先週の<令和4年の声楽コンクール参加計画No1>

 

では、年明けから参加するコンクール予定のリストを公表いたしました。

 

予選は自由曲で音源審査がほとんどであるため、当クリニックの診療業務に影響を及ぼすことなく参加できることについてご報告しました。

 

今回は、各コンクールの予選(一次予選・二次予選)、本選のためにこれまで準備している歌曲・オペラアリアの一覧を御披露することにしました。

 

実際には、経験者の意見を参考にして絞り込んでいく予定です。

 

 

<予選用自由曲候補リスト>各コンクール共通

◎トスティ歌曲集から5曲

 理想の女(Ideale)

 暁は光から(L’alba separa dalla luce l’ombra)

 セレナータ(Serenata)

 最後の歌(L‘ultima canzone)

 夢(Sogno)

 

◎チマーラ歌曲集から3曲

 郷愁(Nostalgia)

 海辺の光景(Visione marina)

 海の詩<海のストロネッロ>(Stornellata marinata)

 

<本選用自由曲候補リスト>

◎プーッチーニのオペラ・アリア集から4曲

 誰も寝てはならぬ(Nessun dorma)

オペラ『トゥーランドット』第3幕より

 

 妙なる調和(Le condita armonia)

 

オペラ『トスカ』第1幕より

 星は光りぬ(E lucevan le stelle)

 

オペラ『トスカ』第3幕より

 冷たき手を(Che gelida manina)

 

オペラ『ラ・ボエーム』第1幕より

◎ヴェルディのオペラ・アリア集から2曲

 

 静かな夕べに星空を見ていたときに(Quando le sere al placido)

オペラ『ルイザ・ミラー』第2幕より

 

 永久に君を失えば(Forse la soglia attinse)

オペラ『仮面舞踏会』第2幕より

 

◎チャイコフスキーのオペラ・アリアから1曲

 

 

第8回なかの国際声楽コンクール本選専用

 レンスキーのアリア「青春は遠く過ぎ去り」

オペラ『エフゲニー・オネーギン』第2幕より

 

 

追伸:なお、コンクールではありませんが、


年明け1月30日(日)15:00頃から、

西荻の勤労福祉会館にて

「めいた会」発表会に参加する予定です。

 

歌唱曲目は一部未定ですが、以下を予定しています。

ピアノ伴奏は、金曜夜間の稽古でお世話になっている森嶋奏帆さんです。

 

1) 日本歌曲:『この道』 山田耕筰作曲

2) イタリア歌曲:『郷愁』P.Cimara作曲

3) オペラ・アリア:(未定)

 

年明けに、改めてご案内させていただく予定です。

 

それでは、皆様、良い年をお迎えくださいますように!

 

前回はこちら

 

厚生労働省は、
職場のメンタルヘルスに関するよくある質問と答えをまとめましたとして、ホームページで、こころの健康に対してわかりやすいQ&Aを掲載しています。それに私が臨床の立場からCとしてコメントを加えてみました。


Q.

主人が最近「死にたい」と言い出しましたが、家族としてどのように対応すればいいのでしょうか。

 


A.

まずは「なぜ死にたいのか」、また「なぜ死ななくてはならないのか」、本人の話にじっくりと耳を傾けることが大切です。おそらく「死にたく」なるくらい悩んでいることがあるはずですから、その悩みを聞いてあげましょう。

 

そして、一人で悩まず、その解決方法を一緒に考えて、家族としてできること、あるいは他に相談して解決する可能性を、押しつけにならないように寄り添いながら考えていく姿勢を示すことです。

 

悩みを解決する方法として死ぬ以外の他の選択肢を強調し、本人にどのような理由であっても家族として「あなたには死んで欲しくない」、「悩みがあるなら、一緒に考えていきたい」、「早まったことはするな。自殺して死んでしまうようなことがあったら、我々も生きていけない」となるべく具体的に、死にたい気持ちに目を背けず自殺をしないことを固く約束するべきです。

 

また、本人がうつ病などの精神疾患にかかっている可能性が高いので、なるべく目を離さないようにしてできるだけ早く精神科に受診することをおすすめします。本人が受診に拒否的な場合は、会社の健康管理室があればその産業保健スタッフや地域の保健所で相談することが可能な場合もあります。≪ご家族にできること≫も参考にしてください。

 

 

C.

今回の質疑応答は前回の延長です。上記の回答は分かりやすく書かれていて良いのですが、

<「早まったことはするな。自殺して死んでしまうようなことがあったら、我々も生きていけない」となるべく具体的に、死にたい気持ちに目を背けず自殺をしないことを固く約束するべき>

と書かれているところが気になるところです。

 

まず「早まったことはするな。」などの命令口調は反発を招きかねません。

 

つぎに「自殺して死んでしまうようなことがあったら、我々も生きていけない」などと言ったところ「それならば、いっそ自分と一緒に死んでくてないか」と言われて困ったというケースが過去にありましたので、念のために付け加えておきます。

 

最近になって夫に「死にたい」と言い出されたならば、信頼のおけるなるべく多くの人にその事実を伝え、自殺防止のための監視ネットワークを形成しておくことと、妻である自分自身の平常心を見失わないような心構えを備えておくこと、そのためには何が起きても動じないという覚悟を持っておいた方がよいこともあるのではないかと思います。

