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前号では、「骨粗しょう症」の診断において、骨量だけでなく骨質の評価が大切であることについてご紹介いたしました。そこで、骨質を評価する上で重要な「善玉架橋」と「悪玉架橋」について述べました。


丈夫な骨の構造は、以上の他に、骨を作る“骨芽細胞”と骨を壊す“破骨細胞”がお互いに協調し合って働くことにより骨の構造がバランス良く綿密に作られています。このバランスが崩れたりすると骨の構造が破綻し始めます。

 

悪玉架橋は加齢とともに増えるほか、糖尿病や慢性腎臓病などの生活習慣病により動脈硬化の原因として知られるホモシステインの酸化作用や糖化(AGEs:最終糖化産物)が亢進される状態でも増える(過形成)ことが分かっています。非生理的架橋の本態は、このAGEs(最終糖化産物)架橋です。
 

ホモシステインは、ビタミンB₆、ビタミンB₁₂、葉酸などの栄養成分によって代謝が促進されます。  

 

加齢により通常でもコラーゲンは徐々にさびていきますが、生理的なさびであればそれほど骨には影響しません。骨量が十分なのに骨折する患者は、コラーゲンが過度にさびるということが明らかになってきました。生活習慣病の患者さんでは、骨密度検査で正常範囲や高値という結果が出ても骨折リスクが高いことがあります。

 

 

骨粗しょう症により骨折しやすい部位は、

 

背骨(脊椎椎体)、脚の付け根(大腿骨近位部*)、手首(橈骨)、腕の付け根(上腕骨)です。

 

*大腿骨近位部は、骨折すると歩行が困難になり要介護状態になるリスクが高くなる骨折部位です。大腿骨近位部骨折の85%は転倒が直接の原因となっていますので、骨粗しょう症の治療とともに転倒予防も重要です。
 

 

 

背骨が体の重みで押し潰れてしまうことを「圧迫骨折」と言い、背中や腰が曲がるなどの原因となります。

 

圧迫骨折が生じても、単なる腰痛として見過ごしていたり、痛みを感じないていなかったりする場合もあります。

 

1ヵ所骨折すると、その周囲の骨にも負担がかかり、連鎖的な骨折につながりやすいため、早期発見・早期治療が重要です。
 

 

骨質の評価のためには、系統的に骨の構造を確認しておくことが有用です。
 

主たる観察部位:下線は特に骨折しやすい部分


1)足部-足関節-下腿部(脛骨・腓骨)-膝関節-大腿骨-股関節-骨盤部(仙腸関節など)-脊椎(腰椎-胸椎-頚椎)、

 

2)肩関節-上腕骨-肘関節-前腕部(橈骨・尺骨)-手関節-手部

 

 

 

なお、丈夫な骨の構造は、以上の他に、骨を作る“骨芽細胞”と骨を壊す“破骨細胞”がお互いに協調し合って働くことにより骨の構造がバランス良く綿密に作られています。

 

こうした骨代謝のバランスが崩れたりすると骨の構造が破綻し始めます。

 

そこで骨粗鬆症の診断ばかりでなく、治療効果の評価のために役立つのが骨代謝マーカーです。次号では、骨粗鬆症の予防と効果的な治療の指針となる骨代謝マーカーについての話題となります。

 

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<高円寺南労働衛生コンサルタント事務所>

産業医・労働衛生コンサルタント・第一種作業環境測定士・衛生工学衛生管理者

飯嶋正広

 

 

今回の相談:ストレスチェックでの質問項目は、主としてどのようなことをチェックすることが目的なのでしょうか?不安に感じている従業員にはどのように説明したらよいでしょうか?

 

 

ストレスチェックと面接指導の実施に係る流れ(厚生労働省)その3
<ストレスチェックの目的について>

 

ストレスチェックは、「職業性ストレス簡易調査票」を用いて実施することが推奨されています。この調査票は57項目からなっています。必須の領域が3つあり、具体的には

 

1)「仕事のストレス要因」、

2)「心身のストレス反応」、

3)「周囲のサポート」

 

に関する項目が主体です。

 

 

このうち、1)「仕事のストレス要因」、と3)「周囲のサポート」の判定は、点数化して評価することができます。しかも、以下の4つの側面ごとの点数で評価することができます。

 

❶ 仕事の量的負担

❷ 仕事のコントロール度

❸ 上司の支援

❹ 同僚の支援

 

これらの結果は職場ストレス判定図として表すことができ、従業員へのフィードバックに役立ちます。

 

また、職域・職場ごとに分析して、グループワークなどを開催し、改善の方策について職場で話し合っていただくことで効果的に活用できます。

 

