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他県に比べ有力な観光地が少ない⁉

 

茨城県が雄大な自然景観を持っていないのは、土地が平坦で、山の高さが低く、海岸線の形状が単調なためです。

 

火山が少ないため温泉も豊かでなく、山の標高が低い一方で、平地がどこまでも続きます。そのため、山の裾野が海岸線に落ち込んでできあがるような美しい海岸線を作ることができません。

 

その例外が、福島県に接する五浦海岸です。10年前の東日本大地震がもたらした津波の影響で、岡倉天心が建立した六角堂が土台部分を残してすべて波にさらわれた、という報道を知って以来、随分気にはなっていました。

 

そこで10月22日(金)に福島県双葉の減容化施設の定期訪問の翌日に五浦を尋ねてみることにしました。

私の五浦訪問は、それが2度目で、初回は、小学校6年生の遠足だったと記憶しています。ちょうど半世を隔てて再訪した五浦は、記憶していた以上に美しい風景でした。

 

茨城県に人々を運ぶのは、常磐線の特急ひたちやときわ号です。

 

しかし、その車窓は、水戸まで海はほとんど見えず、平地の山林や田園や畑が広がるばかりです。

<はじめに>

 

前回は「むくみ」に効果のあるツボを紹介しました。

 

 

「少衝」は手の小指の爪の生え際の薬指側にあり、

 

 

「湧泉」は足の裏でかかとから指を滑らせて指が止まるところにあり、

 

 

「水分」は親指1本分おへその上にあるというお話でした。

 

 

今回は「貧血」に効果のある「陽池(ようち)」「太白(たいはく)」「血海(けっかい)」のツボを紹介しましょう。

 

 

 

<陽池>

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手の甲側で手首の横じわの中央よりやや小指側にあります。

 

 

 

<太白>

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土踏まずから親指に向かって骨に突き当たるところにあります。

 

 

 

<血海>

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膝のお皿の上、内側角にくすり指をおき指幅3本そろえて、人差し指があたっているところにあります。

 

 

 

杉並国際クリニック 統合医療部 漢方鍼灸医学科 鍼灸師 坂本光昭

 

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Près de la sortie, sur le quai de la gare, Rieux heurta M.Othon, le juge d’instruction, qui tenait son petit garcon par la main. Le docteur lui demanda s’il partait en voyage. M.Othon, long et noir, et qui ressemblait moitié à ce qu’on appelait autrefois un homme du monde, moitié à un croque-mort, répondit d’une voix aimable, mais brève:

 

出口寄りの駅のホームで、リューは幼い男の子の手を引いている予審判事のオトン氏とぶつかった。医者は彼に旅行にお出かけかなのか、と尋ねた。長身で黒髪、半ばはかつての時の人、半ばは死体引き取り人、といった如き風貌のオトン氏だが、愛想よく、しかし手短に答えた。

 

 

__ J’ attends Mme Othon qui est allée présenter ses respects à ma famille.

__私の実家にあいさつに出かけていた家内を待っているのです。

 

 

La locomotive siffla.

機関車が汽笛を鳴らした。

 

 

__ Les rats...,dit le juge.

ネズミ共が...と判事は言った。

 

 

Rieux eut un movement dans la direction du train, mais se retourna vers la sortie.

リューは、汽車の方に向かって移動しようとしたが、出口の方に引き返した。

 

 

__ Oui, dit-il, ce n’est rien.

いやあ、何でもないことです、と彼はいった。

 

 

Tout ce qu’il retint de ce moment fut le passage d’un homme d’équipe qui portait sous le bras une caisse pleine de rats morts.

その時のことで記憶に残っているのは、ネズミの死骸が詰められた木箱を小脇に抱えた乗組員が通り過ぎたということだけだった。

 

 

L’après-midi du même jour, au début de sa consultation, Rieux reçut un jeune homme don’t on lui dit qu’il était journaliste et qu’il était déjà venu le matin. Il s’appelait Raymond Rambert. Court de taille, les épaules épaisses, le visage décidé, les yeux claires et intelligents, Rambert portait des habits de coupe sportive et semblait à l’aise dans la vie. Il alla droit au but. Il enquêtait pour un grand journal de Paris sur le conditions de vie des Arabes et voulait des renseignements sur leur état sanitaire. Rieux lui dit que cet état n’était pas bon. Mais il voulait savoir, avant d’aller plus loin, si le journaliste pouvait dire la vérité.

