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懸垂理論から学ぶNo1


懸垂のパラドックス<総論>フォームを重視する

 


簡単な運動ですが、正しく行うには時間と努力が必要です。
文責:クリスティ・アシュワンデン

The Pull-up paradox
It’sa simple exercise,but getting it right takes time and efforts
By Christie Aschwanden

 

 

はじめに

 

今回から、4回のシリーズで採りあげる話題は、ニューヨークタイムズ国際版3月25日の第12面WELLに掲載された記事です。これは、日本の新聞で言えば健康欄に相当するものといえるでしょう。ここで記者のクリスティ・アシュワンデン女史について検索したので簡単にご紹介いたします。新聞の読み方ですが、著者についての背景を知ることで、どのような読み方をすれば良いのかの手掛かりが得られることがあります。

 

クリスティ・アシュワンデンはアメリカのジャーナリストであり、FiveThirtyEightの元リードサイエンスライターです。彼女の2019年の著書『GOOD TO GO: WHAT THE ATHLETE IN ALL OF US CAN LEARN FROM THE STRANGE Science of Recovery』は、ニューヨークタイムズのベストセラーとなりました。彼女は2016年にアメリカ科学振興協会カブリ科学ジャーナリズム賞を受賞し、科学執筆の進歩のための評議会の理事を務めています。

 

なお、新聞という性質上、原文では<序論><本論><各論><結論>などの表記や、Step1、Step2などの記載はありませんが、分割してご紹介し、コメントを加える都合上、私が付け加えていることをお断りいたしておきます。なお水氣道創始者としての私のコメントは各所に『コメント』として挿入しました。そして、検証に供するために、最後に記事原文を添付しました。

 

 

<序論>

私は昔から懸垂が好きです。そして負けず嫌いというのも幾分かはあります。フィットネスの世界では、女性は懸垂ができないとよく言われます。しかし、私は何かができないと言われるのが好きではありません。特に、その理由が私の性別である場合はなおさらです。10代の頃、芝刈り機を押したり、石を運んだりしましたが、それは、女の子だからといって弱いわけではないことを示すためでした。

 

『コメント』

水氣道の女性会員のタイプも様々ですが、懸垂などは苦手である方は多いです。負けず嫌いの方も幾分いらっしゃいますが、どちらかと言えば、そうではないタイプの方の方が多いように観察されます。少なくとも男性に負けたくないという程の女性は多くはないような印象を持っています。そもそも水氣道は、他者と競ったり、能力を証明したりするためのフィットネスではありません。水氣道のようなフィットネスは欧米ではマイノリティなのかもしれませんが、だからこそ、日本発祥のフィットネスを世界に発信していくことが必要なのではないかと考えています。

 


懸垂をすると、パワフルで強い気持ちになります。自分を持ち上げるのは、何物にも代えがたい感覚です。懸垂は、そのシンプルさも魅力です。バー以外に何も必要とせず、大胸筋から臀部まで、少なくとも12個の筋肉を使うのです。専門家によると、上半身の筋力、肩の可動性、体幹の安定性を向上させ、協調性を磨くのにも役立つそうです。

 

 

『コメント』
フィットネスではシンプルさが魅力であることは私も同意見です。水環境以外に何も必要とせず、上半身の筋力、肩の可動性、体幹の安定性を向上させ、協調性を磨くのにも役立つ
という有用性については、他の専門家の指摘を待つまでもなく、水氣道では実証されています。しかも、使用する筋肉は大胸筋から臀部までに限られず、臀部から足にかけての下半身にも及んでいます。

 

懸垂をするのは「素晴らしい感覚」だと、パワーリフト選手でニューヨークのLiftedMBKのコーチであるチラサ・キングは言います。この運動は自信をつけ、ジムで注目されるようになると彼女は言います。「シンプルな運動なのに、本当に難しいんです」。

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写真:Chilasa King, a New York powerlifter and coach, said doing pull-ups improves confidence and is “an amazing feeling,” adding,“It’s a simple exercise that’s really hard to do.”

 

 


ニューヨークのパワーリフト選手タでコーチのチラサ・キングさんは、懸垂をすることで自信がつき、「すごい気持ちいい」と言い、「シンプルな運動なのに、すごく難しいんです」と付け加えました。

 

『コメント』

運動の目的や利益に関して、自信をつけ、ジムで注目されるようになることがモチベーションになることがあるのは容易に想像できます。この点に関して、水氣道を続けることによって、自分自身に自信がついていきますが、ジムで注目されることは考えにくいです。水氣道は、他人の注目を集めたい、という個人の欲望を満足させるためのプログラムではないからです。他者に抜きんでることではなく、仲間と共に成長することを眼目においているからです。

 

しかし、「シンプルな運動なのに、本当に難しいんです」というキング女史のメッセージは説得力があります。なぜならば、「シンプルな運動であるからこそ、難しい」と言えるからです。しかし、水氣道に関して言えば、決して複雑な運動ではないのですが、<航法>という形があり、シンプルな単純運動ではないという違いがあります。複雑ではないものの、シンプルな運動ではないからこそ、飽きることが少ない、という強みがあります。

 

そこには、懸垂のパラドックスがあります。

懸垂は単純だが難しいです。しかし、懸垂は自分にはできないと思っている人の多くは努力と時間をかければ本当にできるようになります。

 

 

『コメント』
タイトルの「懸垂のパラドックス」について述べられています。繰り返しになりますが、これは決してパラドックスではないと私は考えます。なぜなら、「単純だから難しい」からです。懸垂はできないと思っている人は、単純な運動の最終形(完成フォーム)だけをイメージして難しく考えてしまうので、「できるか、できないか」の2者択一の発想になりがちだからです。
これに対して、水氣道では、最終形(完成フォーム)を習得するに至るまでの細やかな工程がプログラムされています。少しずつステップ・アップしていく方式なので「スモール・ステップ・アップ(small step up)」と呼んでいます。ですから、無理のない小ステップの完成のたびに達成感が得られるようにシステムが工夫されています。水氣道が階級制を採っていることや、各種技法認定を行っているの背景には、この「スモール・ステップ・アップ
のコンセプトがあるのです。
それから、努力と時間をかけることは懸垂に限らず多くのフィットネスの成功に必要な条件ではありますが、努力(effort)を強調することはしていません。むしろ、「気づき」と「工夫」を促しています。水氣道はインテリジェント・エクササイズである、というのは、こうしたことを根拠にしています。

 

カナダのバンクーバーを拠点に活動する強化コーチで、「究極の懸垂プログラム」を開発したメーガン・キャロウェイは、「トレーニングすれば誰でも懸垂を達成できる可能性がある」と述べています。懸垂をマスターできない人のほとんどは、身体的に無理なのではなく、正しい方法でトレーニングをしていないからだと彼女は言います。

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写真:Meghan Callaway, a strength coach based in Vancouver, demonstrates a version of inverted rows, left, and scapula pull-ups, right.


