2019欧州国際医学会研究旅行 第8日:3月6日(水)

ウィーンからパリへ

 

行動目的:

1)確実で安全な移動

2)昨日のウィーンでの学会で収穫した情報の整理

3)明日のパリの学会出席のための準備

4)パリのホテルに到着し、Maxの到着後パリ市内探索

 

行動計画:

①朝食(06:30am~)

②チェックアウト(~10:00am)

③ウィーン国際空港へ

④ウィーン空港発(01:00pm)

⑤シャルル・ドゴール空港着(03:10pm)

⑥ホテルへ

⑦Max到着(水)

 

実際の活動成果:

①朝食(06:30am~)

②チェックアウト(~08:00am)

③ウィーン国際空港到着(10:00am)

④ウィーン空港発(01:15pm)

⑤シャルル・ドゴール空港着(03:10pm)

⑥ホテルへ(04:50pm)

⑦Max到着(06:00pm)

⑧パリ市内散策

⑨ホテルへ(09:30pm)

 

 

今日は欧州内での最後の移動日で、学会等の行事はありませんでしたが、とても充実した一日でした。

 

学会での公式用語は英語ですが、生活上の公用語はドイツ語からフランス語に切り替えなくてはなりません。パリのシャルルde Gaulle空港に到着するまでの間は、フランス語のCDでシャドウイングの集中訓練に宛てました。

 

ホテル前の駅が閉鎖されていることもあって、一駅分を歩かなければならないため、チェックアウトを2時間早めました。スムーズに済みました。その理由は私がドイツ語が上達したというよりも、受付嬢が知りたいことは全部把握できるようになったからだと思います。

 

何事も事前準備が大切です。すべてを済ませて、お礼を述べて、I will kommen hier nächstes Jahr noch einmal wieder.(来年も一度またこちらへ来ます)といったところ、隣で無表情で宿泊客の対応をしていた受付嬢まで素敵な微笑みを返してくれました。何と爽やかな朝だったことでしょう。

 

私が米国ではなく欧州で医学研修をするようになったのは、いくつかの重要な背景があります。基礎研究や組織的に大掛かりなデータに関与する立場であったなら、迷わず米国に赴いていたことでしょう。しかし、臨床医としては欧州各国から学ぶことが遥かに多いのです。なぜなら、EU圏は米国とは異なり日本と同様に保健医療制度が普及しているからです。

 

ドイツやフランスばかりでなく、東欧圏(今回初訪問したリトアニアを含めて)のドクターたちと現場の感覚が非常に近いことも、今回改めて実感できました。現場の臨床医は、国や文化や人種の違いを超えて共通の悩みを抱えているのです。

 

つまり、医学研究者は米国志向で良いのですが、日常診療で現場を抱えている臨床医にとっては、欧州各国の医師と交流し、明日の診療に役立つことを学びあい、直面している問題を皆で解決していこう仲間意識がはぐくまれます。つまり、わざわざ休診にしてまで学ぶ価値のある、今後の医療現場に直結する良い訓練になるというわけです。

 

それから、ウィーンを拠点に欧州中を駆け巡っている理由は、意外に思われるかもしれませんが、それは文化的側面です。私は15年来声楽の勉強を続けていますが、それが理由の一つです。日中、集中的に医学研修をするうえで必要なのは、労働と休息のバランスです。

 

質の高い労働に従事すればするほど、脳は高度な文化を求めます。他の方のことは存じ上げませんが、少なくとも私に関しては真実です。そして医学は科学者同士で科学の世界にはまり込んで活躍して優れた業績を上げれば良いのですが、医療には文化的社会的基盤の上の展開していく領域です。ですから、大学病院での医療は、単に<医学の、大学病院という特殊な環境における適応>に過ぎず、一般社会においては限界があります。それを勘違いしている理想に燃えた医師たちが、次々と大学病院内に総合診療部を設立しましたが、ほとんどが消滅し、あるいは崩壊の憂き目を見ています。これは少しでも医療の本質を見据えることができたのであれば、回避できたはずの不幸といわざるを得ません。

 

さて、それならウィーンでなくてパリでも良いのではないか、という代替案が浮上してきます。これから、数日間パリに滞在している間に、実際に体験してみたいと思いますが、空港からのアクセスは断然ウィーンのほうが優れているような気がします。

 

今朝も、ウィーンン・ミッテ駅のウィーン国際空港行の直通列車のターミナルで、飛行機搭乗のチェックインを済ませ、そこで大きな手荷物を預けました。これはとても便利なシステムです。大きなラゲッジを引きずり回さなくとも、小さなバッグ一つを抱えて搭乗までの時間を過ごせるので、搭乗までの数時間を有意義に過ごせるからです。

 

私は、空港行の直行列車に乗るころには、フランス語のシャドウイングのCDの65セクションのうち35セクションをクリアしていました。すると、不思議なもので頭がドイツ語からフランス語に切り替わっていました。フランス語が堪能というわけではないのに、迷うことなく勝手に言葉が出てくるようになっていました。

 

