4月26日(日)臨床聖楽法(聖楽療法の理論)

聖楽療法の体系構成

第一部では、聖楽療法の理論の背景としての心身医学について概説し、そのうえで新しい心身医学の考え方を明確にしました。

今月から「第二部 聖楽療法 理論と実践の性質」に入りました。

第二部は、聖楽療法の拠点としての聖楽院とは何かについて、その起源を述べ、いくつかの心身医学的アプローチをどのように応用して発展してきたかを省察します。

前回までの3回は、第3章 臨床聖楽法の起源と基礎
臨床聖楽法とは何か?どのように発展してきたのか?
というテーマですすめてきました。

 

それでは、「第二部 聖楽療法 理論と実践の性質」のアジェンダを示します。

 

第3章 臨床聖楽法の起源と基礎

 

第4章 臨床聖楽法における芸術音楽の価値

 

第5章 臨床聖楽法の理論的根拠、実践、意味

 

第6章 音楽療法モデルにおける臨床聖楽法の考え

第7章 現代の音楽療法の枠組みにおける臨床音楽法の考え

 

 

第3章 臨床聖楽法の起源と基礎

媒体としての音楽―臨床聖楽法理論の一つの基礎

審美的体験としての音楽体験
  
 

音楽体験は、ジョン・デューイがその美学理論の中で「体験の媒体」と表現した概念が理解を助けてくれます。デューイによれば、「媒体(medium)」という言葉は、仲介するものの存在を暗に含んでおり、「手段(means)」という言葉と共通の意味を持ちます。

しかし、この二つの概念には決定的な違いがあります。媒体とは、一つの体験の中に内在するものを求める行為であり、その行為自体が動機であると同時に目的です。これに対して手段とは、外的な目的を達成するための道具を意味します。

 

音楽中心音楽療法の指導者であるケネス・エイゲンは、「音楽中心の実践では、音楽独自の体験や表現を達成することを目標としている」とします。

この立場では、音楽的体験や表現自体が有益な人間活動であり、そのため臨床的な目標と音楽的な目標は切り離せず、また、音楽を通じて得られたことは、それ以外の方法では得ることはできないと述べています。

そして、音楽的な目標、すなわち音楽的な体験こそ音楽療法における正当な焦点であるというこの考え方は、音楽療法の手段と結果を融合することを含んでいるとしています。

 

デューイは、審美的体験こそこそ美学を特徴づける定義だとしています。

音楽中心理論における音楽には、手段と目的の統合がみられますが、これは一般の審美的体験の場合と類似していることをエイゲンは指摘します。

そして、彼は音楽中心理論についての審美的な関連を説明するうえでの助けになるものだとしています。

音楽の審美的な質の高さが臨床のプロセスに直接関連するため、ノードフ・ロビンスの実践のように最も審美的な質の高い音楽を選択するように、聖楽院もクリエイトした録音音楽としての芸術歌曲集「小倉百人一首」のCDを準備して活用しています。

 

ルーディ・ギャレットは、「音楽ベースの(music-based)」音楽療法理論では、音楽を体験的媒体として考える必要があるとします。そして、音楽療法のクライエントにとって、主要な動機付けは音楽活動そのものに係ることであり、もしそうでないとしたら、音楽活動を通じた機能の改善は期待できないであろうと述べています。

したがって、ギャレットによれば、音楽活動と音楽体験に対してクライエントが意欲をもつことが、音楽療法治療への自主的な参加や熱意として現れてくることになります。

さらに、音楽に対する意欲は、単にクライエントを治療に引き付けるものとしてではなく、重要な解説的性質を含んでいることになります。

このように、音楽療法におけるクライエントの体験が基本的に音楽的なものであれば、それが、その療法の効果を説明する鍵となります。