「できることなのに、課題の先延ばし」

 

 

1)かつてのMr.NoGucciの行動パターン②

 

≪他人に任せるより自分でするほうが早くて楽。≫ 

 

この思い込みは、どこから来たのだろうか?

 

≪他人に任せるより自分でするほうが早くて楽。≫ 

 

これを、いくつかの小問に分割して検討を加えてみました。

 

Q1: なぜ楽なのか?

 

A1-1: 頼むための準備を始めるのが面倒!

 

A1-2: 人頼みだと完成度や完成時期がわからないので不安!

 

そう考えた結果、やみくもに引き受けてしまい自分の容量超過。

 

 

Q2 :本当に自分でする方が早かったか?

 

A2-1:すぐに取り組めば間に合ったハズ・・・だった

 

A2-2:他の仕事を受けなければ間に合ったハズ・・・だった

 

これらの仮説は、ことごとく誤りだったハズだ。

 

<目まいや頭痛>はまだ時々ありましたし、

 

腸の働きが順調になるにはだいぶ時間がかかりました。

 

小さい頃からアレルギー疾患があって、一時期は大気汚染にまで敏感になって、

 

マスクとゴーグルを室内でも外せないという大変な思いをした時期もありました。

 

しかし、他はというと、もう大丈夫。

 

 

半信半疑ではありますが、でも身体の状態は、もう大丈夫。

 

 

ということで、8月にはヨーロッパ旅行に出かけるまでになっていました。

 

 

重いスーツケースを転がして、それはそれは楽しい旅になりました。

 

 

・・・大きな症状が出るまで・・・

 

 飯嶋先生にお話をお伺いして、この病気には、

 

①多分に身体全体のストレスが関わっていること、

 

②また身体のストレスは心のストレスと大きな関連性があることを理解しました。

 

 

きっと私には、もともとこの病気を呼び起こすような

 

身体と心の歴史があったんじゃないかと思い、振り返ってみることにしました。

 

すると、私が線維筋痛症になるうってつけの条件はかなり揃っていることを改めて確認できました。

 

 

遠い原因になりそうなことは、1999年に患った腰椎椎間板ヘルニアです。

 

手術をした後も、お尻から左脚全部の裏側を伝わる麻痺が残ってしまいました。

 

それ以来、今日に至るまでずっと神経の激しい痛みは続いています。

 

 

 さらに、2005年には妻が重い心の病にかかり、

 

それからほぼ2年の間、自宅で妻の介護をして

 

職場にもほとんど行けないという状態が2年ほど続きました。

 

幸い妻はいま徐々に暮らしやすい状態になりつつあります。

 

しかし、妻が入院に至った当初は、

 

死ぬことしか口にしなくなっていた妻の将来も悲観しました。

 

そのうえ、<介護で仕事も辞めることになりそうだ>と思い、

 

孤独と絶望の闇の中にいました。

 

 

自分自身の心のバランスも危なくなるような介護の日々で、

 

妻の主治医に私が安定剤を処方してもらうことも度々ありました。

 

ストレスをため込んだのか、2006年あたりからは、

 

4日に1度くらいの頻度で<激しい頭痛>に襲われるようになりました。

 

身動きも出来ないほどの痛み、どう耐えていいのかわからないような嘔吐感。

 

音にも光にも耐えられないし、時折視野に奇妙なギザギザの閃光が走る。意識が朦朧とする。

 

そんな諸症状で苦しみました。

 

頭痛外来に助けを求めたところ、診断は片頭痛

 

原因も治療法も分からない面倒な身体になってしまいました。

腸を立て直すこと、鍼治療で身体全体の緊張をほぐすこと、

 

そして水気道で身体に適度の刺激を与えると心地よさが増すこと。

 

それを体験しながら、自宅では3月あたりから、大きな疲れがこない程度の

 

ヨガとストレッチも試み始めました。

 

ヨガをしながら、ゆっくりと呼吸を整える練習もし始めました。

 

 

そして4月初旬。飯嶋先生主催のお花見に自転車に乗って出かけるほど、

 

運動をするのが苦ではなくなっていました。

 

4月末には、働くこともさほど苦にならなくなりました。

 

しばらく止めていた自転車通勤(片道10㎞)も月に2回くらいし始めて、

 

どんどん体調が戻っていくのを実感しました。

 

 

5月1日、

≪痛み評価の質問紙の結果、もう線維筋痛症には該当しない数値ですよ≫と告げられました。

 

