「水氣道に救われた線維筋痛症の私」50歳代男性、大学教員<その7>

<目まいや頭痛>はまだ時々ありましたし、

 

腸の働きが順調になるにはだいぶ時間がかかりました。

 

小さい頃からアレルギー疾患があって、一時期は大気汚染にまで敏感になって、

 

マスクとゴーグルを室内でも外せないという大変な思いをした時期もありました。

 

しかし、他はというと、もう大丈夫。

 

 

半信半疑ではありますが、でも身体の状態は、もう大丈夫。

 

 

ということで、8月にはヨーロッパ旅行に出かけるまでになっていました。

 

 

重いスーツケースを転がして、それはそれは楽しい旅になりました。

 

 

・・・大きな症状が出るまで・・・

 

 飯嶋先生にお話をお伺いして、この病気には、

 

①多分に身体全体のストレスが関わっていること、

 

②また身体のストレスは心のストレスと大きな関連性があることを理解しました。

 

 

きっと私には、もともとこの病気を呼び起こすような

 

身体と心の歴史があったんじゃないかと思い、振り返ってみることにしました。

 

すると、私が線維筋痛症になるうってつけの条件はかなり揃っていることを改めて確認できました。

 

 

遠い原因になりそうなことは、1999年に患った腰椎椎間板ヘルニアです。

 

手術をした後も、お尻から左脚全部の裏側を伝わる麻痺が残ってしまいました。

 

それ以来、今日に至るまでずっと神経の激しい痛みは続いています。

 

 

 さらに、2005年には妻が重い心の病にかかり、

 

それからほぼ2年の間、自宅で妻の介護をして

 

職場にもほとんど行けないという状態が2年ほど続きました。

 

幸い妻はいま徐々に暮らしやすい状態になりつつあります。

 

しかし、妻が入院に至った当初は、

 

死ぬことしか口にしなくなっていた妻の将来も悲観しました。

 

そのうえ、<介護で仕事も辞めることになりそうだ>と思い、

 

孤独と絶望の闇の中にいました。

 

 

自分自身の心のバランスも危なくなるような介護の日々で、

 

妻の主治医に私が安定剤を処方してもらうことも度々ありました。

 

ストレスをため込んだのか、2006年あたりからは、

 

4日に1度くらいの頻度で<激しい頭痛>に襲われるようになりました。

 

身動きも出来ないほどの痛み、どう耐えていいのかわからないような嘔吐感。

 

音にも光にも耐えられないし、時折視野に奇妙なギザギザの閃光が走る。意識が朦朧とする。

 

そんな諸症状で苦しみました。

 

頭痛外来に助けを求めたところ、診断は片頭痛

 

原因も治療法も分からない面倒な身体になってしまいました。