バンクーバー在住の強化コーチ、メーガン・キャロウェイが、インバーテッドロー(斜め懸垂:左)とスカプラ・プルアップ(肩甲骨引き上げ:右)を実演する。

 


『コメント』
「懸垂をマスターできない人のほとんどは、身体的に無理なのではなく、正しい方法でトレーニングをしていないからだ」というキャロウェイ女史は、実に当り前のことを言っているに過ぎません。しかし、もっとも難しいのは、そもそも、懸垂のトレーニングを開始しようとするまでのモチベーションではないでしょうか。そして、ひとたびトレーニングをはじめても継続できないケースも少なくないはずです。問題はフィットネスを継続していても懸垂をマスターできない人についてなのだと思います。これに対して、水氣道で最も難しいのは、水氣道を始める気持ちになるまでの段階です。一度水氣道をはじめても継続できないかたもありますが、やはり身体的に無理なのではなく、稽古参加を習慣化できないことが最大の理由です。ただし、永らく中断した後であっても、ふたたび参加される方が少なくないことも水氣道の特徴と言えるかもしれません。

 

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新型コロナウイルスワクチン接種後の副反応を疑う症状に対する診療体制の構築について

 

 

本日のタイトルは、厚生労働省健康局健康課長が各都道府県衛生主管部(局)に向けて発せられた通知をそのまま引用したものです。

 

なお、通知とは特定人又は不特定多数の人に対して特定の事項を知らせる行為を意味し、対称からしても漠然としています。これに対して通達とは、各大臣、各委員会及び各庁の長官が、その所掌事務に関して所管の諸機関や職員に命令又は示達する形式の一種で、法令の解釈、運用や行政執行の方針に関するものが多いです。 

 

ただし、下線部に関しては私が施したものです。

 

最後にコメントを加えました。

 

 

健健発 0201 第2号 令和3年 2月 1日 各都道府県衛生主管部(局) 御中
厚生労働省健康局健康課長 (公 印 省 略)

 

新型コロナウイルスワクチン接種後の副反応を疑う症状に対する診療体制の構築について

 

新型コロナウイルス感染症に係る予防接種については、「新型コロナウイルス感染症に係る予防接種の実施に関する手引きについて」(令和3年1月 15 日付け健発 0115 第 1号厚生労働省健康局長通知)において、接種体制の構築に向けた準備の参考となるよう、「新型コロナウイルス感染症に係る予防接種実施に関する手引き(改訂版)」が 示されたところです。

 

型コロナウイルスワクチン接種後に、副反応を疑う症状を認めた場合、当該被接種者は、まずは、身近な医療機関を受診することとなりますが、必要に応じて身近な医療機関からの紹介により、専門的な医療機関に円滑に受診できる体制が必要となります。このような受診に対応できる専門的な医療機関を予め確保するため、必要に応じ都道府県医師会、関係学会等と連携の上、専門的な医療機関への協力依頼を行っていただくようお願いいたします。

また、本診療体制の構築に要する経費(医療機関への謝金や、相談窓口設置委託料 等を想定)は「新型コロナウイルスワクチン接種体制確保事業」の対象となります。 なお、公益社団法人日本医師会等に対し、本件に関する協力を依頼していることを申し添えます。 (添付資料について)

 

別添1 ワクチン接種後の副反応等に対応する医療体制の確保のための都道府県の準備 

別添2 ワクチン接種後の副反応等に対応する医療体制の確保

 

 

新型コロナウイルスワクチン接種後の副反応を疑う症状について、被接種者が受診を希望する場合は、まず、身近な医療機関を受診して頂くこととする。その後、必要に応じて、専門的な医療機関を円滑に受診できる体制を確保するよう、都道府県はあらかじめ医療機関に協力依頼を行うともに、住民からの相談に対応出来る体制を整備する。

 

協力を依頼する専門的な医療機関としては、総合診療科や複数の分野の内科診療科を有する等、総合的な診療ができる体制を有する医療機関が適当と考えられる。

 

協力医療機関においては、円滑な受診のため、院内地域連携室等に新型コロナウイルスワクチン接種後の副反応を疑う患者の紹介に対応するための窓口を設けることや、地域の医療機関等からの相談に対応することなどが求められる。

なお、協力医療機関の相談窓口の設置や連絡体制整備等に要する経費であって、診療報酬の対象とならないもの(連絡調整や相談に関する医療機関への謝金や、相談窓口設置委託料等を想定)については、新型コロナウイルスワクチン接種体制確保事業(都道府県実施分)の補助対象となる。

 

○ 都道府県は、接種医やかかりつけ医が、専門的な医療機関を円滑に紹介できるよう、協力医療機関のリストを作成し、ワクチンを接種する医療機関等に情報共有する。

 

○ なお、都道府県が設置する相談窓口においては、住民から新型コロナウイルスワクチン接種後の副反応に関する相談を受けた場合は、相談内容に応じて、接種医やかかりつけ医等の身近な医療機関を受診するよう促すなど、適切に対応するものとする。

 

 

コメント 

以上は、2月1日付けの課長通達です。国民にとってとても重要な情報なはずです。しかし、丁度2カ月を経過した令和3年4月1日時点で、全国の都道府県の関連部局以外の部局をはじめ市町村などの身近な自治体や地区医師会等を通して、国民にどれだけ周知されているかについては、甚だ心もとないと言わざるを得ないのが現状ではないでしょうか。

 

その理由の1つとして考えられるのは行政慣行です。国から地方公共団体への通達は、必ず都道府県や政令市に向けて行われることが通例だからです。国が市区町村に直接示達するのは国の威信(面子:めんつ)を損ねるため、市区町村の事務に関するものであっても、必ず都道府県からリレー式に市区町村に通知されなければならないという行政ルールがあるため、住民に周知されるまでには相当の時間を要してしまうことになります。

