8月30日

 

皆様、8月もいよいよ過ぎ行こうとしています。

 

藝術歌曲集小倉百人一首No2.トスティ50番(高声)で歌う
youtube版の第1弾5曲に引き続き、第2弾が完成しました。

 

トップバッターは、リリックテノール上原正敏さんが歌う芸術歌曲です。

 

好評の第1弾の曲と併せてお楽しみください。
トスティ50番第27曲 
詠み人:源宗于朝臣『小倉百人一首第28番』から

テノール・リリコ上原正敏(第2弾)
DISC2-2.27山里は(28番)/源宗于朝臣

 


こちらで視聴できます。
 

 


上原正敏

 

長野県諏訪市出身

 

昭和62年国立音楽大学大学院音楽研究科声楽専攻オペラコース修了。

二期会オペラスタジオ第30期修了。

 

中村 健、畑 和子の両氏に師事。

 

オペラスタジオ在籍中の昭和61年度文化庁国内研修員に指名されている。

 

平成4年4月に私費でイタリアに留学しミラノ音楽院で研修。往年の名歌手G.プランデルリ氏をはじめ、A.カンビ、F.アルバネーゼ、D.マッツォーラ、V.ボローニの諸氏に師事。この間、オーディション、コンサートに積極的に参加する。

 

平成5年ボローニャ歌劇場の東京地区オーディションに合格し、

 

平成6年同歌劇場でのヴェルディ作曲「十字軍のロンバルディア人」の公開ゲネプロでアルヴィーノを演じた。

 

平成7年1月から2月にかけて同歌劇場で開催されたヴェルディ作曲「マクベス」でマルコムを演じる。また、演出家・指揮者のグスタフ・クーン氏の知己を得、平成6年12月より同氏主宰のアカデミア・モンテグリドルフォの一員となりレッスンを受けている。

 

五島文化財団オペラ賞を受賞、イタリアに留学。様々な国際コンクールに1位、入賞を重ね、翌年、ボローニャ歌劇場にてヨーロッパデビューをする。

 

その後、ブダペスト国際コンクールにて1位になったのをきっかけに、ボローニャ歌劇場、アレーナ・ディ・ヴェローナ、ハンガリー国立劇場、サンパウロ歌劇場、カーネギーホール、新国立歌劇場等、国内外の劇場にて様々なオペラ、コンサートに出演中。

 

2001年に帰国。二期会会員。

 

これまでの主な受賞歴

1993
パドヴァ国際コンクール 第2位

 

1993
パヴィア国際コンクール 第3位

 

1993
サンバルトロメオ国際コンクール 第1位および金のオーク賞
平成7年度五島記念文化賞

 

 

テノール・リリコ上原正敏(第1弾)

藝術歌曲集小倉百人一首No2.トスティ50番(高声)で歌う

DISC2-1.26わが庵は(8番)/喜撰法師

 

•2020/05/27公開:202回試聴

 

こちらで視聴できます

 

8月23日(日)

 

夏と言えば海、という皆さんにとって、今年の夏はあまりに寂しいものだったのではないでしょうか。外出を制限され、マスク着用を奨励され、ただでさえ息が詰まりそうな夏の息詰まりは、行き詰まりや、生き詰まりに通じるものがあり、忌忌しい問題です。

 

私も、その一人です。そんな私にとっての海とは、郷里の茨城県の阿字ヶ浦や大洗海岸の海であり、横須賀の走水の海です。海は、息が詰まりそうな日々を過ごしている人々の鬱屈した精神を開放してくれる偉大な自然の存在です。

 

皆さんがイメージする海辺(うみべ)は、どのような光景でしょうか?

