アルベール・カミュ作 『ペスト』を読むNo15

 

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Après le déjeuner, Rieux relisait le télégramme de la maison de santé qui lui annonçait l’arrivée de sa femme, quand le téléphone se fit entendre. C’était un de ses anciens clients, employé de mairie, qui l’appelait. Il avait longtemps souffert d’un rétrécissement de l’aorte, et, comme il était pauvre, Rieux l’avait soigné gratuitement.

昼食の後、リューは妻が到着したことを知らせる療養所からの電報を読み返していると、電話が鳴るのが聞こえてきた。彼に電話をかけてきたのは、以前患者だった市役所職員であった。長い間、大動脈狭窄に悩まされていたが、貧乏だったのでリューが無料で治療を施していた男であった。

 

註:

un rétrécissement de l’aorteは、直訳すると「大動脈の狭窄」ということになります。実際には、弁膜症といって大動脈弁狭窄症を指している可能性があります。実際のモデルが存在していたのではないかと思われます。

 

動脈弁狭窄症とは、心臓の弁のひとつがきちんと開かず、心臓から全身に血液が送り出しにくくなってしまう病気です。進行すると、狭心痛や心不全などを起こします。また、安静時でも息切れの症状が現れ、最終的には突然死にいたることもあります。無症状の時期が長く続き、症状が現われるようになってからは、一般に予後が不良です。

 

この病気の原因として考えられるのは、当時の時代では溶血性連鎖球菌(溶連菌)による咽頭炎が引き起こされるリウマチ熱という全身性の自己免疫疾患の心臓弁膜合併症であった可能性が考えられます。

 

この物語の中で、貧乏だった男が若いころリュー医師の治療を受け、現在は受診していないということから、市役所職員のこの男性は、症状が不安定なリウマチ熱の急性期あるいは亜急性期にのみ受診していたらしい記述との整合性があります。

 

 

 

・・・・Oui, disait-il, vous vous soivenez de moi.
Mais il s’agit d’un autre. Venez vite, il est arrivé quelque chose chez mon voisin.

・・・・ 私です。それに気づいてくださったのですね、とその男は言うのであった。実は私ではなく別の人のことなのですが。急いで来てください、私のお隣さんに何かあったようなのです。

 

 

Sa voix s’essoufflait. Rieux pensa au concierge et décida qu’il le verrait ensuite. Quelques minutes plus tard, il franchissait la porte d’une maison basse de la rue Faidherbe, dans un quartier extérieur. Au milieu de l‘escalier frais et puant, il rencontra Joseph Grand,l’employé, qui descendait à sa rencontre. C’était un homme d’une cinquantaine d’années, à la moustache jaune, long et voûté, les épaules étroites et les members maigres.

その声は息切していた。リューは、管理人のことを考えていたが、そちらの往診は後回しにすると決めた。数分後、彼は周辺地区のフェデルブ通りにある軒の低い建物の門扉をくぐった。ひんやりとして悪臭がたちこめる階段の途中で、市職員のジョセフ・グランが彼を迎えに降りてくるのに出会った。彼は五十がらみの男で、長く垂れ下がった赤みがかった口ひげを生やし、肩幅が狭く、手足が細かった。

 

註:

1)Sa voix s’essoufflait.について、市役所職員のこの男性が、とてもショッキングな事件に遭遇して救命活動をし、リュー医師の助けを取り付ける場面で、「その声は息切していた。」としても不思議はないのですが、この男性は大動脈(弁)狭窄症という持病を抱えていることを思い出してイメージしていただきたい部分でもあります。この男性は、少なくとも軽度の心不全の状態であった可能性があるため、わずかな精神的・身体的ストレスによっても呼吸困難を来しやすい可能性があります。

 

2)la moustache jauneは、直訳すると「黄色い」口ひげということになります。宮崎嶺雄訳でもそのように訳されています。しかし、私は「赤みがかった」口ひげ、と訳すことにしました。それは、le cien jauneの直訳が黄色い犬ではあるが、いわゆる赤犬を指しているという例があるからです。色彩の感覚は言語や文化によって様々であるため、柔軟に訳し分ける工夫を施したいと思いました。

 

 

 

・・・Cela va mieux, dit-il en arrivant vers Rieux, mais j’ai cru qu’il y passait.
Il se mouchait. Au deuxième et dernier étage, sur la porte de gauche, Rieux lut, trace a la craie rouge: « Entrez, je suis pendu.»

