<はじめに>

 

前回は「更年期」に効果のあるツボを紹介しました。

 

「陽池」は手の甲側で手首の真ん中よりやや小指側にあり、

 

「懸鐘」は外くるぶしから指4本上にあり、。

 

「三陰交」は内くるぶしの真ん中から指4本上にあるというお話でした。

 

今回は「全身のだるさ」に効果のある「天枢(てんすう)」「【足三里(あしさんり)」「湧泉(ゆうせん)」のツボを紹介しましょう。

 

 

<天枢>

IMG_8775

へそから指3本分外側にあります。

 

 

<足三里>

IMG_8776

小指側のひざ下の窪みから指4本分下がった、向こうずねのすぐ外側にあります。

 

 

<湧泉>

IMG_8777

 

足の裏、踵からつま先方向に指を滑らせて指の止まるところにあります。

 

 

 

杉並国際クリニック 統合医療部 漢方鍼灸医学科 鍼灸師 坂本光昭


前回はこちら

 

 

いよいよ、第一部の第3章の終わりにたどり着きました。

 

C’est à partir de ce moment que les carnets de Tarrou commencent à parler avec un peu de détails de cette fièvre inconnue dont on s’inquiétait déjà dans le public. En notant que le petit vieux avait retrouvé enfin ses chats avec la disparition des rats, et rectifiait patiemment ses tirs, Tarrou ajoutait qu’on pouvait déjà citer une dizaine de cas de cette fièvre, dont la plupart avaient été mortels.

タルーが、その手記で、すでに世間を不安にさせていたこの未曽有の熱病について、ある程度詳しく語り始めるようになるのは、この時期からである(註1)。タルーは、例の小柄な老人はネズミがいなくなったことでようやく猫を見つけ出し、根気強く狙いを定めては唾での射撃の精度を高めていることを書きとめる一方で(註2)、この熱病の症例はすでに十例余りを数えることができ、そのほとんどが死亡したことを付け加えている。

 

註1:C’est à partir de ce moment que・・・

宮崎訳:<すなわち、この瞬間から、(タル―の手帳は、公衆の間にすでに不安を呼び起こしていたその正体不明の熱病について、やや詳細に語り)始めるのである。>

 

ce moment をこの瞬間と訳すことも可能かもしれません。「この瞬間」と訳したときの効果は、タル―が何かをきっぱりと決断したことを示唆することができるのではないでしょうか。たしかに、タル―の記録内容がこの時期から変化し始めたのには理由があるはずです。前段で、宿命論者の話がでましたが、タル―は自分自身がそれでないことをきっぱり否定しています。タル-は単なる傍観者としての記録者ではなく、自分自身は現状に対して何らかのアクションを起こす存在であるべきことを、ホテルの支配人との問答に触発され、それまであいまいであった自分のスタンスの在り方についてその瞬間に決断したのかもしれません。

 

 

註2:En notant que…

宮崎訳:<(・・・いつもの射撃を根気よく調整している)ことを記しながら、)

 

en +(現在分詞の形)はジェロンディフです。これは「~しながら」という同時性を表しますが、タル―は、従来の日常的な市民生活の文学的記述を続けながら、他方において、新たな記録、すなわち非日常的なできごとの詳細な、あるいは客観的な記述をはじめることになりました。
 

 

 

À titre documentaire, on peut enfin reproduire le portrait du docteur Rieux par Tarrou. Autant que le narrateur puisse juger, il est assez fidèle:
 « Paraît trente-cinque ans. Taille moyenne. Les épaules fortes. Visage presque rectangulaire. Les yeux sombres et droits, mais les mâchoires saillantes. Le nez fort est régulier. Cheveux noirs coupés très court. La bouche est arquée avec des lèvres pleines et presque toujours serrées. Il a un peu l’aire d’un paysan sicilien avec sa peau cuite, son poil noir et ses vêtements de teintes toujours foncées, mais qui lui vont bien.

参考までに(註3)、タルーによるリュー医師の肖像を、ようやく引用することができよう(註4)。筆者が判断しうる限りではあるが、それはなかなか忠実に描かれている。
「外見は35歳くらい。中背で、がっしりした肩、ほぼ長方形の角ばった顔。黒くまっすぐな瞳、張り出した顎、しっかりとして形の整った鼻。とても短く刈り込んだ黒髪。弓なりをなす口元は、ほとんどいつも硬く結ばれている厚い唇。日焼けした肌に、黒い体毛、いつも地味な色調の服を着ているが、それが彼にはよくお似合いで、いささかシチリア農民のような風体である。

 


註3:À titre documentaire,

宮崎訳:<資料としての意味で、>
   

à titre documentaireの代わりにà titre de la documentationと書かれていれば、< à titre de+名詞>で、<名詞>として、<名詞>の資格で、という意味になろうかと思われます。ここでは、<à titre+形容詞>であり、à titre documentaireは、参考までに、と素直に訳すのが良いのではないかと思われます。

 


註4:on peut enfin reproduire

宮崎訳:<最後に、(タル―の筆になる医師リウーの肖像を)掲げておくことができる。>

 

enfin を「最後に」と訳すのが標準的かもしれませんが、私は「ようやく」としました。その理由は、この時まで、著者(カミュ)は、リウー医師の容貌や行動パタンについての具体的な描写をせずに、読者の自由な想像にまかせてきたからです。読者としては、謎の人物タル―の登場以前に、主人公としてのリウー医師のイメージについていろいろ想像を働かせながら読み進めてきた訳ですから、カミュ自身が読者に「お待たせしました。それでは、『ようやく』ですが、この辺りでご紹介いたしましょう。」などと言っているかのように感じられます。

 

 

« Il marche vite. Il descend les trottoirs sans changer son allure, mais deux fois sur trois remonte sur le trottoir opposé en faisant un léger saut. Il est distrait au volant de son auto et laisse souvent ses flèches de direction levées, même après qu’il a effectué son tournant. Toujours nu-tete. L’air renseigné.»

「彼は速足である。足取りを変えずに歩道から車道に降り(註5)、しかも、3度のうち2度は軽やかに反対側の歩道に跳び移る(註6)。自家用車を運転中はうっかりしていて(註7)角を曲がった後も方向指示器を出しっぱなしでいることが多い。常時無帽。土地勘があるようだ(註8)。」

 

 

註5:Il descend les trottoirs sans changer son allure,

宮崎訳:<歩調も変えずに歩道を降っていくが、>

 

Il descend~で<彼が~を降る>と訳しているが、この一文だけでは<降る>という動作を理解するのは困難であろうかと思われます。舞台となっている当時のアルジェの港湾都市オランの歩道の様子を知らなければ適切な翻訳は難しいと思います。しかし、この辺りは、著者カミュの仕掛けがありそうな気がします。

 

 

註6:remonte sur le trottoir opposé en faisant un léger saut.