 

 

ところで「海辺の光景」といえば、安岡章太郎氏の作品があります。

 

新潮文庫の紹介文には、以下のように書かれています。

 

なお、この小説のタイトルの海辺は<かいひん>と読ませています。

 

不思議なほど父を嫌っていた母は、死の床で「おとうさん」とかすれかかる声で云った──。精神を病み、海辺の病院に一年前から入院している母を、信太郎は父と見舞う。医者や看護人の対応にとまどいながら、息詰まる病室で九日間を過ごす。戦後の窮乏生活における思い出と母の死を、虚無的な心象風景に重ね合わせ、戦後最高の文学的達成といわれる表題作・・・

 

そこで、皆さんに「海辺の光景」と訳されるピエトロ・チマーラの歌曲をお届けして、幻想的なリビエラの海を想像してみたいと思います。

 

海辺の光景 Visione marina / 作曲 Pietro Cimara

 

こちらでお聴きください。

 

演奏2011年8月6日 杉並公会堂小ホール

 

2,910 回視聴2011/08/30、チャンネル登録者数 174人

 

飯嶋 正広:テノール 

 

ピアノ:津田 哲子 

 

サマーブライトコンサート

 

 

今年の夏の猛暑は、酷暑を超えて烈暑という程の激しさがあります。

 

今年41.1℃を超えたという浜松出身のバリトン宮下嘉彦氏。彼の表現と解釈は私のとは違いますが、彼のイタリア語は、よく訓練され、しっかりしているので、比較鑑賞のため、ご紹介いたします。

 

こちらで視聴できます


バリトン宮下嘉彦プロフィール

 

静岡県浜松市出身。昭和音楽大学卒業。卒業時に特別賞を受賞。
声楽を井ノ上了吏、松下雅人、白井博美に師事。

 

在学時D.Mazzola氏のマスタークラスを3年間受講した他、M.Devia、W.Matteuzzi、葛毅、J.A.Muñoz、田中久子のマスタークラスを受講。

 

昭和音楽大学学長賞コンクール優秀賞(一位)受賞。

 

詩: ペーシ (Goffredo Pesci,-) イタリア

 

曲: チマーラ (Pietro Cimara,1887-1967) イタリア   

 

歌詞言語: イタリア語

 

_____________________________

 

Move la paranzella barbaresca
china sull’acqua ad affondar la poppa
e le tue mani son come la coppa
ch’apre il vento alla vela barbaresca.

 

異国の船は動いていく
船尾を沈めるように傾斜した姿で。
そして、カップの形にした両手のように
異国の船の帆は風を受けて開く。

 

 

Vela dell’Adria rossa e gialla a mare
che costeggiò bordando la riviera
e le tue mani son coppa leggera
profumata con alghe del tuo mare!

 

リビエラの海辺に接する赤と黄色のアドリア海に
帆を張る
そして、あなたのその軽やかなカップのような両手は
アドリア海の海藻の香を漂わせている。

 

 

Le mani tue che hanno vene di cielo
con un color di perla di medusa
e sono gigli e fiori d’asfodelo,
serran l’anima mia ch’è una reclusa,
fra tanto mare e fra cotanto cielo
siccome l’onda verde la medusa.

 

天国の血脈を持つあなたの両手は
真珠色のクラゲであり
ユリとアスフォルデの花のようだ。
その両手は、閉じ込められている私の魂を抱き止めてくれる
茫洋とした海と空の間で
緑の波がクラゲを抱き止めるように。

 

( 2020.08.22 飯嶋正広 )

聖楽院
8月16日(日)


聖楽院は8月も引き続き活動を休止いたします。

 

今日は、敗戦記念日の翌日の日曜日なので、トスティの「祈り」を歌います。


お聴きいただけたら幸いです。

 

今から振り返ってみると、東日本大震災のあった年の、しかも広島原爆の日に歌っていたことを改めて奇遇に思います。

 

 

祈り Preghiera / 作曲Paulo Tosti

 

こちらで視聴できます

 

 

演奏2011年8月6日 杉並公会堂小ホール

 

17,774:17899 回視聴1.7万 回視聴

 

•2011/08/30

チャンネル登録者数 169人

チャンネル登録

 