 

前回はこちら



専門性の原則に関連して、今回は、トレーニング手段を構成する<体力>と<技術>について述べてみたいと思います。

 

一般的なスポーツ理論によると、パフォーマンスの向上には<動き>の変容が必要であり、この<動き>の変容には<体力>と<技術>という2つの要因が影響するとされます。しかし、この2つの要因が変化していく過程には大きな相違があります。
一方、ヒトの心身の構造や機能には、ハードウェア的要素とソフトウェア的要素があります。

 

ハードウェア的要素とは、筋や腱・靭帯、心臓循環器系、呼吸器系、免疫系などです。またソフトウェア的要素とは、神経系です。

 

ハードウェア的要素である筋や腱・靭帯を強化して発揮できる力やスピードを高めるとともに、心臓循環器系、呼吸器系、免疫系などを改善し、疲労現象に耐え、長時間にわたって出力し続けるための要因は身体のハードウェア的要因となります。

 

身体をハードウェアとして捉えた場合に基礎となるのが「過負荷の原則」に基づいたトレーニングなのですが、これは体力トレーニングとして認識されています。

 

体力向上のためには身体構造の改善という時間を要するプロセスを要するため、遅延効果として現れます。

(なお、「過負荷の原則」についてはすでに触れていますが、いずれ改めて解説する機会があると思います。)

 

 

ソフトウェア的要素である神経系、すなわち運動神経系や感覚神経系や自律神経系など大脳中枢から末梢神経に至るすべての神経系によって支えられている運動制御機構と運動プログラムを改善するとともに、<動き>の感じやコツを体得させて運動習熟を導くのがソフトウェア的要因です。

 

こうした神経系の運動プログラムは意識的制御系と無意識的制御系によって構築されています。

このためには、特異性の原則や専門性の原則に基づきながら、<動き>の感じや主観的なコツを体得するための諸々の運動(身振り運動、模倣運動、繰り返し行うドリル系の運動)をトレーニング手段として用います。これが技術トレーニングとしての練習に相当します。

(特異性の原則については、別の機会に改めて説明する機会があると思います。)

 

 

水氣道においては、<動き>の感じや主観的なコツを大切にしながら稽古を継続すると、試行錯誤や思考錯誤が連続する混沌世界から突然に<動き>が変わり、稽古効果が即時的に出現することを体感することができるようになります。

 

このように、<動き>の変容の原因をソフトウェア的要素およびソフトウェア的要因として捉え、専門性の原則に基づいたトレーニングによる技術・技能の向上では即時効果が期待され、こうした効果をもたらすトレーニングは理想的な技術トレーニングとして認識されています。

 

 

以上のように、トレーニング手段としての運動には、体力と技術という相互に分断できない二つの側面が内在しています。それは水氣道の稽古の手段においても基本的には同じであるといえます。水氣道の稽古を継続していくことによって、体力と技術が一体的に養成されていくことを感じ取ることができるようになるでしょう。

 

前回はこちら



骨粗鬆症の予防と効果的な治療の指針となる骨代謝マーカーについて(発展編)

 


Q11. 骨代謝マーカーの測定やその解釈を行う際の注意点はありますか?

 

A11.

1)まず骨代謝マーカーには日内変動があるということです。一般にマーカー は朝高くて、午後になるとだんだん低下するのですBAP、P1NPとかTRACP-5といった血清マーカーは有意な日内変動があまり見られないですが、逆に尿中マーカーは日内変動が比較的大きいことが知られています。そういうことから尿中マーカーを測定する際には、早朝の空腹時での検体採取が理想的だといわれています。

 

 

2)2番目の注意点は慢性の腎臓病、特にステージⅢ以上の腎機能障害がある 場合には、骨代謝マーカーの測定値に影響する場合があるということです。 ですから、慢性腎臓病の患者さんでは 腎機能の影響が比較的少ないとされているマーカー、すなわち先ほど出ましたBAP、P1NPとかTRACP-5bなどを選択するのがよいのではないかと思います。

 

 

3)3番目は骨折が発生した場合、一時的に骨代謝マーカーが上昇することが あるということです。ですから、骨粗鬆性の骨折が生じた患者さんの場合は、 骨代謝マーカー値の解釈に注意が必要です。ただし、骨折が発生してから24 時間以内であれば骨折の影響は少ないという報告もありますので、骨折を受傷されてから1日以内に病院に受診された患者さんであれば、その骨代謝マーカーの解釈は通常どおりに行ってよいと思います。  

 

 

Q12.

治療を開始して、治療効果判定時に骨代謝マーカーを使うということになるとのことですが、どのように考えて行われているのでしょうか?

 

 

A12.

