床的・音楽的な実践は、クライエントが楽しみを得て自己表現をする媒体であると同時に、より豊かな表現やコミュニケーションとしての音楽的スキルを発展させるための手段でもあります。
これは、クライエントが臨床的に有益な体験の媒体である音楽活動に参加することが、より深いレベルの包括的な音楽的体験を得るための手段となっています。
セラピストは深いレベルの体験の効果を得るために、クライエントの音楽への参加を拡大し、発展させ、区別していこうという実践をします。
このように厳密な意味で手段と媒体は分割できません。
デューイは、ある活動が手段と媒体の両方の作用をすることを認めています。
媒体とは、「何かをするため」の媒体です。それは、何かが起こる実態であり、プロセスであり、内容です。
この点において、外面的には媒体は手段と変わりがありません。ただし、手段が通常外的な目的のためのものであるのに対して、媒体は手段そのものの中に内在するものです。
これは、手段そのもののうちに目的が内在するような場合が媒体であるとすることができるからです。
たとえば学ぶことやレッスンを受けることそのものに楽しみを見出し、味わえている場合には、その活動が体験の媒体になるということです。
音楽中心音楽療法では、非音楽的な面での効果も多くもたらされることがあるし、音楽的体験が唯一の道であるということもありません。
しかし、それは音楽療法における音楽の機能が媒体であるということを否定するものではありません。
エイゲンは自らの考えを要約し、「音楽中心の実践では、音楽はクライエントにとって体験であり、だからといって、セラピストが将来的により深い音楽的体験へ導いていくために、クライエントの音楽を手段として用いることを否定しない」としています。
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