 

また、行政通達によっては、今回のように、十分に具体化できていない段階で、さみだれ式に発令されることがあるためです。通達の受け手である全国の関連部署は、迅速な対応を検討するのではなく、次の通達(2月1日の通達の次が、3月24日に発令されています)を待つだけ、ということになりかねません。

 

さらに、以上のような通達行政の弱点を補完すべき役割や機能を担うことが期待されている主要メディア(新聞やテレビ・ラジオなど)なのですが、新型コロナワクチンに関するネガティブとも受け取られかねない情報の発信については何故か消極的な空気が漂っているように感じられます。
 

そこで、厚労省も、必要に応じ都道府県医師会、関係学会等と連携の上、専門的な医療機関への協力依頼を行っていただく、としています。私は上記のような現状を鑑みるならば、関連学会等との連携は「必要に応じて」ではなく、必須であると考えています。
 

今月25日~27日に開催される第66回日本リウマチ学会総会・学術集会のプログラム・抄録集が私の手元に届きました。そこで新型コロナワクチン接種後にさまざまなリウマチ性疾患が発症ないし増悪していることについての発表演題が23件見られました。リウマチ学会に限ってもこれだけ多数の発表例があるため、今後は、アレルギー学会その他の発表抄録についても目が離せません。
 

また、当該通達は、協力を依頼する専門的な医療機関としては、総合診療科や複数の分野の内科診療科を有する等、総合的な診療ができる体制を有する医療機関が適当、と記述しています。
 

この点に関して、厚労省の意図する内容は必ずしも明確ではないのですが、新型コロナワクチン後遺症患者の診療に適当とする医療機関の要件として、  

1)専門的医療機関、2)総合診療科を有する医療機関、3)複数の分野の内科診療科を有する医療機関、とされています。
 

新型コロナワクチン後遺症患者の診療を担当する臨床科として内科を特定していることが注目されます。それでは、内科のうちの複数の分野というのは、具体的にはどのような分野でしょうか?それについては具体的な言及がなされていません。
 

医学の素人である患者は、自分の症状を手掛かりとして、思い思いの診療科を受診するのが通例です。したがって、必ずしも内科の各専門分野の専門医を受診するわけではありません。その場合に、実際的なのは、日常的に内科以外の診療科とのかかわりが深い内科の専門領域です。
 

たとえば、アレルギー科を標榜して総合アレルギー医を志向しているアレルギー専門医であれば、喘息などの内科領域の疾患だけでなく、眼のアレルギー、鼻のアレルギー、皮膚のアレルギーにも対応可能です。またリウマチ科を標榜している専門医である内科開業医の多くは、リウマチに代表される膠原病の他に、整形外科など運動器関連の諸疾患についても対応可能であることが多いです。また、未知の病態について効力を発揮しやすいのが漢方や鍼灸などの東洋医学であるといえるでしょう。例えば内科医であっても、漢方専門医であれば、他の内科疾患と同時に婦人科疾患に対応することも可能です。
 

ただし、私は新型コロナワクチン後遺症患者の診療に適するのは、専門的医療機関における総合診療であるとは考えていません。現状の「総合」とは、寄せ集めに過ぎないからです。専門医と言う船頭が多すぎると、その船が山に登ってしまいかねません。これは、医師の責任逃れには好都合な体制であるともいえます。なぜなら、診療における責任の所在が不明確だからです。複数のワクチン接種を推進するのも、証拠隠滅のためには有効であり、責任を逃れるために有効なアプローチといえます。
 

それでは、どうすればよいのでしょうか?私の答えを端的に申し上げれば、「総合」を超えて「統合」を志向することです。なぜならば、新型コロナワクチン後遺症患者の苦しみは、身体的苦痛のみならず、精神的苦痛も計り知れないからです。そのため、メンタルケアについての配慮が必要であるばかりでなく、日常生活ばかりでなく学業や労働に支障をきたしている方に対する国家的支援が不可欠だからです。そこで、文字通り、内科医が主として対応するのであれば、真の意味での心療内科専門医の積極的な登用をはかるべきではないかと考える次第です。
 

 

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臨床産業医オフィス

 

<高円寺南労働衛生コンサルタント事務所>

 

産業医・労働衛生コンサルタント・第一種作業環境測定士・衛生工学衛生管理者

 

飯嶋正広

 

 

産業医の企業の健康経営参加について

産業医が係る官庁は、法務省や厚生労働省(労働基準監督署など)ばかりでなく、最近では経済産業省なども重要になってきています。

 

1.健康経営とは

●健康経営とは

健康経営は、会社の経営と従業員の健康管理を統合し、従業員の健康が会社の業績向上につながるという考え方です。アメリカの臨床心理学者ロバート・ローゼン博士が「ヘルシー・カンパニー―人的資源の活用とストレス管理」(1992年)で提唱した理論です。経済産業省は、健康経営について「健康経営とは、従業員の健康保持・増進の取組が、将来的に収益性等を高める投資であるとの考えの下、健康管理を経営的視点から考え、戦略的に実践すること」と定義しています。
経済産業省は健康経営について「企業が経営理念に基づき、従業員の健康保持・増進に取り組むことは、従業員の活力向上や生産性の向上等の組織の活性化をもたらし、結果的に業績向上や組織としての価値向上へ繋がることが期待される」としています。

 

このように健康経営の推進により「従業員が肉体的にも精神的にも健康でなければ、会社の発展も不健康になる」という考えが浸透しつつあります。これまで、多くの企業経営は業績優先であり、従業員の健康が会社経営に欠かせない要素という認識は少数派でした。しかし、従業員の健康から始まる好循環を起こすためにも、健康経営の考えに基づいた具体的な取り組みが求められているのです。今後の日本経済の健全な維持・発展のためにも経営方針を巡る優先順位や価値観の大転換を迫られているといえるでしょう。

 

 

●健康経営が注目される背景

健康経営が注目される背景には、いくつかの要因があります。顕著なのは、労働人口の減少です。

 