治療効果判定時における骨代謝マーカー値の解釈については、まず骨代謝マーカーによって治療効果の判定が可能な薬剤は、そもそも骨代謝に強い影響を及ぼす薬剤のみであるということがポイントになります。

 

すなわち、当クリニックで採用している薬剤(下線・太字®)を含めて具体的に名前を挙げると、ビスホスホネート(フォサマック®、リカルボン®など)、SERM(註)、女性ホルモン、テリパラチド、ビタミンD3製剤であるエルデカルシトール(エディロール®)、ビタミンK2(グラケー®)、抗RANKLモノクローナル抗体(デノスマブ)、こういった薬が骨代謝マーカーによる治療効果判定が可能な薬剤といえます。

 

註:SERMは閉経後骨粗鬆症が適応となり、骨に対しては女性ホルモン(エストロゲン)と同じ作用をしつつ、エストロゲンによるホルモン補充療法に伴う副作用などのデメリットが解消もしくは軽減されるため、本来とても有用な薬剤です。しかし、静脈血栓塞栓症などには禁忌であるため、新型コロナワクチン接種が普及している現状下では、安全配慮のため処方を控えています。

 

 

一方でエルデカルシトール以外のビタミンD3製剤(ワンアルファ®、ロカルトロール®)とか、イプリフラボン(オステン®)、カルシウム(アスパラ‐CA®)、あるいは筋肉注射のカルシトニン(エルシトニン®)といった薬は、骨代謝マーカーによる効果判定はそもそも困難ということです。  

 

 

Q13.

骨代謝マーカーによる治療効果判定が可能な薬剤で治療を行った場合、どのように治療効果を評価するのですか?

 

A13.

基本的には治療効果は骨代謝マーカーの変化によって評価することになります。例えば、骨吸収薬を投与した場合には、通常、投与後3カ月ぐらいで骨吸収マーカー値の有意な低下が見え始めます。

 

ですから、骨吸収マーカーは治療を開始する時点と、治療を開始してからだいたい3~6カ月の間隔を空けた時点の2回の測定を行い、マーカー値の変化を評価して、厳密には、マーカーごとに定められた最小有意変化 (MSC)を超える変化を示しているかを評価して、治療効果を判定することになります。

 

治療効果判定時にマーカー値の有意な変化が見られれば、その治療は効果があるので継続してもよいと解釈できます。  

 

 

骨形成マーカーの変化は、骨吸収マーカーの低下に3カ月ぐらい遅れて低下してきます。そこで、骨形成マーカーの測定は治療開始時と骨吸収マーカーより若干遅めの6カ月程度の間隔を空けた時点で行い、評価するのがよいのではないかと思います。

 

また、少し以前からよく使われるようになった骨形成促進薬であるテリパラチドですが、テリパラチドの連日投与製剤を投与した場合には、骨形成マーカーの中でも特にP1NPの変化が著しいことが知られています。ですから、この薬剤で治療を開始した時点と、治療開始から4カ月程度の間隔を空けた時点でのP1NPの測定によって、治療効果を判定するのがよいと考えられます。

 

ただし、同じテリパラチドでも週1回投与する製剤の場合は、P1NPは3カ月ぐらいまでは高値を示しますが、6カ月以降は逆に低値になる傾向を示しますので、測定のタイミングには注意が必要かと思います。

 

 

Q14.

骨代謝マーカーによって治療効果判定をしたとき、マーカーが異常値を示している場合には、どのように判断し、どのような対処をしますか?

 

 

A14.

異常高値と低値のいずれも注意が必要です。

 

まず、異常高値の場合は、そもそも骨粗鬆症以外の骨代謝疾患の可能性があります。そういった点に注意をして疾患鑑別をしていく必要があります。ですから、骨粗鬆症の診療に係る医師は、総合診療医もしくは総合内科医としての研鑽を十分に積んでいなければならないということになります。

 

また、骨代謝マーカーには骨マトリックス関連マーカー(いわゆる骨質マーカー)というものがあり、その中の低カルボキシル化オステオカルシン(ucOC) が上昇している場合には、これはビタミンKの不足を意味しますので、当然 ビタミンK2を投与することになります。
 

これに対して、治療薬を選択するときに骨代謝マーカーが低値であった場合は、骨代謝回転が抑制されていることを意味します。こうした場合には骨形成増加作用によって骨代謝回転を促進させるような薬、骨形成促進薬であるテリパラチドを選択するのが理論的に合致する判断と言えます。  

 

このように、薬物の投与前に骨代謝マーカーを測定することによって、骨代謝回転の状態に基づいた、理論上、合目的的な薬物の選択が可能となるのです。

 

 

 

Q15.

効果判定をしたとき、マーカーがあまり変化を示さない場合があると思うのですが、これはどのように対処しているのでしょうか。

 

 

A15.

治療効果判定を行って、骨代謝マーカー値が有意な変化を認めなかった場合、薬物療法の効果がなかったと判断することになります。ただし、そうした場合には、重要な注意点や確認事項がいくつかあります。

 

1) そもそも患者さんがその薬をしっかり服用できていたかどうか、という服薬状況を確認することが大切だと思います。これを薬のコンプライアンスといいますが、服薬コンプライアンス(註)が不良であれば薬の効果を十分得ることはできません。

 

註:近年、内服遵守に対する用語はcompliance(コンプライアンス)からadherence(アドヒアランス)に変わってきました。コンプライアンスは医師の指示による服薬管理の意味合いで用いられてきましたが、これに対して、アドヒアランスは患者の理解、意志決定、治療協力に基づく内服遵守を意味します。

治療は医師の指示に従うという考えから、患者との相互理解のもとに行っていくものであるという考えに変化してきたことが内服遵守におけるコンプライアンスからアドヒアランスという概念の変化につながっていると考えることができます。