宮崎訳:<反対側の歩道に、ちょっと身をおどらせるようにして上る。>

 

註5の動詞(descendre⇒descend)に対して、この一文では対応関係にある別の動詞(remonter⇒remonte)が出現します。なお、re(再び)monter(上る)のですから、いったんは降りるという動作が前提になるはずです。ここで推測できるのは、通りには歩道が反対側にもあって、しかも、その一対の歩道の間に挟まれるように、おそらく車道があり、その車道の路面は歩道より若干低いのではないかということです。その歩道には、跳び乗る動作を必要とする高さがあることが推測できます。しかも、その車道の道幅は狭く、しかも、ところどころ舗装が行き届いていないところがあり、おそらくは一方通行なのではないか、というあたりまで読者が想像することをカミュに求められているような気がします。

 

 

註7:Il est distrait au…

宮崎訳:<(~ときも)ぼんやりしていて、>

 

この部分の意味の理解も慎重に検討したいところです。私は、それまでのリウー医師の描写から得られた人物理解において、彼は決して運転中に空想に耽って「ぼんやり
するようなタイプではなく、むしろ、常に職務に忠実であって、観察力に富んだ人物ではないかと想像しています。たしかに、現代社会において自動車運転中に方向指示器を出さないのは危険な行為ではありますが、路肩の狭い細い道路では徐行運転とならざるを得ないであろうし、地元の道路事情に詳しいリウー医師は、仕事の段取りなどを考えながら、適宜、合理的な無駄の少ない行動をとるタイプではないかと推測しています。

余談ですが、私も同様の傾向があることに気がつかされました。そのため、私は免許があっても自ら自動車の運転は遠慮することにしています。
 

 

註8:L’air renseigné.

宮崎訳:<情報通といった様子。>

 

renseignéとは動詞renseignerの過去分詞で、「情報を得ている」、「消息通の」という意味です。名詞として使われる場合は、「情報を得ている人」、「情報通」となります。この都市で活動しているリウー医師が、地元に詳しいであろうことは想像に難くありません。しかし、その外見や行動の特徴についての一連の詳細な観察所見との結び付きが感じられにくい<情報通といった様子。>という結びに物足りなさを感じます。リウー医師がどのような情報に通じているか、その範囲と深さは不明ですが、個々は、単純に、地元の気候や地理、とりわけ交通事情に詳しそうだ、という程度のことではないかと考えます。なぞの記録者タル―氏は、最終的には推測的な記述となる場合でも、予めより合理的な観察に基づく所見を記述した情報を整理した後で所感を述べるようなタイプであるような気がします。

 

次回は、第一部の第4章がスタートします。

 

前回はこちら

 


聖楽院主宰 テノール 

飯嶋正広

 

武蔵野音大別科レッスン事始め

 

 

今回は音大での初回(4月12日)レッスンの内容についてご報告いたします。

 

 


初回レッスン
12時40分からのレッスンには十分余裕をもって出発したのですが、確認事項に気をとられていたため、うっかり、目的の羽沢の停留所を乗り越してしまいました。初夏のような陽気でした。たった一区間なのにたどり着くのに手間どり汗だくになりました。それでもレッスンの前に、事務局で学生証を受け取り、土曜日の学科の履修科目の追加の手続きを済ませることができたのは幸いでした。

 

慣れないせいか武蔵野音大は外観よりも内部が複雑な印象です。ようやくレッスン室にたどり着くと、岸本先生は、いつもの通り、すでにお見えでした。

 

レッスン前に簡単な御挨拶と段取りのお話をすることができるため、これから私も早めに到着することを心がけることにしました。

 

レッスン時間になると、伴奏者が入室されました。王さんというお名前はうかがっておりましたが、王昭然というお名前であることを知りました。

 

彼は博士課程在学中の方で、今年から副科を声楽に変更する許可を得て、岸本先生のレッスンを受けるとのことを伺いました。彼のお話の中で、チェレプリンという作曲家の名前をはじめて知りました。専門家である岸本先生は馴染みのある作曲家とのことで興味深く彼の話を聴いておられました。

そのアレクサンドル・チェレプニン(1899〜1977)の歌曲集には、”Seven Songs on Chinese Poems” op71 があり、ユーチューブにも挙げられているそうです。

 

当日の夜、王さんからいただいたメールには、ユーチューブのリンクを貼ってくれました。「楽譜が欲しければ、レッスンのとき持っていきます。」と書いてあったので、お願いすることにしました。この歌曲集は複数の言語(中国語、英語、ドイツ語、そして多分ロシア語も)がついている歌曲集とのことで、とても興味深いです。

 

”Seven Songs on Chinese Poems” op71

 

 

レッスンは、岸本先生の発声練習のあと、さっそく王さんに伴奏をはじめていただきました。

 

1曲目は、歌曲「нет,толькотот,ктознал...(憧れを知る者のみが...)」

 

2曲目は、「レンスキーのアリア」

 

そのあと、来週、本格的にはじめる歌曲「отчего?...(何故?)」の歌詞の発音チェックをしていただきました。

 

何とか合格させていただけたので、さっそく、次週は、上記の2曲に加えてこの曲の歌唱レッスンがはじまります。

 

そのあと、第4曲目の候補は、средь шумного бала...(騒がしい舞踏会の中で...)となりそうなので、来週までに、ロシア語の歌詞読みの発音チェックを受けられるように準備することにしました。歌曲としては、そのほかに、岸本先生が編集された「ロシア民謡集⁻モスクワ郊外の夕べ」(全音楽譜出版社、2003)を私が以前から所持していたため、先生にお願いして、収録19曲のうちから、「ともしび(огонёк)」と「モスクワ郊外の夕べ(Подмосковные вечера)」の2曲を練習曲として選んでいただきました。

 

「ともしび」(огонёк)の音源

 

(35) 【和訳付き】ともしび(ロシア民謡)"Огонёк"- カタカナ読み付き - YouTube

 

 

(35) Огонёк - Дмитрий Хворостовский (2016) (Subtitles) - YouTube

 

 

 

「モスクワ郊外の夕べ(Подмосковные вечера)」の音源

 

(35) Владимир Трошин Подмосковные вечера 1956 - YouTube

 

 

それから、オペラ・アリアの第2弾としては、ニコライ・リムスキー=コルサコフが1895年から1896年にかけて作曲し、1897年に上演された7場から構成されるロシア語のオペラ『サトコ』(Садко)から、「インドの歌」に挑戦するところまで、初回のレッスンで決まりました。