飛行機(オーストリア航空)に乗り込んだ時、男性の客室乗務員にとっさに、Mon siège est-il à la fenêtre? Car ma carte est comme 031F.(私の座席は窓側ですか、搭乗券には031Fとなっていますので)と自然に尋ねているふだんの自分らしからぬ堂々とした自分がいたのでした。すると、彼は、Oui, à la fenêtre.(はい、窓側)とぎこちなく答えてから、改めて丁寧にMonsieur, à la fenêtre à l'arrière.(お客様、最後尾の窓側です)と答えました。

 

よく考えてみるとパリ行きの国際線なので彼がフランス語を解することは自然ですが、ドイツ語圏の航空会社の職員なわけなので、東洋人がいきなりフランス語で質問してきたのには一瞬面食らったのも無理はありません。確かに右側の最後尾の窓際の席で、通路側にすでに若い男性が着座していたので、Pardon!(すみません)とフランス語で声をかけてから、あわててEntschuldigen Sie bitte!(どうもすみません)とドイツ語で言い直しましたが、よく見ると相手は日本人らしい。

 

無言で通してくれましたが、<気持ちの悪い変わったオヤジだな>くらいには思われたかもしれません。それでもめげずに、フランス語のCDに集中し、結局パリに到着するまでの間に65セクションのうち55までをクリアしました。これは、とても効果的な勉強法でした。

 

空港からホテルまでは、迷わずタクシーに乗りました。運転手さんとは、最初からフランス語です。口から勝手にフランス語が出てきます。この運転手さんは、これまでと同様に外国からの移民のようですが、私が遠慮して少し口ごもると「一人でパリに乗り込む以上は、このタクシーに乗っている間は、徹底的にフランス語で話をしておいた方が良い」とアドヴァイスしてくれました。

 

私が東京からきたというと、彼は日本で過ごしたことがあるらしい。少し訛のある発音でKanomaやOyamaでShurinjiを学んで、パリでも続けているとのこと。Kanomaとは鹿沼、Oyamaとは小山、Shurinjiとは少林寺のことだと推測していましたが、パリの通りに面した少林寺拳法の道場の前を通過した際に、私の推測は当たっていたことを確認することができました。そこで「私は水気道という武道の創始者で、少林寺拳法の基本的な形を水中で行うこともある」、といったところ、とても興味をもってくれました。

 

彼とは話が盛り上がったので、帰りにパリのホテルから空港に向かう際にも彼のタクシーを御願いする仮の約束をしてタクシーを降りました。Abdelという名前でした。

 

ホテルは三ツ星ですが、古びた地味な外観でした。受付のチェックインでは、すでにフランス語が口から滑り出しました。フランス語のシャドーイングの超短期集中訓練とAbdelさんの車内実践フランス語訓練が奏功した模様です。受付の女性は、とても親切で親身なタイプの方なので安心しました。6時過ぎにドイツ人のMaxという若い友人が、私を訪ねてくるので、知らせてほしいと、お願いしたら、正確には覚えていませんがBien sûr,j'accepte.(もちろん、了解しました。)Ça va être très agréable.(それは、とても素敵なことですね!)などのように答えてくれたような気がします。

 

 

予定通りMaxが迎えに来てくれました。生憎の小雨でしたが、若い人たちは気にもかけずに通りを歩いています。まず、パリの5日交通券を買うことから手伝ってもらいました。そしてホテルのある9区からパリ市庁舎の前を通り、セーヌの右岸まではすぐでした。そこから川中島のシテ島のノートルダム大聖堂の前を通り、左岸へと歩を進めました。ソルボンヌ大学やパンテオンを経てリュクサンブール公園、そこではモクレンと桜が咲いていました。パリ第三大学の学生であるMaxの話だと、パリはこのところ温暖な日が続いていたので、樹々がprintemps(春)到来と勘違いして早咲きしているのかもしれません。このあたりは、カルチェ・ラタン(ラテン地区)と呼ばれているところです。

 

最後にたどり着いたのはMaxがこの日のために予約しておいてくれたパリでは典型的なBrasserieであるCAFÉ de L’EMPIREという店に入りました。おそらくは夫婦の経営のようでしたが、すでにMaxとは馴染みになっているようでした。気さくな奥さんが対応してくれて、Bonjour!とあいさつするとParlez -vous française,monsieur?(お客様はフランス語を話すのですか)と尋ねてきたので、Oui,madam,mais en peu!(はい、奥さん、でも、ちょっとだけ)と答えたら、英語のメニューも持ってきてくれましたが、Maxと私が話し合っているのを聞いて、<英語のメニューは必要なさそうね>という表情で持ち帰りました。パリでの初日、それも1時間前に到着したばかりで、フランス本場の気取らないブラスリーでディナーを堪能できたのは、偏にMaxのおかげでした。帰りは、無理をせずTaxiでホテルに向かいました。

 

パリは地図で見ると東京並みに大きな都市のように感じていましたが、実際にMaxと歩けたおかげで、比較的こじんまりして徒歩で移動できる範囲も広いことが分かったのは明日以降のパリ滞在のためには格好のオリエンテーションになりました。

 

というわけで、本日は、医学の話題は掲載せずに、宿題報告は、翌日以降に回すことにしました。