人口減少の直接の原因となる少子高齢化による医療費は増大の一途をたどり、国の予算や会社の経費を圧迫しています。このような状況下では、労働力確保のために従業員の雇用延長等を積極的に実施する必要性が高まります。しかしながら、従業員の健康状態が悪化すると企業の生産性を低下させることになり、離職や優秀な人材の確保にも悪い影響を及ぼすというリスクを負わねばなりません。このような背景から、従業員の心身ストレス軽減など労働災害が減少させて疾病による欠勤なども減少し、業務効率の向上や医療費の削減を期待が高まり、健康経営の導入が推進されるようになってきました。健康経営は国を挙げた取り組みへと発展しており、働き方改革推進の本丸に位置づけられています。

 

 

2.政府が取り組む健康経営制度

●健康経営銘柄

経済産業省は、健康経営銘柄制度を設けています。東京証券取引所の上場会社から「健康経営」に優れた企業を選定する制度です。選定された企業は、優良な投資家にとって魅力ある企業として紹介されるため、資本が集まりやすくなります。

 

健康経営銘柄に選定されるためには、毎年8月から10月頃に行われる<健康経営度調査>に回答する必要があります。会社方針や組織体制・制度、施策実施・評価、法令順守など、経営から現場まで、各ポイントで健康への取り組みが行われているかを評価され選定されます。

 

 

●健康経営優良法人
健康経営優良法人認定制度は、優良な健康経営を実践している大企業や中小企業などを顕彰する制度です。この制度は健康経営に取り組む優良法人を「見える化」を図っています。2021年度は、大規模法人部門に1,801法人、中小規模法人部門に7,934法人が認定されています。

 

企業は、健康経営優良法人に認定されると社会的な評価を受けられ、健康経営優良法人のロゴマークの使用が可能となります。健康経営優良法人の認定を受けるためには、地域の健康課題に則した取り組みが必要です。また、<日本健康会議がすすめる健康増進>にも取り組まなければなりません。

 

 

●健康経営優良法人ホワイト500

健康経営優良法人では、大規模法人部門認定法人の中で、健康経営度調査結果の上位500法人をホワイト500として認定しています。この制度により、上場していない企業にもスポットを当てることができるようになりました。
3.健康経営の導入により期待できる4つの効果

 

 

1)健康経営への投資効果(大)

健康経営の導入には、少なからず費用が発生しますが、企業にとって従業員の健康維持や健康増進を行うことは、医療費の適正化や生産性の向上、企業イメージの向上等につながることから、そうした取り組みに必要な経費は単なる「コスト」ではなく、将来に向けた「投資」としてとらえることができます。

 

 

2)労働生産性の向上効果

従業員が、疾患を抱えながら仕事に取り組んだとしても、本来のパフォーマンスを発揮することは難しいと考えられます。会社を上げて健康経営に取り組み、従業員の健康管理を行うことで、より多くの従業員の健康状態が良くなります。健康な従業員が増えることで、社内に活気が出て仕事に取り組む姿勢も良くなり、労働生産性の向上効果が期待できます。

 

 

3)医療費の削減効果

健康経営を導入することで、従業員の疾患や疾病率が下がり、医療費の軽減につながります。また、従業員の健康状態が心身ともに良くなることで欠勤率や長期休業者数の低下が期待できます。

 

 

4)企業ブランドイメージの向上効果

健康経営を導入し必要な投資をおこなうことにより、健康経営優良法人に認められる可能性があります。健康経営優良法人に認定されることにより、従業員の健康維持や推進を経営的な視点で戦略的に取り組んでいる企業だと認められるのです。社会的評価を受けることができ、企業のブランドイメージの向上効果が得られるでしょう。

 

ブランドイメージが上がれば、求職者や取引先からの評価も高くなります。社会的信用や信頼を高めることも可能です。

 

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常陸國住人 飯嶋正広

 

常陸国飯嶋氏のルーツ探訪(その2)

 

東京から水戸へ電車で移動するには、JR常磐線を利用するのですが、特急なら、いわき行(福島県いわき市)または勝田行(茨城県ひたちなか市)が便利です。勝田というのは、水戸の次の駅で、町村合併前は勝田市の駅でした。

 

その勝田という地名も、市内の勝倉と武田の地名を合成して成立したということは、私は後年になって知り得た情報です。武田は、武田信玄および勝頼に代表される甲斐(山梨県)武田氏の発祥の地であり、現在も武田館が記念館として残っています。一方の勝倉ですが、水戸駅近くの古書店「とらや」で武石巌氏著の「勝倉今昔多抄―ふるさとは いのちの母 ぶんかの泉―」(昭和59年6月発行)を掘り出しました。

 

この書籍の中に、著者の武石氏自身のルーツが記載されていましたので、そのまま引用してみます。

 

・・・・・地元の伝承によると、武石の家系は古く、応永年間(一四二七年)の頃、水戸城主江戸但馬守通房が、地蔵坂の上に、台城を築いた際、城主飯島氏の武将として、武石某を遣わした。武石氏は田向坪に侍屋敷を構え、一族この地に居住したが、永禄年間(一五六二年の頃)飯島城主の没落により、録を失い、数々の経過を辿り、その子孫が元禄の頃、地元の信望熱く、庄屋となり、再び世に現われることとなったと、言い伝えられている。・・・

 

上記の情報が、地元の伝承であって、文書ではないことは残念ではありますが、今後、他の文献資料との照合によって、事実関係を検証していくことは可能であると考えます。この伝承を素直に読めば、武石氏の本来の主は水戸城主となった江戸氏であるということになります。新たに築城された台城城主の「飯島氏の部将」というのは、飯島氏の付家老という役割を担った家系であると想定することができるでしょう。

 

また、この伝承情報によれば、飯島氏は1427年頃から1562年頃までの、およそ135年間にわたって台城の城主であったことが推測されます。

 

そこで、次回は台城城主飯島氏について「勝倉、台城、飯島」を検索ワードとして、ネットやアメブロで情報を検索してみることにします。

<はじめに>

 

前回は「頻尿」に効果のある「中封(ちゅうほう)」「公孫(こうそん)」「湧泉(ゆうせん)」のツボを紹介しました。

 

「中封」は内くるぶしの前のくぼみにあり、

 

「公孫」は足の親指から内くるぶしに向かって指を滑らせて指の止まるくぼみにあり、

 

「湧泉」は足の裏で踵から指を滑らせて指の止まるくぼみにあるというお話でした。

 

今回は「婦人科系のトラブル」に効果のある「陽池(ようち)」「照海(しょうかい)」「三陰交(さんいんこう)」のツボを紹介しましょう。

 

