<聖楽院>藝術歌曲集「小倉百人一首」No1,No2、CD発売について

10月27日 

藝術歌曲集「小倉百人一首」No1 企画解説(その3)

 

CD藝術歌曲集「小倉百人一首」№1.コンコーネ50番(中声)で歌う

歌詞付き「コンコーネ50番(中声)」の誕生秘話と

№1.コンコーネ50番(中声)で歌う藝術歌曲集「小倉百人一首」の功罪

 

小倉百人一首の歌人たちは身分にかかわらず決して順風満帆な人生ではなく、むしろ大半の歌人が不遇であったことに気づかされます。小倉百人一首は、さながらこうした歌人たちの顕彰と鎮魂を目的とする歌集のようですらあります。ですから、演奏の際には祈るような気持ちであることが何よりも大切のように感じられます。それによってはじめて東西の古の芸術家たちの魂を同時代的に復活させることができると考えます。今後の演奏家の皆様方には、言霊と音霊とが一体となった究極の響きを復活させてくださることを期待しております。

 

小倉百人一首歌詞付きのコンコーネ50番をあえて「藝術歌曲集」と題したのは、このような背景があるからです。

 

ただし、コンコーネ50に歌詞を加えることで懸念されることがあります。楽曲が歌詞の内容に束縛されることによって、具体性を帯び、それが抽象的な楽曲ならではの音楽性を損なってしまう可能性があることです。コンコーネ自身が大切にしているフレーズ感や息継ぎも、歌詞がつくことによって変更を余儀なくされることがあります。また言語がもつストーリー性やメッセージ性にも拘束されてしまう惧があります。この懸念は完全には払拭できないものであることを認識しておくべきだと思います。

 

そこで、楽譜の指示にしたがうだけで稽古の目的に合わせて高い自由度で歌えるというメリットを活かすべく、予め母音唱法やドレミ唱法によって十分稽古を積んでおく必要があります。歌詞のないソルフェージュ曲は声の響きを作ったり、音楽性を身に着けたり、いわば歌唱する者の身体の楽器作りに役立つものとされているからです。

 

しかしながら、意欲的で優秀な多数の現役演奏家諸子の献身的な協力を得ることによって、以上のような懸念を遥かに凌ぐ創造的芸術性を獲得できるのではないかと密かに期待している次第です。

(完)                       ( 

 

(編作者 飯嶋正広 )