職場環境改善のためのヒント集」など、厚生労働省のホームページからダウンロードして利用可能なツールが活用されています。

 

 

 

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茨城弁と茨城訛の茨城県人は県外の人々に誤解されやすい⁉

 

他県民が聞く茨城弁は、茨城県生まれの茨城弁話者にとってはごく普通の普段使いの会話であっても驚かれることがあります。一本調子の速口でまくしたて、尻上がり調のうえ、おまけに語尾の「だっぺ」など、耳触りの良くない独特の言葉遣いが、まるで「怒っている」ように、あたかも「けんか腰」のように聞こえると指摘されることもよくありました。

 

茨城弁の代表的な語として列挙される言葉の中に、「ごじゃっぺ」(「でたらめ」など否定的な意味合い)、「でれすけ」(「だらしない、しまりがない男」の意)、「いじやける」(じれったくてイライラする気持ちを表す語)などがあります。こうした独特の語感を持つ語や、我慢の感情を表す他の地域や県には見られない希少な言葉があり、茨城の県民性をよく表す方言ともいわれます。

 

また水戸の三ぽい(みとのさんぽい)は、茨城県水戸市を中心とした地域の住民気質を表現したとされる言葉。理屈っぽい・怒りっぽい・骨っぽいの3つからなるが、「理屈っぽい」または「骨っぽい」を「飽きっぽい」に置き換えることもあります。水戸人の直情径行な気質を表したものと解釈され、とても社交的とは言い難い印象を与えてしまいます。

 

これらは本来、水戸藩の「水戸っぽ」の気質を表す言葉でした。かつては「日本のテロ史上に水戸出身者あり」と言われるほど、水戸出身者の義侠心は天下に鳴り響いていましたが、現在ではそうした義侠心は影を潜めています。既に「三ぽい」の性格が見られたのは昔のことであるという主張がなされていますが、私自身が「水戸っポ」なので、本質は昔のままのような気がします。根っからの茨城県人であるはずの私が、県名の「茨城」を「いばらぎ」と発音したところ、「茨城県人なら正確に『えばらき』と発音するように」と叱られたことがあります。もっともその御老人は性格に「いばらき」と発音されているつもりなのです。

 

このように茨城弁では「い」と「え」の区別が曖昧であったり、ときには逆転してしまったりすることがありました。わたしはかつて「ええずま」と呼ばれても、何の抵抗もなく「はい」と答えていました。最近ではさすがに「ええずま」は聞かれなくなりましたが、「ええじまさん」と発音しがちな老人は健在ですし、なぜだかわりませんが「いいずかさん」と明らかに誤って呼ばれたり、「飯嶋」でなく「飯塚」と表記されたりすることがありますが、茨城県に限らず、東日本出身者が多いような気がします。

 

さて日本放送協会が実施した県民意識調査によると、茨城県民は郷土意識があまり高くなく、特に土地の言葉に対する強いコンプレックスが見られるといいます。その理由として、首都圏にありながら垢抜けず、独特の語尾が上がる話し方によって田舎っぽさが増していることが要因の1つとして挙げられています。また、元々の方言に敬語表現が少なく、軽い気持ちで話したとしても威張っている、叱られたように受け取られるという説もあります。しかし、それよりもかつての茨城県人は自分が方言を話しているとか、訛っているという自覚が乏しい人たちも少なくありませんでした。何を隠そう、私自身も茨城特有の語彙を標準語に置き換えれば訛はない、と単純に考えていたのでした。だから、他者から「訛っている」と指摘されても、アクセントやイントネーションのことまで気が回らず不思議な思いを体験したものでした。

 

『茨城県大百科事典』の「県民性」の項を参照してみると、「温暖な気候による閉鎖的農村社会の存続と水戸藩の気風が茨城県の県民性を作り出している」と解説し、「文化や社会の変化と人々の移動によってゆっくりと変容していくであろう」と結んでいました。ただし、これには異論があります。水戸藩は殿様からして常陸国出身者ではなく、主要な藩士の多くも、他国からの寄せ集めだからです。それにもかかわらず、茨城県人、水戸人は、水戸徳川家をよそ者扱いにはしませんし、水戸藩士を他国者呼ばわりをすることもありません。魅力度最下位の茨城県人は、現在でも、他県からの移住者を、お客様としてというよりも、新しい仲間として快く迎えています。

 

