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①水氣道に初めて参加した日を思い起こすと、

 

まず思い出されるのは水が羊水のように感じられたことです。

 

 

②自分が母胎にいた様子を思い出すことはできませんが、

 

元々はこのような水の中で過ごし、

 

生まれ出てきたのだという事実を

 

水の中でぼんやりと再認識しながら、

 

ここにいる自分と向き合う体験をさせて頂いているように思います。

 

 

③水の中にいる時は、日常の雑多な出来事から離れ、

 

目の前の動きのみを思考しやすくなると感じます。

 

 

④毎日の忙しい生活の中では、

 

このような心の状態になることは少ないと感じ、

 

水氣道を通して貴重な体験ができていると思います。

 

 

⑤個人ではなく集団活動であること、

 

鍛練の場として守られた空間で静かに活動できること、

 

尤も治療や予防という共通の目標を持ち、

 

労わりあいながら安心感を抱ける空気が

 

スポーツジム等との違いであるようにも思います。

 

 

⑥時々、ユーモラスな動きに、

 

心の中でクスっと笑いながらも、

 

笑う余裕が出ている自分になったことに感謝して

 

続けていこうと思います。

 

 

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A さんのレポートを受け取り、最初のセンテンスを読んだときに、とても驚きました。

 

そして、最後まで読んでみると、Aさんは水氣道の創始者である私よりも遥かに水氣道に親和性のある体質の持ち主なのではないかという印象を持ちました。

 

そこで、Aさんと共に水氣道を行っている何人かの修錬生や支援員に、対番(世話役)としてのコメントを求めたところ、いずれもその役割を果たすことが難しいようでした。

 

 

その理由は、第1センテンス①で<水が羊水のように感じられた>との報告があります。

 

これが水氣道の稽古初日というのは初めてのケースです。実際にそれを体感できるのは早い人で修錬生、支援員になってもその感覚を味わったことがないという人もいます。

 

私自身は水氣道をはじめて3年程が経過して、ようやくその感覚を得た記憶があります。

 

声楽の世界では、声楽理論を意識せずに、また特別な訓練をせずに自然に美しい声で歌える「自然歌手」と言われる人達がいることが知られていますが、Aさんは同様に「自然水氣道家」といっても良い資質を持っている可能性があります。

 

 

 第2センテンス②では、ここにいる自分と向き合う体験>について触れられていますが、この体験を明確に意識できるようになるになって、さらに稽古を重ねていくことではじめて<水が羊水のように感じられた>という経験ができることが多いです。

 

 

再体験を通しての今ここ」での「気づき」を得る心理療法が実際にあり、ゲシュタルト心理学として知られています。

 

 

第3センテンス③では、目の前の動きのみを思考しやすくなると感じます。>とあります。

 

一般的には、考え過ぎの状態のときには、身体が動きにくくなり、ミスしやすい状態になります。

 

そこで、自分の注意を内側ではなく、行動に向けてみるのが水氣道の思考法です。顔を上げる・胸を張る・軸足を深く踏み込む・水底を蹴る感じで歩く・水の浮力に身体を委ねる・水の抵抗を感じながら動作する・首を振って周りの状況を確認する・掛け声を掛けあう等のように、実際に行動することで、自分の注意が外側に向き、考え過ぎの状態を防ぐことになります。

 

水氣道はメンタルトレーニングでもあり、思考を変えますが、感覚に磨きがかかることとあいまって姿勢・呼吸・動作を変え、さらに日常の行動全般を変えていくトレーニング です。

 

 

また、内面の思考を深めるにつれて実際の行動は力強く、思考を実現しやすくなります。表層的な理解しかしていなければ、行動に移してもおざなりになります。

 

また、その結果についても関心が払われません。つまり、一過性で経験内容が蓄積されないような行動の連続となります。

 

しかし、目の前の動きを深く掘り下げて、それが自分の行動全般にとって重要な意味があることを認識して動きはじめたら、しめたものです。

 

それは自分の一挙一動の流れに関心が払われ、新たな気づきや発見とともに、永続的な学習の積み重ねが可能になり、体験内容が体系化されて実践的で合理的なものへと変革していく転機となることでしょう。