 

<陽池>

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手の甲側で手首の真ん中よりやや小指側にあります。

 

 

<照海>

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内くるぶしの下から2センチほど下にあります。

 

 

<三陰交>

スクリーンショット 2022-04-07 14.12.16

内くるぶしの真ん中から指4本上にあります。

 

 

 

杉並国際クリニック 統合医療部 漢方鍼灸医学科 鍼灸師 坂本光昭


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今回は、フランス語の翻訳の難しさというものをしみじみ味合う機会となりました。

それは、フランス語の人称と話法です。直接話法と間接話法の他に、描出話法とも呼ばれる自由間接話法の扱いです。これは、引用句を用いて他者の言葉を伝える直接話法と、接続詞(フランス語なら例えばque)を用いて他者の言葉を話者の言葉で伝える間接話法の中間に位置づけられる話法ないし文体であるとされています。人称との関係でいえば、一人称直接話法の本質とともに、三人称の特徴のいくつかを使用する三人称ナレーションのスタイルです。フランス語に限らず英語でも見られるのですが、さらに再発見したのは日本語でも源氏物語など平安時代から見られるということを知り驚いています。

  
 

Voici en tout cas les indications données par Tarou sur l’histoire des rats:
« Aujourd’hui, le petit vieux d’en face est décontenancé. Il n’y a plus de chats. Ils on ten effet disparu, excités par les rats morts que l’on découvre en grand nombre dans les rues. À mona vis, il n’est pas question que les chats mangeant les rats mortes. Je me souviens que les miens détestaient ça. Il n’empêche qu’ils doivent courir dans les caves et que le petit vieux est décontenancé. Il est moins bien peigné, moins vigoureux. On le sent inquiet. Au bout d’un moment, il est rentré. Mais il avait craché, une fois, dans le vide.

いずれにせよ、ネズミの件について、タルーは以下のように書き記している。
「今日も向かいの小柄な爺様は困惑していた。猫どもがもういないからである。街で見つかる大量のネズミの死骸におののき、姿を隠してしまったのだ。自分の考えでは、猫どもがネズミの死骸を食べることなど問題外なのである。自分の飼い猫たちもそうした獲物を毛嫌いしていたことを覚えている。そうだとしても猫どもは地下室に逃げ込んでしまい、小柄な爺様は当惑しているのである。いつになく髪の櫛目も整えず、元気がない。不安げである。しばらくして、彼は内に引っ込んだ。しかし、その直前に一度だけ、虚空に向かって唾を飛ばしたのであった。

 

註1:猫どもがネズミの死骸を食べることなど問題外なのである。

il n’est pas question que les chats mangeant les rats mortes.

宮崎訳:猫が死んだ鼠を食うということは、問題になりえない。

 

註2:猫どもは地下室に逃げ込んでしまい、小柄な爺様は当惑しているのである。

Il n’empêche qu’ils doivent courir dans les caves et que le petit vieux est décontenancé.

宮崎訳:かれらは穴倉を駆けまわっているに違いないし、小柄な老人は困惑している。

宮崎訳が妥当であるかもしれないが、猫が身を潜めてしまったために、老人が猫を相手にできなくなってしょげている様子を描いているものと解釈した。
  

 

« Dans la ville, on a arrêté un tram aujourd’hui parce qu’on y avait découvert un rat mort, parvenu là on ne sait comment. Deux ou trois femmes sont descendues. On a jeté le rat. Le tram est reparti.

「今日、市内では一輌の路面電車が運行を止められた。ネズミの死骸が一つ発見されたためなのだが、どのようにそこへ侵入したのかはわからない。婦人たちが2、3人下車した。ネズミは投棄された。電車は再び発車した。

 

註3:どのようにそこへ侵入したのかはわからない。

parvenu là on ne sait comment.

宮崎訳:それはどうしてそんなところへ出てきたのか

 

 

« A l’hôtel, le veilleur de nui, qui est un homme digne de foi, m’a dit qu’il s’attendait à un malheur avec tous ces rats. “Quand les rats quittent le naivre...” Je lui ai répondu que c’était vrai dans le cas des bateaux, mais qu’on ne l’avait jamais vérifié pour les villes. Cependant, sa conviction est faite. Je lui ai demandé quell malheur, selon lui, on pouvait attendre. Il ne savait pas, le malheur étant impossible à prévoir. Mais il n’aurait pas été étonné qu’un tremblement de terre fît l’affaire. J’ai reconnu que c’etait possible et il m’a demandé si ca ne m’inquiétait pas.

« ― La seule chose qui m’intéresse, lui ai-je dit, c’est de trouver la paix intérieure.

« Il m’a parfaitement compris.

ホテルでは、信頼を得ている夜警が、これだけネズミがいるのは何か悪いことが起こる前触れなのでは、と自分に話した。「ネズミが船から脱け出してきたとしたら...」。私自分は彼に、船の場合はその通りだが、市ではまだ証拠をつかんではいません。」と言った。しかし、彼の方はそれと確信していた。自分は彼に、彼の考えでは、どのような不幸が予想されるのか尋ねてみた。彼にそれを知るすべはなかった。不幸とは予見できないものだからである。しかし、そこで地震が起きたとしても、彼は驚かなかっただろう。自分は、それはあり得る話であると認めると、彼は心配にならないかと尋ねてきた。

「私の関心は、唯一、心の平安を見つけることだけですから」と自分は答えた。自分の思うところを、彼はすっかり納得してくれた。

 

註4:彼にそれを知るすべはなかった。不幸とは予見できないものだからである。
Il ne savait pas, le malheur étant impossible à prévoir.

宮崎訳:彼も、不幸というものは予見できないもので、それを知らなかった。

 

註5:自分の思うところを、彼はすっかり納得してくれた。

Il m’a parfaitement compris.