アドヒアランスはさまざまな要因によって低下し、それによって病状の悪化をもたらすだけでなく、治療計画にも影響し、医師-患者間の信頼関係を損ないます。 医師-患者間で治療同盟をつくること、十分なインフォームドコンセントにより情報を共有すること、患者が方向性を選択できるような治療を行うことがアドヒアランス向上にとって不可欠であるということになります。

 

 

2) また、尿あるいは血液の採取時間が治療前と治療後で同じ時間であったか、 そういったことを確認することも大切だと思います。  

 

3) さらに、ビスホスホネートの場合には、薬を服用する時間と食事の摂取時間との関係が吸収に大きく影響します。ですから、両者の時間差についても、 それが適切かどうか確認する必要もあるかと思います。  

 

以上の点を確認して、それでも最終的にマーカー値の有意な変化が見られなかった原因が明らかでなかった場合には、薬物の変更等を初めて検討していきます。

 

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臨床産業医オフィス

<高円寺南労働衛生コンサルタント事務所>

産業医・労働衛生コンサルタント・第一種作業環境測定士・衛生工学衛生管理者

 

飯嶋正広

 

 

産業医の企業訪問

訪問準備の例(2)

 

訪問準備をする際には、向かう先がどのような企業であって、自分がどのような役割を担うことができるかを毎度再確認することを習慣にしています。

 

どんな企業であっても、長いお付き合いの中で、必ず発展や成長が見られます。それは産業医としての私自身とて同様であり、報酬をいただきながら、またとない大人の社会勉強をさせていただいていることになります。

 

そのようにして社会的視野が広がっていくと、世の中の価値観(相場)というものが見えてくるようになります。そこまでになると他者に対してより寛容になることができ、同時に、行き過ぎたお人好しもときには害をもたらすことがあるので控えるべきであることがわかってきた次第です。まさに感謝の一言に尽きます。

 

 

そこで、今年一年間の産業医活動を総括してみることにしました。

 

1) 嘱託産業医としての外部企業での業務は杉並国際クリニックでの業務と重なり合う部分が大きい。今後は臨床経験の乏しい産業医の活躍の場は、義務的に嘱託産業医と契約しているような低レベルの企業に限られてくるであろう。

 

 

2) 産業医活動を継続することによって、実社会の動きや価値観がより鮮明にダイレクトに見えてくる。「当社には高ストレス者はいません」と誇らしげに表明する企業に限ってブラック起業である確率が高く、潜在的健康リスクが高い。

 

 

3) 診察室での患者と職場での労働者との間には連続性もあるが、全く別人のような側面も確認でき、総合的な人間観察力を養成できる機会となる。騙されやすい世間知らずの医師から脱却できる。ハゲタカの餌(カモ)にされないで済む検証力がもてるようになる。

 

 

4) 多くの企業が求めている産業医は、総合医である。
健康診断の評価は得意だがストレスチェックは苦手、あるいはその逆といった産業医は産業医業務での負担は大きくなりがちであることが理解できる。

 

その点、資格のある心療内科医は、一般内科医としての基礎があるため効率的に健康診断業務をこなすことができ、また高ストレス者の対応にかけても専門的な経験が豊富であることが強みとなっている。

 

 

5) レベルの低い産業医はレベルの高い企業に損害を与え、逆に、レベルの低い企業はレベルの高い産業医を消耗させてしまう。レベルの高い企業はレベルの高い産業医を求め、誠意が実を結ぶ。レベルの低い企業は従順なだけで無力で世間知らずな産業医を求める傾向があり、むしろ誠意があだとなりかねない。

 

 

6) 潜在的な成長可能性を秘めた企業はたとえ小規模零細企業であっても、熱心に人材を育成している。したがって、優秀な産業医は報酬以上の奉仕を喜んで続けることができる。また、企業の優秀性は資本額や従業員数などの企業規模とは無関係である。

 

 

7) 組織運営上の縛りばかりが多く、従業員に対する配慮が行き届かない企業、必要経費の相場や将来に向けての不可欠な投資を正当・適性・かつ妥当に判断し、改善に取り組もうとしない企業は、たとえ社会的に広く認知されていていても発展は望めない。

 

このようなタイプの企業は優秀で意欲的な産業医を酷使し、かつ搾取していることに対する認識にすら至らない。また同様のことを自社の従業員にも行って省みようとしないでいることが多い。産業衛生活動は年余にわたって実践を重ねることによって、はじめて実効性が証明される。

 

毎年の入札制度によってエージェントを落札するシステムから脱却できない官公庁まがいの企業においては、健全な産業医活動の展開を期待することは困難である。

 

 

 

8) 尊敬に値する企業は、明確な将来ビジョンを持っている。そのような企業は安全衛生委員会の活性化が、企業経営の上で大きく貢献できることを認識し、いわば「健康経営」委員としての役割に期待をかけている。そこでは、産業医は経営会議の重要メンバーとして喜んで迎えられている。

 

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他県に比べ観光地のPR戦略が不適!?