 

水氣道を経営学の宝庫であると語る人がいますが、このあたりのことに気づいて、それを表現しているようです。

 

 

第4センテンス④は、一言でいえば、日常性の打破です。水氣道は小さな転地療法でもあります。

 

陸上環境から水中環境へというのは、非特異的変調作用という、とても大きなインパクトを心身に及ぼします。水氣道であれば、少なくとも小一時間の時間を確保できれば転地療法が可能です。ですから、この転地療法は多忙な方にお勧めです。

 

 

さてこのような心の状態になること>とは、実際にどのような心の状態を指すのかはAさんから直接教えていただかなければわかりませんが、文脈から推定すると、この状態がまさにマインドフルネスなのではないかと推定することができそうです。

 

マインドフルネスとは、一般的には今現在において起こっている内面的な経験および外的な経験に注意を向ける心理的な過程であるとされます。また、今この瞬間の自分の体験に注意を向けて、現実をあるがままに受け入れることであるともされます。  

 

 

第5センテンス⑤は、まさに水氣道の特質、その核心部分に迫っています。集団の中にあって、自分という個としての実感を見失わず、むしろ自分自身の本来のペースを集団に委ねることによって取り戻し、全体との調和が導かれるようになるのが水氣道です。

 

 

逆に、しかも、残念ながら、しばしば見受けられることでもありますが、全体のペースに自分を表面的に合わせようとしては、かえって自分自身を見失ってしまい、水氣道での感謝を味わうことはできなくなってしまいます。

 

ここでペース(pace:語源はラテン語passus [ひとまたぎ、歩幅、階段])は、本来一人一人の体格が様々であるように互いに違っていて当然です。

 

さらに、ペースというものは本来一人一人にとって固有のものではありますが固定的なものではないからです。

 

つまり、同一の個人であってもその時その時によって体調や気分が一定していないように、その個人の心身のペースはその時その時によって異なります。

 

しかし、ペースには身体的要素や心理社会的な要素ばかりでなく霊的な要素もあると受け止めるのが水氣道のペースに対する深い理解の仕方です。

 

 

全体のペースというものは個々の参加者のペースと無関係ではありません。

 

限定された特別な時空内、つまり一定のスペース(space:語源はラテン語spatium [空地、空間])と一定の時間帯の枠組み中で、互いの存在と役割の意味を認めあう関係、そして神ならぬ不完全な存在である人間同士として至らぬ点を互いに赦し赦される関係、そうした関係性を構築していく過程で、個々の人間としての器を育んでいくことが水氣道の創造性であり霊性であるということになります。

 

特定の時空における特定の個人の特定の言動は、必ずしもその本人の本質を反映するような永久不変のものではなく、移ろい流れていくものです。

 

たとえどのような修業を経て人格を磨いている人であっても、たびたび、その『思い、言葉、行い、怠りによって罪を犯してしまうのが人間である』、ということを知ることが知の始めであり、人としての謙虚さであり、水氣道の赦しの霊性の源泉である、ということができると思います。

 

 

第6センテンス⑥で、Aさんは水氣道とユーモアの関係について端的にご自分の生きた体験を通して触れてくださっています。

 

水氣道の<氣>は身体による呼吸のみならず、魂による呼吸をも包含する実存する生きた概念です。魂による呼吸とは祈りと感謝です。その場合、祈りは呼気、感謝は吸気に相当します。これは、水氣道の神髄に関わる重要事項でもあります。

 

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「入口のようなもの」が見つかるまで、我慢するのが大変です。

 

②「入口のようなもの」が人それぞれ違う。

 

③激痛と聴覚過敏。錯乱して寝たきりになってしまった。

 

④発症から4年。この診療所に来てから6か月くらいたって。

 

⑤ある日「Aという人の司会のラジオ」は割に大丈夫という事を見つけました。

 

⑥そこの所から別の人の別のコーナーと聴ける範囲を広げました。

 

⑦それがいつどこにあるかは、わからないけれど、

 

➇それがあることをわかっている治療者と仲間。

 

⑨それがいるから、さがし続ける事ができるのかもしれません。

 

