アルベール・カミュ作 『ペスト』を読むNo9

 

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__ Hein, docteur, dit-il pendant la piqure, ils sortent, vous avez vu?

__ やあ、先生。連中が出きたのを見ましたかい?と注射を打たれながら彼は言うのであった。

 

 

__ Oui, dit la femme, le voisin en a ramassé trois. Le vieux se frottait les mains.

__そうなんですよ、お隣では3匹見つけたのよ、とその妻が言うのであった。老人は手をこすり合わせていた。

 

 

__Ils sortent, on en voit dans toutes les poubelles, c’est la faim!

ネズミどもが出てきて、どのゴミ箱にも入っているのを見るにつけても、こいつは飢饉ですな。
  

 

Rieux n’eut pas de peine à constater ensuite que tout le quartier parlait des rats. Ses visites terminées, il revint chez lui.
その後、リューは、近所中がネズミの話題で持ちきりになっていることを労せずに気づいた。往診が済むと家に戻った。
 

 

__ Il y a un télégramme pour vous là-haut, dit M.Michel.
お宅の電報が上の階に届いていますよ、とミシェル氏が言うのであった。
 

 

Le docteur lui demanda s’il avait vu de nouveaux rats.
医者は彼に、ネズミを新たに見たかと尋ねた。

 

 

__ Ah! Non, dit le concierge, je fait le guet, vous comprenez. Et ces cochons-là n’osent pas.

__ とんでもない、私が警備しているんで、わざわざネズミ共が出てくる幕はありませんよ、と管理人は言うのであった。

 

 

Le télégramme avertissait Rieux de l’arrivée de sa mère pour le lendemain. Elle venait s’occuper de la maison de son fils, en l’absence de la malade. Quand le docteur entra chez lui, la garde était déjà là. Rieux vit sa femme debout, en tailleur, avec les couleurs du fard. Il lui sourit:

__ C’est bien, dit-il, très bien.

電報には、彼の母が翌日到着することが記されていた。病気の妻が不在となる息子の家の世話をしに彼女は来るのであった。医師が家に入ると、付添婦がすでにいた。リューは、妻がスーツ姿で化粧をして立っているのを見た。彼は彼女に微笑みかけて

__いいよ、とてもいいよ、と言うのであった。
 

 

Un moment après, a la gare, il l’installait dans le wagon-lit. Elle regardait le compartiment.

しばらくして、彼女を駅で寝台車に乗せた。彼女は客室を見ていた。

 

 

__ C’est trop cher pour nous, n’est-ce pas?
私たちには贅沢すぎるのではないかしら?

 

 

__ Il le faut, dit Rieux.

必要だよ、とリューは言うのであった。

 

 

__Qu’est-ce que c’est que cette histoire de rats?

ネズミの一件はどうなっているの?

 

 

__ Je ne sais pas. C’est bizarre, mais cela passera.

わからないね。奇妙な話だが、それは片が付いていくことだろう。

 

 

Puis il lui dit très vite qu’il lui demandait pardon, il aurait du veiller sur elle et il l’avait beaucoup négligée. Elle secourait la tête, comme pour lui signifier de se taire. Mais il ajouta:

それから、彼は、ひどく急き立てられるように彼女に詫びて言うのであった。彼女に気を付けてやるべきだったこと、ずいぶんと放っておいてしまったことを赦してほしい、と。彼女は、そんなことは言わないで、とばかりに首を振っていた。 しかし、彼はこう付け加えた。

 

 

__ Tout ira mieux quand tu reviendras. Nous recommencerons.

きみが戻ってきたら、すべてが良くなる。また、やり直そう。

 

 

__ Oui, dit-elle, les yeux brillants, nous recommenceron.

彼女は目を輝かせて「そうね、また、やり直しましょう」と言うのであった。
 

 

Un moment après, elle lui tournait le dos et regardait à travers la vitre. Sur le quai, les gens pressaient et se heurtaient. Le chuintement de la locomotive arrivait jusqu’à eux. Il appeal sa femme par son prénom et, quand elle se retourna, il vit que son visage était couvert de larmes.

しばらくして、彼女は彼に背を向けて車窓の外をながめていた。ホームでは、急ぎ足の人々がぶつかり合っていた。機関車の蒸気の音が彼らのところまで聞こえてきた。彼は妻を呼ぶと、妻は振り向いたが、その顔は涙で溢れていた。
 

 

__ Non, dit-il doucement.

だめだよ、彼は優しく言うのであった。

 

 

Sous les larmes, le sourrire revint, un peu crispé. Elle respira profondément:

涙の翳には、ややこわばり加減ではあったが、笑顔が戻っていた。彼女は息を深くついだ。

 

 

__  Va-t’en, tout ira bien.

行っておいで、まったく大丈夫だから。

 

 

Il la serra contre lui, et sur le quai maintenant, de l’autre côté de la vitre, il ne voyaite plus que son sourire.

彼は彼女を抱きしめ、そして今はプラットフォームで、彼女のいる車窓の外側から、ただ彼女の笑顔を見るばかりであった。

 

 

__ Je t’en prie, dit-il, veille sur toi.

くれぐれも体を大事に、と彼は言うのであった。

 

 

Mais elle ne pouvait pas l’entendre.
しかし、その声は彼女には届かなかった。

 

註:

Quand le docteur entra chez lui, la garde était déjà là.というところのla gardeの訳に関して、宮崎嶺雄の訳では、「看護婦」となっているのが気になりました。

 

翻訳初版の昭和44年には看護師という言葉はまだ誕生していなかったにしても、看護婦と訳すのが許されるとすれば、原文はl‘infirmièreでなくてはならないと思うからです。

 

la gardeは「付添婦」などと訳すのが適切ではないかと考えます。<医師であるリューが家に入ると看護婦がいた>のであれば、リュー医師は妻のために付き添いの看護師を雇えるほど経済的に豊かな開業医ということになりますが、いかがでしょうか?

 

それほどに豊かな開業医の妻が「寝台車」で出発する際に C’est trop cher pour nous, n’est-ce pas?(私たちには贅沢過ぎるのではないかしら?)などと言うのは不自然です。このあたりのニュアンスを

 

宮崎嶺雄先生はどのように受け止めておられたのかについて、ご存命であれば直接うかがってみたいものです。

 

杉並区の内科の開業医で看護師を雇えているのは3分の1程度だという話をきいたことがあります。

 

世間様の勝手なイメージやマスコミに操作されてきたイメージとは異なり、現在の日本においてさえも、平均的な開業医は、得てしてつましいのが実態なのではないでしょうか。

 

それにしても、駅での別れのシーンは映画の中の恋人同士と相場が決まっていそうなものです。それにもまして、夫婦の一時的な別れを、これほどまでに繊細に、印象的に活字で描くことができるカミュは、やはり文豪の名にふさわしい表現者であるといえるでしょう。