日々の臨床 ① :12月3日 日曜日<総合病院VS統合診療所>

統合医学(東西医学、代替・補完医療)

 

<総合病院VS統合診療所>

 

Q1.総合病院とは何か?という質問に答えることは、意外に難しいと感じます。

 

かつては許可病床数100床以上で主要な診療科(最低でも内科、外科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科の5科)を含む病院であることが、医療法で規定されていました。

 

しかし、1996年の医療法の改正によりこの規定は廃止されているようです。

 

 

なお、医療法では削除されたにもかかわらず、現在でも総合病院の名称を残す民間病院は多いです。

 

それらは一般的に、多数の診療科を有している、その地域の中心的な病院である、二次救急以上に対応する救急病院としての機能がある、などの理由によるものらしいです。

 

 

 もっとも、総合病院を考える前に、そもそもQ2.「病院」と「診療所」の違いは何か?

 

という質問には明確に答えておく必要があるでしょう。

 

病院」とは、医師又は歯科医師が公衆又は特定多数人のため医業又は歯科医業を行う場所と定義され、

 

病床数20床以上の入院施設(病棟)を持つものを指します。

 

無床もしくは19床以下のものは診療所(入院施設を持つ場合は有床診療所)ということになります。

 

つまり、病床数の有無あるいは規模のみによって病院と診療所が区分されているに過ぎないということです。

 

 

さらに、Q3.「診療所」と「医院」、「クリニック」との違いは何か?という質問を受けることがあります。

 

診療所は医療法で定義付けされた名称ですが、医院やクリニックは医療法上の名称ではなく通称です。

 

医療機関であれば、一般的には、診療所と同じ意味で使用されることが多いです。

 

ただし、「医院」という名称は「医を司る所」という意味で、その名の通り「医療を提供する施設」という意味を持ち、古くから存在していたといわれ、医療機関の規模の大小にかかわらず用いることは可能なようです。

 

ただし、医院と名乗る病院はとても例外的であり、私の知る限りにおいては順天堂大学医学部付属順天堂医院の他には知りません。

 

 

クリニックというカタカナ名称は、モダンで最先端の医療を提供してくれそうな印象を一般患者に与えるためか、現在では流行りのようです。

 

しかし、それはまったく根拠のないことであり、あくまでも開設者の思い入れや趣味の問題であり、実質的な違いは無いと思います。

 

 

Q4.総合と統合の意味の違いは?

 

総合という言辞について一般論を展開するのが、ここでの目的ではないので、総合医について大辞泉に掲載されている興味深い記載をご紹介します。

 

<(総合医)とは、性別・年齢・疾患を問わず、幅広く診断と治療を行う医師。⇒家庭医とほぼ同義で使われることが多い。

◆「総合医構想」を進める厚生労働省は、地域の⇒開業医を総合医と認定することで、地域の中核病院への過度な集中を緩和し、初期治療と専門医療との役割分担を明確にすることを目指しているが、開業医の負担が増大するだけで⇒地域医療の再生にはつながらないとする反論もある。>

 

 

私は、この反論に賛成します。その理由は、総合医は総合病院にこそ必要だと考えるからです。

 

総合医のいない総合病院の総合とは、「専門医の寄せ集め」医療を提供している病院であることを公言しているようなもの、といっても過言ではないと思います。

 

最近、病院総合医に期待がもたれていますが、相当な努力と工夫とともに、試行錯誤が繰り広げられていくことでしょう。

 

 

 

これに対して、統合はどうでしょうか。総合医という言葉はあっても統合医という言葉は確立していません。

 

<(統合)とは、二つ以上のものを合わせて一つにすること。>

 

(大辞泉より)ですが、私はこの定義に不満です。

 

たとえば人間の存在は本来一つの統合体であって、それを医学や医師の都合で縦割りに分割して専門領域を構築しているに過ぎません。

 

統合が意味する内容の方向性が真逆であるということです。

 

 

厚生労働省に提言したいことは、開業医を総合医にするのではなく、現場での統合医養成を支援していただきたいということです。

 

一人の診療所の開業医が総合病院のような仕事をしようとしても、とうてい患者さんの信頼は得られないでしょう。

 

このことは、平成元年以来、高円寺南診療所での医業を実践してきた医師として、はっきりと断言できます。国の思惑(国策)と民の希望(対策)の方向性には、如何ともしがたい隔たりがあります。

 

 

私の提唱する<統合医>とは、たとえば、複数の専門医を受診していて、自分自身の健康状態の全体像が把握できなくなって途方に暮れている患者さんに羅針盤を提供し、安心して健康管理を続けていくことができるように支援する存在です。

 

統合医が不在であるということは、素人である患者さんやご家族に彼ら自身の健康状態の全体像を統合的に把握させることを強いることに等しいのではないでしょうか。

 

大多数の医師ですら担いきれていない高度な判断を、インフォームドコンセントあるいは自己責任の原則を大義名分として患者さんに背負わせ、ややもすれば押し付けているような現実に、現代医療のグロテスクでいびつな側面を感じざるを得ません。

 

患者さんの臓器という部分ではなく、全人的健康の視点から患者さんの人格を基盤とする人権を擁護できる統合医こそが真の主治医であり、必要に応じて複数の臓器別専門医との間で治療方針を巡って調整したり、患者さんの真のニーズを代弁したり、意見を提案することなど高度な専門性が統合医には求められることでしょう。

 

 

そうした統合医としての機能を身につけるための具体的なカリキュラムを私は具体的に提供することができます。

 

それは、まず予防医学や救急を含む内科医としての基礎研鑽を積むこと、

身体面と精神面の両面からアプローチできる心療内科の研鑽を積むこと、

さらに、家庭とともに生活環境の場である職場での健康管理、つまり産業医学の研鑽を積むことによって、全人的医療を実践できるようになること、

また、超高齢社会であることを踏まえて、西洋医学の限界を謙虚にわきまえ、東洋医学(漢方・鍼灸医学)を併用して、養生法や鍛錬を法を指導し、無理や無駄の少ない、より安全で有効な医療を提供することによって、持続可能な保険医療システムを支えていくことができるようにすること、

以上のカリキュラムは最低でも10年以上あるいは生涯学習として研鑽を続けていかない限り、身につけることはできません。

 

 

僭越ながら、私の知る限りにおいて、上記のレベルに到達しているわが国の医学部教授は皆無に等しいのではないか、と考えます。

 

特定の領域の特定の分野の指導医に過ぎない我が国の医学部教授であっても、チームを編成することによって総合医の教育までは可能であると考えますが、統合医の育成に至っては、到底望めません。

 

 

統合医になるためには、自称総合病院ではなく、現に統合医療を実践している統合診療所統合医療指導医(未制定)の下で研鑽を積む以外に方法は無いと思います。