同日の午後、リューの診察の始めは若い男性で、ジャーナリストと名乗り、すでに午前中から来ていた。彼の名前はレイモン・ランベール。小柄で、肩はがっしりとした肩、しっかりしとした顔立ち、澄んで聡明な瞳のランベールは、スポーティな服を着て、生活に余裕があるように見えた。彼は端的に切り出した。パリのとある大手新聞社のためにアラブ人の生活環境を調査しており、彼らの衛生状態についての情報が欲しいというのであった。リューは、その方面の状態は良くないと言った。しかし、それ以上の話に踏み込む前に、そのジャーナリストは真実を伝えることができるのかどうかを知りたく思うと言ったのであった。

 

 

__ Certes, dit l’autre.

もちろん、と相手は言うのであった。

 

 

__ Je veux dire: pouvez-vous porter condamnation totale?

私があなたに言わんとすることは、あなたが全くの確信をもって臨むことができるのですか、ということなのです。

 

 

__ Totale, non, il faut bien le dire. Mais je suppose que cette condamnation serait sans fondement.

全く、ではないのですが、伝えなければならないのです。しかし、その確信には根拠がないように思います。
 

 

Doucement, Rieux dit qu’en effet une pareille condamnation serait sans fondement, mais qu’en posant cette question, il cherchait seulement à savoir si le témoignage de Rambert pouvait ou non être sans reserves.

リューはゆっくりと、そのような確信は根拠のないことだろうと言ったのだが、この質問をすることで、ランベールの証言がしがらみのあるものなのかどうかを確かめたかっただけなのだ、と言った。

 

 

__  Je n’admets que les témoignages sans réserves. Je ne soutiendrai donc pas le vôtre de mes renseignements.

私はしがらみのない証言だけを認めるのです。ですから、私があなたに提供する私の証言を私は支持することはないでしょう。

 

 

__ C’ est le langage de Saint-Just, dit le journaliste en souriants.

これはまさにサン‐ジュストの言葉ですね、とジャーナリストは笑みを浮かべながら言うのであった。

 

 

Rieux dit sans élever le ton qu’il n’en savait rien, mais que c’était le langage d’un homme lassé du monde où il vivait, ayant poutant le goût de ses semblables et décidé à refuser,pour sa part, l’injusitice et les cocessions. Rambert, le cou dans les épaules, regardait le docteur.

リューは声の調子を上げることなく、自分はそのことは何も知らないが、自分の住む世界に飽き飽きしながらも、同胞たちには心を砕くが自分自身のために不正や強制を拒もうとした男の言葉だったのだと言うのであった。ランベールは首をすくめて、医者を見た。

 

 

__ Je crois que je vous comprends, dit-il enfin en se levant.

彼は最後に、立ち上がりながら、あなたのお考えがわかるような気がします、と言うのであった。

 

 

Le docteur l′accompagnait vers la porte:

医者は彼に付き添ってドアに向かった。

 

 

__ Je vous remercie de prendre les choses ainsi.

あなたがそんな風に受け止めてくださって、私もうれしく思います。

 

 

Rambert parut impatienté:

ランベールは気が急いているようだった。

 

 

__ Oui, dit-il, je comprends, pardonnez-moi ce derangement.

___はい、わかっています、お邪魔してすみませんでした、と彼は言うのであった。

 

 

Le docteur lui serra la main et lui dit qu’il y aurait un curieux reportage à faire sur la quantité de rats morts qu’on trouvait dans la ville en ce moment.

医者は彼の手を握り、今しがた街で発見された大量のネズミの死骸の件は話題の記事になることでしょう、と言った。

 

 

__ Ah!s’exclama Rambert, cela m’intéresse.

ランベールは、ああ、それには興味がそそられますね、と声をあげた。

 

 

註1:

Je n’admets que les témoignages sans réserves.宮崎嶺雄の訳では、「僕は留保のない証言しか認めないんです。」となっています。sans réservesを「留保のない」と訳しているわけです。réserve(s)には、「留保」という意味もありますが、「条件」と訳した方がわかりやすいかもしれません。

 

すなわち「条件のない=無条件の、無制約の=制約を受けていない=しがらみのない」と解釈するのはいかがでしょうか。

 

日本国憲法でも表現の自由とか報道の自由を保障していますが、各種メディアの報道の自由が濫用されることがある反面、権威の前では恣意的に自粛したり、権力に脅かされたり、スポンサーの意向を忖度したりすることがまかり通っています。私自身も可能であれば、しがらみのないニュースを聴いたり、記事を読んだりして日々の生活をおくってみたいものだと考えています。

 

註2:

Saint-Just宮崎嶺雄の訳注では(フランス革命当時の熱狂的な正義論者)とあります。

 


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東京へのこだわりN02:過去編<東京でしかできなかったこと>

 

東京でしかできないことを考えるより、東京でしかできなかったことを振り返ってみることの方が容易であることに気づきました。
 

東京でしかできなかったことというより、地元の水戸、しかも交通の便が芳しくない市のはずれの住人のままではできなかったことはたくさんありました。

 

水戸市とはいえ、バスで水戸駅に向かう時間と、水戸駅から特急で東京駅に向かう時間がどっこいどっこいだったのですから。

 

それでも中学校から高等学校までの6年間は、自転車で自宅から学校まで、聞く人とていない、折々の歌を歌いながら、山や谷を越えていったものでした。これで今に至るまでの私の足腰と喉は大いに鍛えられることになりました。

 

関東地方の県庁所在地で医学部がないのは、埼玉県の浦和市は別としても、栃木県宇都宮市と茨城県水戸市です。

 

埼玉県には国立防衛医科大学校と私立埼玉医科大学の2校があります。

 

栃木県にも自治医科大学と獨協医科大学の2校があります。これに対して茨城県には国立大学である筑波大学医学群(特殊な名称です)が1校のみです。

 

国立大学であれば入学のための財政事情が許されるのでが、水戸の自宅から通学するのは困難でありました。ですから、そもそも医学部に進学するには水戸の自宅を離れざるを得なかったということです。

 

もっとも私の亡父は、自宅から自転車でも通学可能な地元の茨城大学教育学部に進学し、小学校か中学校の教諭になって地域の基礎教育に貢献することを盛んにすすめてくれていました。

 

幸い医師となることができましたが、厳しい現実と理想とのギャップという矛盾の間で翻弄されるようになると、父の勧めてくれた人生行路も、それなりに充実した人生になっていたのではないかと思うことも、しばしばありました。

 

一方、地元の小学校の教諭であった私の叔父(亡父の末弟)は、60歳の停年を迎えて、退職した後、しばらくの間、目標喪失のためか鬱状態に陥っていたことが思い出されます。生徒から愛され、教室で子供と過ごすことに大きな生き甲斐を感じていた叔父は、生徒と共にある教壇を離れたがらず、そのため教頭にすらなろうとしなかった草の根教師でしたが、幸いに今も健在です。

 

かくいう私もすでに62歳を迎え、世間でいうところの定年を過ぎていることに気が付かされます。私の場合、立場上、公的な停年はないのですが、私的な定年は自分で決めることができるし、いずれ決めなくてはならないことになります。あらかじめ強制的に与えられている停年が良いか、自分の裁量と責任で決定すべき定年が良いか、一概には言えないと思います。いずれにしても、定年(停年)が、その人の人生において持つ意味は小さいものではなさそうです。

 

医師になってからも東京はすこぶる便利でした。研修医を過ごした虎の門病院は、レジデントクオーターといって病室を改造したような研修医宿舎(2人部屋)がありました。地方出身者として居住費がかからないということがとても有難かったことを思い出します。

 

医師になってからの自己研鑽の場として、東京は非常に有利であったと思います。学位取得のための通学(杉並区高円寺⇔文京区本郷)や複数の専門医等の資格取得および資格更新のための業績を確保することができたのも東京在住でなければ困難であったものと思われます。

 

開業医として勤務し、水氣道を続け、聖楽院の活動をしながら博士(医学)の学位を取得することなど無謀極まりないとまで意見されたこともありましたが、それはすべての活動圏が東京23区内であったことが、それを何とか可能としてくれました。そもそも、各種医学会は東京で開催される頻度が高いばかりではなく、地方の中核都市等で開催される各種の医学会に参加するにしても、東京からのアクセスは良好だからです。

 

私が水戸市在住を続けていたとしたら、上記のいずれも実現できなかったであろうことは想像に難くないといえます。

 

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厚生労働省は、
職場のメンタルヘルスに関するよくある質問と答えをまとめました

として、ホームページで、こころの健康に対してわかりやすいQ&Aを掲載しています。それに私が臨床の立場からCとしてコメントを加えてみました。

 

 

Q.

夫がうつ病で休職中です。小学生の子どもがいるのですが、仕事をしないで家でゴロゴロしている状況や、日によって優しかったりイライラしやすかったりする夫の様子が、子どもに悪い影響を与えているのではないかと心配です。何か気を付けた方がいいことはあるでしょうか?

 

 

A.