 

本当に驚きました。インターネットを見るかぎり、

 

「難治性」「回復は困難」「予後は良くない」ばかりが目につくこの病気は、

 

<もう絶対に治らないかもしれない>と思い込んでいました。

 

それだけに、こんなに早く日常生活に戻れたのがしばらく信じられませんでした。

2週間後の3回目からはもう、≪水の中で正拳突きをやりましょう≫という飯嶋先生の指示。

 

<呼吸もままならないのに、そんな無酸素に近い運動なんて>

 

と思ったのですが、これが意外にできたのには驚きました。

 

 

ビリビリ、ピリピリという痛み>は断続的に続きました。

 

それでも、水氣道の2日後にはやはり

 

スイッチが入ったように」体が動かせる実感がありました。

 

 

3回目の水気道の2日後の2月28日の日記には

 

ぐいぐい歩ける気がして歩いてみる、歩けるけれどすぐ息切れ。」とあります。

 

 

4回目の翌日、3月6日はもっと端的に「体調はよい。」

 

水気道を始めてからひと月余りで、ノイロトロピンの注射は終了。

 

ピリピリという身体の痛みが日に日に和らいでいくのが実感できました。

 

だるさはあるものの、ごわごわとしたこわばりが少しずつ消えていきます。

 

 

水氣道を始めてから間もなく、東日本大震災が起きました。

 

さすがに体調はストレスで少し悪化しました。

 

それでも飯嶋先生は震災後間もなく水気道を再開。

 

ぼくは余震に怯えながらまたプールに通いました。

 

水氣道 准3級(特別訓練生) 野口将成

 

 

実験動物のミスターNoGucci、またの名をハムスターNoGucciに御同情あれ!

 

そんな罰当たりなことを考えていた頃、

 

Mr.NoGucciの思いには<自分は今のままでも困らないではないか、

 

それって個性だし、ここまでした無理に変化しなくて良いんだよ、

 

だって、人間だもの>という肥満者にありがちな考えが、どこかに潜んでいました。

 

 

稽古を重ねるにしたがい

 

「重しを引いたり、押したり、引っ張ったりさせられる」という自分中心の被害的感覚から、

 

「重しを引いたり、押したり、引っ張ったりしていただいている」

 

という相手の好意や協力に対する感謝の念が育まれてきました。

 

 

そのころになると、

 

<自分は今のままで良いよ、変化しなくて良いんだよ、だって、人間だもの!>

 

という「肥満者にありがちな自分勝手で弱くて卑怯な心と戦うことが減肥航法のスピリットなんだ!」

 

と気づくことができました。

 

 

それから、すっかり救われた思いになりました。

 

 

しかも、より熱心に、しかも楽しく稽古を続けることができ、

 

稽古仲間という財産にも恵まれてきました。

 

診察を受けてから一月もしないうちに、飯嶋先生に「水氣道」を勧められました。

 

飯嶋先生が指導する、プールの中で行う運動です。≪週に1回は来てください。≫

 

 

身体中が痛い、呼吸は浅い、脈拍は早い、微熱も取れない、

 

眠りも浅い、歩くのは登山なみ>の大騒ぎ。

 

階段も一気に登れず、踊り場で膝に手を当ててゼイゼイする>ような状態です。

 

 

正直なところ<運動なんてそんな無茶な>と思いましたが、

 

<身体全体を立て直すんだから>と自分を説得して、恐る恐る参加してみました。

 

 

初めての水氣道は2011年2月19日。初診からわずかに1ヶ月半。

 

 

飯嶋先生が水気道と名づけたその運動は、独特なものでした。

 

 

身体がしんどい状態の私は、まず水の中を歩いたり、

 

片足でゆっくりバランスをとったりというメニューが中心の初日

 

 

帰宅後はだるさでぐったりしていました。

 

これが病気のせいなのか疲れたのかわからないまま。

 

 

ところがその2日後の日記にこう書いてあります。

 

身体中に神経痛の電撃が走るが、夜から急にスイッチが入ったように動ける。

「できることなのに、課題の先延ばし」

 

 

今回は、取り組みを始めないこと(スタートでぐずぐずする)に対する内省

 

 

かつてのMr.NoGucciの行動パターン①

 

来るものは拒まず、

 

まずは何でも受けておいて、

 

それからゆっくり段取りを決める手はず、

 

なかなか決まらずグズグズになる。

 

考えだすことにグズグズしはじめる。

 

♬ 時は流れ、また月曜となり、先週と同じ、頭空っぽ・・・

 

♬ 巡る、巡る季節の中で、ボクは何をしてきたのだろう・・・

 

♬ ケ・セラ・セラ・・・なるようになる・・・

 

この無計画で無邪気な脳天気。

 

 

それでは、なぜ、来るものは拒まず、だったのだろうか?

