武蔵野音大別科生の手記

 

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聖楽院主宰 テノール 

飯嶋正広

 

 別科音楽理論ⅠA 佐藤誠一先生からの課題

 

別科音楽理論ⅡAは、基礎編であるのに対して、ⅠAが応用編であるのは少し戸惑うところです。しかし、その理由は、授業の時間帯によるものです。土曜日の三限目の授業がⅠA、同じく四限目がⅡAとの割り付けだからなのです。

 

さて、応用編であるⅠAの課題は、複数のなかから選択可能であるということでした。
ジャン・コクトーの詩集「カンヌ」の中から5番目の『耳』という詩に対して
堀口大學が訳した詩に曲をつける、という課題です。

 

『耳』(「カンヌ」5番)詩 ジャン・コクトー/訳 堀口大學

 

私の耳は 貝のから
海の響きを なつかしむ

 

七五調の詩なので、リズム感もあり、一口で諳んじて詠ずることも可能です。
しかし、問題は詩の理解を深めることです。

 

私の耳は 貝のから

 

ここで、貝とは、いったいどのような貝なのだろうか?

という疑問が生じます。

 

そして、素朴な疑問はさらに続きます。

 

海の響きを なつかしむ

 

一体、だれが、なぜ、なつかしむのだろうか?なのか

 

主語は、貝のから なのか、それとも、 私の耳 なのか。

 

ここでは、いったん、その主語は、貝のからであり、私の耳でもある、ということにしておきましょう。

 

なぜ 海の響き を なつかしむ に至ったのだろうか?

 

これらの疑問に対して、何らかの答えを用意しておかなければ、落ち着いて作曲することが難しく思えてきました。

 

やはり、コクトーの原詩に当ってみる他はなさそうです。

 

Cannes V

Mon oreille est un coquillage

Qui aime le bruit de la mer.

 

しかし、これで、疑問が一挙に解決したわけではありませんでした。

 

課題1:

私の耳(Mon oreille un coquillageは、単数形であって複数形でないのはなぜか?解剖学的な存在としては両耳(複数)ですが、聴覚という意味では単数扱いで問題がありません。

 

課題2:

貝のから(un coquillage )これは、生の貝そのものばかりでなく、貝殻を意味するもののようです。ただし、それはいったいどのような種類の貝なのでしょうか? 少なくともun coquillage bivalve(二枚貝)なのかun coquillage univalve(巻貝)なのか、いずれのタイプの貝なのでしょうか?

 

それは、原詩でも明らかではありません。

 

ただし、いずれにしても大型の貝のいくつかの種類の総称としては、une conqueがあります。その一つには楽器として使われる法螺貝(ホラガイ)は、文学の世界では、ギリシ神話の海神トリトンの法螺貝を意味することがあります。また、解剖学用語では、甲介(貝殻に似た構造)と訳され、耳甲介(外耳外面の貝殻に似た構造)を意味することは興味深いです。

 

またcoquillage をPetit Robert仏仏辞典で検索してみると、文学的コンテクストの中で、音楽的なイメージへ展開している用例が挙げられています。 

 

Mollusque, généralement marin, pourvu d’une coquille; spécialt un tel mollusque comestible.

(貝殻を持つ軟体動物で、通常は海産。特殊な食用軟体動物。)

 

《le coquillage pleine de rumeurs qu’ils appliquent à leur oreille》CLAUDEL

<噂の貝殻を耳に当てる>クローデル

 

《Ce coquillage qui m’offre un développement combiné des thèmes simples de l’hélice et de la spire》VALÉRY

<この貝は、螺旋(らせん)と渦巻(うずまき)という単純な主題〔主旋律〕を複合的に発展させたものだ。>

 

ヴァレリー

 

課題3:

<響き>という訳について

 

原詩では<le bruit >

 