⑩悪筆すみません。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

Mさんは告白しています。 

①「入口のようなもの」が見つかるまで、我慢するのが大変です。

 

たしかに、辛い訳ですから、(希望の)「入り口のようなもの」が見つかるまでの間は大変な苦労が伴うことでしょう。

 

しかし、我慢しながらも、その間ずっと諦めずに探し求めて、ついに見つけることができたときには、その苦労と苦痛が大きな喜びと感動に変容するのではないでしょうか。

 

そのときの成功体験に対してどれだけ大きな感謝ができたかによって、次に約束されているチャンスの大きさが違ってくるのではないかと思います。

 

 

②「入口のようなもの」が人それぞれ違う。

 

たしかに、Mさんがお考えのように、(希望の)「入り口のようなもの」は人によりけりかもしれません。

 

しかし、かならずしも、その入り口は、鍵と鍵穴の関係のように一対一であるとは限らないと思います。

 

つまり、多くの人々にとっての(希望の)「入り口のようなもの」が存在するのです。

 

しかし、それをそれと認めるかどうか、はまさに一人一人に掛っているのだと思います。

 

 

③激痛と聴覚過敏。錯乱して寝たきりになってしまった。

 

④発症から4年。この診療所に来てから6か月くらいたって。

 

Mさんにとって最悪な状態が、激痛と聴覚過敏。錯乱して寝たきり、の状態であったとするならば、Mさんが高円寺南診療所を見つけた段階で、すでに病気の峠を越えていたという見方もできるのではないでしょうか。

 

発症から4年。本道に大変な年月だったことでしょう。

 

 

そのMさんが高円寺南診療所を6か月にわたり通院してこられた、ということはとても大きな成果です。

 

Mさんを苦しめている病気は、概ね6か月間の通院加療で一定の成績を上げることが可能だからです。

 

半年以上におよぶ通院という行動の反復・継続は集中力なくしては達成できません。

 

病気の症状ばかりにとらわれて執着していては継続できないはずだからです。

 

何かに執着しているときの心は対象に固着して自由に用いることができなくなりますが、それが痛みであれば体自体も自由に用いることができなくなるので一大事です。

 

これに対して、希望に向かって集中しているときは、心ばかりでなく体まで自由に用いることができるようになります。

 

 

⑤ある日「Aという人の司会のラジオ」は割に大丈夫という事を見つけました。

 

ここで、Mさんには、回復過程にある人に特徴的な表現がみられます。

 

「Aという人の司会のラジオ」これは「ラジオ番組の司会者のAという人」というのでは意味が違います。

 

それはMさんがAという特定人に執着しているのではなく、ラジオという一般的なメディアに対して集中して聴くことができたからです。

 

また、大丈夫かどうか、について病んでいる人の傾向は二者択一的ですが、Mさんは割に、と表現しています。

 

これはMさんの精神神経学的あるいは心理的許容範囲が広がってきたことが反映されるからです。

 

また、「大丈夫という事を見つけました。」というのは「大丈夫でした」という通常の表現より、喜びと感動と安堵感が伝わってくるのではないでしょうか。

 

 

こうした、ささやかな成功体験は、大きな転機を迎える準備になったようです。

 

それは、滞ることなく詩のように流れる文体に、Mさんの「氣」の流れを感じ取ることができるからです。

 

 

⑥そこの所から別の人の別のコーナーと聴ける範囲を広げました。

 

⑦それがいつどこにあるかは、わからないけれど、

 

➇それがあることをわかっている治療者と仲間。

 

⑨それがいるから、さがし続ける事ができるのかもしれません。

 

第一部でMさんは、すでに「数えきれない小さな偶然の積み重なりで。」というメッセージを残されています。

 

そして、「今でも、私は、ゆさぶられる事が続いていますが、この事は、お伝えしたいと思いました。」とまとめていますが、Mさんが希望の扉を見つけ、それを次々と開いていくときの感動に揺さぶられる事になることでしょう。

 

 

悪筆、ご容赦ください。(第1部) 

 

⑩ 悪筆すみません。(第2部)

 