一般のテノール用の楽譜はフランス語版なのですが、オリジナルのロシア語でも歌うことができるようになれば素晴らしいです。実は、私もはじめてロシア語での演奏を聴きました。ロシア語で検索すると素晴らしい音源にアクセスすることができました。

 


(35) Н.А. Римский-Корсаков - Песня индийского гостя из оперы «Садко» - YouTube

 

 

 

Н.А. Римский-Корсаков - Песня индийского гостя из оперы «Садко»
Исполняет Симфонический оркестр Колледжа имени Гнесиных
Солист — Лауреат Всероссийского конкурса Давид Посулихин (тенор)

 

N.A.リムスキー=コルサコフ:オペラ『サトコ』より「インドの客人の歌

 

演奏:グネーシンカレッジ・シンフォニーオーケストラ
ソリスト - 全ロシア・コンクール優勝者 ダヴィド・ポスリーキン(テノール)

 

前回はこちら

 

 

認定内科医、心療内科指導医・専門医、アレルギー専門医、リウマチ専門医、認定痛風医

 

飯嶋正広

 

新型コロナ禍を経験して、日常の臨床の現場で懸念しているのは、30数年以上の臨床経験を通してみても、定期受診者の皆様の顕著な骨量低下と腎機能低下傾向です。腎機能低下と骨量低下は、腎臓でのビタミンDの活性化との関係で注目すべきなのですが、また、貧血傾向にある方も散見されます。

 

これらの傾向が見られるのは、当クリニック特有の現象であるとは考えにくいため、全国的なデータの解析結果にアクセスできれば、と考えております。

 

 

腎性貧血について

腎性貧血とは、簡単に言えば、腎臓病が進行することによってもたらされる貧血のことです。そもそも貧血とは、血液中の赤血球の中にある、酸素を運ぶ役割のヘモグロビンの濃度が低くなった状態を指します。 立ちくらみ、息切れ、めまい、ふらつき、頭痛、胸の痛みなどの症状が起こります。

 

それでは、なぜ腎臓病が貧血を招くのか、という疑問が一般の方には生じるのではないかと思います。

 

その疑問にお答えするためには、一般の方にはあまり知られていない腎臓の働きについて説明しておく必要があります。それは、腎臓がホルモン産生臓器でもあるからです。腎臓がどのようなホルモンを産生しているかというと、赤血球産生を刺激するホルモンなのです。このホルモンがエリスロポエチン(EPO)なのです。 これは一種の蛋白質であり胎児期には肝臓で産生されますが、成人の場合はほぼ腎臓でのみ産生されるようになります。そのため、人工透析が必要な腎不全患者ではEPOの産生が低下し、貧血となります。これが腎性貧血なのです。


貧血は、各種臓器への、つまり全身の諸臓器・組織・細胞への酸素供給を低下させることに直結するため、患者の生活の質(QOL)は顕著に低下することになります。
しかも、腎性貧血は、末期腎不全に至ってはじめて発症するのではなく、慢性腎臓病(CKD)では比較的早期から腎でのEPO産生が低下するため、すでに腎性貧血の発症がみられ徐々に進行していきます。そのため、定期検査による早期発見が必要なのです(日本腎臓学会:グレードAレベル4)。

 

 

エリスロポエチン製剤の開発

 

腎性貧血の治療のためには、エリスロポエチンを補充することができればよいということになります。生体内にあるものと全く同じものではないのですが、似た構造のタンパク質を人工的に作ることができるようになっており、実臨床でも腎性貧血の薬として使われています。

 

1977年に、熊本大学の宮家が再生不良性貧血の患者の尿からEPOを純化し、それを基に蛋白質であるEPOを構成しているアミノ酸配列が明かになり、EPOのクローニングにより、ヒト組み換え型EPO(hrEPO)が開発されました。その後に開発された一連の製剤は赤血球造血刺激因子製剤(ESA)と総称されています。
 

当初の予想では、ESAによって、不足しているEPOを補うことによって、腎性貧血患者の貧血を正常化できれば理想的であると期待されていましたが、貧血の改善が合併症を引き起こし、予後を不良にすることが大規模臨床研究の結果で明らかにされました。そこで、全く新しい機序の腎性貧血治療薬が求められるようになりました。

 

 

HIF-PH阻害薬の誕生

 

生体は低酸素に対する防御機構として低酸素誘導因子(HIF)を備えています。1990年代にこれを発見したのが、米ジョンズ・ホプキンズ大学のグレッグ・セメンザ氏です。これは低酸素状態のときにエリスロポエチン遺伝子を活性化するタンパク質(Hypoxia-inducible factor:HIF)で、低酸素応答誘導因子と訳されています。ついでHIFが酸素濃度に応じて低酸素応答遺伝子のスイッチをオンオフする分子メカニズムを明らかにしたのが、英オックスフォード大学のピーター・ラトクリフ氏と米ハーバード大学のウィリアム・ケーリン氏の二人です。以上の3名が、2019年のノーベル医学・生理学賞を受賞しました。

 

このHIFを活性化させることによって、内因性のEPOなどのターゲット分子の発現を誘導する目的で開発された薬剤が、HIF-プロリン水酸化酵素(HIF-PH)阻害薬です。
 HIF-PH阻害薬は、鉄利用効率の改善により、より効率的な造血が誘導される反面、鉄欠乏状態下で使用すると血中の鉄が低下し、血栓塞栓症を引き起こす可能性があるため、事前に十分な鉄補充が必要になります。

 

また、HIF-PH阻害薬は、理論上は臓器の低酸素に対する抵抗性を高めることが期待される反面、血管新生も同時に誘導する可能性があるため、癌や網膜症など血管新生が望ましくない病態では使用しにくいという側面があります。

 

 

杉並国際クリニックでの経験例と今後の対策

 

エリスロポエチン(EPO)の赤血球産生は、組織の低酸素に応答して産生されるHIFの作用によって促進されます。そうして産生されたEPOは、骨髄などの造血細胞に働いて赤血球産生を刺激します。このメカニズムを利用してスポーツ選手の「高地トレーニング」が行われています。高地でトレーニングをしている運動選手の血液では赤血球数、および、酸素運搬に関わるヘモグロビン量が増加しますが、これも低酸素環境におけるEPO産生の亢進によるものです。

 

当クリニックでの試みは「水氣道」において、低酸素トレーニングを導入することです。それは、現段階では私自身が「水氣道」の稽古中にトライアル訓練を続けている段階です。

 

なお、当クリニックにおいて、EPO製剤やHIF-PH阻害薬を直接処方した経験はまだありませんが、連携医療機関の一つである東京警察病院血液科と共同で診療している骨髄異形成症候群の患者さんには、これらの造血薬が処方されています。再生不良性貧血に近い病態であるようです。