飯嶋 正広:テノール 

ピアノ:津田 哲子 

 

サマーブライトコンサート

 

 

以下、MUSICA CLASSICAというサイトを、そのまま引用しました。

 


Preghiera(祈り)の解説(歌詞・対訳)~トスティ
2017年10月21日

 

Preghiera(祈り)はフランチェスコ・パオロ・トスティ(Francesco Paolo Tosti, 1846年~1916年)によって1880年に作曲されました。

 

詩はロッコ・E・パッリアーラ(Rocco E. Pagliara, 1855年~1914年)によるものです。

 

トスティはイタリアの作曲家で、主に歌曲を多く作曲しました。
イタリア語はもちろん、英語、フランス語の詩も取り上げ、歌曲の芸術的評価を高めました。

 

トスティの歌曲の美しい旋律と繊細な和音はたくさんの人に愛されているのではないでしょうか。

 

ここでは、トスティ作曲の「Preghiera(祈り)」の対訳や解説を紹介したいと思います。

 

それぞれの単語の意味も掲載していますので参考にしてください。

 

不自然な場合もありますが、歌詞と日本語訳は可能な範囲で行が対応するように訳しています。

 

専門家の日本語訳ではありませんので、参考程度にご覧ください。

 

「Preghiera(祈り)」の歌詞1

Alla mente confusa

di dubbio e di dolore

soccorri, o mio Signore,

col raggio della fè.

 

「Preghiera(祈り)」の対訳1

混乱した精神を

疑いと苦痛による

救ってください、おぉ私の主よ、

信仰の光で

 

※2行目は1行目にかかる、4行目は3行目にかかる

 

 

「Preghiera(祈り)」の歌詞2

Sollevala dal peso

che la declina al fango:

a te sospiro e piango,

mi raccomando a te.

 

「Preghiera(祈り)」の対訳2

重圧から解放してください

泥に沈んでいく

私はあなたにため息をつき そして泣き、

あなたに身を任せます。

 

※2行目は1行目にかかる

 

 

「Preghiera(祈り)」の歌詞3

Sai che la vita mia

si strugge a poco a poco,

come la cera al foco,

come la neve al sol.

 

「Preghiera(祈り)」の対訳3

私の命をあなたは知っている

少しずつ弱り果てる、

火に対するロウソクのように、

太陽に対する雪のように。

 

※2行目は1行目にかかる

 

 

「Preghiera(祈り)」の歌詞4

All' amima che anela

di ricovrarti in braccio

deh! rompi, Signore, il laccio

che le impedisce il vol.

Signor, pieta!

 

「Preghiera(祈り)」の対訳4

熱望している魂に

腕の中に身を寄せることを

お願いだから!壊して下さい、主よ、その絆を

飛ぶことを邪魔する。

主よ、哀れみを!

 

※2行目は1行目にかかる、4行目はlaccio(絆)にかかる

聖楽院は8月も引き続き活動を休止いたします。

 

本日は長崎の被爆の日です。歌は祈りです。

多くの歌手の祈りが『長崎の鐘』の歌声になって私たちの魂に響いてきます。

以下を、ご紹介いたします。

 

 

『長崎の鐘』作詞:サトウハチロー/作曲:古関祐而

 

 

第一部:ソロ

藤山一郎

新妻聖子

島津亜矢


五木ひろし

氷川きよし

 

 

第二部:デュオ

 

由紀さおり・安田祥子 

秋川雅史・松阪ゆうき

 

 

第三部:グループ・合唱

 

ボニージャックス

東京混声合唱団(立川清登)

8月2日(日)

 

 聖楽院は8月も引き続き活動を休止いたします。残念ながら、今回のようなパンデミックは今後も繰り返し発生するものと思われます。

そのたびに音楽活動が完全に中止させられるとしたら、芸術家は職業として成立しなくなってしまうことでしょう。

コロナ禍の確かなは終息の目安は、声楽演奏活動等が安全・安心に開始できるようになることだと思います。
 

 