 


茨城県の観光目的を見ると、その目玉として主役を演じることになる自然や温泉の認知度が極端に低いことが分かります。相対的に評価が高いのは、行事・祭事・イベントとスポーツ・レクリエーションのようです。

 

旅行する機会に恵まれているのはシニア層です。そのシニア層にとって偕楽園の梅まつり(2月中旬から3月)には心惹かれることがあることでしょう。しかし、中年以下の若年層にファンが多いロックフェスティバル(8月)、竜神大吊橋のバンジージャンプ、大洗海岸のサーフィンに、シニア層は余り興味をもたないことでしょう。

 

それでも水戸市限定ではありますが黄門まつり(8月第一週の土・日)、水戸黄門漫遊マラソン(10月)などイベントやスポーツが盛りだくさんです。

 

しかし、これらはスポットのイベントであるため、日帰りや一泊のみの観光客が大半なのではないでしょうか。

 

それでは観光地としての定常的な魅力度の向上には繋がりません。このような特定のイベントやスポーツを推し過ぎると、もともと関心のない人には、かえって自分とは無縁だと思わせ、足を遠ざけてしまう要因となりうるという指摘があるそうですが、もっともな指摘だと思います。

 

日本の観光PRは、自然と温泉を全面に押し出すイメージ戦略をもって上策とされています。今後もこうした傾向ばかりが続き、しかも茨城県がこうしたPRポイント無関心であり続けるに限り、魅力度の低さを克服できそうにはないものと思われます。

 

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本日はクリスマスなのですが、これから大きく展開していく物語の内容が、果たしてクリスマスにふさわしいものかどうかは保証の限りではございません。その点、予めお許しあれ。

 

 

Rieux telephona cependant au service communal de deratisation, don’t il connaissait le directeur. Celui-ci avait-il entendu parler de ces rats qui venaient en grand nombre mourir à l’air libre? Mercier, le directeur, en avait entendu parler et, dans son service même, installé non loin des quais, on en avait découvert une cinquantaine. Il se demandait cependant si c’était serieux. Rieux ne pouvait pas en décider, mais il pensait que le service de dératisation devait intervenir.

リューは、それでも地元自治体のネズミ駆除担当課に電話をかけた。彼はそこの課長を知っていたのだ。その課長は、野外で大量に死んでいくネズミのうわさを聞いていたのだろうか。課長のメルシエもその話は聞いていたし、波止場から遠くない彼の部署でも、それが50匹ほど発見されていた。しかしながら、彼はそれが深刻な事件なのかどうか思いあぐねていた。リューも判断しかねてはいたが、ネズミ駆除業務を稼働させるべきだと考えていた。

 

 

__ Oui, dit Mercier, avec un ordre. Si tu crois que ça vaut vraiment la peine, je peux essayer d’obtenir un ordre.

そうだ、指令があれば、本当にそれをするに値すると君が思うなら、その指令が貰えるように働きかけてみることはできる、とメルシエは言うのであった。

 

 

__ Ça en vaut toujours la peine, dit Rieux. Sa femme de menage venait de lui apprendre qu’on avait collecté plusieurs centaines de rats morts dans la grande usine où travaillait son mari.

ともかく、そうするだけの価値はあるのでは、とリゥーは言うのであった。自分の夫が働いている大工場から何百匹ものネズミの死骸が収拾されたと、彼の家政婦から聞いたばかりだったのである。
 

 

C’est à peu près à cette époque en tout cas que nos concitoyens commencèrent à s’inquiéter. Car, à partir du 18, les usines et les entrepôts dégorgèrent, en effet, des centaines de cadavres de rats. Dans quelques cas, on fut obligé d’achever les bêtes, don’t l’agonie était trop longue. Mais, depuis les quartiers extérieurs jusqu’au centre de la ville, partout où le docteur Rieux venait à passer, partout où nos concitoyens se rassemblaient, les rats attendaient en tas, dans les poubelles, ou en longues files, dans les ruisseaux. La presse du soir s’empara de l’affaire, dès ce jour-là, et demanda si la municipalité, oui ou mon, se proposait d’agir et quelles mensures d’urgence elle avait envisagées pour garantir ses administrés de cette invasion répugnante. La municipalité ne s’était rien proposé et n’avait rien envisagé du tout mais commença par se réunir en conseil pour délibérer. L’ordre fut donné au service de dérastisation de collecter les rats morts, tous les matins, à l’aube. La collecte finie, deux voitures du service devaient porter les bêtes à l’usine d’incinération des ordures, afin de les brûler.

ともかく、この頃になると、同市の住民たちは心配になってきた。というのも、18日以降、工場や倉庫には何百ものネズミの死骸で溢れかえってていたからだ。苦痛が長引くため、死なせてやらざるを得ないケースもあった。しかし、市のはずれから中心部まで、リュー医師が通りかかる、市民が集まる至るところで、ネズミはゴミ箱でごった返していたり、側溝で長い列をなしていたりして待ち受けていた。その日の夕刊では、この問題をさっそく取り上げて、果たして地元自治体が出動するかどうか、また、この忌まわしい襲来から市民を守るためにどのような緊急措置を講じたか否かを問題にしていた。自治体は何らの意向も示さず、また検討もしていなかったが、まず議会を開催して審議を始めた。ネズミ駆除担当部署には、毎朝夜明けとともに死んだネズミを収集するように命じた。収集が終わると、それらを課の車2台で汚物焼却処理場に運んで焼却することになっていた。