うつ病は、自分自身の感情をコントロールできず、思うように行動できなかったり、イライラしたりする病気です。

 

症状の改善のためには、自宅でゆっくり過ごすことが必要で、見守ってくれる家族の存在はとても大きな意味があります。「ご家族にできること」を参考に、お子様と共に、病気への理解を深めて温かく見守っていただくのが理想です。

 

ただし、うつ病の方と一緒にいることで、ご家族自身の負担も大きくなりますので、ご自身やお子様の感情にきちんと向き合うことも必要かもしれません。時にはご主人と距離を置く時間を設けたり、誰かに相談したりすることも検討しましょう。

 

身近に相談相手がいなければ、お住まいの地域の「精神保健福祉センター」にご相談いただくことも一つです。「精神保健福祉センター」では、こころの健康やこころの病気について電話や面談で相談ができ、ご家族からの相談にも対応しています。

 

 

C.

家族の一人がうつ病になると、他の家族も抑うつ傾向になることはしばしば発生します。
 

特にもっとも身近な夫婦間においては、いささか深刻な問題になりがちであるため、回答者も慎重に対応しなければならないと思います。

 

夫がうつ病であるために妻の不安が大きくなることは誰もが理解できることでしょう。

 

父親の精神状態や行動パターンが不安定な場合は、たしかに、子供たちも不安になりがちではあることでしょう。また母親として「子どもに悪い影響を与えているのではないか」と心配するのは、ごく自然なことです。

 

しかし、実際に明らかな悪影響が表れているのであれば「子どもに悪い影響を与えているのではないか」といぶかることはないはずです。

 

実際に両親が子どもに及ぼす影響の程度は千差万別です。たとえ父親の精神状態が不安定であっても、母親が普段通りに接していれば子どもたちにとってはどれだけ救いとなることでしょうか。
 

ですから、「何か気をつけることがあるでしょうか?」とたずねられたら、私であれば

 

1) 夫がうつ病であるため、自分は不安であるという気持ちはそのまま受け止めておくこと。

 

2)その不安な気持ちを子どもたちに投影させていないかを振り返ってみる心の余裕はを保つこと。

 

3) 子どもたちに対しては、なるべく今まで通りの母親として接すること。

 

4) その場合、立派な母親として振る舞う必要はなく、不安を抱えたままのありのままの母親として自然に接すること。

 

5) そのうえで、自らの楽しみを見失わず、また必要に応じてカウンセリングを受けたり、公的なサービス等を積極的に外部資源を活用すること。

 

以上のようにお答えすることになるのではないかと思います。

 

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専門性の原則とは、スポーツトレーニングにおける理論上の概念です。

簡単に言えば、現代において高度の競技成績を達成するためには、スポーツトレーニングを専門化する必要があるという原則です。

 

専門化とは何かということについては、ひとまず脇に置いておいて、そもそも専門性の原則にのっとって専門化したトレーニングをすることの目的や期待できる効果とは、どのようなものかについて先に紹介します。

 

専門化したトレーニングによって個々のスポーツの種目の特異性に関連した形態的および機能的変化が引き出し易くなります。つまり、種目に固有の技術、戦術、心理的特徴を獲得し易くなるということです。

 

なお、競技レベルの向上に伴いトレーニングの全体量が増える傾向にあるばかりでなく、増加した全体量に占める専門的トレーニング自体の割合も増加していきます。これは水氣道においても同様のことが言えます。なぜならば、水氣道の稽古を継続し、技術が向上するにつれて、稽古全体において専門的稽古の比率は加速度的に増加することになるからです。


さて、人類の普遍的な営みとして、世界各地で様々なスポーツ活動や競技活動がありますが、それぞれの運動様式や評価尺度や目的は多様性に富んでいます。

 

そのため、個々のスポーツなり競技には、それぞれに固有な特徴があります。他とは異なる特徴のある運動ほど、身体的あるいは精神的な負荷も固有な性質を帯びてきます。

 

つまり、トレーニングの内容もそれにともなって、より専門的になっていくのです。このことが、専門性の原則を理解する上で大切な事実的背景となるのです。

 

専門的なトレーニングと対比できるのが一般的トレーニングです。多くのスポーツ種目の間で共通して要求される基礎的な訓練であるほど、より一般的なトレーニングになります。

 

専門的トレーニングの実際も、スポーツにおける筋力トレーニングの理論にしたがって対象とする運動群に着目して説明することが可能です。

 

これには大きく分けて3段階があります。

 

 

 第1段階(関節可動性レベル):
  