茨城県人の私の心によりピンとくるのは、古書『人国記』の常陸国の項の記載です。それは、「昨日の味方が今日の敵になるようなことはめったにないとあり、中世の頃から律儀な性格であるとみられてきた」という一文です。そして、県民性研究の第一人者である祖父江孝男は、著書『県民性の人間学』で、まさに茨城県人の特質を鋭く分析しています。「茨城県民が口下手で、ゴマスリができないことにより、相手に分かってもらえなくて怒り出すが、すぐ忘れてケロリとしている」旨を記述しています。

 

心理学者の宮城音弥は、茨城県の県民性が千葉県と似ているが、関東奥地の躁鬱質が混入しているらしい、としています。特に茨城県民には「理想家はだ」の特性が強く、<三ぽい>の気質が環境・社会教育・武士の道徳だけで形成されるものではない、とも述べていますが、まさに卓見であり、自分自身のことを振り返ってみても、すこぶる腑に落ちる点があります。

 

また矢野新一は、茨城県北部の男性は保守的で見栄っ張り、女性は愛想が今一つで気が強く、県南部は男女とも北部に比べおおらかである、と述べています。これは表面的な観察所見であり、残念な気がします。男性については概ね正解ですが、茨城育ちの女性の愛想が乏しいのではなく、いささか臆病で内気であるにもかかわらず、安っぽく媚びたり甘えたりすることを良しとしない性質であることを申し添えておきたいと思います。茨城の女性は、自分を飾ること少なく、表裏なく誠実さと真心に溢れていることは、理解されていないようです。

 

茨城男子が保守的で見栄っ張りとされるのも、茨城女子が気丈で愛想に乏しいのも、共通するベースがあるような気がします。それは、自己表現や自己宣伝に対して晩稲(おくて)であるということです。弁舌爽やかな人に引き付けられることはあっても、自分自身がそのようになりたいとまでは考えない傾向が、どうやら今日に至る茨城の男女には見られるような気がするのです。そして、表現力が乏しい一方で、自分の純粋な誠意が曲解されてしまうと、深い悲しみと嘆きを覚えます。その気の毒な感情ですら巧みに表現できず、あたかも怒っているかのように受け取られてしまうのはすこぶる残念な気がしてなりません。

<はじめに>

 

前回は「のどの痛み」に効果のあるツボを紹介しました。

 

 

「経渠」は手の平側の手首にある親指の出っ張りにあり、

 

 

「京骨」は外くるぶし下から足の外側の縁を足先に向かって指の止まるところにあり、

 

 

「尺沢」は手のひらを上に向け、肘の横しわの親指側の凹んだところにある

 

 

というお話でした。

 

 

今回は「冷え」に効果のある「中渚(ちゅうしょ)」「然谷(ねんこく)」「湧泉(ゆうせん)」のツボを紹介しましょう。

 

 

<中渚>

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手を握って出っ張る薬指と小指の骨の間の窪みにあります。

 

 

<然谷>

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内くるぶしの斜め前にある骨の出っ張りの下の窪みにあります。

 

 

<湧泉>

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足の裏でかかとから指を滑らせて指が止まるところにあります。

 

 

 

 

杉並国際クリニック 統合医療部 漢方鍼灸医学科 鍼灸師 坂本光昭

 

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Le lendemain 17 avril, à huit heures, le concierge arrêta le docteur au passage et accusa des mauvais plaisants d’avoir déposé trois rats morts au milieu du couloir.

On avait dû les prendre avec de gros pièges, car ils étaient pleins de sang. Le concierge etait reste quelque temps sur le pas de la porte, tenant les rats par les pattes, et attendant que les coupables voulussent bien se traihir par quelque sarcasm. Mais rien n’était venu.
 

翌4月17日の8時、管理人は通りかかった医師を呼び止め、廊下の真ん中に3匹のネズミの死骸を置いていくといった悪戯が起きたことを訴えた。そのネズミたちは血まみれだったので、大きな罠にかかったせいなのかもしれない。管理人はしばらく玄関口に立っていて、ネズミの脚を掴みながら、犯人たちが犯行をさらけ出したくてたまらなくなるのを皮肉をこめて待っていた。しかし、何者も現れなかった。
 

 

__ Ah!ceux-là, disait M.Michel, je finirai par les avoir.

ああ、こいつらを自分が引き受けることになるのだな、とミシェル氏は言った。

 

註:

宮崎嶺雄の訳では、<「まったく、やつら」と、ミッシェル氏はいっていた。「最後にゃ、とっつかまえてやるぞ」>としています。原文はceux-làであり、ceux-ciではないので、その場には存在しない「やつら」、すなわち複数の相手を指すものとした方がたしかに辻褄が合います。par les avoirのlesも「やつら」を指します。それでは、実際に、ミッシェル氏は具体的に「やつら」を知っているのでしょうか。知っていたら苦労がないはずです。そのあたりが気になるところです。

 

 

 

Intrigué, Rieux décida de commencer sa tournée par les quartiers extérieurs où habitaient les plus pauvres de ses clients. La collecte des ordures s’y faisait beaucoup plus tard et l’ auto qui roulait le long des voies droites et poussiéreuses de ce quartier frôlait les boîtes de détritus, laissées au bord du trottoir. Dans une rue qu’il longeait ainsi, le docteur compta une douzaine de rats jetés sur les débris de légumes et les chiffons sales.
 