しかし、休止期間中も耳を鍛えることはできます。姿勢の矯正や呼吸法、発声訓練も個人単位であれば稽古可能です。youtubeを活用して音楽表現を全世界に発信することは可能です。

 

 

高温多湿の梅雨が、今なお続いています。皆さんも計画的な呼吸体操を始めてみませんか。

マスク装着により、浅い呼吸となり、呼吸機能が低下し、最も大切な免疫抵抗力を損なってしまうからです。

実際にスパイロメーターで肺年齢を計測してみると、一回り(12歳)以上老化している方が散見されます。

そこで栄養状態の維持・改善とともに適度な呼吸エクササイズ(運動)が必要です。

これを隔離・待機期間中に継続することが推奨されます。

食事の前に3分程度で十分ですから、意識的に深呼吸を実施することをお勧めします。

継続しるためには、音楽を活用することも有効な方法です。ゆっくりとした流れで、長いフレーズの美しい歌詞と芸術的な曲を材料として選択することをお勧めします。

 

最初は自宅等でリラックスしながら聴いてください。

そして、お気に入りを見つけてハミングしてください。そうしたら、毎日の散歩も俄然、楽しいものになること請け合いです。

歌詞は覚えようとせず、何度も聴いてください。百人一首が自然に身についてしまうまで繰り返し、楽しんで聞いてください。不思議なことですが、飽きるということはありません。

 

このエクササイズは、自宅や庭・公園などの人との接触の少ない外部で行い、できれば一人あるいは少数の家族とともに行うのが望ましいが、少なくとも 2mの間隔は空けるようにしましょう。

 

また、内容としては簡単な家事でも身体を動かすものであれば良く、体操やヨ ガ、ウォーキング(散歩)などとの併用も推奨されますが、毎日 30 分あるいは二日毎に1 時間ほど実施することが望まれます。毎日の入浴もお勧めです。

 

そして、本格的な暑熱シーズンに備えて、感染防御を十分に考慮した上で、脱水症・熱射病・熱中症対策も大切です。

 


今週は、お粗末ながら、私の過去の作品の中からベッリーニ作曲の歌曲の中から、
「銀色に染める月よ」をご紹介させていただくことにしました。
私が9年前の丁度この季節に歌った名曲です。

 

銀色に染める優雅な月よ 

Vaga luna che innargenti /

作曲Vinzenzio Bellini

 

こちらにアクセスしてください!

演奏2011年8月6日 杉並公会堂小ホール
8,661 回視聴、2011/08/25収録、チャンネル登録者数 169人
飯嶋 正広:テノール ピアノ:津田 哲子 
サマーブライトコンサート

 

この曲は多くの声楽家や愛好家に愛されてきたためか、数多くの対訳があります。
その中でも、原語(イタリア語)の韻律についても解説が加えられているものがありましたので、ご紹介します。翻訳者については、直接表示されていませんが、有益な情報だと思います。

 

ページはこちら

 

歌うひとのための「優美な月よ(Vaga luna, che inargenti)



2019/03/17 18:07 フォローしました

 

曲:V. Bellini/詞:不明

 

 

対訳

 

Vaga luna, che inargenti
優美な月よ、お前は銀色に輝かす

 

queste rive e questi fiori
あの岸辺や花々を

 

ed inspiri agli elementi
そして万物に

 

il linguaggio dell'amor;
愛を語る舌を与える

 

 

testimonio or sei tu sola
いま証すのはお前だけ、

 

del mio fervido desir,
私の熱い願いを

 

ed a lei che m'innamora
だから 私の心を奪ったあの女性(ひと)に

 

conta i palpiti e i sospir.
語っておくれ、どれほど鼓動を高鳴らし、溜息をついているか

 

Dille pur che lontananza

 