身体のあらゆる動きは骨格筋が原動力となり、運動力学的には筋肉が関節を跨いで骨と付着する起始と停止という2カ所の間の距離の変化によって起こります。身体の目的とする各関節に着目して、関節可動域を確保するための運動群をプログラムする
  

(これは水氣道に特有の専門的なトレーニングであって、各種の航法がデザインされています。イキイキ体操、五航法など)

 

 

 第2段階(動きの全体レベル):

 

動き全体がそのスポーツに類似した運動群をプログラムする
(ボート競技のためのローイング用のエルゴメーター、親水航法、のびのび体操、ヨガの動作になぞらえた理気航法・太極航法、クラシックバレーの動作になぞらえた舞踊航法、空手や弓道の動作になぞらえた水拳航法など)。

 

 

 第3段階(動きの要素レベル):

 

1つのまとまりを持ったそのスポーツの動きの中から一部分だけを取り出した運動群をプログラムする

(単独あるいは複数の筋群を活性化させる筋力トレーニング、調血航法、 活水航法、経絡航法など)

 

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骨粗鬆症の予防と効果的な治療の指針となる骨代謝マーカーについて(入門編)

 

令和3年は、新型コロナ感染症対策の盲点となった、感染症対策そのものによってもたららされるビタミンD低下⇒骨量低下⇒骨粗鬆症、およびビタミンD欠乏による自然免疫力低下について警鐘を鳴らし続けてきました。そこで、骨粗鬆症に対する皆様の関心が、女性ばかりでなく男性においても、以前に増して高まってきているのを実感しています。

 

そこで、今月は、「骨粗鬆症」を理解し、診断や治療選択において、ますます重要性が認められてきている骨代謝マーカーについて、3段階(入門編⇒基礎編⇒発展篇)にわけてQ&A形式で解説することにしました。各編とも5つのQ&Aで解説します。杉並国際クリニックにおける令和4年の診療内容の理解の助けとしてご活用いただければ幸いです。

 

ところが、年齢とともに体の持っている再生能力が衰えると、骨を「つくる」能力が低下してしまいます。すると、「壊す」働きの方が強くなってしまうので、骨密度が低下します。また、女性ホルモンのエストロゲンには、骨を壊す破骨細胞の働きを抑制する作用がありますが、女性の場合、閉経後にエストロゲンの分泌が落ちるので骨密度が低下します。このように骨密度が低下することで生じるのが骨粗しょう症です。

 

 

 

Q1.そもそも丈夫な骨とはどのような骨なのですか?

 

A1.丈夫な骨とは骨組織の強さを意味します。骨組織の強さ、すなわち骨強度は1)骨密度と2)骨質の2つの要因によって規定されています。

 

骨の強さを決めるのは「骨密度が7に対し骨質が3」とされています。同じ骨密度の人では、年齢が高い人ほど骨折する人が多くなります。このことからも、骨折しやすくなるのには骨密度の低下と骨質の劣化の両方が関わっていることがわかります。骨密度が高いから骨折の危険性はないとは言い切れないのです。

 

まず1)骨密度を維持するためには骨のリモデリングが起こっている部位で骨吸収と骨形成の量が等しくならなければなりません。(骨のリモデリングについては、Q3をお読みください)

 

しかしながら、加齢や閉経、すなわちエストロゲンの欠乏などによって破骨細胞による骨吸収が骨芽細胞による骨形成を上回るようになってしまうと、最終的には骨密度が低下して骨粗鬆症となってしまいます。

 

次に2)骨質という要因です。骨の質が悪いと骨は弱くなり、たとえ骨密度がそれほど減っていなくても骨折する危険性が高まります。骨質は年とともに低下しますが、食事や運動不足などの生活習慣も深く関わっています。骨を強くするためには、骨の質を高める生活を心がけることが大切です。
 

骨粗しょう症になって骨が弱くなると、骨折する危険性が高まります。ところが、同じ骨密度であっても、骨折する人もいればしない人もいます。また、骨密度が低下していないのに、骨折する人もいます。このことから、骨の強さには骨密度だけではなく、骨の性質を示す「骨質」が関係していると考えられるようになりました。
そうして「壊す」と「つくる」という骨代謝のバランスがとれているときは骨量が一定で、骨の強度を保つことができます。

 

 

Q2.骨質についてもう少し詳しく説明してください。

 

A2.骨の質の衰えに大きく関係すると考えられているのが、コラーゲンの劣化です。
 

骨はコラーゲンというたんぱく質が束になってコラーゲン線維となり、ビルにたとえると鉄筋部分の役割をしています。コラーゲンは骨以外にもアキレス腱や、膝のお皿を動かす膝蓋腱(しつがいけん)のほとんどを作っていて、非常に力強い性質を持っています。骨はこの強靭なコラーゲンが柱を形成し、そのまわりにカルシウムなどのミネラルがコンクリートのようにはりついた構造をしています。
 