 

いずれにしても、近年症例数が増えている慢性腎臓病(CRD)などの腎臓病が進行するにつれて、初期段階から、このEPOの産生も低下します。そのために、定期検査による早期発見が必要であることは日本腎臓学会のガイドラインでも推奨されています。当科での経験例も、診断確定の3カ月前の検査での異常は軽微でした。腎性貧血の ESA(赤血球造血刺激因子製剤)による治療は、 CKD に伴うさまざまな合併症予防・治療に有効であり、皮下注射にて早期に開始すべきことも推奨されています。

 

当クリニックでは、腎機能評価において、血清クレアチニン値の測定時には、必ず推定糸球体濾過率(eGFR)を参考にしています。そして、eGFR<60未満で慢性腎臓病が疑われる例では、尿生化学検査や腎臓超音波検査等と同様に初期の貧血傾向のチェックを慎重に行えるように体制を強化しているところです。

 

前回はこちら

 


懸垂理論から学ぶNo3

懸垂のパラドックス<各論> 構成要素を練習する

 

簡単な運動ですが、正しく行うには時間と努力が必要です。

文責:クリスティ・アシュワンデン

The Pull-up paradox
It’sa simple exercise,but getting it right takes time and efforts
By Christie Aschwanden

 

<各論> 構成要素を練習する

懸垂は誰でも一回でできるわけではありません。完全な懸垂ができるようになる前でも動作を構成するパーツに分解して、それぞれをトレーニングするとよいでしょう。以下の4つのエクササイズで、懸垂動作の重要な部分をより強く、より上手にできるようにしましょう。

 

 

Step1)バーハング

 

まず、弛緩した状態ではなく、硬直した状態でぶら下がる方法を学ぶことです。キングさんは、初心者にバーをつかみ、腹筋と大臀筋を鍛えて板状に体を硬くし、30〜45秒キープするぶら下がり練習をさせています。

 

 

Step2)肩甲骨はがし

 

懸垂の初期動作の練習をする場所があります。まずバーにぶら下がり、背中の真ん中から上の筋肉を動かして、肩甲骨を背骨のほうに寄せます。このとき、ほんの少し体が高くなるのを感じるはずです。この状態でしばらくキープし、ゆっくりと元の位置まで下ろします。肘は曲げないでください。腕は最後までまっすぐのままです。

 

IMG00138_(4)
写真:a scapula pull-ups

 

『コメント』

スカルプ・プルアップは「スキャプ・プルアップ」と短く呼ばれることもあるようです。  

プルアップをする時のように、手幅は肩幅より若干広めでバーからぶら下がります。   

腕は真っ直ぐにしたままで、肩と背中上部の筋肉を使い、バーを引き下げます。     

肩甲骨を上下に動かすようにイメージで行います。

バーにぶら下がってこれが出来なければ、足を使って体重を支えます。

 

スキャプ・プルアップのメリット

まず、肩の筋肉を収縮と弛緩を繰り返すことで、首周り、肩、背中の筋肉が徐々に大きくストレッチされます。

また、プルアップの最初のトレーニングにもなり、一番下の位置で筋力が鍛えられること、腕ではなく背中を使うことを修得することができます。

そして、握力の向上にもなります。

 

 

 

Step3)遠心性懸垂

 

懸垂の一番上の位置で、頭をバーの上に出し(必要であれば椅子の上に立って)、コントロールされた滑らかな動きでゆっくりとぶら下がる位置まで体を下げます。

 

 

 

Step4)斜め懸垂

 

背中を鍛え、肩の動きをよくする運動です。ベンチプレスをするように、ウエイトバーの下に身を置きます。ただし、ベンチに寝転がるのではなく、バーにぶら下がり、かかとを床につけます。体をまっすぐに保ち、腕ではなく背中の筋肉を使いながら体を引き上げる。ゆっくりとした動作で、元の位置に戻ります。肩甲骨を背骨から離し、胸郭の周りに移動させるイメージで行いましょう。

 

IMG00138_(3)

写真:a version of inverted rows

 

『コメント』
斜め懸垂(インバーテッドロー)、は上半身の引く筋肉群である広背筋・僧帽筋・上腕二頭筋に効果がある自重トレーニング種目です。

 

 

以下、原文

 

PRACTICE THE COMPONENTS

Not everyone can do a pull-up the first time. Even before you can do a complete pull-up,
You can break the movement down into its component parts and train for each of them. Use these four exercises to help get stronger and more skilled at the essential parts of the pull-up motion.

BAR HANGS

The first step is to learn how to hang in a rigid position, rather than flaccidly. Ms. King has beginners practice hanging by grabbing the bar, engaging their abs and glutes to make their body stiff like a board, and then holding for 30 to 45 seconds.

SCAPULA PULL-UPS

There are away to practice the initial pull-up movement. Start by hanging on a bar and then engage the muscles in your mid and upper back to move your shoulder blades in toward your spine. As you do this, you’ll feel yourself elevating just a tiny amount. Hold for a moment in this elevated position, then slowly lower yourself to the starting position. Don’t bend your elbows. Your arms should be straight for the entire motion.

ECCENTRIC PULL-UPS

Begin at the top position of a pull-up with your head above the bar (stand on a chair to get up there if you need to) and then slowly lower yourself to a hanging position using a controlled, fluid motion.

INVERTED ROWS

This exercise strengthens the back and improve shoulder mobility. Position yourself underneath a weight bar as if about to do a bench press. But instead of lying on a bench, hang from the bar, your heels on the floor. Hold your body in a straight, rigid line and pull yourself up, initiating the movement using your back muscles, rather your arms. Return to the starting position in a slow, controlled motion. Imaging moving your shoulder blades away from your spine and around your rib cage.

 

前回はこちら

 

 

自然免疫力を高めよう!

 

ノーベル賞受賞者の山中伸弥教授の啓発サイトを見つけました!

