聖楽療法の事始め

聖楽療法は治療法(セラピー)の体系です。

聖楽院でのレッスンは、レッスン中に創造されるものに出会い、人間的に成長していくために存在します。

しかし、聖楽院でのレッスンは特定の病気の治療のためのものではなく、声楽の有意義な体験そのもののために行われます。

このことと聖楽院でのレッスンが治療法(セラピー)の体系であるということは、全く矛盾しません。

 

セラピーにおける聖楽療法の究極の価値は、レッスン生がレッスンに取り組んでいる間に、レッスン生自身や、他のレッスン生、伴奏・共演ピアニスト、指導者やゲストの演奏家、また周囲を取り巻く環境や世界をどう感じて、どう表現できるかによって決まってきます。

 

聖楽院ではレッスン生を「今」という瞬間にいかに引き込むかということ、それが心身医学療法としての聖楽療法の臨床価値を左右します。この価値観は、可能な限り「今に在る」という人の在り方の概念に通じるものです。

 

さて声楽を味わうための方法として、聖楽療法の手引きや教則本などのオリジナル楽譜等を希望する内外の声が常に挙がってきました。

それにもかかわらず、これまであえて成書を作成することは差し控えてきました。

 

その理由は、

第一に、本を読むことによって聖楽療法を理解することには限界があること、

第二に、書物という教育媒体は聖楽療法の正しい理解と懸け離れた大きな誤りに導いてしまう惧(おそれ)があること、

第三に、あえて書物にまとめるにしても、聖楽療法は絶えず成長を遂げているため、着手時期を慎重に選択することが重要であり、聖楽院での実践の成果が一定の水準に達している必要があったためです。

 

そこで、これまでの間、聖楽院では実際のレッスンを通しての「口伝伝承(くでんでんしょう)」という教授方法をとってきました。

この方法はレッスン体験を伴わない書物のみによる学習法よりはるかに優れています。

しかし、それでも聖楽院での価値ある体験の状況を表現するのに用いられる言葉には限界があります。

 

聖楽療法の在り方を習得するために、書物に表した教則本を読んだり、指導者が語ることを直接聞いたりすることよってのみ伝えることが困難な本質があります。

聖楽療法には特有の理論と他の方法では得られない固有の効果がもたらされるため、禅の修行でいう「不立文字(ふりゅうもんじ)」という考え方にも通じる本質が聖楽院にも確かに存在します。

それは聖楽院の方式に則ったレッスンの実践を継続していかなければ修得できないものです。

 

心身医学療法としての聖楽療法理論についても、同様に言葉による記述を超越する要素があります。

そのためにかえって聖楽療法の実践における心身医学的な側面が見落とされていたり、過小評価されたり、歪められかねないという問題があります。

ですから、心身医学療法としての聖楽療法が人々にもたらしうる体験を広めるために、こうした言葉と実践の間に難解な関係が存在するからといって、本を書くことが無意味であることにはなりません。

 

聖楽療法には固有の理論があり、それは聖楽院での実践に起源をもつ理論です。

 

心身医学療法としての聖楽院におけるレッスン中心の考え方および実践の在り方の性質と起源を論じることに加えて、心身医学療法の様々な治療領域や実践方法に応用できる聖楽療法理論のアウトラインを示していきます。