強い骨になるには、コラーゲンにミネラルが均一に沈着する必要があります。そのためには、コラーゲンがきれいに並んで揃った状態になっていなければいけません。しかし、コラーゲンの量や質が変化すると、きれいな束にならず、ミネラルが均一に沈着しにくくなります。つまり、骨量を示すカルシウムなどのミネラルがいくら十分であっても、柱となるコラーゲンの質が悪ければ、強い骨を作れなくなってしまうのです。
 

コラーゲンは、30~40歳代をピークに年とともに減少します。コラーゲンがそのものが作られるためにはビタミンCが不可欠です。その他、ビタミンK、ビタミンD、葉酸などが不足することでも骨量の減少だけでなく骨質の劣化が起こります。これらは骨の質を良い状態に保つのに大切な成分です。不足してコラーゲンの劣化が起こると、骨に大変小さなひびができます。これを「微細構造の変化」といい、骨折を招きやすくします。
 

コラーゲンは骨だけではなく、筋肉や関節をつなぐ靭帯などにも含まれています。そのため、減少すると体がスムーズに動くのに影響を及ぼして、転倒のリスクも高めてしまいます。このようにコラーゲンは骨の質だけではなく、転倒のリスクにも関わり、骨折の危険性をさらに高めることになるのです。

 

 

 

Q3. 骨のリモデリングとは何ですか?

 

A3. 人間の体の中には、古い骨は破骨細胞という細胞によって吸収され、さらに骨が吸収された部位には骨芽細胞によって新しい骨が形成される、そういった新陳代謝の生体現象が起こっています。この骨の新陳代謝を骨リモデリングといいます。
 

つまり、古くなった骨を破骨細胞が壊し、骨芽細胞が新しい骨をつくる、という骨代謝を繰り返しています。言い換えれば、骨は一度作られたらそれで終わりというわけではないということです。このことは、実に多くの皆さんが誤解されているようです。とくに顕著な誤解は、<老化によって衰えた骨は若返らない>という思い込みです。杉並国際クリニックで実施している骨量検査(保険診療にて、概ね半年に一回測定しています)では骨年齢を算出していますが、80歳を超える女性でも骨年齢の若返りが観察され、これまでの常識が覆されつつあります。こうした方々の骨代謝の変化について今後追跡を続けていく意義は大きいと考えます。
 

この骨代謝の状態を血液や尿を用いて生化学的なマーカーで評価することができます。それが骨代謝マーカーです。(骨代謝マーカーについてはQ3をお読みください)

 

 

 

Q4.骨代謝マーカーとはどのようなものなのでしょうか?

 

A4.骨代謝マーカーとは、骨代謝の状態を評価するために血液や尿を測定する方法の一つです。骨代謝マーカーは、骨吸収の状態を評価できる骨吸収マーカーというものと、骨形成の状態を評価できる骨形成マーカーというものがあります。さらには、骨マトリックス関連マーカーといわれるものもあります。  

 

骨吸収マーカーには検体の違いによって、血清マーカーと 尿中マーカーという区別の仕方があります。

 

骨形成はわかりやすいですが、骨吸収はわかりづらいのではないでしょうか。そこで、骨吸収という言葉について説明します。私自身は医学生の頃から、骨吸収という言葉に違和感を覚え続けてきました。なぜかと言いますと、まず第一に、骨が吸収するのか、骨が吸収されるのか、という区別がつきにくい表現だからです。そこで骨吸収とは、骨組織の吸収である、と説明されてはじめて、骨組織が吸収するのではなく、何かに吸収されてしまうことであることがおぼろげながらにイメージできることでしょう。それでも骨は何に吸収されるのかも不明であるためピンと来ませんでした。

 

骨吸収とは、<破骨細胞が骨の組織を分解してミネラルを放出し、骨組織から血液にカルシウムが移動するプロセスである>ことを説明されてはじめて何とか理解できます。簡単に言えば、骨組織が分解されて血液に吸収されてしまうことなのです。
骨の吸収に関与するそこで主役となるのが破骨細胞であり、これは多数のミトコンドリアとリソソームを含む多核細胞です。破骨細胞は通常、骨膜のすぐ下の骨の外層に存在します。新陳代謝の一環として骨が破骨細胞に分解され、カルシウム・コラーゲンなどが血液に吸収されることが骨吸収ということになります。

 

 

 

Q5.骨代謝マーカーには、具体的にどのようなものがあるのでしょうか?