Mさんは悪筆を自認しておられるようですが、読者の皆様にとっても、味がある文字と内容だと受け止められたのではないでしょうか。

メタボリックシンドロームを調べていたら、その基礎となる疾患の知識が、不十分識だったので調べてみました。

 

色々と解ったことがあります。

 

今回は診断基準による分類です。

 

大きく4つに分けられます。

 

①高コレステロール血症、

 

②高LDLコレステロール血症、

 

③低HDLコレステロール血症、

 

④高トリグリセリド血症

 

 

世界保健機関 (WHO) の基準に基づき日本動脈硬化学会が診断基準を定めています。

 

まず

①高コレステロール血症

血液中の総コレステロール値が高い(220 mg/dL 以上)タイプの脂質異常症です。

<コレステロール全体が多すぎるということですね>

 

 

続いて

②高LDLコレステロール血症、

血液中のLDLコレステロールが血液中に多く存在する(140 mg/dL 以上)タイプの脂質異常症である。

<LDLコレステロール(悪玉コレステロール)が多い状態です。>

 

 

③低HDLコレステロール血症

血液中の善玉コレステロール (HDL) が少ない(40 mg/dL 未満)タイプの脂質異常症です。

 

 

④高トリグリセリド血症

血液中に中性脂肪(トリグリセリド)が多く存在する(150 mg/dL 以上)タイプの脂質異常症である。

 

 

「高脂血症」と言われていましたが、「脂質異常症」へと変わった理由が

③の低HDLコレステロール血症が、

「HDLコレステロールが低下して起こるため、高脂血症から脂質異常症へと改名される主な理由となった。」

そうです。

 

次回はコレステロール、それぞれの働きについてです。

血液の病気について質問されることが増えてきました。

 

人間ドックなどで、赤血球の異常が指摘されることは稀ではありません。

 

赤血球の異常を二大別すると数の異常と質の異常があります。

 

赤血球の質の異常というのは、機能、つまり働きの異常であり、重度の機能異常を示す病気は、一部の先天性溶血性貧血に限られます。

 

そこで、赤血球の病気は数の異常が問題となり、多ければ多血、少なければ貧血、ということになります。貧血は、赤血球の産生量が消費量よりも少ないことで生じます。

 

その判別には血色素(ヘモグロビン)量が最も良い指標です。

 

貧血であることが判明したら、どのような性質の貧血かを調べます。

 

そのためには、赤血球の分化過程のどの段階で発生した貧血であるかで分類することが有用です。すなわち、

 

造血幹細胞⇒赤芽球系前駆細胞⇒赤芽球⇒赤血球

 

 

造血幹細胞から赤芽球までは骨髄内で分化しますが、

 

最初の段階である造血幹細胞が減少することが再生不良性貧血の原因となります。

 

また、造血幹細胞の遺伝子異常は骨髄異形成症候群の原因となります。

 

 

この再生不良性貧血には免疫抑制療法が奏功しやすいタイプがあります。

 

それは、免疫病態が関与した再生不良性貧血です。

 

免疫病態が関与した再生不良性貧血ではPNH(発作性夜間血色素尿症)形質血球が陽性で、血小板減少が先行し、血漿トロンボポイエチンが高値(320ng/mL以上)になることが特徴です。

 

PNH(発作性夜間血色素尿症)形質血球は、高感度フローサイトメトリー法によって検出することができCD55やCD59などのGPIアンカー蛋白を欠いています。

 

 

輸血を必要としない非重症再生不良性貧血であっても、免疫病態を疑わせる所見がある場合は、免疫抑制薬による早期治療法(シクロスポリン)が望ましいとされます。

 

 

免疫病態が関与した非重症再生不良性貧血と、クローン性疾患である骨髄異形成症候群は鑑別が困難な場合があります。

 

もう少しツボの世界を見ていきましょう。

 

 

今回は「神闕(しんけつ)」です。

 

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場所はお臍です。

 

 

「下痢」「腹痛」「腹が鳴る、冷える」「腹が張る」等に効果があります。

 

 

温めてあげるのが良いでしょう。

 

 

<参考文献>

 

 

このツボが効く 先人に学ぶ75名穴       谷田伸治 

 

 

