診療所の飯嶋先生は時間をかけて、とても丁寧に診察をしてくださいました。

 

どこのお医者にかかっても、診察はせいぜい5分くらいというのが常でした。

 

 

ですから、かれこれ1時間近くも診てくださったのにまず驚きました。

 

診察の結果は、≪線維筋痛症の疑いが大きい≫ とのこと。

 

治らないと訴える大変な人たちの手記をインターネット上でたくさん読んでいたので、

 

病名が分かったという安堵はほんの少し。

 

あとはもう、<これから先どうしていいかわからない>気分に満たされました。

 

 

すぐに始めたのは鎮痛剤ノイロトロピンの注射

 

これは身体の痛みを和らげてくれました。

 

 

あとは≪漢方薬で腸を整えましょう≫とのお話。

 

それと鍼治療

 

 

およそ現代的とは思えないような

 

統合医療を受けることになりました。ところがこれがとてもよかったのです。

 

 

 

 

 

2011年1月4日。

 

正月三ヶ日が明けるのももどかしく、

 

やっとの思いで高円寺南診療所に辿り着いたのでした。

 

 

年末に<全身の具合が驚くほど悪くなって、ほとんど動けない、眠れない

 

という状態に陥っていました。

 

クリスマス辺りまではまだ何とか仕事をしたりしていたのが、

 

もう<床に転がって苦痛に耐えるしかできない>という有様。

 

 

その1ヶ月くらい前から体調がどんどん悪くなっていたのでした。

 

 

そこで、「まさか」とは思いながら、インターネットで調べまくり、

 

「自分は線維筋痛症にかかったんじゃないか」と心配していました。

 

もしそうだとしたら、「これから先の人生が台無しになるかもしれない」

 

という恐怖心を抱え込んでいました。

 

 

その「まさか」が、年明けになって「どうもそうらしい」に変わり始めました。

 

やりきれない思いの年越しになってしまいました。

 

 

どの医療機関の情報を見ても、あまり芳しい治療効果が期待できない感じでした。

 

とりわけ「大きな総合病院では、

 

ただの症状や一症例として扱われそうでかなわない」と思いました。

 

自然志向の統合的な医療を目指す≫という言葉に一縷の望みをかけて選んだところが、

 

お医者さんはたった一人だけの小さな高円寺南診療所だったというわけです。

・・・本当に、心と体は、切り離せない関係にあります。・・・

 

 

いま、私は線維筋痛症が再発するんじゃないかという不安を抱いていません。

 

絶望に近い感じを味わっていた「片頭痛」とも、

 

付き合い方が徐々に分かり始めていて、いまは怖くありません。

 

怖くなくなってからは頭痛も減っていて、ここにも心と体の不思議な関係を感じます。

 

間違いなく、自分の健康状態には、自分自身が大きく関わっているようです。

 

ストレスは外部からもたくさんやってきますが、

 

それにどう向き合って、どう対処するかは、

 

しっかりとした見識を持ったお医者さんなどの助けを借りながら、

 

じつは自分でできることなんですね。

 

 

自分の心と体を自分で引き受けていいこと、

 

そして自分自身で健康を目指すことがいつでもできるんだ、という自覚をもつこと。

 

そうしたことを、この病気をきっかけにして、

 

飯嶋先生をはじめ、いろんな方々から教わりました。

 

病を封じ込めるのではなく、

 

病を通して身体が訴えていることを感じ取って、

 

それを自分自身が立て直すことができるという意識を持つこと。

 

すると身体は、ゆっくりと居心地がいい方向に進んでいくこと。

 

これが、私が病気を通して学んだことです。         

 

おわり

運動の大切さを教わってからは、

 

水氣道以外にも、体を動かすことに臆さないようになっていきました。

 

ヨガとストレッチは、治療を受けてからはほとんど日課になっています。

 

今でも続けています。

 

身体に大きな負担が来ない程度の筋力を使う有酸素運動(スロートレーニング)も、

 

週に2回程度はするように心がけています。

 

 

「動きたくない」身体の苦痛を取り除くことは、じつは重要ではなくて、

 

動き「たくない」という心の面に気がついて、

 