 

 

註:

Ça en vaut toujours la peine, dit Rieux. 宮崎嶺雄の訳では、<「そりゃ、やればやるだけのことはあるさ、いつだって」と、リウーはいった。>になっています。

toujoursという副詞を外してみると、Ça en vaut la peineという単純な文になります。la peine は英語のpainと同源の語で、苦労、骨折りの意味なので、<それは苦労に値する>ということになります。

 

宮崎氏の<やればやるだけのことはあるさ>という訳に対応します。しかし、<やればやるだけ>苦労が報われるという意味であるように誤解しかねないのが難点です。

 

単純に意訳するならば、<それをやれば、報われる>ということになるでしょう。

むしろ<それをやりさえすれば>くらいに訳しておいた方が無難な気がしました。

 

つぎに、toujoursという頻用語の扱いですが、toujours=tous(すべての)+jours(日々)であることから、日常的には、いつも、絶えず、いつまでも、という意味で頻用されています。ですから、<いつだって>という訳は、ほぼそのままの意味です。

 

しかし、リウーはそこまでの確信に至っていたでしょうか?文脈からすれば、そうではなかったはずです。そこで、toujoursには、とにかく、とはいえ、それでも、と言う意味で用いられることに注目したいと考えます。そこで、私は<ともかく、そうするだけの価値はあるのでは、とリゥーは言うのであった。>と訳してみたのです。

 

医師というのは確かな証拠をもとに医療を実践するように教育訓練されます。その傾向は昨今ますます顕著になってきています。

 

しかし、実臨床の現場は、それほど生易しい、単純に割り切れる数学の世界とは程遠いものであることは、現場で苦労を重ねてきたベテランの臨床医であれば誰もが否定できない事実です。

 

確実な証拠が集まらない限り、自己保身のために一歩も先に進むことができない医師や、危険が迫ることを敏感に感じ取って、警告を発することができない医師ばかりになってしまうとしたら、以下が相成りましょうか?

 

今後もさらに恐ろしいパンデミックが世界中を繰り返し襲ってくるようになるとしても何ら不思議はありません。

 

今回は、クリスマス・イブです。この日に相応しい宣言を公開させていただきたいと思います。

 

来年は「聖楽院」再興を期して、11年振りに声楽コンクールにチャレンジします!
新型コロナパンデミックというピンチをチャンスに転換するための一つが芸術活動であることに思い至りました。

 

現在、音楽界、とくにクラシック声楽界は活動の条件が厳しく、有能で才能あふれる音楽家・声楽家の演奏活動の展開が大きく阻まれています。

 

そこで音楽愛好者の一人として、どのようにして、音楽芸術の危機を克服していったらよいのか、私なりに思いついたのが、受け身ではなく、能動的な音楽活動に参画することでした。

 

これまでは、年間に8つのコンクールに参加することは、多忙で責任の思い開業医に許されることではないと思い込んでいました。しかし、8つのコンクールのうち、6つまでが音源審査(CD・ビデオ・youtube動画など)で審査が行われます。

 

指定の期日にコンクール会場に向かわなくてよいので、日常診療を犠牲にせずに済むことも大きなメリットです。しかも、すべて自由曲。予選を音源審査で行うことは、新型コロナ禍を経験する以前から実施されていましたが、昨年から大幅に増加しています。

 

8つのコンクールといっても、自由曲ではなく、それぞれに別の課題曲が課されているとしたら、すべてに参加することは困難です。実質的には2ないし3つのコンクールに出場する程度の負担で済むことになる訳です。しかし、すそ野が広がった分だけ、その後の鬩(せめ)ぎ合いは激しくなることを想定しての準備ということになります。

 

私自身は、音源審査を必ずしも好ましいとは考えていませんが、すでに本選入賞経験をもつ立場からすれば、予選は手続きに過ぎないものと割り切ることができます。本選こそが舞台上での一発勝負なのです。

 

 1月14日:

第7回日光国際音楽祭 声楽コンクール(予選)
      

音源審査(CD)
      

自由曲(本選では10分以内、複数曲可)
      

伴奏ピアニスト:未定

 

 

 

 3月10日:

第2回バーゼル国際声楽コンクール(予選)
     

音源審査(youtube)
     

自由曲(6分以内)
     

伴奏ピアニスト:未定

 

 

 

 4月1日:

第2回伊勢志摩国際声楽コンクール(本選)

 

動画審査:ビデオカメラ等で演奏を録画し、YouTube等にアップロードすること
     

自由曲(1曲:1分以上、15分以内)
    

伴奏ピアニスト:未定

 

 

 

 6月17日:

第8回「春の声」声楽コンクール(予選)
     

動画審査(Video)
     

自由曲(歌曲1曲+オペラアリア1曲、又は歌曲2曲 計7分以内:曲間を含む)
      

伴奏ピアニスト:未定

 

 

 

 6月23日:

第8回なかの国際声楽コンクール(予選)

 

音源審査(Video)
     

自由曲(1曲歌曲又はオペラアリア 計7分以内)
     

伴奏ピアニスト:未定

 

 

 

 7月17日:

第7回K声楽コンクール(予選)
     