興味がそそられたリューは、受け持ち患者の中でも特に貧しい人たちが住んでいる場末の周辺地区から往診を始めることにした。この地域でのゴミ収集はかなり遅くに行われ、まっすぐで埃っぽい道を走る車は、縁石に置かれたゴミの箱をかするように突進していく。リュー医師が歩いていた道すがら、野菜くずや汚れた襤褸(ぼろ)布の上にネズミが投げ捨てられていて十二匹を数えた。

 

 

 

Il trouva son premier malade au lit, dans une pièce donnant sur la rue et qui servait à la fois de chambre à coucher et de salle à manger. C’était un vieil Espagnol au visage dur et raviné. Il avait devant lui, sur la couverture, deux marmites remplies de pois. Au moment où le docteur entrait, le malade, à demi dressé dans son lit, se renversait en arrière pour tener de retrouver son souffle caillouteux de vieil asthmatique. Sa femme apport aune cuvette.
 

通りを見下ろす、寝室兼食堂のような部屋で、最初の患者は床に就いていた。彼は年老いたスペイン人で、硬くごわごわした顔をしていた。彼は、自分の掛布団の上に、豆の入った2つの鍋を置いていた。医者が入ってくると、ベッドで半身を起こしているその老人は、喘息もちの老人よろしくゴロゴロという音を伴う息を吸おうとして後ろにのけぞる姿勢をとっていた。おかみさんが洗面器を持ってきた。

 

註:

原文でle malade, à demi dressé dans son lit, se renversait en arrière pour tener de retrouver son souffle caillouteux de vieil asthmatique.の箇所について、宮崎嶺雄の訳では、<ちょうど病人は半ば身を起こして、うしろへそり返り乍ら、喘息病みの老人のごろごろする息づかいを回復しようと試みているところであった。>とされています。pour tener de retrouverの解釈についてですが、<回復しようと試みる>というニュアンスではなく、単に、(痰が絡んで苦しい)息を吸い込もうとする呼吸動作を描写していると見る方が自然な気がします。痰を吐き出すために息を深く吸い込もうとするときに、このような姿勢動作をとりがちです。もっとも、多くの喘息患者が苦手とするのは吸気ではなく、呼気です。痰がからみやすく気道が閉塞しがちになるので、ごろごろ、ゼーゼーと雑音が発生するのです。そのあとおかみさんが洗面器をもってきたのも、喘息の夫が痰を吐き出すためだったのではないかと思います。カミュは喘息患者を良く観察して描写していると思います。

 

茨城県立県民文化センターが見つからない!?

本来の美声も聴くことができない‼

 

茨城県立県民文化センターは、茨城県水戸市千波町の千波湖および千波公園に隣接する茨城県立の文化施設でした。

それが、私の知らぬ間に、いつしか地図の上からその名が消えてしまいました。

 

その大ホールは、1500席を超える規模で茨城県最大を誇る多目的ホールで、県所有のホールとしては唯一であり、各種講演会・式典・コンサート・コンクール等で幅広く利用されていました。

 

かくいう私は、中学生の頃に美術展を見に行ったきり約半世紀の間、全くご無沙汰していたのですが、2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響により茨城県立県民文化センターは全館に渡り施設を使用できなくなりました。

 

それでも同年7月1日には、大ホールとレストラン以外の運営を再開し、翌2012年7月中に大ホールの改修を終え、その年9月1日に使用再開、という具合で、目まぐるしく、運営維持にも相当な費用を要したであろうことがうかがわれます。

 

茨城県立県民文化センターの小ホールは386席を数え、中ホールといえそうな上野の東京文化会館小ホールの客席数649席、杉並公会堂小ホールの客席数198席と比較してみてもなかなかの規模だといえるでしょう。この小ホールは講演会・研修会・音楽発表会・映画上映等目的に応じて利用されていました。

 