 

それは≪他人に任せるより自分でするほうが早くて楽≫ だから!

 

この思い込みは、どこから来たのだろうか?

ノイロトロピンは効いている間だけ少し楽。

 

でもせいぜい2時間といったところ。

 

<たとえて言うならば、一度濡らしてから乾かした革のよう。

 

そんな、体のごわごわしたこわばり。

 

その他にも、ビリビリと全身を走り回る痛み。

 

呼吸が止まりそうなくらいの息切れ。>

 

 

これらは、むしろ漢方薬鍼治療で少しずつ減っていったようです。

 

 

<そうか、やはり身体全体を立て直すのが大事なのか>と、どこかで納得し始めました。

 

 

大学では授業をし続けていましたが、

 

1分も話をすると息が続かなくなってめまいがしはじめました。

 

そこで、パソコンの画面に文字を打ち込んで、それをスクリーンに映し出す、

 

というやり方で一月くらいの授業期間をなんとかしのぎました。

 

 

それでも、居ても立っても居られないような身体の苦痛は、

 

目に見えて和らいでいく感じがありました。

 

 

 

水氣道 准3級(特別訓練生) 野口将成

 

 

減肥航法は、まずパートナーに腰を両手で掴まれながら歩きます。

 

 

続いて、前から胸、腹を療法の掌(てのひら)で交互に押されまます。

 

まるで力士の稽古ですね。

 

 

3つ目は踏ん張る人の力の向きに逆らって、その手首をつかみ、引いて歩きます。

 

 

それも一人だけではなく、また一人。

 

 

直列になったり、並列になったり、

 

とても、力が要り、汗もいっぱいかきます。

 

(プールの中でも汗をかいているのが分かります)

 

 

初めは、筋肉を付けて、カロリーの消費を上げる、

 

結果、「痩せることができる」と、訓練の目的を単純に考えていました。

 

 

でも、それだけならば、一人でプールの中で走る、

 

負荷を上げて運動することで十分にこと足りるはず。

 

 

それだけのために、どうしてわざわざプールにまで来て、

 

重しを引いたり、押したり、引っ張ったりさせられる、

 

なぜ、こんなことまでさせられるのでしょうか?

 

極楽と天国。

 

 

この際ですから、もう一歩突っ込んで両者を比較してみましょう。

 

 

極楽 ⇒ 四苦八苦

 

(生・老・病・死+4苦:別れ、手に入らない、嫌な人に会う、心身がままならない)が無い。

 

心身共に楽~な世界。

 

 

(イメージ)何もしないでぼーっと楽に居られる所。

 

温泉に浸かると「極楽~極楽~」

 

 

良~く考えたら現実ではどれ一つ実現しないものばかり。

 

そうか、現実では「四苦八苦」してこそ成長できるのでは?

 

とボクは考え、ガッカリするのでした。

 

 

『極楽とは・・・ そうか・・・ ガッカリ。』

 

 

天国 ⇒ ボクにはまったく知識が無い、縁も所縁(ゆかり)もない世界。

 

そこでドクトル曰く「天使でも神に叱られることがある」

 

叱られるのは嫌いだが、叱られると成長できる。

 

叱られ方を考える。

 

 

怠惰で叱られるのが一番ボクにはこたえる。

 

行動を起こして間違った方向に行きそうな時に叱られるのは大丈夫。

 

そこにはボク自身を変えていける喜びがある。

 

 

こんなボクでも天使になれるだろうか???

 

天国から来た本物の神様にだったらボクも叱られてみたい。

 

そうしたら、ボクも天使になれるような気がするから・・・

 

 

でも臆病で疑い深いボクにとって、

 

天国は葛藤をもたらす最たるものです。

 

 

そうか、ボクにそう思わせて引き込んでしまうトリックが、

 

そこにあるのではないか?

 

そんな声が地下からボクにささやきかける・・・

 

『トリックには騙されるな!

 

天国とは・・・

 

良いか、トリックなのだ。』

 

 

それでも本物の神様のトリックにだったら、

 

かかってみたい気もするのでした。