診察室から 10月10日 <「生き方上手」な医師>

テーマ:「生き方上手」な医師

 

2か月ほど前に帰天された日野原 重明(ひのはら しげあき)先生、著明な方なのでご存知の皆様も少なくないことでしょう。

 

日野原博士は1911年(明治44)10月4日 - 2017年(平成29)7月18日、日本の医師です。

 

先生は聖路加国際病院名誉院長、上智大学日本グリーフケア研究所名誉所長、公益財団法人笹川記念保健協力財団名誉会長、一般財団法人ライフ・プランニング・センター理事長、公益財団法人聖ルカ・ライフサイエンス研究所理事長などを歴任されました。

 

 

先生のご著書の「生き方上手」という本を読んでみたい、と思いつつ実行できないまま訃報を知りました。

 

そこで、インターネットで検索した、読者の方からの投稿文を2つ引用します。

 

 

#1.日野原さんが90歳の頃に書かれたエッセイ。

 

生涯現役を通され、90歳になっても尚、睡眠時間を削って忙しく活動されておられる様子に驚嘆する。

 

戦争を経験し、よど号ハイジャック事件に遭遇し、医師として4000人を看取ってこられた著者だからこそ語れる「生き方」について、謙虚に受け止めたい。

 

特に6章「死は終わりではない」が、死をどう迎えるかについて、現場からの具体的なエピソードなど交えて語られ、色々考えさせられた。

 

 

#2 先日亡くなられた聖路加国際病院の日野原重明先生の本。

 

生きかた上手は死にかた上手。人生は長さではなく、どう生きたかで価値が変わってくる。

 

「たとえ病を抱えていても、清々しい「健康感」があればそれで十分であり、それが大切」「辛く苦しいことでも「体験」したことは、間違いなくその人の強みになる」という言葉に胸を打たれた。

 

習慣が人間の性格や品性を作り上げていく。

 

私も今日1日を大事に精一杯生き、いつになるか分からないが、穏やかに周りに感謝をしながら人生を終わりたい。

 

 

次に、日野原先生について、改めて特筆すべきと思われた事績を経年的にまとめてみることにしました。

 

特に、医学と音楽との接点については、高円寺南診療所の診察室と『聖楽院』との接点の在り方について、とても貴重なお手本であると受け止めています。

 

 

日野原先生は、御幼少のみぎりから多方面に亘る芸術的才能を発揮されていました。

 

小学生の頃から同人誌などの物書きも嗜み、筆名は「日野原重秋」「日野原詩郷明」の筆名で詩作、作詞さらにはピアノ演奏や作曲までに及んでいました。

 

日野原先生は結核を患い、闘病生活中に「ノクターン」を作曲しました。

 

 

1943年、京都帝国大学医学博士の学位を取得。

 

○日野原先生は音楽好きでした。先生の博士論文は「心音の研究」。

 

心臓が収縮するとき低音が発生することを発見しました。

 

 

1951年、エモリー大学医学部内科に1年間留学し、ポール・ビーソン教授に師事する。

 

○メイヨー・クリニックでホリスティック医療に触れる。

 

 

1986年、日本バイオミュージック研究会(現・日本音楽療法学会)初代会長を務める。アメリカ内科学会名誉フェロー。

 

 

2008年2月17日放送の「N響アワー」(NHK教育テレビ)で日野原がゲスト出演した際、池辺晋一郎によって披露された。

 

 

2015年、全国学校音楽コンクール(小学校の部)課題曲『地球をつつむ歌声』の作詞を担当した。