 

A5.血清の骨吸収マーカーの中にはⅠ型コラーゲン架橋N テロペプチド(NTX)の他に、Ⅰ型コラーゲン架橋Cテロペプチド(CTX)、酒石酸抵抗性酸ホスファターゼ-5b分画(TRACP5b)といったものがあります。  

 

また、尿中の骨吸収マーカーでは NTX、CTXのほかに、デオキシピリ ジノリン(DPD)というものの測定が可能です。

 

一方で骨形成マーカーに関しては、骨型アルカリホスファターゼ(BAP) や、あるいは最近ではⅠ型プロコラーゲンNプロペプチド(P1NP)といったものがあります。  

 

杉並国際クリニックでは、骨吸収マーカーとしてNTX,骨形成マーカーとしてBAPを採用しています。これらはいずれも血清マーカーとして採血検査で実施しています。

 


臨床産業医オフィス

<高円寺南労働衛生コンサルタント事務所>

産業医・労働衛生コンサルタント・第一種作業環境測定士・衛生工学衛生管理者

飯嶋正広

 

 

いろいろな産業医面談

個人面談のための事前ガイダンス資料(その1)

 

企業の嘱託産業医をお引き受けすると、産業医として企業に定期訪問するだけでなく、スポットでの相談に乗らなくてはならない事例が発生します。その多くは、いわゆる総合臨床専門医としての相談です。広くかつ深い臨床経験がなければ、企業から信頼される産業医として活躍を続けることは、ますます難しくなっていくことでしょう。

 

今回から、実際のやりとりを紹介します。特定の企業名や個人名を伏せる形でご紹介いたします。

 

 

はじめまして。

私は御社の嘱託産業医の飯嶋正広と申します。

 

本日、御社の担当者様を通して、11月X日にあなたのための面談を担当させていただくことになりました。       

 

私は、日頃、以下のような、あなたと同様の「お悩み」のご相談に対応することがしばしばあります。

 

<手術後の傷の痛み、突っ張り感や傷痕内部のうずくような痛みに悩まされている。>

 

こうした相談には、以下の5つのステップのアドバイスが役に立つことが多いです。簡単にまとめてみましたが、軽く読み流しておいていただくだけでも十分です。面談に先立つ事前の準備のために少しでもご参考になれば幸いです。

 

 

ステップ1

【焦りや混乱状態から脱却しましょう!】

 

手術をした後、しばらくたっても痛みがとれないという患者さんがいます。それを医者に話すと、「手術は成功したし、もう悪いところはない。傷がいえれば痛みも減りますよ」とか、「多少痛みは残ることもあるが、一年もすれば消えますよ」と言われることがありがちです。

 

痛みは主観的なものなのです。そのため、周囲の人にはわかりにくいことがあります。また痛みに伴うつらさは、なかなか人に伝わりにくいともいえます。その理由は、痛みは個人差があり、客観的には判断しにくいものなので、医師などの医療者、家族などに伝わりにくくなりがちだからです。そのため、医師など医療者が判断している痛みによるつらさと、患者さんが感じる痛みによるつらさに隔たりが出ることもあります。

 

しかし、そこで焦ってしまうと混乱や不毛な医療不信に陥ってしまうので気を付けましょう。そうならないための方策を伝授いたします。

 

 

 

ステップ2

【自分の痛みの状況を知りましょう!】

 

焦りや混乱に陥らないようにするために、まず、痛みについて冷静に振り返って整理してみましょう。自分の痛みの性質や特徴について整理できていないと、素人の他人だけでなく、専門の医師の理解や共感を得ることも難しくなるからです。そこで自分の痛みについての整理の仕方のコツをご紹介いたします。

 


痛みを整理してみましょう!