この単語の意味は、楽音だけでなく騒音をも包含しています。雑音である可能性もあります。堀口大學は<響き>と訳しましたが、響きという言葉も、楽音のみならず雑音や騒音を意味することがあるので巧みな訳であるといえると思います。詩とはメルヘンであると考える向きにとっては、おそらく、楽音をイメージすることでしょうが、詩の存在意義や解釈は、そればかりではない可能性もあると思います。

 

なお(人の)<声>と訳すことが可能な用例もあります。さらに、言葉にならぬ(人の発する)<音声>を意味することもあります。

 

1. Sensation auditive produite par des vibrations irrégulières.

不規則な振動によって生じる聴覚的な感覚。

 

《les bruits de la maison, le craquement des poutres, des planchers, ton père qui tousse, …》PEREC

《家の音、梁のきしみ、床の音、お父さんの咳、…》ペレック

 

《On entendait les bruits des voisins, ceux de l’étage et ceux qui logeaient au-dessous et au-dessus》MODIANO

《その階とその上の階と下の階にいる隣人たちの声が聞こえていた》モディアーノ

 

2.(Sens collect.)LE BRUIT: ensemble de bruits, de sons (perçus comme gênants, pénibles).

(集合的感覚)雑音:(迷惑、苦痛と感じられる)一連の音、響き。

 

《Mes parents haïssaient le bruit. Ma mère surtout le détestait, dans toutes ses manifestations, musique, voix vraie ou télévisée, heurts, et même les soupires et les éternuements auxquels on ne peut rien.》R.DETAMBEL.

《私の両親は騒音を嫌っていた。母は特に、音楽、現実の声、テレビの声、衝突、そしてどうしようもないため息やくしゃみなど、あらゆる形でそれを嫌っていた。》R.ドゥタンベル

 

課題4:

<なつかしむ>という訳について  

<aime; aimer>という言葉の訳としては、かなり深く掘り下げられています。
日本語には<慈しむ>という言葉があり、フランス語ではaimer +人+tendrement<優しく愛す>というニュアンスになります。

 

そして、<なつかしむ>という言葉の響きは<いつくしむ>という言葉の響きとも調和するように感じられます。

 

課題5:

<海>という訳について  

海は<la mer>の定訳。しかし、私は日本語には存在しない定冠詞<la>の存在が気になるのです。<la mer>は、どのような海かというと、<l’océan>(海洋)と比べるならば、その拡がりは限定された特定の海ということになるようです。そして、この<la mer>(海)は、しばしば同じ発音の<la mère>(母)を連想させることが指摘されます。そして、以下のような用例を発見しました。
 

Le premier bruit perçu est celui de sa mère.
Bébé entend les bruits du corps de maman. La voix de la mère est l'un des premiers bruits perçus,・・・

<最初に聞こえるのは、母親の声です。
赤ちゃんはお母さんの体の音を聞いています。母親の声は、最初に知覚される音のひとつなのです・・・>

 

そこで、私は改めて、原詩を以下のようにやや散文調に翻訳してみました。

 

コクトーの原詩を朗読してみると、散文的な印象を受けたからです。

 

わたしの耳は 巻貝の耳

母なる海の ささやく声を

いつくしんでいる

 

以上をもとにして、曲を構成してみました。

以下の通りです。

クリックで開きます

 


さらに、これを、短歌調(5-7-5-7-7)にすれば、

 

我が耳は、巻貝のそれ

いつくしむ 母なる海の 潮の呟き

 

 

この短歌をフランス語に再翻訳すると、たとえば

 

Mon oreille est un coquillage.
Qui aime les murmures des marées de ma mère.

 

原詩通りの一行目はoreilleとcoquillageのillとが視覚的に反復しています。
ただし、それぞれの発音は全く異なります。

 

二行目は、aime,murmures,marées,ma,mère といずれも子音mがリズミカルに6回繰り返されます。子音mは喃語(嬰児の、まだ言葉にならない段階の声)に特有の音です。またフランス語らしさを感じさせる子音rも4回繰り返され、聴覚に訴えてきます。

 

この詩をもとにして改めて作曲するならば、かなり印象の違った曲が生まれるのではないかと思われます。