 

免疫とワクチン | 山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信 (covid19-yamanaka.com)

 

そこで、免疫とワクチンについて一般の方向けに解説がなされていますので、まずは、そのままご紹介いたします。

ただし、下線と(註X)については、私のコメントを加える都合上、私、飯嶋正広が施したことを、予めお断りいたしておきます。

 

免疫学者ではない畑違いの山中氏が、なぜ免疫とワクチンについてわざわざ言及されるのでしょうか。

しかも、タイトルは一般免疫学や免疫学総論ではなく、「新型コロナウイルス情報発信」であることに注意を払っておく必要があるものと思われます。


・・・・・・・・・・・・・・・・


免疫とワクチン


免疫とは

私たちが生きていくためには、外部から酸素や栄養を取り込む必要があります。その時、招かざる客であるウイルスや細菌も体内に侵入してしまいます。ウイルスや細菌が増殖すると感染症が発症し、最悪の場合死に至ります。

ウイルスや細菌と戦うのが免疫です。

免疫には自然免疫(註1)と獲得免疫(註2)があります。

自然免疫は生まれつき備わっており、ウイルスや細菌にはあるが人間にはない成分を認識して攻撃します。自然免疫のみで退治できる場合もありますが、多くの場合は不十分(註3)で、ウイルスや細菌は増殖してしまいます。

次に出動するのが獲得免疫です。侵入してきたウイルスや細菌だけを認識する免疫細胞が作られ、強力に攻撃します。ウイルスや細菌が初めて侵入したときは、獲得免疫が働くまで1,2週間程度かかります。しかしいったん獲得免疫が出来ると、次に同じウイルスや細菌が侵入したときは、速やかに攻撃を開始します(註4)。

昔から同じ病気に2回かからない(註5)、という現象が知られていましたが、これは獲得免疫によるものです。


ワクチンとは

同じ病気に2回かからない、という現象を人工的に作り出そうという発想で誕生したのがワクチン(註6)です。

ウイルスや細菌を何らかの方法で弱毒化、もしく無毒化してたもの(註7)を投与(接種)することにより、獲得免疫を誘導します。その後、同じウイルスや細菌が侵入しても、獲得免疫がすぐに攻撃するために増殖を抑えることが出来ます。


ワクチンは感染や発症を予防するためのものであり、感染症になってから使用する治療薬とは異なります。

・・・・・・・・・・・・・・

 

(註1)自然免疫:

わかりやすくいえば、ウイルスや細菌などの病原体(敵)が体内に侵入してくると、敵が振りかざしている旗印の種類に関係なく真っ先に駆けつけ戦ったり、食べて無毒化したりしてくれる生まれつき生体が備えている免疫反応や免疫機構のことです。

 

(註2)獲得免疫:

獲得免疫とは、感染した病原体を特異的に見分け、それを記憶することで、同じ病原体に出会った時に効果的に病原体を排除できる仕組みです。適応免疫とも呼ばれます。すでに同一の病原体に感染していたり、その病原体を目標としたワクチン接種したりして獲得できる免疫のことです。

 

(註3)自然免疫のみで退治できる場合もありますが、多くの場合は不十分

この部分の記述は実にあいまいです。わざとあいまいにしているのだとしたら、稚拙なレトリックです。そもそも主語は何なのでしょうか?前文からの流れからすれば、一般の「ウイルスや細菌」と読めなくもありませんが、病原性の高い病原体を除いては、ほとんどの場合、自然免疫のみで退治できています。退治できないとしたら、それは感染症による死亡を意味します。死亡しないで治癒しているのは、自然免疫が働いているからに他なりません。


また、この場合の主語を「新型コロナウイルス」と解釈した場合、令和4年4月5日現在での日本の感染者の合計数678万人、死亡者数28,396人ですから、死亡率は0.42%弱ということになります。逆に言えば、99.5%強の感染者は生存できている、つまり、「新型コロナウイルス」を退治できていることになるはずです。


それにもかかわらず、山中氏が自然免疫のみでは不十分であると説明する背景にはどのような意図があるのでしょうか?
その答えは簡単です。免疫を自然免疫と獲得免疫とに2分するならば、自然免疫を補完できる獲得免疫ということになるでしょう。


それでは、山中氏の意図する獲得免疫とは、いかなる方法で獲得できる免疫なのでしょうか?山中氏は、感染による免疫獲得を積極的に推奨されてはいないので、残る可能性としてはワクチンということになるでしょう。つまり、「ワクチン接種を推進しましょう」という彼の日頃の発言と結びつくことになります。


(註4)いったん獲得免疫が出来ると、次に同じウイルスや細菌が侵入したときは、速やかに攻撃を開始します

この一文にも、レトリックが仕込まれています。それは、「いったん獲得免疫が出来ると」という仮定から出発しているところです。医療系の専門学校の学生用の免疫学概論・総論、あるいは一般免疫学のテキストの叙述としてなのであれば問題はありません。しかし、一般の読者は、新型コロナウイルス感染症もしくはそのワクチン接種によって「獲得免疫が出来る」ことを当然のように誤解してしまうことになります。


これまでの状況を振り返ってみても、「獲得免疫」ができるのは簡単ではないことが明かです。現行のワクチンではいずれも「いったん獲得免疫ができる」としても、それが長続きしないことも明らかになってきました。ですから、仮に「いったん獲得免疫が出来る」にしたところで、その獲得免疫の効果は一過性であるために、「次に同じウイルスや細菌が侵入したとき」にも、「速やかに攻撃を開始」できないし、「攻撃を開始」しても、その効力は、またしても不十分である、と評価するのがまっとうな科学者の態度なのではないかと思われます。

 

(註5)同じ病気に2回かからない

「二度罹り無し」というフレーズが有名です。しかし、ここでも用語の使い方の曖昧さが露呈しています。それは、疾患の同一性についての定義です。わかりやすく言えば、以前に罹った病気と「同じ病気」かどうか、特にウイルス感染症の場合には、より厳密に議論をすすめていかなければなりません。新型コロナウイルス感染症においては、たとえば香港大学の学生が2度罹患したとの報告がありました。再保の感染は武漢株で、欧州への研修後に罹患したのは、それとは別の変異株であった可能性があります。とくに、新型コロナウイルスは一本鎖RNAウイルスであるため、変異し易いことが知られています。

 

「二度罹り無し」が「同じ(感染症の)病気」を前提とするならば、病名は同じ「新型コロナウイルス感染症」であっても、必ずしも「同じ病気」ではないという矛盾が生じます。この矛盾を解く鍵は、新型コロナ感染症は、複数の種類の変異株によってもたらされる複数の感染症の総称であって、それぞれが別の病気であるという理解の上に立つことにあるのだと思います。
     

この段階で、大いに気づいておかなければならなかったのは、武漢株とその後の変異株はまったく別物である可能性があるということであったはずです。現段階に至っては、英国株(アルファ株)、南アフリカ株(ベータ株)、ブラジル株(ガンマ株)、インド株(デルタ株)そしてオミクロン株はすべて異なる性質をもつウイルス株であるという認識を弁えておく必要があるのではないでしょうか。
      

香港大学の学生が新型コロナ感染症に二度罹ったという貴重な報告は、ワクチンについても、武漢株用のワクチンでは、変異株による感染症の予防効果を期待できない可能性が高いという謙虚な予測を立てておくべきであるという教訓だったのではないでしょうか。