動画審査(動画をyoutubeにアップする)
     

自由曲(複数曲可、10分以内)
     

伴奏ピアニスト:未定

 

 

 

 7月下旬(未定):

第24回日本演奏家コンクール(1次予選)
     

会場審査(都内未定)
     

自由曲(複数曲可、本選8分以内)
     

伴奏ピアニスト:森嶋奏帆

 

 

 

 8月上旬(未定):

第30回茨城の名手・名歌手たち出演者オーディション
     

会場審査(水戸芸術館)
     

自由曲(複数曲可、5分以内)
     

伴奏ピアニスト:未定


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厚生労働省は、

職場のメンタルヘルスに関するよくある質問と答えをまとめました

として、ホームページで、こころの健康に対してわかりやすいQ&Aを掲載しています。それに私が臨床の立場からCとしてコメントを加えてみました。

 

 

Q.

夫がうつ病で通院中ですが、うつ病の人は自殺しやすいと聞きとても心配です。    何に気をつければいいでしょうか?

 

A.

自殺をほのめかす言葉を口にする、遺書を書く、自殺の道具を準備するなどの具体的な自殺への準備は当然ですが、自分の身の回りを整理する場合も危険なサインといわれています。

 

うつ病で治療を受けている場合には、気分が沈む、涙もろくなる、仕事の能率が悪くなるなどの症状の悪化がみられ、「生きていても仕方がない」という自殺をほのめかす言葉のほかに、「皆さんに申し訳ないことをした」などと自分を責める言葉が聞かれた時も注意が必要です。

 

また、酒量が増えたり、糖尿病を患っていてもそれまでは自己管理がきちんとできていたのに、食事療法や運動も止めてしまうなどという変化も危険なサインです。

 

これらのサインを感知したときの対処としては、相手に対して心配していることを伝え、死にたいと考えているかと尋ねてください。そして相手の話によく耳を傾け、絶望的な気持ちをまず受け止めるために聞き役に徹してください。

 

そして、主治医によく相談し、場合によっては入院治療を考慮したほうが良い場合もあります。

 

うつ病の経過の中で自殺の可能性は常にあるといえますが、特に注意が必要な時期としては、病状が非常に悪くなった時、病状が少し改善してきた時が危険であるといわれています。病状が悪い時は自殺を考えていたとしても実行できないですが、少し良くなってくると行動力が少し戻ってくるため、そのような状態のときに自殺を考えると実際の行動に至りやすいといわれています。

 

また、病状がかなり回復して環境が変わる時期、例えば仕事を休んでいた人が再び職場に戻るような時期、も危険であるといえます。このときは、環境の変化とともに、いったん回復した病状が不安定になり自殺が起こりやすいといわれています。

 

 

C.

このような質問を家族から受けたときに、私がいつも心掛けていることがあります。それは、「いま、ここで」どなたの相談を受けているのかについて再認識することです。

 

大切な家族の一人が心を病むと残りの家族もそれなりの影響をうけるであろうことは仕方のないことです。このご相談の主である妻がうつ病である夫を心配することも已むないことです。

 

しかし、その心配の程度が大きくなりすぎると、妻自身も心を病んでしまいかねないことへの注意を喚起しておくことが大切だと考えています。

 

しかし、不安の訴え方が明かに病的水準に達したとしても、直ちにその家族を患者として対応しようとすると誤解が生じかねないので慎重な配慮が必要になります。つまり、一言で言えば、目の前で相談を求めている妻の心のケアをさりげなく行いながら、相談内容に一緒に取り組むことが望まれます。そこで、この妻の質問を序・破・急の3段階に構成し直してアドバイスする方法をご紹介いたします。

   

そこで、

 

序の段:

自殺防止のため、家族はどのように見守ればよいでしょうか?
自殺行動を助長する危険性を高めるものに飲酒があります。飲酒習慣がある場合には、まずアルコールを遠ざけましょう。

 

「死にたい」という気持ちが高まるのは、およそ1~2日間とされています。この間は、アルコールを手の届く範囲から遠ざけることとともに、患者さん自身が自殺のために何か準備をしていないかを見張ることが重要です。

 

アルコールは中枢神経系を抑制するはたらきがあります。そのため、飲酒によって判断力が弱まる⇒行動がコントロールができなくなる⇒自殺行為、という危険性を高めます。

 

破の段:

自殺の危険性が高まると、どういうサインがあらわれますか?

 

強いイライラや、もどかしそうな素ぶり、身辺整理行動には要注意です。

 

具体的に自殺を企てている患者さんには、手紙や写真の整理を始めたり、記念となるような大切なものを人にあげるといった行動がみられるようになります。

 

また、実際に自殺未遂を経験した人の多くが、行動を起こす直前に強いイライラ感やもどかしさを抱いているとされています。これらの行動がみられたら、自殺の危険性が非常に高まっていると捉えるべきです。

 

 

急の段:

「死にたい」といわれたら、まずはどう対処すべきですか?