聖楽療法の体系構成

第一部では、聖楽療法の理論の背景としての心身医学について概説し、そのうえで新しい心身医学の考え方を明確にしました。

今月から「第二部 聖楽療法 理論と実践の性質」に入りました。

第二部は、聖楽療法の拠点としての聖楽院とは何かについて、その起源を述べ、いくつかの心身医学的アプローチをどのように応用して発展してきたかを省察します。

前回までの3回は、第3章 臨床聖楽法の起源と基礎
臨床聖楽法とは何か?どのように発展してきたのか?
というテーマですすめてきました。

 

それでは、「第二部 聖楽療法 理論と実践の性質」のアジェンダを示します。

 

第3章 臨床聖楽法の起源と基礎

 

第4章 臨床聖楽法における芸術音楽の価値

 

第5章 臨床聖楽法の理論的根拠、実践、意味

 

第6章 音楽療法モデルにおける臨床聖楽法の考え

第7章 現代の音楽療法の枠組みにおける臨床音楽法の考え

 

 

第3章 臨床聖楽法の起源と基礎

媒体としての音楽―臨床聖楽法理論の一つの基礎

審美的体験としての音楽体験
  
 

音楽体験は、ジョン・デューイがその美学理論の中で「体験の媒体」と表現した概念が理解を助けてくれます。デューイによれば、「媒体(medium)」という言葉は、仲介するものの存在を暗に含んでおり、「手段(means)」という言葉と共通の意味を持ちます。

しかし、この二つの概念には決定的な違いがあります。媒体とは、一つの体験の中に内在するものを求める行為であり、その行為自体が動機であると同時に目的です。これに対して手段とは、外的な目的を達成するための道具を意味します。

 

音楽中心音楽療法の指導者であるケネス・エイゲンは、「音楽中心の実践では、音楽独自の体験や表現を達成することを目標としている」とします。

この立場では、音楽的体験や表現自体が有益な人間活動であり、そのため臨床的な目標と音楽的な目標は切り離せず、また、音楽を通じて得られたことは、それ以外の方法では得ることはできないと述べています。

そして、音楽的な目標、すなわち音楽的な体験こそ音楽療法における正当な焦点であるというこの考え方は、音楽療法の手段と結果を融合することを含んでいるとしています。

 

デューイは、審美的体験こそこそ美学を特徴づける定義だとしています。

音楽中心理論における音楽には、手段と目的の統合がみられますが、これは一般の審美的体験の場合と類似していることをエイゲンは指摘します。

そして、彼は音楽中心理論についての審美的な関連を説明するうえでの助けになるものだとしています。

音楽の審美的な質の高さが臨床のプロセスに直接関連するため、ノードフ・ロビンスの実践のように最も審美的な質の高い音楽を選択するように、聖楽院もクリエイトした録音音楽としての芸術歌曲集「小倉百人一首」のCDを準備して活用しています。

 

ルーディ・ギャレットは、「音楽ベースの(music-based)」音楽療法理論では、音楽を体験的媒体として考える必要があるとします。そして、音楽療法のクライエントにとって、主要な動機付けは音楽活動そのものに係ることであり、もしそうでないとしたら、音楽活動を通じた機能の改善は期待できないであろうと述べています。

したがって、ギャレットによれば、音楽活動と音楽体験に対してクライエントが意欲をもつことが、音楽療法治療への自主的な参加や熱意として現れてくることになります。

さらに、音楽に対する意欲は、単にクライエントを治療に引き付けるものとしてではなく、重要な解説的性質を含んでいることになります。

このように、音楽療法におけるクライエントの体験が基本的に音楽的なものであれば、それが、その療法の効果を説明する鍵となります。

聖楽療法の体系構成

 

第一部では、聖楽療法の理論の背景としての心身医学について概説し、そのうえで新しい心身医学の考え方を明確にしました。

 

今月は、「第二部 聖楽療法 理論と実践の性質」について展開中です。

 