心から身体全体へというケアをすることが大事なんだなと実感しています。

 

自己治癒力を高めることを目的にした施術を行う治療院でも、

 

身体へのアプローチで、内臓系を整えて、

 

そうやって自己治癒力や免疫力を上げるという考え方を学んでいます。

 

 

その観点からすると、水氣道やヨガは、

 

心の状態を鎮めて整えるのにも、とても役に立っていることが実感できます。

 

近頃はあまり焦らなくなりましたし、

 

何よりも「怒りが随分減ったな」と、自分でも驚いているほどです。

 

そして、焦りや怒りが少なくなると、

 

身体の緊張が目立って減ることもとても深く感じることができるようになりました。

 

片頭痛に特有と言われる症状はそれから7年近く続きました。

 

 

幸い飯嶋先生にお会いしてから、対症療法ではない考え方があることを理解しました。

 

そこで痛みそのものを薬で緩和するという考え方をやめて、

 

ある時期に思い切って片頭痛薬も止めてしまいました。

 

2013年から通い始めたホリスティックな施術を行う治療院で、

 

身体からのアプローチで自己治癒力を高めるという考え方を学ぶに至って、

 

頭痛は劇的に減っています。

 

 

高円寺南診療所での鍼治療が、

 

じわじわと身体の不快感を減らしていくのが実感できました。

 

そして水氣道では、

 

身体が「動かない」のではなくて、どうやら身体が「動きたくない」と訴えている

 

らしいことを、自分なりに感じるようになりました。

 

「動きたくない」身体を抱えていた私は、水氣道を習うことで、

 

動いても不快感がない」運動があることを発見したように感じます。

 

 

線維筋痛症に伴う全身の強いこわばりを何とかしたくて、

 

診断を受ける前から妻にマッサージをしてもらったり、

 

自分なりにストレッチをしたり、

 

妻に教わって見よう見まねでヨガをしてみたり、いろいろと試みてはいました。

 

それで苦しさがうまくとれることはありませんでしたが、

 

時々、身体の一部分が少し心地よくなる感覚も味わっていました。

話は3年ほど前に戻りますが、2010年半ばから前頭部に脱毛部分が現れました。

 

それはどんどん大きくなって、半年も経たないうちに十円玉くらいの大きさの円形脱毛症に。

 

脱毛が大きくなったころ、2010年の秋からずっと

 

全身の言葉に表しにくい不快感、全身の疼くような痛み、呼吸が浅い状態、動悸、微熱

 

がずっと続くようになりました。

 

これはきっと風邪だと思い込んで、内科にかかりましたが、

 

高熱があるわけでもないので、内科では特に診断名もなく、薬の処方もありませんでした。

 

 

その頃にはもう、

 

平たい地面を歩いていても、空気が薄い高山を登っている感じ>で、

 

自宅から最寄り駅まで歩いて3分のところが8分もかかり、

 

駅の階段は休み休みじゃないと登れない>といった状態になっていました。

 

 

11月下旬から「風邪」が治らないまま、

 

高円寺南診療所を訪れる正月を迎えることになったのです。

 

 

・・・高円寺南診療所を受診してから・・・

 

飯嶋先生の治療を受け始めてから、統合的な医療ということの重要さに目覚めました。

<目まいや頭痛>はまだ時々ありましたし、

 

腸の働きが順調になるにはだいぶ時間がかかりました。

 

小さい頃からアレルギー疾患があって、一時期は大気汚染にまで敏感になって、

 

マスクとゴーグルを室内でも外せないという大変な思いをした時期もありました。

 

しかし、他はというと、もう大丈夫。

 

 

半信半疑ではありますが、でも身体の状態は、もう大丈夫。

 

 

ということで、8月にはヨーロッパ旅行に出かけるまでになっていました。

 

 

重いスーツケースを転がして、それはそれは楽しい旅になりました。

 

 

・・・大きな症状が出るまで・・・

 

 飯嶋先生にお話をお伺いして、この病気には、

 

①多分に身体全体のストレスが関わっていること、

 

②また身体のストレスは心のストレスと大きな関連性があることを理解しました。

 

 

きっと私には、もともとこの病気を呼び起こすような

 