経穴マップ イラストで学ぶ十四経穴・奇穴・耳穴・頭鍼      監修  森 和

                                      著者  王 暁明・金原正幸・中澤寛元 

 

 

高円寺南診療所 統合医療部 漢方鍼灸医学科 鍼灸師 坂本光昭

水氣道整理体操(のびのび体操)

 

 

のびのび体操は、整理体操として行います。

 

ゆっくりとした動作で、体の各部位を伸ばし、

 

クールダウンしていきます。

 

 

 

指・手・ひじ・肩関節と椎骨のストレッチ

 

①掌を合わせて指を組み、腕を前に伸ばし上を向く

 

②そのまま上に向かって腕を上げる

 

③手首を反して掌を前に向け、腕を伸ばして上を向く

 

④そのまま上に向かって腕を上げる

 

⑤両掌を外に向け、指を組み、腕を前に伸ばし上を向く

 

⑥そのまま上に向かって腕を上げる

 

⑦腕の組み方を入れ替えて、腕を前に伸ばし上を向く

 

➇そのまま上に向かって腕を上げる

 

 

 

側頸部のストレッチ

 

⑨背中に腕を回し、左手首を右手で掴み横に引く、同時に頭を右に倒す

 

⑩9の左右を入れ替える

 

 

 

上腕三頭筋のストレッチ

 

⑪左肘を肩まで上げ、直角に曲げ肘を下げないように前に持ってきて右手で体に向かって引く

 

⑫11の左右を入れ替える

 

 

 

肩関節のストレッチ

 

⑬左腕を上にあげ肩甲骨の間に掌を着けるようにして、肘を右手で後ろに引く

 

⑭13の左右を入れ替える

 

 

 

大腿屈筋群のストレッチ

 

⑮左膝を顎に向かって胸に引き寄せる

 

⑯15の左右を入れ替える

 

 

 

腹斜筋のストレッチ

 

⑰肩甲骨で水をかくように左右肩を振る

 

 

M1

 

<第1部>

 

①座れない。立っていられない。寝たきりの激痛。

 

②波の音のCDですら、突き刺さるような感じ。

 

③病気は、「おかしくなった信長」に似ていて、残酷で、容赦ないです。

 

④ただ、急にではないけれど、「信長の絶対天下」は崩れる事があるのは感じます。

 

⑤数えきれない小さな偶然の積み重なりで。

 

⑥今でも、私は、ゆさぶられる事が続いていますが、この事は、お伝えしたいと思いました。

 

⑦悪筆、ご容赦ください。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

Mさんのレポートは悲痛な叫びとともに混乱しているかのようでいて、どこかに<希望の入り口>のようなものを冷静に探し求めている姿がうかがわれます。

 

 

Mさんが自分の身の置き所が見いだせないほどの激痛は、彼が自由にとれる体位を極度に限定させています。

 

座れない。立っていられない。寝たきりの激痛。負荷の大きい方から並べると、立位⇒座位⇒臥位となります。

 

これは、身体が地球から受ける重力の作用に対する反作用として、どの程度、抗重力筋を動員するかの順序でもあります。寝たきりでも激痛なのですから、ほとんどの抗重力筋を稼働させなくても痛みを感じるということを意味します。

 

これを前提に考えれば、歩行というのは立位保持のために用いていた抗重力筋に加えて、移動のための運動筋をも動員することになり、更なる負荷がかかる、という結論に結び付きます。

 

ところが、Mさんは自力で高円寺南診療所に通院しておられます。何がそれを可能にするのでしょうか。

 

 

これを考える上での手がかりは、

 

1)体位によって、それぞれ望ましい姿勢や動作、心の置き方があるということ

⇒ 姿勢・動作・心理の評価と改善の必要性

 

2)筋肉には、姿勢を保持する筋肉(抗重力筋など)や作業や移動をするための筋肉の他に、呼吸筋があるということ、

⇒ 呼吸法の評価と改善の必要性

 

3)長期にわたって持続する慢性痛は急性痛とは異なり、中枢神経系の感作(脳の痛覚過敏性)が生じているということです。

⇒ 脱感作療法の必要性

 

 