第二部は、聖楽療法の拠点としての聖楽院とは何かについて、その起源を述べ、いくつかの心身医学的アプローチをどのように応用して発展してきたかを省察します。

 

それでは、「第二部 聖楽療法 理論と実践の性質」のアジェンダを示します。

 

 

第3章 臨床聖楽法の起源と基礎

 

第4章 臨床聖楽法における芸術音楽の価値

 

第5章 臨床聖楽法の理論的根拠、実践、意味

 

第6章 音楽療法モデルにおける臨床聖楽法の考え

 

第7章 現代の音楽療法の枠組みにおける臨床音楽法の考え

 

 

それでは本題に入ります。

 

第3章 臨床聖楽法の起源と基礎

 

音楽療法はどのように発展してきたのか?

そして臨床聖楽法は音楽療法の中でどのような立場と役割をもつのか?

音楽中心の考え方と臨床的音楽体験をめぐって

 

 

音楽中心の考え方とは、音楽体験そのものが自己充足的な療法体験となる力となることを正当な理由とし、療法の主要な焦点であるという立場です。その要点は臨床聖楽法も同様であり、矛盾はありません。

ブルシアは「音楽のプロセスは、クライエントの個人的プロセスそのもの」であり、「プロセスと結果は切り離せない」と考えます。それゆえに音楽中心心理療法において、「音楽経験は療法的に変容するものであり、それ自体で完結する」と主張します。

そして「体験的な変化を目的とした音楽心理療法の形態」である変容的療法と、「言語を介して生じる気づきを目的とする」洞察的療法を区別しています。さらに、「心理療法としての音楽」が最も音楽を占有的に使うプロセスであるのに対し、「音楽中心心理療法」では音楽体験と共に言語的介入がなされ得るとしています。そして、「音楽的なプロセスが実際にはクライエントの個人的なプロセスである」とする変容的療法は音楽中心音楽療法の主要な概念でもあります。

確かに、このように主張することは可能ですが臨床聖楽法の立場であれば、変容的療法と洞察的療法を統合的に駆使しているため、通常は両者を明確に区別する必要は生じないし、より実践的でもあると考えます。

 

 

創造的音楽療法についての議論の中で、アンスデルは音楽療法について「音楽の作用そのものと同じように働く」と述べました。

ケネス・エイゲンはこの考え方を発展させて、「音楽中心療法においては、音楽の持つ力、音楽体験、プロセス、構造の中で、音楽療法プロセスのメカニズムが発生する」と主張しています。

そして、クライエントの意欲は非音楽的な目標を達成することよりも、主に音楽を作り出すことに向けられているとの考えで音楽療法体験の価値を説明しようとします。

そのために音楽中心アプローチはクライエントの体験や意欲を反映し尊重するのです。

このようにして、音楽中心アプローチは、非臨床的音楽体験と、臨床的な音楽体験との間に連続性をもたせるとしています。

 

 

このような回りくどい理論展開をせざるをえないのは、エイゲンが音楽中心音楽療法をもって、いかに固有理論を示すべきかという課題をもっているからであるようです。

エイゲンに限らず、心身二分論の先入観に支配されている大多数の人にとっての臨床的音楽体験は、心身一如の人間観および音楽理解を前提にする臨床聖楽法の考え方からすれば、すこぶる狭義のものです。

臨床聖楽法を前提とする理解に立てば、エイゲンが定義する非臨床的な音楽体験をも含めて、すべてが臨床的音楽体験であるということになります。

聖楽療法の体系構成

 

第一部では、聖楽療法の理論の背景としての心身医学について概説し、そのうえで新しい心身医学の考え方を明確にしました。

 

前回から「第二部 聖楽療法 理論と実践の性質」に入りました。

 

第二部は、聖楽療法の拠点としての聖楽院とは何かについて、その起源を述べ、いくつかの心身医学的アプローチをどのように応用して発展してきたかを省察します。

 

「第二部 聖楽療法 理論と実践の性質」のアジェンダを示します。

 

 

第3章 臨床聖楽法の起源と基礎

 

第4章 臨床聖楽法における芸術音楽の価値

 

第5章 臨床聖楽法の理論的根拠、実践、意味

 

第6章 音楽療法モデルにおける臨床聖楽法の考え

 

第7章 現代の音楽療法の枠組みにおける臨床音楽法の考え

 

 

それでは本題に入ります。

 

 

第3章 臨床聖楽法の起源と基礎

 

音楽療法はどのように発展してきたのか?

