最新の臨床医学2019 5月18日(土)東洋医学・伝統医学

聖ヒルデガルドの医学と漢方医学との接点(2)

 

Although the human brain is mostly healthy and pure, sometimes disturbances of the air and the other elements rise up to the brain and pull various humors(fluids)back and forth to the brain, causing a foggy smoke to appear in the passages of the nose and throat, so that a harmful slime collects there like the smoke of foggy water. This slime draws the diseased parts of the weak fluids together, so that they are painfully secreted out of nose and throat; similarly, ulcers break open when they are ripe and the slime in the drains; and no food can be cooked without ridding itself of impurities through the cleansing foam. In the same manner the soul works in the human body, when all the body fluids in the eyes, ears, nose, mouth, and digestive tract- each in their own way- are cooked through the fire of the soul, like a food is cooked over the fire, until it brings up foam. (CC134,19)

 

人間の脳は、いつもは健康で純正なものですが、ときとして空気やその他の元素が混乱して脳に達すると様々な体液が脳を去来するようになります。そうすると鼻や喉の通路に霧状の煙をもたらし、その結果、霧状の水煙のように有害な粘液をそこに集めます。この粘液は弱った体液の病んだ部分から寄せ集められてきて、それらは鼻や喉から激しく分泌されます。同様に、それらの分泌物が熟腐していて粘液を排出すれば潰瘍が発現します。不純物を洗浄泡で取り除かずに食物を調理することはできません。それと同様に、魂が人体内で働くのは、あたかも食物が火の上で調理されるように、目、耳、鼻、口、消化管にあるすべての体液がーそれぞれ独自の様式でーそれが泡を吐き出すまで調理されるからなのです。

 

<解説> 聖ヒルデガルトは「脳」をどのように考えていたのかは、「魂」との区別がわからないと難しそうです。それから、聖ヒルデガルトの医学用語には神経(自律神経、感覚神経、運動神経など)という言葉は登場しないので、「通路」とか「霧状の(煙)」などの比喩で表現されている箇所があるようです。

 

ところで聖ヒルデガルト鼻や喉で分泌物が排出される発端として、空気やその他の元素の混乱を考えていることがわかります。聖ヒルデガルト医学において元素というのは、空気、火、水、土の4元素なので、4元素の混乱が、鼻や喉に異常分泌液をもたらす、ということになります。これら4元素は体内にも体外にも存在しますが、病気の原因としてわかりやすいのは、体を取り巻く環境としての4元素の混乱です。端的な例を挙げるならば、4元素とは気象を構成する要素であり、4元素の混乱とは気象の変動ということになるでしょう。これらは現代医学でも中医学でも外因とよんで同様な認識をしています。

 

より具体的に言うならば、外気の寒熱・乾湿ということになります。

 

こうした元素の混乱が脳に達するというプロセスを聖ヒルデガルドは想定していますが、これはどういうことなのでしょうか。私たちは外気温や風の強さを感じることはできます。そのわけは、私たちの皮膚や粘膜には触覚,圧覚,温覚,冷覚, 痛覚という五種の感覚受容器があるからです。皮膚や粘膜は、感覚情報を受け取り、神経へ感覚情報を伝達する器官• 感覚受容器は,への情報伝達を可能にしていることは確かです。

 

ただし、ここで私はとても興味深いことに気づくことができました。以前「乾湿感」という言葉を耳にしたときには不覚にも疑問には思いませんでしたが、温度とは違って、私たちには湿度を直接感じることができるセンサーを持っていないということです。特に瞬時的な乾湿状態を私たちは把握することはできません。それでも私たちは皮膚の荒れや鼻腔内の乾燥具合でどうにか乾湿状態を把握することはできます。それは乾燥状態、湿潤状態は、一定の時間が経過してはじめて鼻や皮膚の状態の変化をようやく感知できるものだからです。乾湿の感覚は健康や生命維持にとって大切であり、とくに脱水状態に陥らないことは極めて重要なことです。ひとは視床下部にある渇中枢が刺激されて口渇を感じて、飲水行動を取るような仕組みをもっています。

 

聖ヒルデガルトは目、耳、鼻、口、消化管にあるすべての体液について言及していますが、たしかに皮膚の乾燥以上に問題なのは粘膜の乾燥です。粘膜の生理的な体液が欠乏してしまうと、粘膜は諸感覚を含め機能を失ってしまい、生命の維持すら危うくしてしまうからです。鼻や喉から粘液が激しく分泌する生体反応も、病的反応あるいは病気の兆候としてばかりではなく、粘膜の異常乾燥を防ぐための身体の防御反応と見ることも可能ではないかと思われます。

 

聖ヒルデガルトは「脳」を粘膜や皮膚の感覚受容体から感覚神経を経て文字通り中枢である脳に達するまでのすべての入力プロセスを意味しているように思われます。これに対して「魂」とは「脳」に発して運動神経や筋肉を介しての身体の諸々の反応や働き、さらには思考や決断・意思に基づく行動に至るまでのすべての出力プロセスを意味しているように思われます。

 

養生の基本は、外界の寒冷・暑熱という病気の外因に対して適切な対応をすることですが、乾燥や湿潤に対する備えは疎かになりがちです。それが証拠に、現代においてもインフルエンザの大流行があり、また、夏の脱水症・熱中症などが問題になっています。