宮崎訳:彼は私のいう意味を完全に理解してくれた。

 

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聖楽院主宰 テノール 飯嶋正広

 

メゾソプラノ故エレナ・オブラスツォワ女史(その1)

 

武蔵野音大でロシア声楽曲の研鑽を始めるにあたって、声楽科の沿革を調べてみたところ、同音大は伝統的にロシア声楽との馴染みが深いことを知りました。今回から2回にわたって、メゾソプラノのエレナ・オブラスツォワ女史の紹介をさせていただきます。彼女が出演したオペラ作品の数々は、現在でも世界各地での人気が衰えを見せていません。

 


Образцова, Елена Васильевна

エレーナ・ヴァシリエヴナ・オブラストソヴァ

 

 

Еле́на Васи́льевна Образцо́ва (7 июля 1939, Ленинград, СССР — 12 января 2015, Лейпциг, Германия) — советская и российская оперная певица (меццо-сопрано), актриса, педагог, профессор Московской консерватории. Солистка Большого театра (1964—2009).


Yelena Vasilyevna Obraztsova、1939年7月7日、ソ連・レニングラード - 2015年1月12日、ドイツ・ライプツィヒ)は、ソ連・ロシアのオペラ歌手(メゾソプラノ)、女優、教師、モスクワ音楽院教授である。ボリショイ劇場のソリスト(1964年~2009年)。

 


Герой Социалистического Труда (1990), народная артистка СССР (1976), лауреат Ленинской премии (1976) и Государственной премии РСФСР им. М. И. Глинки (1973).


社会主義労働の英雄(1990年)、ソ連邦人民芸術家(1976年)、レーニン賞受賞(1976年)、グリンカ国家賞受賞(1973年)。

 

 


Одна из выдающихся певиц второй половины XX века. Она выступала на всех ведущих оперных сценах мира: Метрополитен-опера, Ла Скала, Венская опера, Королевский театр Ковент-Гарден, Баварская опера, Берлинская опера, Опера Гарнье.

 

20世紀後半の傑出した歌手の一人である。メトロポリタン歌劇場、スカラ座、ウィーン歌劇場、コヴェント・ガーデン王立歌劇場、バイエルン歌劇場、ベルリン歌劇場、ガルニエ歌劇場など、世界の主要なオペラ舞台に出演。

 

 

Биография
経歴

 

Елена Образцова родилась 7 июля 1939 года в Ленинграде, в семье Василия Алексеевича Образцова (1905—1989) и Натальи Ивановны Образцовой (1913—1994).

エレナ・オブラツォワは、1939年7月7日、レニングラードでヴァシリー・アレクセヴィッチ・オブラツォフ(1905-1989)とナターリア・イヴァノヴナ・オブラツォワ(1913-1994)の家系に生まれた。

 

 

Жила в блокадном Ленинграде. В 1943 году вместе с семьёй была эвакуирована в Устюжну Вологодской области.

彼女は包囲されたレニングラードに住んでいた。1943年、彼女は家族とともにヴォログダ州ウスチーナに疎開した。

 

 

В 1948—1954 годах пела в детском хоре Ленинградского Дворца пионеров имени А. А. Жданова (руководитель хора — М. Ф. Заринская).

1948年から1954年まで、A.A.ジュダーノフの名を冠したレニングラード開拓者宮殿の児童合唱団(合唱指揮:M.F.ザリンスカヤ)で歌った。

 

 

Летом 1954 года отец был назначен главным конструктором на таганрогский завод «Красный котельщик». Руководство города выделило семье Образцовых квартиру в центре города, на ул. Фрунзе, д. 43, рядом со школой № 10, в которую определили Елену. Окончив в 1956 году школу, она поступила в Музыкальную школу им. П. И. Чайковского, к педагогу А. Т. Куликовой]. На отчётном концерте Елену услышала директор Ростовского музыкального училища М. А. Маньковская, и по её рекомендации в 1957 году та была принята в училище сразу на 2-й курс. Через год, в августе 1958 года, пройдя успешное прослушивание, она поступила на подготовительное отделение Ленинградской консерватории им. Н. А. Римского-Корсакова.

1954年夏、父はタガンログの工場「クラスニー・コテルシク」のチーフデザイナーに任命された。市当局は、オブラツォフ一家に市の中心部、フルンゼ通り43番地のアパートを割り当てた。その近隣にある第10学校にエレナは通うことになった。1956年に同校を卒業し、チャイコフスキー音楽院に入学。チャイコフスキー音楽院では、A.T.クリコヴァに師事。1957年、彼女の推薦により、ロストフ音楽大学の第2コースに即採用された。1年後の1958年8月、オーディションに合格し、リムスキー=コルサコフの名を冠したレニングラード音楽院の準備科に入学することになった。1962年、レニングラードのリムスキー=コルサコフ・コンセルヴァトワールで第1位を獲得。

 

 

В 1962 году завоевала первую премию на Всесоюзном конкурсе вокалистов имени М. И. Глинки. В 1963 году, будучи студенткой консерватории, дебютировала на сцене Большого театра в партии Марины Мнишек в опере М. П. Мусоргского «Борис Годунов».

1962年、全ソ連グリンカ声楽コンクールで第1位を獲得。1963年、音楽院在学中にモデスト・ムソルグスキーのオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』のマリーナ・ムニシェク役でボリショイ劇場にデビューした。

 

 

В 1964 году окончила Ленинградскую консерваторию по классу А. А. Григорьевой (оперный класс А. Н. Киреева). С того же года — солистка Большого театра. В том же году во время первых гастролей Большого театра на сцене Миланского театра «Ла Скала» выступила в роли Гувернантки в опере П. И. Чайковского «Пиковая дама». Несмотря на скромность этой партии, обратила на себя внимание итальянской публики и прессы. В дальнейшем выступила на сцене «Ла Скала» в главных партиях.

1964年、レニングラード・コンセルヴァトワール(A.グリゴリエヴァのクラス)を卒業した。A.グリゴリエヴァ(オペラ芸術家A.キレフのクラス)。同年よりボリショイ劇場でソリストを務める。同年、ボリショイ劇場の最初のツアーで、ミラノ・スカラ座の舞台でチャイコフスキーのオペラ『スペードの女王』に家庭教師役で出演した。その控えめな役柄にもかかわらず、イタリア国民やマスコミの注目を集めた。その後、スカラ座の舞台で主役を演じた。

 

 

В 1975 году вместе с Большим театром отправилась на гастроли в США. В ходе спектакля «Борис Годунов» певицу, исполнявшую роль Марины Мнишек, пять раз вызвали на сцену восторженные зрители: спектакль пришлось остановить. Триумф в США окончательно утвердил её в статусе звезды мировой оперы. Через несколько месяцев выступила в «Трубадуре» — спектакле, открывавшем сезон Оперы Сан-Франциско: её партнерами выступили Л. Паваротти и Дж. Сазерленд.