 

そして臨床聖楽法は音楽療法の中でどのような立場と役割をもつのか?

 

「音楽中心」の考え方と臨床聖楽法

 

 

ある実践者が音楽中心であるほど、療法の中で音楽を使うより、音楽を療法として用いる傾向が強くなります。

つまり、音楽中心であるということは、療法として音楽を用いることと密接な相関があるということがいえます。

療法としての音楽の使い方の典型的な例は、特別に選んだ録音音楽をクライエントに聞かせることで免疫機能を改善する方法を引き出し、身体的健康を促進するという目的がある場合です。

これは、音楽を聴くこと以外には他に何の介入も行わす、クライエントは音楽と直接的に係っているからです。

しかし、ここでの臨床的根拠は、免疫機能の変化とか身体的健康といった生理的レベルの反応であって、これを非音楽的反応であると規定してしまうと、音楽体験そのものに正当性の根拠を求める「音楽中心」の考え方とは正反対のものとなってしまいます。

「音楽中心」の立場では、音楽的表現や音楽体験こそがセラピストが求めて働きかけっていくものであり、それを通じて何か別のものを達成するということではないからです。

 

 

たとえば、聖楽院がクリエイトした録音音楽として芸術歌曲集「小倉百人一首」は、免疫機能の変化とか身体的健康といった生理的レベルの望ましい反応を期待するものですが、目的はそれだけではありません。

 

臨床聖楽法の立場は、前述のケネス・エイゲンの論理展開の中には大切なポイントが見落とされているか、気づかれていないものの上に立脚しています。

それは、「音楽中心」の立場は「特別に選んだ録音音楽をクライエントに聞かせる」という手段ではなく、「免疫機能を改善する方法を引き出し、身体的健康を促進する」という目的の吟味に過度にこだわりすぎているからです。

 

 

音楽を聴くこと以外には他に何の介入も行わす、クライエントは音楽と直接的に係っていることが達成できた段階で、すでに「音楽中心」なのであり、それにより「免疫機能を改善する方法を引き出し、身体的健康を促進する」結果が得られようが得られまいが、「音楽中心」の立場から批判するには当たらないはずだからです。

 

また、ケネスは他の多くの音楽療法家と同様に、音楽療法を心理療法に関係づけています。

そのため、音楽による心理的変容と生理的変容を区分し、前者を音楽的効果、後者を非音楽的効果と捉えているようです。

 

臨床聖楽法は、音楽療法を心身医学療法として認識しているため、音楽による心理的変容と生理的変容を区分することなく、むしろ一体的連続的にとらえて、その両面あるいはその総体に及ぼす変容効果をもって音楽的効果と認識するものなのです。

 

 

媒体としての音楽―臨床聖楽法理論の一つの基礎

聖楽療法の体系構成

第一部では、聖楽療法の理論の背景としての心身医学について概説し、そのうえで新しい心身医学の考え方を明確にしました。
今は、いよいよ「第二部 聖楽療法 理論と実践の性質」に入ります。

 

第二部は、聖楽療法の拠点としての聖楽院とは何かについて、その起源を述べ、いくつかの心身医学的アプローチをどのように応用して発展してきたかを省察します。
それでは、「第二部 聖楽療法 理論と実践の性質」のアジェンダを示します。

 

第3章 臨床聖楽法の起源と基礎

第4章 臨床聖楽法における芸術音楽の価値

第5章 臨床聖楽法の理論的根拠、実践、意味

第6章 音楽療法モデルにおける臨床聖楽法の考え

第7章 現代の音楽療法の枠組みにおける臨床音楽法の考え

 

 

それでは本題に入ります。

 

第3章 臨床聖楽法の起源と基礎

 

音楽療法はどのように発展してきたのか?
そして臨床聖楽法は音楽療法の中でどのような立場と役割をもつのか?