20日の土曜日に私たちが向かった小ホールは、ザ・ヒロサワ・シティ会館 のそれでした。水戸駅の南口から、桜川土手沿いに歩いて数分、千波沼の南岸に位置するところ目指したのですが、これが何と旧茨城県立県民文化センター だったのです。これはいったいどうしたことなのでしょうか。

 

それには訳があったようです。

この施設に個人の名前が付されていることを怪しく感じていた私は、「ヒロサワ」という地元の指揮者か大音楽家の名前を祈念したものではなかろうか、それにしても聞いたことがない名前なのです。

 

依然として茨城県の施設であるとされますが、県直轄ではなく、財団法人いばらき文化振興財団が管理・運営を行っているとのことでした。

そこが、指定管理者制度の導入に伴い、2019年3月15日、同年4月1日より命名権募集を行ったところ、つくば市寺具の金属加工業「廣澤精機製作所」がこれを取得したとのことでした。

 

そこで、新名称は「ザ・ヒロサワ・シティ会館」となった模様です。それにしても契約期間は3年間で契約額は1千万円とのことですから、3年ごとに名前が変わることになるのか、そのままなのか、落ち着かない気分にさせられます。

 

お目当てのコンサートは小ホールで、12時30分開場、13時30分開演という予定なので、その簡に、絵画展や書道展を見物することができました。

 

ちょうどその建物の1階の入り口近くには軽食や飲み物等を販売する売店がありました。

店員の名札にはたしか「広澤」と記されていました。もし彼が命名権者の御一族だとすれば、ファミリーでこのホールを支援しておられることになります。

 

「ザ・ヒロサワ・シティ会館」の近くの茨城県近代美術館敷地内に水戸市千波出身の画家、中村彝(なかむらつね:1887年〈明治20年〉- 1924年〈大正13年)のアトリエを発見しました。

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彼は1911年(明治44年)、当時、多くの芸術家を支援していた新宿・中村屋の主人・相馬愛蔵夫妻の厚意で、中村屋の裏にある画室に住むことになりました。

 

中村は大正期を代表する洋画家の一人で、この「中村彝アトリエ」は1988年にこの地に新築復元されたことを知りましたが、元々は新宿区下落合に逢ったものでした。

 

そのアトリエ跡も2013年(平成25年)新宿区下落合に残るアトリエ跡が復元され、「新宿区立中村彝アトリエ記念館」としてオープンしたとの情報を得たので、忘れないうちに訪れてみたいと思います。

 

お目当てのコンサートですが、オペラ仕立ての「フィガロの結婚」で、4人の声楽家と一人のピアニスト、そして一人の解説者というシンプルな構成でした。

 

ただ時節柄残念だったのは、歌い手がフェイスシールド着用で演奏することを余儀なくされていたことです。

このような状況では、とても本番の生演奏とは程遠い出来上がりになってしまいます。とても残念でした。出演者がとても気の毒に感じられました。

 

それでも、ふだん、本格的なオペラを生で楽しむ機会の少ない方には、入門文化講座としての意義もあったのではないかと思います。

 

前回はこちら

 

厚生労働省は、
職場のメンタルヘルスに関するよくある質問と答えをまとめました
として、ホームページで、こころの健康に対してわかりやすいQ&Aを掲載しています。

それに私が臨床の立場からCとしてコメントを加えてみました。

 

 

 

④ Q.うつ病の時に陥りやすいパターンとは?

 

A.

うつ病になるとどうしても他者の言動が気になり、自分を責め、落ち込んでしまうことも多くなります。具体的な例をあげつつ、気持ちが沈んでしまった時の対処法を説明していきますので、ぜひ参考にしてみてください。

 

 

Q.4-1:漠然とした不安感と負の感情から、相手の些細な言葉に敏感に反応してしまう、どうすればよいか?

 

A.

世の中には色んな考え、意見の人がいます。あなたとは違う考えの人もいるでしょう。相手と意見が合わず、自分の意見を否定されることがあっても、気にし過ぎないことです。意見が合わなかっただけで、あなた自身を否定されたわけではありません。

 

相手の意見を真に受け過ぎて、落ち込むことはありません。相手は相手、あなたはあなた、別の人間であり、異なる気持ちや考えがあるのは当然です。そう割り切って、あなたはあなた自身の気持ちや意見を大切にするようにしてください。

 

 

C.

