アルベール・カミュ作 『ペスト』を読むNo24

 

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タルーという謎の人物は、ある日突然現れて、オラン市で起こっていることを書き留めています。皆様と同じ立場で読み進めている私にとっても、この男の正体はまだつかめていません。彼の手記の内容も彼と同様に唐突で、謎めいていて、矛盾に満ちた記載が連なっています。
 

 

Enfin, Tarrou paraissait avoir été définitivement séduit par le caractère commercial de la ville dont l’apparence, l’animation et même les plaisirs semblaient commandés par les nécessités du négoce. Cette singularité (c’est le terme employé par les carnets) recevait l’approbation de Tarrou et l’une de ses remarques élogieuses se terminait même par l’exclamation: « Enfin!» Ce sont les seuls endroits où les notes du voyageur, à cette date, semblent prendre un caractère personnel. Il est difficile simplement d’en apprécier la signification et le sérieux. C’est ainsi qu’après avoir relaté que la découverte d’un rat mort avait poussé le caissier de l’hôtel à commettre une erreur dans sa note, Tarrou avait ajouté, d’une écriture moins nette que d’habitude: « Question: comment faire pour ne pas perdre son temps? Réponse: l’éprouver dans toute sa longueur. Moyens: passer des journées dans l’antichambre s’une dentiste, sur une chaise inconfortable; vivre à son balcon le Dimanche après-midi; écouter des conférences dans une langue qu’on ne comprend pas, choisir les itinéraires de chemin de fer les plus longs et les moins commodes et voyager debout naturellement; faire la queue aux guichets des spectacles et ne pas prendre sa place, etc.» Mais tout de suite après ces écarts de langage ou de pensée, les carnets entament une description détaillée des tramways de notre ville, de leur forme de nacelle, leur couleur indécise, leur saleté habituelle, et terminent ces considérations par un « c’est remarquable » qui n’explique rien.

 

最後に、タルーはこの街の商業的な性格に決定的に魅了されたようだ。その外観、活気、そして逸楽でさえも、貿易の必要性によって秩序づけられているように見えるのだ。

この特異性(これは手記で表記されている用語である)という言葉をタルーは受け入れ、それらの賞賛を連ねた表現の中の一つは「ついに!」という感嘆の言葉で締めくくられていた。

この日この旅人の手記が個人的な性格を帯びているように思われるのは、唯一この一連の部分だけである。

その意義や深刻さを単純に理解することは難しい。このように、ネズミの死骸を発見したためにホテルの勘定係が帳簿記載を間違えたという話の後に、タローはいつもより乱れた筆跡で「質問:どうしたら時間を無駄にしないですむか。答え:時間の長さというものを存分に味わうこと。方法:歯医者の控室で、座り心地の悪い椅子に座って何日も過ごすこと、日曜日の午後はバルコニーで過ごすこと、理解できない言語で講義を聞くこと、最も長くて最も不便な鉄道路線の旅程を選び、もちろん立ち通しで移動すること、劇場のチケット売り場で列に並んで空席を待ち続けること、などなど」と付け加えている。

しかし、こうした言葉や思考の脱線を起こした直後に、手記にはわが街の路面電車の蒲鉾のような形、見栄えのしない色、いつもの汚れ具合の詳細な説明を始め、そのそしてこれらの考察を何らの説明もないまま「それは注目に値することだ」という言葉で結んでいるのである。

 

註1:「特異性」singularité 

これは奇妙さや奇抜さを表す語なのですが、オランは至って平凡な都市であるように描かれているため、他の都市では見られない独特な平凡さ、をタル―が感じ取っているのかもしれません。奇抜さと平凡さは馴染まないですが、「奇妙な平凡さ」と訳しても良いかもしれません。

 

註2:「ついに!」« Enfin!» 

賞賛と感嘆の中での表現なのですが、逆に、諦めやじれったさ、うんざりした気持ちを表すこともあります。その場合には、とにかく、やれやれ、全く、などという訳語が充てられます。プチ・ロワイヤル仏和辞典の用例では、

 Enfin, on verra bien.(まあともかくそのうちわかりますよ)

 C’est encore vous! Enfin!(またあなたですか、やれやれ)

が示されています。タルーとは何者なのか、彼の不可解な手記の意図するものは何か?と考えながら読んでいると、「まあともかくそのうちわかるだろう」という考えになったり、「やれやれ」不可解なことだと感じられたりはしないでしょうか。ここは、「やれやれ!」と訳してみるのも一興だと思われました。

 

註3:唯一この一連の部分だけles seuls endroits

宮崎嶺雄訳では「唯一の個所」としていますが、気になるのは原文が単数形のle seul endroitではなく、複数形になっていることです。seulは定冠詞(ここではle)とともに、le seulで「唯一の」という意味ですが、「唯一」が複数形であることのニュアンスを訳出したいと考えました。


註4:いつもより乱れた筆跡で

d’une écriture moins nette que d’habitude

netteはnetの女性形ですが、netが名詞として用いられると きには「清書」という意味で用いられることがあります。ここでは、訳の検討そのものより、タルーの筆跡がなぜいつもより乱れているのか、が後文との矛盾があって興味深いです。

 

註5:

時間の長さというものを存分に味わうこと

l’éprouver dans toute sa longueur.

これは、タルーの手記に記載されている独特な自問自答の中で、Question: comment faire pour ne pas perdre son temps?(質問:どうしたら時間を無駄にしないですむか。)に対する答えになります。タルーは、時間を無駄にしたくないという思いが強かったのではないでしょうか。そのような思いに駆られながら文章を書くと乱雑な走り書きになりそうです。いつもより乱れた筆跡で【註4】とあるように、結局、そのような時間は心の平安をもたらすことはできず、無駄な時間になってしまうことに気付かされることになります。

 

註6:劇場のチケット売り場で列に並んで空席を待ち続けること

faire la queue aux guichets des spectacles et ne pas prendre sa place 

宮崎嶺雄訳では、<劇場の切符売り場で行列に並び、しかも切符を買わないこと>とされています。切符を買わなければ客席に着けないことになるのは理解できるのですが、それでは 時間の長さというものを存分に味わうこと【註5】のための具体的な方法になるのか疑問です。時間を無駄にしたくない人が、時間の長さというものを存分に味わうためには、心の平安があってこそなのだと思われます。他者に迷惑を掛けることになってしまう方法であっては、その目的が台無しになってしまうのではないでしょうか。


註7:蒲鉾のような形  leur forme de nacelle

nacelleとは、❶(気球の)ゴンドラ、吊りかご ❷(乳母車の)座席、寝台、のことですが、宮崎訳は「艀舟(はしけ))です。実際にどのような形なのか、私にも想像がつきません。


註8:見栄えのしない色leur couleur indécise

宮崎訳では、「どっちつかずの色」としています。

 

註9:「それは注目に値することだ」c’est remarquable

タルーの手記のこの部分もにわかに理解しがたいのではないでしょうか。作者のカミュ自身も、この段階で、読者を理解に導く意図はなく、伏線を置いているように思われます。