 

「療法における音楽」と「療法としての音楽」

 

本章での最初の議論は、「療法における音楽」と「療法としての音楽」という概念の区別です。「療法としての音楽(music as therapy)」は、ポール・ノードフとクライン・ロビンズが初めて使った表現です。彼らの研究の中で「療法としての音楽の技法(The art of Music as Therapy)」という表現があり、これは「療法は音楽の中で起こる」というスタンスを強調した音楽中心性というアプローチが彼らの哲学的基礎であることを明らかにしています。また、ヘレン・ボニーも、「音楽という療法(music- as- therapy)」という表現を用いています。

 

ところで、ケネス・ブルシアは即興的音楽療法モデルの研究の中で、「音楽中心」という言葉を用いています。ただし、これはその後、即興的アプローチに限って用いられる用語ではなく、既成の音楽を使用するGIM(音楽によるイメージ誘導法)のようなアプローチの実践者の間でも用いられています。ブルシアは「療法としての音楽」というアプローチと「療法における音楽」というアプローチの違いを比較検討しています。

 

ブルシアは、それぞれのアプローチの違いを、どのような臨床的立場に立ったものかによって区別しています。その区別を決定する基準は、クライエントのニーズの違いであるとします。

 

「療法としての音楽」では、クライエントが音楽と直接的に係ることが強調され、その際に音楽はクライエントの療法的な変化を引き出す主要な刺激もしくは反応を引き出す媒体としての役割を果たします。

これに対して、「療法における音楽」では、音楽は主要な唯一の要因ではなく、むしろ対人関係や他の治療方法を通じた療法的変化を促進するために使われます。

 

臨床聖楽法は、音楽を最も主要な要因としますが、これを唯一の要因とするものではありません。しかも、セラピーセッションの中では、対人関係や他の治療方法の要因をも有効に活用することによって療法的変化を促進するために使用します。

そのため臨床聖楽法は全体としては「療法における音楽」に分類されることになりますが、クライエントが音楽と直接的に係ることを可能な限り尊重する立場としては、その中核には「療法としての音楽」が据えられています。

 

臨床聖楽法は、「療法における音楽」と「療法としての音楽」とを明確に区別して分類する立場ではなく、むしろ、両者を連続的かつ包括的に体系化して実践することによって目的を果たすことができるとする立場です。

4月1日から「東京都受動禁煙防止条例」・「改正健康増進法」が全面施行され、決められた場所以外では、喫煙できなくなりました。この改革そのものは、聖楽院にとっては歓迎すべきことですが、それ以上に年初から続いている新型コロナウイルス感染症(COVID-19の蔓延により、音楽ライブのために会場を提供してくださっている店舗の経営困難が深刻な事態となっています。

 

・聖楽院A組およびB組の稽古会場として長らくお世話になっていた音海会場(東高円寺)は、短期間の弊店期間中です。再開後には新たな情報を得て、皆様に御報告いたします。

 

・聖楽院C組の稽古会場としてお馴染みのボンジュール会場(高円寺)が、今月いっぱいで閉店する決定の報告を受けました。

 

これらの報告を受けて聖楽院の活動が再開できるようになった暁には、聖楽院C組の稽古会場を別の場所に求めなければならないことになりました。

 

諸般の事情を勘案しながら、適切な方向性を打ち出していきたいと存じますので、会員の皆様におかれましては、定期的にこのホームページを閲覧してくださいますようお願い申し上げます。

 

令和2年4月3日 

聖楽院 主宰 飯嶋 正広