 

(註6)同じ病気に2回かからない、という現象を人工的に作り出そうという発想で誕生したのがワクチン

「同じ病気に2回かからない、という現象を人工的に作り出そうという発想は、「同じ病気」とは何か、という出発点の検証が不可欠だったはずです。この出発点が誤りだとすれば、その発想自体が成立しなくなるという厳然たる事実を謙虚に受け止めなければなりません。そうした適正かつ妥当なプロセスを踏むことに成功しなければ、必然的に欠陥ワクチンの開発に繋がってしまうことになります。

 

(註7)ウイルスや細菌を何らかの方法で弱毒化、もしく無毒化してたもの

門外漢である山中氏は、新型コロナウイルス感染症予防のための、いわゆる<mRNAワクチン>と従来の弱毒ワクチン等とを混同して説明しているのは如何なものでしょうか。「ウイルスや細菌」と書いていているので、これは一般的な感染性病原体を前提にした記述であるということは、大方の医療従事者であれば理解できるはずです。しかし、一般の方には大きな誤解を与え兼ねません。

 

mRNAワクチンについて理解したいと願っているであろう読者に対して、当該ワクチンが従来の弱毒ワクチンや不活化ワクチンと同程度に「病原体を弱毒化、もしくは無毒化
されているものと誤解を与えかねないことが懸念されます。

山中氏の意外な無神経さ、もしくは意図的な企ての可能性自体を残念に思います。

 

さて、専門外の山中氏はまだしも、免疫学者の大権威である大阪大学の宮坂昌之名誉教授も、弱毒生ワクチンとの比較で、この種の説明の仕方で周囲から嘲笑されたことは印象的です。そもそも、mRNAワクチンなるものが、果たしてワクチンの名に値する代物なのかどうかを、しっかりと吟味する必要があります。


有効性はもちろんですが、それ以上に、十分な安全性が検証されていない段階の代物を安易にかつ公然と「ワクチン」と呼ばせてしまっていることが全世界に大きな禍をもたらしていることを肝に銘じていただきたいと願わざるを得ません。

 

前回はこちら

 


臨床産業医オフィス

 

<高円寺南労働衛生コンサルタント事務所>

 

産業医・労働衛生コンサルタント・第一種作業環境測定士・衛生工学衛生管理者

 

飯嶋正広

 

 

産業医の企業の健康経営参加について(続々編)

 

今月の4月3日の記事のタイトルは「私が産業医活動を続けているわけ」で、書き忘れていたことが一つありました。

それは、私自身の健康維持のため、ということでした。毎日のほとんどをクリニックでの外来診療で過ごすとなると、必然的に「座りっぱなし」の時間が長くなるという問題が発生します。この「座りっぱなし」のライフスタイルが健康リスクを大いに高めることが注目されています。

 

「週5日間、1日3時間立つ時間を確保すれば、年に10回フルマラソンを走るのと同じくらいのカロリー消費量を得られる」と、英ユニヴァーシティ カレッジ ロンドンでスポーツ医学を専門とするマイク ルースモア氏は主張しています。こうしたライフスタイルを打破するために、「水氣道」や「聖楽院」の活動を継続することも役立っていますが、医師としての業務に直結する産業医活動は、クリニックを離れて企業を訪問することになるために、私自身が「座りっぱなし」となりがちな日常業務から解放されることに役立っています。

 

 

6.健康的な働き方をサポートする


オフィスづくりの取り組み方

オフィスでは、健康への影響の高い空気環境や騒音、照度などにはガイドラインが設けられています。(事務所衛生基準規則及び労働安全衛生規則の一部を改正する省令の施行等について)事務所衛生基準規則及び労働安全衛生規則の一部を改正する省令(令和3年厚生労働省令第188号。以下「改正省令」という。)が令和3年12月1日に公布され、一部の規定を除き、同日から施行されました。

 

また、労働基準法第34条で、労働時間が 6時間を超え、8時間以下の場合は少なくとも45分 8時間を超える場合は、少なくとも1時間の休憩を与えなければならない、と定めています。この規則も、『座りっぱなし』の解放のためにも積極的に役立てることができると思います。

 

こうした規則はデスクワーク中心の職場の増加と共に整備が進んできています。ここで、デスクワークとは、机に向かって作業をこなす仕事のことです。 事務仕事を意味して使用される場合が多く、特にパソコンで行う業務はデスクワークに該当します。

 

ほかにも、プログラマーやエンジニア、グラフィックデザイナー、ライターなど、机に向かってクリエイティブな作業をしている職種もデスクワークに含まれる仕事です。

しかし、身体の不調の原因のひとつと考えられる「座り過ぎ」については、近年ようやく関心が高まりつつあります。

とりわけ日本人は世界一の「座り過ぎ」大国という、望ましくない調査結果もあります。2012年にシドニー大学が実施した調査によると、世界20カ国の総坐位時間の平均が300分(5時間)/日、日本は420分(7時間)/日と平均より2時間、1.4倍も長いという結果でした。

そして日本は、20カ国中で座っている時間が、サウジアラビアと並んで一番長い国であることが示されました。問題になるのは、長時間座り続けることで血流や筋肉の代謝が低下し、心筋梗塞、脳血管疾患、肥満、糖尿病、がん、認知症など健康に害を及ぼす危険性が指摘されていることです。

 

1日に座っている時間が4時間未満の成人と比べ、1日に11時間以上座っている人は死亡リスクが40%も高まるといわれています。

 

WHO(世界保健機関)の発表では、喫煙は世界で500万人以上、飲酒は300万人以上の死因といわれています。2011年の報告では、座り過ぎも「世界で年間200万人の死因になる」という発表されました。いまや“座りすぎ”も喫煙や飲酒と同じように健康リスクを脅かす問題の一つであると認識する必要があるようです。

 

なお長時間机の上で作業をした後に肩や首、腰などが痛み、どっと疲れを感じるのは、長時間体を動かさなかったことで筋肉が縮小してしまうからといわれています。 筋肉の凝りや強い痛みが生じて体を動かしにくくなり、疲労感が倍増します。 また血液の流れが滞るのも疲労蓄積の一因でしょう。

 

1日の座位時間が4時間未満の人に比べ、座位時間が長くなるにしたがってリスクが高まるという調査があります。本来、人の身体は30分以上「不動」の状態に耐えられるつくりをしていません。 30分以上座った状態が続くと、血流が悪くなったり、血栓ができたり、不快に感じたりします。 そのため、30分以上同じ姿勢を続けないことが大切です。

 

そのほか、座り過ぎのために、ふくらはぎを動かす機会が減ることによる健康リスクが指摘されています。

 

