『聖楽院』便り:東京へのこだわりN03:将来編<東京でしかできないであろうこと>

 

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医療以外では、たとえばクラシック声楽のレッスンを受けるためには東京在住は好都合でした。そのために英語以外の外国語(ドイツ語、イタリア語、フランス語、スペイン語など)にも親しむことができ、各国語のスクールも至近距離にありました。

 

診療においてもこうしたバックグラウンドが外国語診療を可能としてくれたのです。今にして思えば、外国人の患者さんは、すべからく私の語学教師でした。いまでも外国人診療は個人レッスンのようなものでもあります。

 

今後私が声楽の修行を深めていくうえで大切なのは、声楽の師よりもむしろ優秀な伴奏ピアニストです。

 

地方にも優秀なピアノ演奏家はいますが、演奏家としての能力と伴奏家としての能力は必ずしも一致しません。

 

自分の表現を極めようとする声楽家は、ある意味で伴奏ピアニストを育て上げるくらいでなければならないのです。それを地方で一からやり直すのはとても骨が折れることですし、人生の時間切れが目に迫ってくるようでもあります。

 

外国語診療は東京でなくとも続けていくことはできるでしょうが、地方都市に転出するとすれば、おそらくは、特定の他の言語(たとえば、ポルトガル語やタガログ語など)に習熟する必要があるでしょう。しかし、近似性のある欧州の言語以外の外国語を新たに習得することは至難の業であるし、実用レベルには届かないことでしょう。

 

ただし、今後、東京でしかできないことを改めて考えてみると、殊の外限られてくることに気が付きました。

 

大規模な事業であるとか、大きな発信力や影響力を発揮させたいとか、そうした志を持っている様な方であれば、確かに、日本において東京は唯一無二の拠点たり得るかもしれません。その方の人生のスケールによっては、日本には収まりきらずに、たとえば米国、とりわけニューヨークを目指すこともあるでしょう。

 

私自身の医学生時代を振り返ってみると、研修医を終えて研究生活に入り、適当な時期に米国留学をすることを何となく漠然とではありますが想定していた時期がありました。実際にはどうだったかというと、ずっと東京暮らしだったわけです。平成元年に開業してしまってから気が付いたのは、今更、留学はできない身の上になってしまったということでした。

 

私は今に至るまで米国の地を踏んだことはありません。米国で開催される内科学会やそれに付随する研修会に参加することを考えていた時期もありましたが、それでさえも、世界的なコロナ禍に見舞われて、意欲が薄らいできました。思えば良い時期にオセアニア(オーストラリア、ニュージーランド)、中国(上海、杭州)、ベトナム(ホーチミン市その他南部地域)、欧州(ドイツ、オーストリア、リトアニア、フランス、イタリア)などを旅行できたものでした。

 

しかし、今後は島国で個人鎖国を続ける住民でいたいと思うようになりました。日本を愛し、日本人を必要とする人々に対しては、誠実に親切にお付き合いさせていただき、平和共存できるように心がけるのみです。