1975年、ボリショイ劇場でアメリカツアーを行う。『ボリス・ゴドノフ』では、マリーナ・ムニシェク役を演じた歌手として熱狂的な観客から5回も呼び出され、公演を中止せざるを得なくなった。アメリカでの成功で、ついに世界的なオペラのスターとしての地位が確立された。数ヵ月後、彼女はサンフランシスコ・オペラのシーズン開幕を飾る『トロヴァトーレ』に出演した(共演者はL・パバロッティとJ・サザーランド)。

1976年、メトロポリタンオペラの客演ソリストとして、ヴェルディ『アイーダ』のアムネリス役を演じ、センセーションを巻き起こした。1977年には同劇場でデリラ役(C.サン=サーンス作曲『サムソンとデリラ』)に出演した。ニューヨークタイムズの評論家トール・エッカートは、当時「あなた方も私も、2オクターブ半を難なく超えてしまうデリラ役を聴いたことがないでしょう。オブラストワはこの難役を辛さの片鱗も見せることなくこなしたのです。
と書いた。

 

 

В русской опере главные партии исполнила в «Хованщине» М. Мусоргского (Марфа), «Царской невесте» Н. Римского-Корсакова (Любаша), «Пиковой даме» П. Чайковского (Графиня), партию которой исполняла с 1965 года почти 40 лет.

ロシア・オペラでは、モデスト・ムソルグスキーの『ホヴァンシチナ』(マルファ)、ニコライ・リムスキー=コルサコフの『皇帝の花嫁』(リューバシャ)、P・チャイコフスキーの『スペードの女王』(伯爵夫人)で主演し、1965年から約40年間演じ続けている。

 

 

Много гастролировала за рубежом. Работала на сцене лучших оперных театров мира. Пела на многих музыкальных фестивалях, в том числе на Международном фестивале в Оранже (дебют в 1979 — Далила) и Зальцбургском фестивале (дебют в 1978 — Эболи).

海外でも幅広くツアーを行っている。世界最高峰のオペラハウスの舞台で活躍。オレンジ国際音楽祭(1979年にデリラ役でデビュー)、ザルツブルク音楽祭(1978年にエボリ役でデビュー)など、多くの音楽祭で歌われている。

 

 

Была приглашена Ф. Дзеффирелли на роль Сантуцци в фильме «Сельская честь» (1982). «В моей жизни, — писал Ф. Дзеффирелли, — были три потрясения: Анна Маньяни, Мария Каллас и Елена Образцова, которая в дни съёмок фильма „Сельская честь“ сотворила чудо».

F・ゼッフィレッリ監督に招かれ、映画『田舎の誉れ』(1982年)のサントゥッツィ役を演じる。私の人生には3つの衝撃があった。アンナ・マグナーニ、マリア・カラス、そして『田園の誉れ』の撮影中に奇跡を起こしたエレナ・オブラッツォーヴァだ」。

 

 

Отдельный пласт вокального творчества примадонны связан с музыкой Г. Свиридова, сочинённой и посвящённой композитором непосредственно певице: вокальный цикл «Десять песен на стихи Александра Блока» (1980), поэмы на стихи С. Есенина «Отчалившая Русь» (1983) в редакции для меццо-сопрано.

プリマドンナの声楽芸術の別の層は、G.スヴィリドフの音楽と結びついている。スヴィリドフが作曲し、作曲家が直接歌手に捧げた作品:声楽曲集『アレクサンドル・ブロックの詩による10の歌』(1980)、メゾソプラノ版S・エセニンの詩による詩『見捨てられたロシア』(1983)。

 

 

本日の最後に、エレナ・オブラスツォワの歌声をご紹介いたしましょう。
タイトルは『見捨てられたロシア』です。昨今の国際状況を鑑みると、何とも皮肉な巡りあわせです。

 

(17) Елена Образцова исполняет романсы и песни Георгия Свиридова, 1976 - YouTube

 

認定内科医、アレルギー専門医、リウマチ専門医、認定痛風医

飯嶋正広

 

新シリーズのはじめに

 

薬物の使用や管理は、「医療安全」の主柱の一つです。ワクチンなどの予防薬を含めて、広い意味での治療薬に関する情報の更新は目まぐるしく、特に最近の変化は著しいといえます。

 

薬物療法を熟知していなければならない内科医にとっては、新規に得た情報を従来の医学理論体系の中に整合性をもって組み入れていく地道な作業を継続していくことが必須となります。

 

とりわけ、アレルギーやリウマチ・膠原病方面の専門医としては、ある系統の新規薬剤が様々な疾患分野に共通して適応されてきていることをたびたび経験しています。つまり、医学理論体系の章立ての変更に伴い、体系全体を俯瞰して再検討する必要がますます高まってきたように思います。

 

新型コロナウイルス感染症の流行によって、将来に向けての人類の平和と繁栄が脅かされてきました。しかし、逆の側面から言えば、をこれまでは洞察することすら難しかった医学の国際情勢や有名無名の国際組織の影響力の大きさとその危険性に覚醒する契機にもなりました。

 

そこで、今月は、まず新型コロナウイルスワクチン(4月14日)について概観したあとで、感染リスクや重症化リスクに繋がる代表的な基礎疾患である糖尿病治療薬(4月21日)、さらには、当クリニックで注目している近年の骨量低下や腎機能低下の傾向との関係で腎性貧血治療薬(4月28日)について勉強していきたいと思います。

 

前回はこちら

 


2022年4月1日進級、各種認定合格者発表

 

 

Ⅰ 進級検定合格者

令和4年3月に実施された進級検定(小審査)において、小審査の対象者はありませんでした。次回の小審査は中審査・大審査とともに6月に予定しています。

 

 

Ⅱ 各種技法認定試験合格者

令和4年3月に実施された各種技法認定試験は、水氣道4級(高等訓練生)および5級(中等訓練生)を対象とするファシリテーター検定のみを実施しました。次回の検定は令和4年6月に予定しています。なお、水氣道3級(初等修錬生)以上の修錬生を対象とするインストラクター検定、水氣道弐段以上の支援員を対象とするトレーナー検定は令和4年6月を予定しています。

 

・F5、のびのび体操ファシリテーター認定
 

新規該当者なし
 

 