 

(1)どのような時に痛みが出てくるのか、あるいは強くなるのか

例)歩いているとき、動き始めるとき、からだの向きで、からだをひねったとき、重いものを持ったとき、雨の日や湿気の多い時期、下着などで傷跡周辺がこすれたときなど

 

(2)どのあたりが痛むのか

具体例)創(きず)跡全体、創(きず)の左側の奥の方、など

 

(3)どのくらい痛むのか

具体例)数字で表してみる

0-10の数字で表す(0: 全く痛くない.........10: 耐えられないくらい痛い)一日のうち、時刻による変化を数字で表してみる

 

(4)どのように痛いのか

具体例)きりきり痛い、ズキンズキンする、時々ピリッと電気が走るよう、など(動作に伴って痛むときは、体を右にひねったとき、かがんだとき、なども伝える)

 

(5)痛み止めを使っていればその効果はあるか

具体例)

・痛み止めをのむと、1時間くらいでいったん楽になるけれど、6時間くらいでまた痛くなる

・痛み止めを飲んでも、痛くて夜に眠れないときがある

・痛みのために、気分がふさぎがちになったり、イライラしたりすることがある

 

茨城に人気がない理由(その1)

 

日本の近代化が災いしている可能性⁉

 

高名な観光地が少ない背景は、地底の火山活動が活発ではなく、山が低く、海岸線が平凡で、顕著で卓越した温泉が少ないことが挙げられます。茨城県には、ポスターで人目を引くような温泉や絵になりやすい自然景観が少ないことが指摘されることがあります。

 

茨城県の山で1000mを超えるのは、唯一八溝山(やみぞさん)標高1,021.8mのみです。茨城県最高峰の山ですが、茨城県と福島県の県境にある山であるため、茨城県独自の山ではないということになります。

 

茨城の山で古くから名山とされてきたのが筑波山ですが、この山は900mにも達しないのですが、日本100名山にリストされています。標高だけで名山が決まるのもおかしな話なので当然といえば当然ですが、例外的なノミネートであることもまた確かなことです。

 

以下に、800mを超える茨城の山々を一覧にしましたが、筑波山を除いて、すべて県北に位置していますが、残念ながら、私自身を含めて、それらの山を知っている水戸市以南の茨城県人は限られているのではないかと推測します。
 

筑波山が古来からの名山であり、現代では、筑波大学をはじめ筑波研究学園都市が大いに発展し、「日本の東大、世界の筑波」と一部で気勢をあげて、「つくば」の名が世界中に轟きわたっているほどには、筑波山の魅力や評判が回復していないのはなぜでしょうか。
 

私は、その原因は、日本の近代化にあると考えています。近代化に伴う都市建設によって、建物が高層化し、乱立するようになりました。私が杉並区内に転入するまで住んでいた本駒込の最寄りには文士村の名を残す田端でした。

 

かつては、田端の高台から北西の方角に筑波山を望むことができたそうです。芥川龍之介や板谷波山らも、この筑波山の遠望を楽しんでいたに違いありません。

 

明治後期から昭和中期にかけて活動した日本の陶芸家で、日本の近代陶芸の開拓者であり、陶芸家としては初の文化勲章受章者である「波山」の名はは故郷の名山である「筑波山」に因むことが知られています。

 

関東平野の中の独立峰である筑波山は、遥か遠方に住まう多くの人々や、旅人にとって、掛け替えのない日常の風景の要素であり、天然のランドマークであり、道標であったことでしょう。

 

 

【高笹山】
0921m
久慈郡大子町大字上野宮

 

【栄蔵室】
0881m
北茨城市関本町小川

 

【筑波山】
0877m
つくば市筑波

 

【和尚山】
0804m
北茨城市関本町小川

<線維筋痛症 JFIQの経過報告>

 (図1)

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JFIQは線維筋痛症の経過観察に欠かせない指標です。

 

最高点が100点で、20点未満が正常値になります。

 

 

 (図1)は左側が初期時の点数、右側が現在の点数でその2点を結んだものです。

 

 

 

 図2)

スクリーンショット 2021-12-02 16.38.38

 

(図2)は線維筋痛症の治療効果の割合を表したものです。

 

 

 50以上点数が下がると「著効」です。

 

 

 20以上50未満点数が下がると「有効」です。

 

 

 20未満の点数の低下は「無効」の判定となります。

 

 

 

<今回の考察>

 

正規性の検定で初期値、現在値共に正規性がありました。

 

 

その後、関連2群の検定と推定を行いました。

 

 

1)統計的にみて、JFIQスコアが有意に改善したことが証明されました。P(危険率)=0.001%でした(図1)

 

pが0.05以下であれば統計学的優位である。

 

pが0.01以下であれば統計学的に極めて優位である。

 

 

2)JFIQスコアの判定基準として、20点以上改善されると治療が有効、50点以上改善されると著効となります。

 

  今回、 10名の平均で    31.4点改善していたため、全体として鍼治療は  有効であったと言えます。

 

個別でみると、著効1名(10%)、有効6名(60%)、無効3名(30%)でした。(図2)

 

 

 

杉並国際クリニック 統合医療部 漢方鍼灸医学科 鍼灸師 坂本光昭