故郷(茨城)探訪

 

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茨城県には近年まで多くの鉱泉宿がありましたが、今やかなり閉鎖され名前の消えた鉱泉も多いことに気が付きました。大津港の関山温泉、日立の三京温泉、高萩の菊の湯、水戸の常陸の湯や成沢温泉もついにその歴史を閉じてしまいました。

 

ここ内原鉱泉湯泉荘は常磐線水戸駅から数えて上りの2つ目の内原駅から歩いて10分のところにある、純和風建築の二階建て風情ある温泉旅館です。

 

旧内原町三湯地区に古くから佇む木造旅館。当地に湧出する鉱泉を使用。鉱泉泉質は無色透明に近い単純泉系。当旅館は昭和初期の1920年代~1930年代築で耐震工事を基にしたリニュアル工事をして使用してきました。1984年(昭和59年)秋に経営引継にて現在の「湯泉荘」を設立しました。

浴槽は超音波龍紋石を使用。敷地内の日本庭園や木造建物が懐かしさを感じさせるという紹介文はなるほど、その通りといえます。

 

庭には池があり、また湯泉神社が鎮座しています。三湯(みゆ)地区という地名ならびに敷地の背後には茨城県神社庁が控えている立地からして、霊験あらたかな土地柄を感じさせます。しかし、「鉱泉」を名乗る以上、成分表は掲示してほしいところです。残念でありました。

 

気持ちを取り直して、改めてよく翌週に水戸に帰省しました。

2月27日は天気の良い日曜日でした。私は午前9時頃にJR常磐線赤塚駅から下り列車で水戸駅に向かうつもりでいたところ、途中の偕楽園臨時駅で停車することを知り、降車することにしました。

 

水戸出身であるにもかかわらず、この臨時駅を利用するのははじめてでした。

なお、上り列車はこの臨時駅を通過するため、この臨時駅は観梅のシーズン中に東京方面からの旅行・観光客の便宜に供するためであるということが言えるでしょう。 

 

偕楽園(かいらくえん)は、茨城県水戸市にある日本庭園であり、国の史跡及び名勝に指定されています。

指定名称は「常磐公園」ですが、これは偕楽園内にある常盤神社周辺を指すものと誤解している人もいるようです。

文化庁認定日本遺産“近世日本の教育遺産 ―学ぶ心・礼節の本源―”のストーリーを構成する水戸市内の文化財の一つでもあります。

 

常磐線の上下線の列車の車窓からは、偕楽園に隣接する千波湖周辺の拡張部を含めた広域公園の景色を楽しむことができます。

偕楽園の本園は約13haでしたが、茨城県は1999年(平成11年)、隣接する千波公園や桜川緑地などと合わせて広域公園として運営する構想を発表、面積の合計は300haとなりました。

現在は茨城県営の都市公園「水戸県立自然公園」として管理・運営されています。

ここまでの規模になると世界最大の都市公園と目される米国のニューヨーク市のセントラルパークの341haにほぼ匹敵するのですが、300haに留めておくのが水戸らしさです。

1図

 

 

早春であるためか、梅の花もまばらで、ここかしこにつぼみの膨らみが見られました。そのために観光客もまばらでしたが、気ままな散策にはうってつけでした。

 

私は偕楽園臨時駅から、常盤神社と公園の間の舗装道路を上り、表門から園に入場しました。

敢えて梅林ではなく竹林に入り、吐玉泉の近くを巻いて降っていきました。

この泉は飲泉可能であり、夏なお冷たく、玉のような澄んだ水をたゆまなく吐くことから命名されたそうです。

なお泉質が気になるところですが、いつか確認してみたいところです。

 

そうして梅の開花やつぼみのほころびを楽しみながら南向きの崖を下り、車窓から見慣れていた池に沿う園地に足を踏み入れ、茨城県立歴史館に向かいました。

あたかも欧州の郊外を歩いているかのような風情を楽しむことができました。そうして日本庭園である偕楽園の新たな側面を味わうことができた次第です。