アルベール・カミュ作 『ペスト』を読むNo38 

 

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『ペスト』という作品は、五部構成で、各部は番号のない数章に分かれています。そこで、訳出にあたっての都合上、便宜的に章立てに番号を振っていることは、再三お断りした通りです。今回から、第一部の第5章が始まりますが、第1部は8章構成であり、まだまだ長い道のりが続くことになります。

 

なお、第5章は、会話の無い、地の文が延々と綴られていきます。そして、一つの段落は長文です。

 

本日はその最初の一段落なのですが、原文と訳出および註の比較のために、便宜的に3つのパッセージに分け、さらに小段落を設定することにし、今回は、その最初の小段落を検討することにしました。

 

 

第一部 第5章

 

Le mot de « peste » venait d’être pronouncé pour la première fois. À ce point du récit qui laisse Bernard Rieux derrière sa fenêtre, on permettra au narrateur de justifier l’incertitude et la surprise du docteur, puisque, avec des nuances, sa réaction fut celle de la plupart de nos concitoyens.
Les fléaux, en effet, son tune chose commune, mais on crois difficilement aux fléaux lorsqu’ils vous tombent sur la tête. Il y a eu dans le monde autant de pestes que de guerres. Et pourtant pestes et guerres trouvent les gens toujours aussi dépourvus. 
Le docteur Rieux était dépourvu, comme l’étaient nos concitoyens, et c’est ainsi qu’il faut comprendre aussi qu’il fut partagé entre l’inquiétude et la confiance. 

 

「ペスト」という言葉が初めて発せられた。ベルナール・リゥを物語の舞台裏に控えさせている語りのこの段階で、語り手がこの医師の不安と驚きを釈明することを読者にお許し願いたい(註1)。 程度の差こそあれ(註2)、彼の示した反応は大方の我々の仲間のそれでもあったからである。

災いは確かによくおこることなのだが、ひとたび自分の身に降りかかってきたならば(註3)、それを災いとは信じ難いものだ。この世は戦争と同じくらい多くのペストにも見舞われてきた。しかし、それにもかかわらずペストや戦争は、いつでも人々を不意打ちにするのである(註4)。

リゥ医師も、わが市民と同じように不意を打たれたのである。彼もまた疑念と確信との間で揺れ動いていたという次第については、そのように理解しておく必要がある(註5)。

 

 

(註1)

ベルナール・リゥを彼の自室の窓際に控えさせている、物語の中でのこの折に、語り手がこの医師の不安と驚きについて釈明することを読者諸氏にはお許し願いたい。
 
À ce point du récit qui laisse Bernard Rieux derrière sa fenêtre, on permettra au narrateur de justifier l’incertitude et la surprise du docteur,

 

本文中の<narrateur>は、話者とか語り手などと訳されますが、英語ではnarratorに相当し、日本語でも外来語としてナレーターというが使われています。映画・劇・放送などの語り手であるナレーターを意味します。また、物語る人の意味でも使われます。
この部分は、あたかも視覚的な場面設定がなされ、映画や劇のト書きのような書き方がされています。そして各翻訳者は、

 

「筆者」(宮崎訳)

「話者」(三野訳)

「本記録の筆者」(中条訳)

 

とそれぞれ訳出に工夫されていますが、そもそも<narrateur>とは誰なのか、という視点を慎重に検討することが大切だと考えていました。

 

たまたま、診察室でフランスのカンヌ出身のJ君が訪れ、この話をしたところ、<narrateur>とは、著者のカミュその人自身ではなく、あくまでも、物語の語り手としての役割を担う人物を別建てにして、その人物に仮託して背景を紹介しているのだというようなことを話してくれました。


その意味では、宮崎訳より三野訳が適切であり、また、中条訳はさらに含みが込められています。なぜならば、作品の中の「本記録」と作品自体を区別しているのと同時に、作家であるカミュと「記録の筆者」とを意識的に区別しているように読み取れるからです。

 

「物語のここのところで、ベルナール・リウーを彼の部屋の窓際に残したまま、筆者はこの医師のたゆたいと驚きを釈明することを許していただけると思う。」(宮崎訳)

 

「物語のこの地点で、話者としては、ベルナール・リユーを窓辺に残したまま、医師の不安と驚きを説明させてもらえればと思う。」(三野訳)

 

「物語のこの時点で、ベルナール・リューを窓辺に残したまま、本記録の筆者が、この医師のためらいと驚きを弁明することを許していただきたいと思う。」(中条訳)

 

 

(註2)

程度の差こそあれ、

avec des nuances,

 

ニュアンス<des nuances>も日本語の外来語になっていますが、カタカナ外来語の翻訳には慎重であるべきでると考えます。

しかし、外来語は本来の意味から離れて用いられがちであることから、「ニュアンス」(宮崎訳、三野訳)のようなカタカナで表記すれば良いとも限らないのではないかと考えます。

ただし、それぞれ(様々な)ニュアンス、(多少の)ニュアンス(の差)、など意味を補って訳すことによって、より適切に翻訳しようという工夫の跡を読み取ることができます。もっとも、意味の重心が、多様性(質の違い)なのか、差(量や程度の違い)なのか、ということは検討しておく価値があると思います。

