『聖楽院』便り

 

茨城県立県民文化センターが見つからない!?

本来の美声も聴くことができない‼

 

茨城県立県民文化センターは、茨城県水戸市千波町の千波湖および千波公園に隣接する茨城県立の文化施設でした。

それが、私の知らぬ間に、いつしか地図の上からその名が消えてしまいました。

 

その大ホールは、1500席を超える規模で茨城県最大を誇る多目的ホールで、県所有のホールとしては唯一であり、各種講演会・式典・コンサート・コンクール等で幅広く利用されていました。

 

かくいう私は、中学生の頃に美術展を見に行ったきり約半世紀の間、全くご無沙汰していたのですが、2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響により茨城県立県民文化センターは全館に渡り施設を使用できなくなりました。

 

それでも同年7月1日には、大ホールとレストラン以外の運営を再開し、翌2012年7月中に大ホールの改修を終え、その年9月1日に使用再開、という具合で、目まぐるしく、運営維持にも相当な費用を要したであろうことがうかがわれます。

 

茨城県立県民文化センターの小ホールは386席を数え、中ホールといえそうな上野の東京文化会館小ホールの客席数649席、杉並公会堂小ホールの客席数198席と比較してみてもなかなかの規模だといえるでしょう。この小ホールは講演会・研修会・音楽発表会・映画上映等目的に応じて利用されていました。

 

20日の土曜日に私たちが向かった小ホールは、ザ・ヒロサワ・シティ会館 のそれでした。水戸駅の南口から、桜川土手沿いに歩いて数分、千波沼の南岸に位置するところ目指したのですが、これが何と旧茨城県立県民文化センター だったのです。これはいったいどうしたことなのでしょうか。

 

それには訳があったようです。

この施設に個人の名前が付されていることを怪しく感じていた私は、「ヒロサワ」という地元の指揮者か大音楽家の名前を祈念したものではなかろうか、それにしても聞いたことがない名前なのです。

 

依然として茨城県の施設であるとされますが、県直轄ではなく、財団法人いばらき文化振興財団が管理・運営を行っているとのことでした。

そこが、指定管理者制度の導入に伴い、2019年3月15日、同年4月1日より命名権募集を行ったところ、つくば市寺具の金属加工業「廣澤精機製作所」がこれを取得したとのことでした。

 

そこで、新名称は「ザ・ヒロサワ・シティ会館」となった模様です。それにしても契約期間は3年間で契約額は1千万円とのことですから、3年ごとに名前が変わることになるのか、そのままなのか、落ち着かない気分にさせられます。

 

お目当てのコンサートは小ホールで、12時30分開場、13時30分開演という予定なので、その簡に、絵画展や書道展を見物することができました。

 

ちょうどその建物の1階の入り口近くには軽食や飲み物等を販売する売店がありました。

店員の名札にはたしか「広澤」と記されていました。もし彼が命名権者の御一族だとすれば、ファミリーでこのホールを支援しておられることになります。

 

「ザ・ヒロサワ・シティ会館」の近くの茨城県近代美術館敷地内に水戸市千波出身の画家、中村彝(なかむらつね:1887年〈明治20年〉- 1924年〈大正13年)のアトリエを発見しました。

 

彼は1911年(明治44年)、当時、多くの芸術家を支援していた新宿・中村屋の主人・相馬愛蔵夫妻の厚意で、中村屋の裏にある画室に住むことになりました。

 

中村は大正期を代表する洋画家の一人で、この「中村彝アトリエ」は1988年にこの地に新築復元されたことを知りましたが、元々は新宿区下落合に逢ったものでした。

 

そのアトリエ跡も2013年(平成25年)新宿区下落合に残るアトリエ跡が復元され、「新宿区立中村彝アトリエ記念館」としてオープンしたとの情報を得たので、忘れないうちに訪れてみたいと思います。

 

お目当てのコンサートですが、オペラ仕立ての「フィガロの結婚」で、4人の声楽家と一人のピアニスト、そして一人の解説者というシンプルな構成でした。

 

ただ時節柄残念だったのは、歌い手がフェイスシールド着用で演奏することを余儀なくされていたことです。

このような状況では、とても本番の生演奏とは程遠い出来上がりになってしまいます。とても残念でした。出演者がとても気の毒に感じられました。

 

それでも、ふだん、本格的なオペラを生で楽しむ機会の少ない方には、入門文化講座としての意義もあったのではないかと思います。