ここからは、健康的な働き方をサポートするオフィスづくりについてご紹介します。

 

●回遊しながら自ら選べる多様な「場」を

オフィスの中に、従来の「執務デスク+会議室」という環境ではなく、業務や気分に応じて選べる多様な場を用意します。従業員は自律的に業務や気分に適した場を自ら選ぶことで、オフィス内を自由に回遊します。

 

●姿勢の自由度が担保されるようにひとつの姿勢に固定しないような選択肢があるとよいでしょう。

自ら選んだ場で、立ったり座ったり、チョイ掛けしたり、くつろいだ姿勢をとったりと、いろいろな姿勢をとることができる自由度を拡張します。また、様々な姿勢が意識的に取れるよう、高さや天板の角度が変えられるデスク、背もたれの角度が変えられるソファやハイカウンターなどの選択も有用でしょう。

 

●無意識に身体を動かすことができているように

同じ姿勢が長く続くことがないよう、集中作業しているときにも、無意識のうちに身体を動かすことができる事務機器や家具を選びます。

 

たとえば、集中したデスクワークにおいても、身体の動きを妨げずに前傾や後傾、左右の動きや身体のひねりに追随するグライディングチェアなら無意識に座っているだけで、筋肉が動くことをサポートし、座りながら運動できます。

 

 

7.まとめ

健康経営は働き方改革の推進とともに注目されており、将来的な収益性の向上に繋がる計画的な投資です。政府が取り組む健康経営制度に認定されることで、さらに効果を高めることもできます。とはいっても、健康経営の基本は、各人の自主的な自己健康経営がベースになりそうです。

 

前回はこちら

 

常陸國住人 

飯嶋正広

 

常陸国飯嶋氏のルーツ探訪(その4)

 

このシリーズの初回、常陸飯嶋氏のルーツ探訪(その1)で、飯島姓を名乗る文献上の初出は飯島七郎であり、明徳2年(1391年)に確認できることを述べました。これに対して、飯島七郎が勝倉城主になったのは応永年間(1427年)の頃なので、この間およそ36年の隔たりがあります。両者が同一人物であると推定することも不可能ではありませんが、七郎の名籍を嗣ぐ後継者である可能性も残されるのではないかと考えます。

 

そこで、「水戸市史(上巻)」第510頁に記載されている関連情報をそのまま書き写してみることにします。

 

・・・

 

河和田と加倉井・赤尾関のほぼ中間にあたる飯島(市内)の地に、飯島・悉知(後世七字と書く)という一族のあったことが知られている。すなわち「熊野山願文」として「新編常陸國誌」に引かれるものに、

 

飯島七郎光忠・子息宗忠(明徳二・十二・二)飯島住人悉知左衛門尉宗忠・同七郎通忠(応永十・十一・二十二)等の名が見えていて、その資料の性質からかなり有力な土着の豪族であったと思われる。

 

飯島氏は、その本拠飯島の地理的な関係から、当然、加倉井・春秋らと共に早くから江戸氏とふかく結びついていたと考えられるが、明らかでない。

 

・・・

 

上記の限られた記述の中で、歴史的に貴重な多くの手がかりを得ることができました。

 

1) 地名について

河和田・加倉井・赤尾関と同様に飯島は、水戸市の地名として現在でも残っています。ほぼ東西に走行する常磐線の赤塚駅(水戸市)と内原駅(水戸市)との間を常磐高速道路が南北に跨いでいる交点を目印にして4区分すると、北西部が加倉井、南西が赤尾関、南東が飯島、その東が河和田という位置関係になっています。

 

水戸市史の著者が、河和田・加倉井・赤尾関という一連の地名を挙げているのには根拠があります。それは、この一帯が江戸氏の所領だからです。江戸氏の通高は常陸守護の佐竹義篤の娘を妻とし、嘉慶二年(1388)には南朝方の難台城を攻略する軍功をあげました。しかし、通高はこの難台城攻めで戦死し、その賞として子の通景は鎌倉公方足利氏満から新領として河和田・鯉淵・赤尾関などを与えられています。これを機に江戸氏は父祖の地である江戸郷から河和田へ本拠を移し、その後の江戸氏発展の拠点としました。しかし、飯島という地名についての古文書記録がないため、私自身も永らく飯島の地名および氏族名の発祥に疑問に感じていたところです。ただし、ここで貴重なのは、飯島の地は江戸氏の新しい居城である河和田城と加倉井・赤尾関などの中間に位置することと、江戸氏の河和田進出が嘉慶二年(1388)以降であることです。

 

 

2) 年代について

飯島七郎光忠・子息宗忠の名は「熊野山願文」(明徳二・十二・二)に見られるのであるが、明徳二年とは、西暦1391年であり、中央では山名氏が室町幕府(足利3代将軍義光)に対して起こした明徳の乱のあった年の暮に相当します。ちょうど、この頃、江戸通景は河和田城主になっていることに注目したいところです。また通景は軍功のあった通高の子ですが、「通」の字が継承されていることにも着目しておきたいです。

 

なお飯島氏の熊野山詣は一度のみではなく、飯島住人悉知左衛門尉宗忠・同七郎通忠という名で再掲(応永十・十一・二十二)されています。応永十年は、西暦では1403年に相当するので、初出のときから12年を経ています。つまり、干支を一巡しています。なお、飯島七郎が勝倉城主になったのは、それからおよそ四半世紀後の応永年間(1427年)の頃なので、この間の飯島氏の動向についての手掛かりをつかみたいところです。

<はじめに>

 

前回は「肌荒れ」に効果のあるツボを紹介しました。

 

「魚際」は手首から親指の付け根の真ん中で手のひらと甲の境目にあり、

 

「水泉」は内くるぶしと踵を結んだ線の真ん中にあり、

 

「合谷」は手の親指と人差し指の間にあるというお話でした。

 

 

今回は「更年期」に効果のある「陽池(ようち)」「懸鐘(けんしょう)」「三陰交(さんいんこう)」のツボを紹介しましょう。

 

 

<陽池>

スクリーンショット 2022-04-22 22.17.34

手の甲側で手首の真ん中よりやや小指側にあります。

 

 

<懸鐘>

スクリーンショット 2022-04-22 22.17.44

外くるぶしから指4本上にあります。

 

 

<三陰交>

スクリーンショット 2022-04-22 22.17.53

内くるぶしの真ん中から指4本上にあります。

 

 

 

杉並国際クリニック 統合医療部 漢方鍼灸医学科 鍼灸師 坂本光昭

 

前回はこちら

 

 

前回の人物描写に引き続き、今回の対話や心理描写には、奥深い人間観が感じられてきます。私はあくまでも読者の視点で翻訳する立場を取りたいと考えていたため、作品全体を予め通読していません。つまり、プロフェッショナルな翻訳家とはあえて異なるアプローチを試みています。とりわけ、fataliste(運命論者)という思想性の高い硬い言葉が対話の中で鮮明に浮き上がってきます。

 

 

« Malgré ce bel example, on parle beaucoup en ville de cette histoire de rats. Le journal s’en est mêlé. La chronique locale, qui d’habitude est très variée, est maintenant occupée tout entière par une campagne contre la municipalité: “Nos édiles se sont-ils avisés du danger que pouvaient presenter les cadavres putréfiés de ces rongeurs?” Le directeur de l’hôtel ne peut plus parler d’auter chose. Mais c’est aussi qu’il est vexé. Découvrir des rats dans l’ascenseur d’un hôtel honorable lui paraît inconceivable. Pour le consoler, je lui ai dit: “Mais tout le monde en est là.