 

中条訳はユニークで、三野訳と同様に、差(量や程度の違い)に着目した訳ですが、反応の程度の差(強弱)と受け止めていることが分かります。中条の翻訳は、とても音楽的に理解しており、たとえば、

notation des nuances en musique

(音楽における強弱を表す記号)

という用法例が想起されます。

 

さきほどの<narrateur>が演劇的・視覚的であるのに対して、<des nuances>は音楽的・聴覚的な感性が喚起されます。

 

「さまざまなニュアンスはあるにせよ、」
(宮崎訳)


「多少のニュアンスの差はあろうと、」
(三野訳)

 

「その反応に強弱はあったものの、」
(中条訳)

 

 

(註3)

ひとたび自分の身に降りかかってきたならば

lorsqu’ils vous tombent sur la tête.

 

日仏の類似表現のニュアンスを味わうことができる箇所です。<la tête>は頭であり、<sur la tête>なら「頭上に」(宮崎訳、中条訳)になります。

これで十分な翻訳ですが、私は「頭上にふりかかる」と訳すのではなく「身にふりかか(った)」という、三野訳を日本語としては好ましく感じます。

 

「そいつがこっちの頭上にふりかかってきたときは、」

(宮崎訳)

 

「それが自分の身にふりかかったとき、」
(三野訳)


「自分の頭上に降りかかってきたときには、」
(中条訳)

 

 

(註4)

ペストや戦争は、いつでも人々を不意打ちにするのである

pestes et guerres trouvent les gens toujours aussi dépourvus.

 

<pestes et guerres>は素直に直訳すれば「ペストと戦争」(三野訳)ですが、「ペストや戦争」(宮崎訳)との違いは、前者が限定的あるいは対比的であるのに対して、後者が例示的あるいは対等的であるところにあるのではないか、と思われます。

 

「戦争やペスト」(中条訳)では、さらに順序を入れ替えていますが、日本語では、より重要なものを後に置くことがあるからかもしれません。確かに、作品のタイトルは<La Peste>ではありますが、カミュが描こうとしているのはペストそのものではないところにある、と私は考えます。

 

そして<pestes et guerres>が主語となり、<trouver>という動詞が活用されることによって、「戦争やペスト」は擬人化され、人間に対して能動的に働き掛けます。三野訳では、このあたりが活かされています。

 

カミュはこの段落の後の方で<humanistes>(人間性)という語彙を用いています。人間性の本質は、能動的で環境支配的な存在なのか、それとも受動的で環境適応的な存在なのか、という問いを読者に投げかけてきます。そこで、私自身は、「ペストや戦争」を擬人化し、能動的に訳することを選択してみました。

 

「ペストや戦争がやってきたとき、人々はいつも同じくらい無容易な状態にあった。」
(宮崎訳)

 

「ペストと戦争は、いつも同じく、備えのできていない人びとを見つけ出す。」

(三野訳)

 

「戦争やペストが到来するとき、人間はいつも同じように無防備だったのだから、」(中条訳)

 

 

(註5)

彼が疑念と確信の間で揺れ動いていたという次第についても、そのように理解しておく必要がある。

リゥの理性は<l’inquiétude>と<la confiance>との間で揺れ動いていたことが語り手によって紹介されています。この場合<l’inquiétude>と<la confiance>は、同じ尺度上にある対立概念であると考えることができるでしょう。


「不安と信頼」(宮崎訳)、「不安と確信」(三野訳、中条訳)は、いずれも
<l’inquiétude>を「不安」と訳すことで一致しています。

それでは、「不安」の対立概念は何でしょうか。「信頼」や「確信」は、「不安」と対比関係にはありません。

むしろ、「安心」を意味する翻訳が期待されるはずです。それでは「不安と安心」では、なぜいけないのでしょうか。もし、そのように訳すならば、医師リゥは、オラン市の一般市民と全く同等になってしまい、一般市民との「ニュアンスの差」すら解消されてしまうことになってしまいます。

逆に<la confiance>の側から検討すると、これを「信頼」と訳すなら「不信」、「確信」と訳すなら「疑念」というのが相応しいように考えます。

そこで、もし「信頼と不信」と訳すならば、いったいそれは自分自身以外の何者かに対しての「信頼と不信」ということになるでしょう。これに対して「疑念と確信」と訳すならば、それは自分自身の観察に基づく情報分析に対する理性的態様ということに繋がります。
 

医師リゥは、確かに一般市民と同様に「不安と安心」の間で揺れ動いていたのでしょうが、それだけではなく、医師として自分自身の見立てについて、何度も「疑念と確信」の間を往来していた、ということを説明することが可能になるのではないでしょうか。
  

il faut comprendre aussi qu’il fut partagé entre l’inquiétude et la confiance.

「彼が不安と信頼との相争う思いに駆られていたのも、そういうふうに解すべきである。」
(宮崎訳)

 

「彼が不安と同時に確信を抱いたことも、同様に理解すべきである。」
(三野訳)

 

「彼が不安と確信のあいだでひき裂かれていたことも理解する必要がある。」

(中条訳)