「相手と意見が合わず、自分の意見を否定されることがあっても、気にし過ぎないこと」というアドバイスは正しく理解しておいた方が無難でしょう。

 

このアドバイスは、「気にしないこと」ではなく、あくまでも「気にし過ぎないこと」と言っています。

両者は大きく違いますので要注意です。

 

相手を尊重する気持ちがあるならば、大いに傾聴すべきですし、そうして学べることも大いにあるはずだからです。

つまり、熟考や吟味、検討のプロセスはコミュニケーションを大切にしたいと考える良識的な社会人としては必要な作業過程です。

ただし、そうしたプロセスを経ても意見が異なることはあっても当然です。

納得いかないまま相手の意見を丸のみにしたり、無理に同調しようと頑張りすぎたりする必要はまったくありません。

 

また「あなたはあなた自身の気持ちや意見を大切にする」といことは、心の健康を保つうえでとても大切です。しかし、それには前提があります。それは、「あなたはあなた自身と同様に相手の気持ちや意見も大切にする」という心がけを忘れないように、ということです。

 

また、そうすることによって、相手もあなたの気持ちや意見を大切にしてくれるようになることでしょう。

 

 

 

Q.4-2:劣等感を強く感じてしまう、どうしたらよいか?

 

A. 

他人と自分を比べて劣等感を感じるのは、「幸せの基準」が自分ではなく他人になってしまっているからです。「幸せの基準」をあなた自身に置かないと、自分が本当に望んでいるものが見えなくなってしまいます。
 

華やかな生活をしている人も、その陰で絶え間ない努力をしています。あなたに同じような努力ができるでしょうか?そもそも、華やかな生活を送ることが本当にあなたの望むことでしょうか?

 

こうして自問自答を繰り返していくことで、自分の深層心理に気づけます。

 

自分が本当に望むことがわかれば、他人の成功などに心を乱されて劣等感を感じることもなくなります。自分の考えや価値観をしっかり持って他者と接することで、むやみに落ち込むことがなくなります。他者の言動に傷つくことや嫉妬がなくなると、自尊心が生まれ、結果、他者も自分自身も大切にできるようになります。 

 

 

C.

この質疑応答で、気になる点を指摘させていただきたいと思います。

 

それは質問Qも回答Aも、他人と自分を比較したり、劣等感を感じてしたりしてしまうことが望ましくないことであることを前提としていることです。

 

もっとも、質問は「劣等感を強く感じてしまう」とありますから、劣等感のすべてを否定的にとらえているとは限らないともいえますが、回答では明かに劣等感をマイナスの感情としてのみとらえているように読み取れます。

 

また、「幸せの基準」が自分ではなく他人になってしまっているからです。とありますが、「幸せの基準」を一定期間、他人においてみることは、必ずしも不毛な結果を招くものではないと思います。

 

多くの人々に、いわば健全な「憧れの存在」があってもおかしくはないわけです。その憧れを目指して、自己錬磨することができるとすれば、それはとても素晴らしいことだと思います。問題なのは、劣等感そのものではなく、自分が感じている劣等感をどのように受け止めて、それをどのようにプラスに活かすか、ということではないかと思います。
 

「自分が本当に望むことがわかれば、他人の成功などに心を乱されて劣等感を感じることもなくなります。」という回答も少し屈折しているような気がします。自分が本当に望むことの延長上に、他人の成功などがあるのだとしたら、それは自己成長のための明確なモデルになり、大きな動機付けにもなります。

 

問題なのは、そこではなく、それで「心を乱されて」自分自身の価値(存在意義)を見失ってしまうことです。

 

回答者が本当に伝えていことは、むしろ、このことではないかと思います。
 

敢えて劣等感を感じようと努めるまでの必要はないと思いますが、劣等感を感じたことのない人は、必ずしも幸福とは限りません。逆に、劣等感に悩み、それを克服することによって大成功を収めた人や、満足できる人生展開を獲得できた人たちも少なくないのではないのではないでしょうか。        

 

劣等感をおぼえたら、むしろ自分には成長のためのチャンスが到来した、くらいにと認識していただければ、と思います。

 

前回はこちら

 



今回は、「水氣道における弱点優先の原則」についてです。この原則は『理想の健康法』としての水氣道の本質にかかわる大切な考え方です。

 

世間で流布している「健康法」は数限りなくあります。そのすべてを実行することは不可能であるし、また、<過ぎたるは及ばざるがごとし>といって、やりすぎ、欲張り過ぎはかえって健康を損ねてしまします。そこで、「健康法」を選択する必要がでてきます。

 

「健康法」の選択に当たってとても大切なことは、自分の心身の弱点を補ってくれるような「健康法」に巡り合うことです。そのためには、いろいろな「健康法」を試してみるのではなく、まずはしっかりと自分自身の身体の弱点を認識することが不可欠になってきます。

 