身体と心の歴史があったんじゃないかと思い、振り返ってみることにしました。

 

すると、私が線維筋痛症になるうってつけの条件はかなり揃っていることを改めて確認できました。

 

 

遠い原因になりそうなことは、1999年に患った腰椎椎間板ヘルニアです。

 

手術をした後も、お尻から左脚全部の裏側を伝わる麻痺が残ってしまいました。

 

それ以来、今日に至るまでずっと神経の激しい痛みは続いています。

 

 

 さらに、2005年には妻が重い心の病にかかり、

 

それからほぼ2年の間、自宅で妻の介護をして

 

職場にもほとんど行けないという状態が2年ほど続きました。

 

幸い妻はいま徐々に暮らしやすい状態になりつつあります。

 

しかし、妻が入院に至った当初は、

 

死ぬことしか口にしなくなっていた妻の将来も悲観しました。

 

そのうえ、<介護で仕事も辞めることになりそうだ>と思い、

 

孤独と絶望の闇の中にいました。

 

 

自分自身の心のバランスも危なくなるような介護の日々で、

 

妻の主治医に私が安定剤を処方してもらうことも度々ありました。

 

ストレスをため込んだのか、2006年あたりからは、

 

4日に1度くらいの頻度で<激しい頭痛>に襲われるようになりました。

 

身動きも出来ないほどの痛み、どう耐えていいのかわからないような嘔吐感。

 

音にも光にも耐えられないし、時折視野に奇妙なギザギザの閃光が走る。意識が朦朧とする。

 

そんな諸症状で苦しみました。

 

頭痛外来に助けを求めたところ、診断は片頭痛

 

原因も治療法も分からない面倒な身体になってしまいました。

腸を立て直すこと、鍼治療で身体全体の緊張をほぐすこと、

 

そして水気道で身体に適度の刺激を与えると心地よさが増すこと。

 

それを体験しながら、自宅では3月あたりから、大きな疲れがこない程度の

 

ヨガとストレッチも試み始めました。

 

ヨガをしながら、ゆっくりと呼吸を整える練習もし始めました。

 

 

そして4月初旬。飯嶋先生主催のお花見に自転車に乗って出かけるほど、

 

運動をするのが苦ではなくなっていました。

 

4月末には、働くこともさほど苦にならなくなりました。

 

しばらく止めていた自転車通勤(片道10㎞)も月に2回くらいし始めて、

 

どんどん体調が戻っていくのを実感しました。

 

 

5月1日、

≪痛み評価の質問紙の結果、もう線維筋痛症には該当しない数値ですよ≫と告げられました。

 

 

本当に驚きました。インターネットを見るかぎり、

 

「難治性」「回復は困難」「予後は良くない」ばかりが目につくこの病気は、

 

<もう絶対に治らないかもしれない>と思い込んでいました。

 

それだけに、こんなに早く日常生活に戻れたのがしばらく信じられませんでした。

2週間後の3回目からはもう、≪水の中で正拳突きをやりましょう≫という飯嶋先生の指示。

 

<呼吸もままならないのに、そんな無酸素に近い運動なんて>

 

と思ったのですが、これが意外にできたのには驚きました。

 

 

ビリビリ、ピリピリという痛み>は断続的に続きました。

 

それでも、水氣道の2日後にはやはり

 

スイッチが入ったように」体が動かせる実感がありました。

 

 

3回目の水気道の2日後の2月28日の日記には

 

ぐいぐい歩ける気がして歩いてみる、歩けるけれどすぐ息切れ。」とあります。

 

 

4回目の翌日、3月6日はもっと端的に「体調はよい。」

 

水気道を始めてからひと月余りで、ノイロトロピンの注射は終了。

 

ピリピリという身体の痛みが日に日に和らいでいくのが実感できました。

 

だるさはあるものの、ごわごわとしたこわばりが少しずつ消えていきます。

 

 

水氣道を始めてから間もなく、東日本大震災が起きました。

 

さすがに体調はストレスで少し悪化しました。

 

それでも飯嶋先生は震災後間もなく水気道を再開。

 

ぼくは余震に怯えながらまたプールに通いました。