・F4、交差航法ファシリテーター認定

 

新規該当者なし

 

<註記>交差航法ファシリテーター認定は、ファシリテーター認定制度の中で最後の5番目に確立しましたが、水氣道の技法体系・稽古体系との整合性を考慮してF4とし、のびのび体操ファシリテーター認定をF5に位置付けました。

 


・F3、基本航法ファシリテーター認定

 

足立博史(現4級、高等訓練生)

福丸慎哉(現4級、高等訓練生)

小池享子(現4級、高等訓練生)

 

<註記>次回の認定も、現4級(高等訓練生)を対象とします。

 

 

・F2、いきいき体操ファシリテーター認定

 該当者なし

 

<註記>次回の認定は、現5級(中等訓練生)を対象とします。

 

 

・F1、親水航法ファシリテーター認定

 該当者なし

<註記>次回の認定は、現5級(中等訓練生)を対象とします。

 

 

来週の水曜日は、昨年のシリーズ水氣道稽古の12の原則に引き続き、
新たなシリーズとして水氣道実践の五原理の解説から始める予定です。

 

ワクチン接種後の副反応はどこに相談したらよいですか。

 

 

本日のタイトルは、以下の厚生労働省の新型コロナワクチンのサイトの<新型コロナワクチンQ&A>からそのまま引用したものです。

 

ワクチン接種後の副反応はどこに相談したらよいですか。

|新型コロナワクチンQ&A|厚生労働省 (mhlw.go.jp)

 

回答についても、そのまま掲載してみます。ただし、下線部は私が施したものです。最後にコメントを加えました。

まずはかかりつけ医接種を受けた医療機関で診ていただくことになりますが、身近に医療機関が無い方を含め副反応について相談いただけるよう、窓口等の設置を各都道府県にお願いしています。また、受診や相談の結果、必要と判断された場合に、専門的な医療機関を円滑に受診できるよう、体制を確保しています。


新型コロナワクチン接種後、副反応を疑う症状で医療機関を受診したい場合、まずはかかりつけ医等の身近な医療機関や、ご自身が接種を受けた医療機関で診ていただくことになります。各都道府県に、ワクチン接種後の副反応に関する相談窓口等の設置をお願いしていますので、ご相談の際は、お住まいの都道府県のワクチンに関する窓口にお問い合わせください。

 

また、接種後の症状等から、より専門的な対応が必要であると判断された場合、相談を受けた医療機関や接種医等から、総合的な診療が可能な医療機関を紹介することとなっています(このような専門的な医療機関の情報は、都道府県から、ワクチンを接種する医療機関等に共有されています)。専門的な医療機関を円滑に受診できる体制確保については、令和3年2月1日に各都道府県宛て通知を発出しています(※1)。

また、小児(5~11歳)接種における、副反応を疑う症状に対する診療体制の構築(※2)についてはこちらで解説しています。


なお、ワクチン接種後の副反応により健康被害が生じ、それが予防接種によるものであると厚生労働大臣が認定したときは、予防接種法に基づく救済(医療費・障害年金等の給付)が受けられます。詳細はこちらをご覧ください。また、副反応以外の一般的な相談についてはこちらをご覧ください

 


(参考資料)
※1:新型コロナウイルスワクチン接種後の副反応を疑う症状に対する診療体制の構築について(厚生労働省)

 

※2:5歳以上11歳以下の者への新型コロナワクチン接種に向けた接種体制の準備について(厚生労働省)

 

 

コメント 

厚生労働省はガバナンスの良くない官庁であるということを、他省に勤務する当クリニックの会員からうかがったことがあります。深い意味は理解できませんでしたが、私は個人的には厚生労働省の職員の皆さんには同情的な立場です。

なぜならば、行政トップの意向によって、矛盾だらけの施策を実施しなければならないからです。矛盾だらけであるため、その後の二次的な対応が雪だるま式に膨れ上がることになります。
 

責任の一端は著名な医学研究者にもあります。敢えてお名前を挙げさせていただくならば、ノーベル医学賞を受賞された山中伸弥氏です。

彼は、京都府および京都市主催の講演で何を仰ったのかを、もう一度振り返っていただき、ご発言を訂正する必要があるのか否かを真剣にご検討いただきたいと思います。

 

新型コロナワクチンの副反応は数日で収まることを強調されていましたが、症状が遷延(長引いて治らないこと)している方の存在を無視あるいは軽視するような発言をされていました。


 

厚生労働省は、最初の相談窓口として、接種を受けた医療機関を例に挙げていますが、多くの接種者は、かかりつけ医ではなく、大規模接種会場での匿名の医師によって接種を受けているので、そうした医師を検索して相談を受けることは甚だ困難であるとしか言えません。

 

なお、毎日のように、ネット上で新型コロナワクチン接種のアルバイトの誘いが届いていましたが、自院での接種は行わずに、臨時の接種会場で、一時的な契約で接種業務に参加したという医師も多数に上ります。なかには、自らは1回も接種することなく、不特定多数の面識のない希望者に接種してきた医師もいます。

 

昨年まで日本感染症学会の理事長で、新型コロナウイルス対策の分科会のメンバーである東邦大学の館田一博教授(61)などは、NHKをはじめとする主流メディアで、再三にわたってワクチン接種を推進してきた方ですが、自らは接種していなかったことが判明しました。

 

本人がアレルギー体質であることを理由としているようですが、どのようなアレルギーの人がワクチン接種をすべきでないかを明確に説明すべきではないかと思います。
 私自身は、何のためらいもなく新型コロナワクチンを接種してきたような医師に、副反応の相談をすることは無意味だとまでは言いませんが、期待し過ぎない方が良いのではないかと考えます。
 

なお、厚労省は、ワクチン接種後の副反応により健康被害が生じ、それが予防接種によるものであると厚生労働大臣が認定したとき、は予防接種法に基づく救済(医療費・障害年金等の給付)が受けられる、と明記していますが、それを信じるに足るだけの実績が示されていません。ワクチン接種と症状との明らかな因果関係が証明されない限り、救済されることは期待できないと予測するのが現実的ではないかと考えます。そして、おそらくワクチンを接種した医師も厚生労働省の見解に沿う回答をすることが予測されます。
 

それでは、誰に相談したらよいのか、それをこれから一緒に考えてまいりたいと思います。