そして、身体の弱点を補強するための「健康法」は心身のトータルな健康の維持・増進のためには真に理に適っています。そして真に理に適っている「健康法」には、文字通り真理が宿っているはずです。水氣道の真理は、水氣道の神髄をはじめ水氣道実践の三徳、五原理および十二原則に宿っています。

 

そして「健康法」の真理に適うということと、自分の健康に適う、ということが表裏一体になるような選択ができたときに、理想の「健康法」と出会ったことになります。

 

ですから漠然と「健康になりたい」ということで「健康法」を探してみても、そのような理想的な「健康法」に巡り合うことができる可能性はほとんどありません。要は場当り的な健康法ははずれが多いということです。

 

同じようなことが栄養補給法でもしばしば観察されます。とくにサプリメント接種による弊害も散見されます。サプリメントとは本来「欠乏もしくは不足した栄養素を補充すること、あるいはそのための補充栄養剤」を意味します。

したがって、予め、「欠乏もしくは不足した栄養素」を調べておくべきなのです。

 

しかし、実際にはこうした必要な手続きは省略して個人の思い付きや思い込みだけで摂取をはじめてしまいがちです。するとどのような結果が発生するでしょう。

その方にとって真に必要な栄養素は欠乏したままで、すでに充足あるいは過剰になっている栄養素が補給されてしまいかねません。栄養プロフィールのアンバランスの是正どころか、不均衡を増大させてしまうことにならないでしょうか。

 

スポーツについても同じことが言えそうです。元来優れていることや他に秀でて得意なことを続けることは楽しいことであり、そうした技術を伸ばすことで競技スポーツの成績の向上も期待できることでしょう。

 

しかし、その人の劣っていることや苦手なことはなおざりにされてしまいがちになるのではないでしょうか。そのような方向性でスポーツを続けていたとすれば、中高年以降に健康を損ねてしまうことは何ら不思議ではないでしょう。

 

それでは、どうしたら良いのでしょうか。上に挙げた残念な結果をもたらさないためには、『弱点補強の目的意識をもって行なう』意識をもって、それに適った「健康法」を探求することが理に適う選択に繋がります。

そのためには、まず「弱点」を発見することが決め手になります。ですから、病気の治療ではなく健康のための手段として「健康法」を選ぶ段階で、かかりつけの医師に相談することは、とても賢明なことです。どのような主治医を選ぶかも寿命のうちかもしれません。

 

水氣道の理論と技法の体系は、実に、この目立たない、あるいは気づきにくい、さらには避けて通りたくなるような各人の健康上の「弱点」を克服することを目標としてきたと言っても過言ではありません。

健康上の「弱点」を克服するためには、どのような運動を実施すれば克服できるかについて、20年以上に及び、信頼に足る理論仮説をもとに試行錯誤を繰り返して、実証的に検証し続けることで日々完成度を高めているのが水氣道なのです。

 

そこで、次回は、「水氣道における弱点優先の原則」について、どのようにして、個々人の「弱点」を検出し、しかも、集団のエクササイズの中に取り込んでいくのか、についてより具体的にごしょうかいしたいと思います。

 

今年の当クリニックの診療を振り返ってみると、大きく変化し、充実させることができた領域の一つが「骨粗鬆症」に関しての診療でした。それは、医学の進歩を日常診療に反映させるための当然の結果であるといえます。

 

骨粗しょう症は、かつては単に骨密度が低下して骨折しやすくなる病気とされていたため、予防にあたっては「骨密度」を中心に考えられていました。当クリニックでは、従来からMD法*で計測してきました。

 

*MD法(Microdensitometry法);

手の横にアルミニウム板を置き、一緒にエックス線写真を撮影し、画像の濃淡の差をコンピューターに読み取らせて解析する方法です。

 

 

また、新型コロナ感染症等の対策として計測をはじめることになったのが偶然のきっかけで発見できたこともあります。

 

それは自然免疫の維持強化を助け、しかも骨形成に不可欠な栄養素である血液中のビタミンD(25OHVD)の濃度が低下しているにもかかわらず、骨密度が正常または高値である方も少なからざる症例数にのぼっていたということです。

 

この事実からも、骨密度の他に骨質を確認する必要があることに気づくことができました。しかも、近年、骨密度が正常範囲であるにもかかわらず、骨折リスクが高い患者さんがいることがわかてきました。

 

その原因を調べると、人によって「骨質※」に違いがあることが明らかになってきました。骨密度検査で正常範囲の結果が出ても骨折リスクが高いことがあります。

 

※骨質:

❶ 骨の微細構造、❷ 微小骨折の有無、❸ 石灰化の密度、および ❹ 骨代謝回転(リモデリング)の速さ、により示されます。

 

