第115回日本内科学会(京都)報告②:4月14日(土)その4

パネルディスカッション 14 時40 分~16 時40 分(120 分)

 

日常診療における難治性疾患への対応とピットフォール ……司会 自治医科大学 永井良三  高知大学 横山彰仁

 

近年の著しい高齢化の進行は、患者の高齢化をも意味します。

 

高齢患者は非典型的な病像となるのみならず、同時に併存する疾患が増加し、疾病間あるいは治療薬剤間の相互作用を考慮する等、治療の個別化が必要となってきます。

 

多くの臓器・機能の障害を有する患者に対し、個々の障害をひとつひとつ全て治療するのではなく、1人の人間としてすべてに目配りしながらも、どの部分への重点的な助力がQOL(腎性の質、生活の質)の向上や安心に最も寄与するのかを判断する必要性も生じています。

 

このような状況に対応するためには、総合的な幅広い知識を持つことが必要不可欠となっています。

 

この司会者のことばを裏返してみると、かつての医療は、典型的な病像を軸として、単一疾患に対して、ワンパターンの大量生産的な治療をしてきたということになります。

 

こうした患者さんばかりだと、医学データを集計し易く、エビデンスを集めるには都合が良かったはずです。

 

つまり、大学病院や大病院での大量生産的な診療が一定の成果を収めると同時に、データをまとめやすく、医学論文もまとめやすかったであろうことは想像に難くありません。

 

しかし、反面、典型的でない病像や同時に併存する疾患を多数抱えた患者さんは、非典型例として適切な医学的対応を享受できなかったことが示唆されます。

 

そういう患者さんこそが難治例であり、現在でも大学病院から高円寺南診療所に紹介されてくる患者さんが少なくないのは、こうした理由によるのではないかと考えています。

 

つまり、大規模集計データをとり易い典型的で単一疾患の患者さんは大学病院等、データをとりにくい非典型的個性的かつ重複疾患をもつ厄介な(失礼!)な症例は高円寺南診療所、という具合の図式ができあがります。

 

 

これからは大学病院も大病院も高円寺南診療所と同様に、一人一人の患者さんの個性に応じた臨機応変の対応に切り替える覚悟ができたとすれば、それはとても素晴らしいことだと思います。

 

しかし、残念ながら、それは一朝一夕には実現できないのではないかと思います。

 

というより、大学病院の機能が完全にマヒしてしまうに他ならないからです。

 

肝心なポイントなので再掲しますが、失礼ながら、これを言う資格は専門の限られた大学教授には無いと思います。

 

自らが実践できていない理想を語るのは理論家ではあっても実務家ではないと思います。そして、単なる理論家は実務家を教育し訓練することなど不可能なはずです。

 

 

多くの臓器・機能の障害を有する患者に対し、個々の障害をひとつひとつ全て治療するのではなく、1人の人間としてすべてに目配りしながらも、どの部分への重点的な助力がQOL(腎性の質、生活の質)の向上や安心に最も寄与するのかを判断する必要性も生じています。

 

このような状況に対応するためには、総合的な幅広い知識を持つことが必要不可欠となっています。

 

これを本当に可能とする医師になりたければ、大学病院や大病院ではなく、高円寺南診療所のような現場で臨床実績を積むべきでしょう。