«-Justement, m’a-t-il répondu, nous sommes maintenant comme tout le monde.”

« C’est lui qui m’a parlé des premiers cas de cette fièvre surprenante dont on commence à s’inquiéter. Une de ses femmes de chambre en est atteinte.

«Mais sûrement, ce n’est pas contagieux, a-t-il précisé avec empressement.

« Je lui ai dit que cela m’était égal.

« ― Ah!Je vois. Monsieur est comme moi, Monsieur est fataliste.

« Je n’avais rien avancé de semblable et d’ailleurs je ne sui pas fataliste. Je le lui ai dit...»

 

「こんな立派な手本があるにもかかわらず、街ではこのネズミの話題でもちきりになっている。新聞社もそれに巻き込まれてきた。いつもはバラエティに富んでいる地方記事も、今ではすっかり自治体に対する論評で占められている。『うちの市の幹部職員たちは、このネズミの腐乱死骸がもたらす危険性に気付いているのだろうか?
ホテルの支配人は、もはや鼠のこと以外、何も語れなくなっている。しかし、それは彼も当惑しているからなのだ(註1)。格式のあるホテルのエレベーターの中でネズミが見つかるなどということは、彼にとっては受け入れがたいことなのであろう(註2)。そんな彼を慰めるために、自分はこう言ってやったのである。「でも、どこへ行っても目に入ってくるものなのだから。

「まさにそこなんですよ。それこそ、このホテルとしたことが、いまや、世俗並みの体たらくになってしまっているということなのです。(註3)

と彼は答えた。

世間がようやく懸念し始めたこの突発性の熱病の最初の事例を私に話してくれたのは、彼だった。この支配人の配下の客室係の女性従業員の一人がその熱病にかかったのである。

『しかし、伝染性のものでは断じてございませんよ』と支配人は慌
てて力説した(註4)。

自分にとってはどうでもいいことだということ彼に言った。

『なるほど、おっしゃるとおりです。お客様も私共と同じで、宿命論者(註5)でいらっしゃるんですね。』

自分はそんなことは言ってないし、宿命論者などではない。自分はその旨を支配人に言った。

 

註1:Mais c’est aussi qu’il est vexé.

宮崎訳では、「しかし、それはまた彼が腹立たしい気持ちになっているからでもある。」フランス語のvexerという動詞は、ロワイヤル仏和中辞典によると、❶気を悪くさせる、傷つける;(感情を)害する、などを意味し、また⦅過去分詞で⦆の用例では、Vexée par cette plaisanterie, elle se tut brusqument.を挙げて、<その冗談がかんに障り、彼女は急に黙ってしまった>といった使われ方を示しています。この語に対応する英語はvexであるため、ジーニアス英和大辞典でvex英語の《やや古》い使われ方も参考になると考えます。そこには、a〈人〉を〔人に/物・事について/…して/…ということで〕いらだたせる、やきもきさせる、怒らせる、b〈人〉を悩ませる、困らせる、苦しめる(distress);〈人〉を当惑させる、まごつかせる(puzzle)という意味が示されています。登場人物の支配人の心理は、腹立たしさ、いらだたしさ、という方向よりも、悩ましさ、当惑、といった方向に近いのでは、と読者の私は感じ取っています。

 

註2:Découvrir des rats dans l’ascenseur d’un hôtel honorable lui paraît inconceivable.

宮崎訳では、「れっきとしたホテルのエレベーターの中に鼠が発見されるなどと言うことは、彼には考えられぬことのように思われるのである。」

と素直に翻訳されています。名誉ある高級ホテルの支配人であるという誇りと責任感が、ネズミの出現で彼の心を大きく悩ませています。ここでは、望ましくない突然の事態の出現を、自分とのかかわりのある実際の事実であると受け入れたくない拒否的な様子が描かれているのではないでしょうか。

 

註3:nous sommes maintenant comme tout le monde.

宮崎訳では、「われわれも、今じゃ、世間みんなと同じなんです。」

この訳は原文と比較するとその通りであり、この支配人は、世間みんなと同様であってはならないと考えていることも伝わります。しかし、それでは彼が、なぜ自分のホテルが月並みであってはならないのか、というニュアンスが分かりづらくなります。彼の優越感や誇りが傷つけられている、その思いが読者に通じる必要があります。

 

註4:Mais sûrement, ce n’est pas contagieux, a-t-il précisé avec empressement.

<『しかし、もちろん、これは伝染性のものじゃありません』と、彼はとり急いで補足した。>支配人にはホテル管理上の重責が課されています。従業員の熱病の発生は、支配人の管理責任の一環である可能性があり、宿泊客に対する安全配慮義務も必然的に伴います。それと同時にホテルの信用を維持し、顧客を減らしたくないという、より優先的な思考が支配していて、彼にこのような根拠の乏しい断言をもたらしているように読み取れます。

 

註5:fataliste(宮崎訳では運命論者)

運命論者/宿命論者とは、運命論/宿命論(fatalisme)を支持する人です。そこで、ラルースのフランス語辞書で、この語の定義を検索してみました。

fatalisme

1. Doctrine qui considère tous les événements comme irrévocablement fixés à l'avance par une cause unique et surnaturelle.

すべての事象は、単一の超自然的な原因によってあらかじめ不可逆的に固定されていると見なす教義。

 

2. Attitude de quelqu'un qui s'abandonne passivement aux événements.

出来事に受動的に身をゆだねる人の態度

支配人が意味するfatalisteとは、2.の意味のようです。ただし、支配人の心理としては、出来事に受動的に身をゆだねるというよりは、自分には責任はない、という保身的な考え方のように読み取れます。もし、責任感のある人物が、保身のための宿命論者と同一視されたならば、きっぱりとそれを否定しておかなければならなくなるのではないかと考えます。