 

実行することはむずかしいかもしれませんが、可能な限り冷静な対応をすることです。

「死にたい」と告白して直ちに目の前で自殺行動を取ることは稀です。

 

そのことを心に留めておくだけで、慌てないで対応し易くなることでしょう。家族としてもその場に居合わせた責任を過剰に感じてしまうと、相手より自分自身の保身に走ってしまいがちになります。そうした態度をうつ病者は、自分が相手から強く疎外されているという印象として心に深く刻み込まれてしまいます。つまり、悪意として敏感に感じ取ってしまうのです。

 

可能な限り冷静な対応をするためには、「いま、ここで」はまだ緊急事態に至っていないことを心に留めておくことが役に立ちます。そうすることでとても大事な相手に対して「共感」することが可能な状況に戻すことができるのです。 

 

ですから、このような心の準備が必要です。心の準備が無いと、突然のことにあわててしまい、「バカなことをいわないで」などと口走ったり、叱責したり、叱咤激励したりしてしまいます。

 

本人は、なぜ死にたいほどつらいかを受け止めて理解して欲しいだけなのかもしれません。その気持ちを受け入れずに否定し、そんなことは「いわないで」という拒否の言葉に聞こえてしまいます。

 

「あなたの言うことなんか聞きたくない」と拒絶してしまうことと同様に受け止めてしまうため、患者さんは更に落ちこみ、孤独を感じるようになります。

 


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今回も、実践的なトレーニングにおいて専門性の原則がどのように活かされているのかについて解説を続けます。そこで改めて、そもそもトレーニングとはどのようなことを指しているのかについて振り返ってみたいと思います。
 

一般的にトレーニングとは、スポーツパフォーマンス向上のために行う思考や行為、作業の総称であるとされます。そして、トレーニングの概念は体力要素のみに限定したものではないとされます。そして、トレーニングについてのこのような理解は水氣道においても共通しています。

 

もっともスポーツの種目は多様性に富んでいます。特にパフォーマンスが数値記録として現れる競技スポーツ(陸上競技、競泳競技、水上のカヌーやボート、氷上のスピードスケートなど)の場合は、種目ごとに異なる競技特性に専門的な配慮をしながらも、跳躍種目やスプリントの場合と同様に、技術、体力の各段階における階層構造関係を保持しつつ専門性と一般性に配慮しながらトレーニングの設計をすることができます。

 

これに対して、球技スポーツや対人スポーツの場合には、個々のアスリートだけではなく、対戦相手との関係、同じチームのアスリート間の関係、異なるチーム間などの関係などをも考慮する必要があります。

ですから、球技スポーツのパフォーマンスの設計に当っては、戦術の要素が加わってきます。つまり、戦術、技術、体力の各段階における階層構造関係を保持しつつ専門性と一般性に配慮しながら行うことが大切になります。

 

そこで、トレーニングの手段化も、以下のように、いくつかの種類に分類されています。

 

① 試合そのものの手段化(国内外の重要な試合など)

 

② 限定的な試合の手段化(練習試合やテスト試合など)

 

③ 専門的な運動の手段化(パフォーマンス構造に直結した要素を抽出した運動)

 

④ 一般的な運動の手段化(基礎運動技能を高めるための各種運動や体力要因を高めるための各種運動)
 

 

 

将来に向けて発展を続けている水氣道においての現在の段階では、試合や競技の要素は意図的に排除しています。

 

ですから、トレーニングの手段化としては、上記のうち③および④を中心として実践を続けています。①および②のような試合や競技の要素が乏しいということは、競技専門性(競技専門的手段)には乏しく、戦術を習熟することを目的とするトレーニングではないということになります。

 

一方、③および④に比重を置くことによって、日常生活の動作に直結するような一般的手段としての特性が顕著となり、体力強化を主たる目的とするトレーニングになっています。

 

これらの各種のトレーニングの手段化の間にも相互関係があります。たとえば、④一般的な運動の手段化は③専門的な運動の手段化の基礎を成します。また、異なるスポーツの種目間においては、その特性や目的の違いによって、同一のトレーニング内容であっても、一方のスポーツにとっては専門的トレーニングの手段になり、他方にとっては一般的トレーニング手段として位置づけられることがあります。


さらに③専門的な運動の手段化には、②限定的な試合の手段化、および①試合そのものの手段化の部分的要素を形成しているため、これら4つの手段化はすべて相互に関連し合った構造体を形成しています。これらのいずれかが欠如すると世界水準での高いレベルでのパフォーマンスを継続的に向上させることはできません。


しかし、トレーニングの概念の中核をなす体力要素に焦点を当てている現時点での水氣道では、当面の間は、4つの手段化の中でももっとも基礎をなす④一般的な運動の手段化によって③専門的な運動の手段化の充実を図ることに意を注ぐことになるため、とても手堅い稽古プログラムを提供することができるのです。

しかも、将来的には、個人の形(航法)試合や団体競技としての要素を取り込んでいくことで、②限定的な試合の手段化、さらに①試合そのものの手段化までを取り込んでいくことを計画しています。

 

専門性の原則を、トレーニングの手段化の中で理解していただくうえで、混同しがちだと思われることがあります。それは、③の<専門的な運動の手段化>における専門性と、<競技専門性>における専門性とは、異なる内容であるということです。

 

水氣道における「専門性の原則」は、これらのいずれのケースにおいても用いることになるため、その場合は、どのような文脈の中で用いているのかを予め了解可能となるように配慮して用いていきたいと考えます。