この中枢感作の症状は、②波の音のCDですら、突き刺さるような感じ。という表現に良くあらわされています。

 

この感覚は、Mさんばかりでなく、線維筋痛症の患者さんからしばしば報告を受けます。

 

ただし、Mさんに特有なのは痛みの擬人化です。

 

病気は、「おかしくなった信長」に似ていて、残酷で、容赦ないです。

 

④ただ、急にではないけれど、「信長の絶対天下」は崩れる事があるのは感じます。

 

Mさんの痛みは絶対的な専制君主のように振舞いますが、

 

たとえば<奢れるもの久しからず>ということでしょうか、絶えず猛威を振るっているわけではなく,静かに収まっている時間があることも経験されている、ということでしょう。

 

 

痛み苦しめられている時間ばかりに囚われている人は、痛みから解放されている時間を無視していることが多いですが、Mさんは解放されて自由になる時間をきちんと受け止めておられます。

 

 

⑤数えきれない小さな偶然の積み重なりで。というセンテンスは④にも結びつきますし、⑤にも結び付けることができます。

 

つまり、症状の改善因子は数えきれない小さな偶然の積み重なりでできていて、諦めずに、その小さな目立たない<希望の入り口>を求め続けていくことを通して、少しずつ自分の自由を拡げていくことができるということに気づいておいでのようです。

 

 

今でも、私は、ゆさぶられる事が続いていますが、この事は、お伝えしたいと思いました。というMさんの結語は<ゆさぶられる事>が苦痛や苦悩を増し加えることではなく、むしろ、希望の入り口ともいうべき、数えきれない小さな偶然を意味することであることを経験し始めていることを示唆するものであると受け止めたいと思います。

 

 

生きている、ということは息をしていること、息をしている限り、私たちは私たち自身や周囲の人々に揺さぶりをかけ続けているということです。

 

 

人間は社会的動物である以上、生きていくためには、互いにかけ続けている揺さぶりをどのように受け止めていくか、という自覚も必要なのではないでしょうか。

 

人間は、揺さぶり、揺さぶられながら生きているし、また病も、揺さぶり、揺さぶられながら癒されていくものなのではないかと思います。

 

 

要するに、揺さぶりをどのようにとらえて、どのように受け止めるのか、そして自らが周囲にどのような揺さぶりに関わっていくのが健康的で生産的なのかについて試行錯誤を続けていくこと、これらのことは、病気の治療にとどまらず、生涯を通して意義深い成長課題だと思われます。

もう少しツボの世界を見ていきましょう。

 

 

今回は「肩井(けんせい)」です。

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場所は、肩の上で、肩の骨の先端と大椎穴を結んだせんの中央にあります。

 

 

「寝違い」「頸項部のこりと疼痛」「肩背部痛」「乳腺炎」「母乳不足」「頭痛」「めまい」等に効果があります。

 

 

私は治療でこのツボは必ず使います。

 

 

<参考文献>

 

 

このツボが効く 先人に学ぶ75名穴       谷田伸治 

 

 

経穴マップ イラストで学ぶ十四経穴・奇穴・耳穴・頭鍼      監修  森 和

                                      著者  王 暁明・金原正幸・中澤寛元 

 

 

高円寺南診療所 統合医療部 漢方鍼灸医学科 鍼灸師 坂本光昭

新年おめでとうございます。

 

いま、ここで皆様と共に新年を迎えられたことを嬉しく思います。

 

 

一、水氣道は一生涯を通して歩みながら学べる道のりです。

 

それと同時に、毎回の稽古は、一期一会です。

 

毎回新しい氣づきを得て、その内容を深めていく場です。

 

 

 

一、水氣道は自然と人のみを素材としています。

 

稽古も自然と人とを交流する水と氣の働きに則っています。

 

ですから、普遍的で再現性のある健やかな生き方が可能となります。

 

 

 

一、水氣道はすべての人とのご縁があることを確信しています。

 

ですから、毎回の稽古は、入門者を受け入れる準備が整っています。

 

常に新人を歓迎し、一人一人の新人と共に喜んで歩み続けています。

 

 

 

水氣道創始者会長 医学博士 飯嶋 正広