「良くなってきました」と、リューの方にやって来ながら彼は言った。「しかし、もう逝ってしまったかと思いました」。彼は鼻をかんでいた。最上階となる三階の左側のドアに、「お入りなさい、私は首を吊っています」と記されている赤いチョークでの筆跡をリューは読んだ。

 

 

註:

初歩的なことですが、Au deuxième et dernier étageの箇所で、deuxième étageを直訳すると二階になりますが、実際には三階を意味するので、三階と訳しました。これに関しては、フランス語の入門書でも再三解説されています。

 

 

Ils entrèrent. La corde pendait de la suspension au-dessus d’une chaise renversée, la table poussée dans un coin. Mais elle pendait dans le vide.

二人で入っていった。ロープは倒れた椅子の上に吊るされ、テーブルは片隅に押し追いやられていた。しかし、そのロープには何も掛かってないまま垂れていた。
 

註:

Mais elle(=la corde)pendait dans le videの部分の訳について、宮崎嶺雄訳では、「しかし、その綱はただぶらんと宙に垂れていた」とされています。問題は、dans le videの解釈なのですが、「空っぽの空間の中に」という風にとるのか、それとも、綱には「何も掛かっていなかった」ことを表そうとしたものかが気になるところです。

 

宮崎訳では、その両方の意味を取り込んでいます。私は、「そのロープに人の首が掛かっているかもしれない、しかし、何も掛かってはいなかった」ということにアクセントを置いて訳した方が読者の理解に役立つと考えました。その場合、文頭の接続詞のMais(しかし)が、より効果的に働いてくるのではないでしょうか。

 

 

 

・・・Je l’ai décroché à temps, disait Grand qui semblait toujours chercher ses mots, bien qu’il parlât le langage le plus simple. Je sortais, justement, et j’ai entendu du bruit. Quand j’ai vu l’inscription, comment vous expliquer, j’ai cru à une farce. Mais il a poussé un gémissement drôle, et même sinisitre, on peut le dire.
 

Il se grattait la tête:
・・・À mon avis, l’opération dôit etre douloureuse.
Naturellement, je suis entré.

間一髪で外しましたと、グランは最も端的な話し方ながら、まだ言葉を探しているようであった。私が外出しようとしていた、ちょうどそのときに、物音がしたんです。あの書置きを見たときは、なんと説明したものか、悪ふざけなのかと思いました。ところが、彼は妙な呻き声をあげ、不気味にさえ感じられるくらいでした。
 

彼は頭を掻いた。
私が思うには、この作業をするのは辛いことに違いありません。
もちろん、私は入って行きましたよ。

 

 

註:

l’opération dôit etre douloureuse.の解釈について、宮崎訳では「こいつをやるときにはきっと苦しむんでしょうね。」としています。つまり、<縄で首つりをするのは苦しいに違いない>と解釈しているようです。しかし、そのように解釈してしまうと、その後の一文に繋がりにくくなります。

そこで、私は<首吊りをしている人を縄から降ろすという救助作業をするのは大変な作業になりそうだ>と、一瞬たじろぎたくなった市職員のグラン自身のことと理解しました。

すると、Naturellement, je suis entré. それでも、(もちろん、私は中に入って行きましたよ!)と、文頭のNaturellement(もちろん)の意味が活きてくることが感じ取れるのではないでしょうか。

カミュの文体において、文頭に置かれた接続詞(Maisなど)や副詞(Naturellementなど)は、一文全体の解釈や、前後の脈絡を繋げるうえで巧みに用いられていることを、今回は貴重な発見することができました。