そこで、骨粗しょう症の定義は「骨強度が低下し、骨折しやすくなる骨の病気」とあらためられました。つまり骨粗しょう症は、骨密度の低下と骨質の劣化(異常な過老化による微細骨折からはじまる)、その両方が影響しあって骨折リスクが高まる病気といえます。

 

そして、「骨強度」には骨密度が70%、「骨質」が30%関係している、

と説明されるようになりました(NIHステートメント2000)。

 

「骨」といえばカルシウムばかりを連想しがちですが、骨の重量の20%、体積では50%を占めるのはコラーゲンという蛋白質です。骨を鉄筋コンクリートの建物にたとえるならば、カルシウムはコンクリートで、コラーゲンはコンクリート内に埋まっている鉄筋となります。

 

鉄筋(コラーゲン)の強さを左右するのは、鉄筋同士をつなぎとめるコラーゲン架橋です。架橋というのは、結びつきのことです。これはいわば梁(はり)の役目をして、建物全体の強さにまで影響を及ぼしています。さらに、このコラーゲン架橋には「善玉架橋」と「悪玉架橋」があります。

 

コラーゲン架橋が規則正しく、しっかりしている生理的架橋を「善玉架橋」、バラバラになっている非生理的架橋を「悪玉架橋」といいます。悪玉架橋が増加すると、コラーゲン同士のつなぎ止めが弱くなり、しなやかさが失われ、硬くてももろい、折れやすい状態となってしまいます。

 

この「善玉コラーゲン架橋」は、骨を作る“骨芽細胞”から分泌される酵素反応を介して正常な生体反応によって形成される生理的架橋です。これに対して、「善玉コラーゲン架橋」は酵素反応を介さず場当り的に形成される非生理的架橋です。

 

それでは、骨質をどのように評価し、日常の臨床に役立てていくことができるのかについて、可能なことを次号で紹介させていただくことにいたします。

 

前回はこちら

 

臨床産業医オフィス

<高円寺南労働衛生コンサルタント事務所>

産業医・労働衛生コンサルタント・第一種作業環境測定士・衛生工学衛生管理者

飯嶋正広

 

今回の相談:

ストレスチェックを実施した後の結果についての情報は、どのように取り扱ったらよいのでしょうか? その場合、産業医は何をしてくれるのでしょうか?

 

ストレスチェックと面接指導の実施に係る流れ(厚生労働省)その2

<ストレスチェックでの注意事項の確認から産業医による高ストレス者面談まで>

 

事業所において、ストレスチェック制度が有効で円滑に導入されるためには、衛生委員会での調査審議と労働者への説明を十分行うことが大切であることについて、前回説明しました。

 

それでも慣れるまではなかなか厄介な手続きです。それは、ストレスチェックは一般定期健康診断と同時に実施することも可能である反面、情報の取り扱い方に違いがあるからではないかと考えます。

 

 

ストレスチェックで注意すべきなのは、

第一に、労働者本人の個別的な同意が示されなければ、その結果を事業者に開示することができないことです。

 

第二に、実施、分析、結果分析、保存を行うのは実施者であること。逆に実施者として定められていない限り、たとえ産業医であっても個別の結果を閲覧することができないことです。

 

産業医が実施者であれば、ストレスチェックの結果をもとに、高ストレス者に申し出の勧奨を行うことができます。そのためには、産業医が「実施代表者」または「共同実施者」になっていることが望ましいとされているのです。その場合であっても、嘱託産業医の場合は、検査そのものを外部機関に委託し、データ化して受け取ることが一般的です。

 

 

〇 衛生委員会の場やその他の機会において、参加委員をはじめ労働者に本制度の趣旨や実施内容を専門的立場から説明すること

 

〇 ストレスチェックの企画の際、具体的な実施内容や方法などの検討にかかわること

 

〇 高ストレス者に対する面接指導の申出の勧奨を行うこと

 

〇 高ストレス者面接指導を行うこと

 

〇 面接指導の結果に基づき、事業者に意見を述べること

 

〇 集団分析の結果を職場改善に活かすための過程で可能な限り関与すること

 

 

高ストレス者の面接指導は、面接指導を希望した労働者のみに行います。

 

面接の内容は、

1)労働時間等の勤務状況、

 

2)ストレス要因等の心理的な負担の状況、

 

3)睡眠や生活リズム等の状況、

 

4)その他、当該労働者の就業環境に関する状況、

 

などです。こうした内容の面接によって聴取した情報に基づいて、

 

5)本人に対する指導

 

6)当該労働者の就業についての事業者に対する意見

 

が求められています。