前回はこちら

 

 

 Ce qui est plus original dans notre ville est la difficulté qu‘on peut y trouver à mourir. Difficulté, d’ailleurs, n’est pas le bon mot et il serait plus juste de parler d’inconfort. Ce n’est jamais agréable d’être malade, mais il y a des villes et des pays qui vous soutiennent dans la maladie, où l’on peut, en quelque sorte, se laisser aller. Un malade à besoin de douceur, il aime à s‘appuyer sur quelque chose, c’est bien naturel. Mais à Oran, les excès du climat, l’importance des affaires qu’on y traite, l’insignifiance du décor, la rapidité du erépuscule et la qualité des plaisirs, tout demande la bonne santé. Un malade s’y trouve bien seul. Qu’on pense alors à celui qui va mourir, pris au piège derrière des centaines de murs crépitants de chaleur, pendant qu’à la même minute, toute une population, au téléphone ou dans les cafés, parle de traits, de connaissements et d’inconfortable dans la mort, même moderne, lorsqu’elle servient ainsi dans un lieu sec.


この街独特なのは、死ぬことの難しさだと思う。ちなみに困難(la difficulté)という言葉は適切ではなく、不快(inconfort)と言った方が当を得ているだろう。病気になるのは決して楽しいことではないが、病気になっても支援してくれる市町村や国があるので、ある意味、自分を解放することができる。病人には穏やかさが必要で、何かに委ねているのが好きなのだ。しかしオランでは、極端な気候、そこで行われるビジネスの重要性、陳腐な景観、夕暮れの早さ、楽しみの質、すべてが健康であることを要求する。病人は、とても孤独だ。その一方で、電話やカフェでは、乾燥した土地柄で起こる死、それも現代的な死の特徴や慣習、不快感について話す人々がいる。

 

 

 

Ces quelques indications donnent peut-être une idée suffisante de notre cité.
Au demeurant, on ne doit rien exagérer. Ce qu’il fallait souligner, c’est l’aspect banal de la ville et de la vie. Mais on passe ses journées sans difficultés aussitôt qu’on a des habitudes. Du moment que notre ville favorise justement les habitudes, on peut dire que tout est pour le mieux. Sous cet angle, sans doute, la vie n’est pas très passionnante. Du moins, on ne connaît pas chez nous le désordre. Et notre population franche, sympathique et active, a toujours provoqué chez le voyageurs une estime raisonnable. Cette cité sans pittoresque, sans végétation et sans âme finit par sembler reposante, on s‘y endor enfin. Mais il est juste d’ajouter qu’elle s’est greffée sur un paysage sans égal, au milieu d’un plateau nu, entouré de collines lumineuses, devant une baie au dessin parfait. On peut seulement regretter qu’elle se soit construite en tournant le dos a cette baie et que, partant, il soit impossible d’apercevoir la mer qu’il faut toujours aller chercher.

 

これらのいくつかの指標は、私たちの都市を十分に理解させてくれることだろう。いずれにしても、何事も大げさに考えてはいけない。強調すべきなのは、都市やそこでの生活のありふれた側面だ。しかし、ひとたび日常茶飯事となってしまえば、何の問題もなく毎日を過ごすことができる。この街での習慣化が進んでいけば、すべてがうまくいく。この観点から見ると、人生とはあまり刺激的ではないものかもしれない。少なくとも、私たちには障りがない。また、開放的で友好的で活動的な国民性は、常に旅行者から相応の評価を受けている。この街には絵もなく、草木もなく、魂もないが、最後にはそこで安らかな眠りにつくことができる。しかし、それは、完璧に設計された湾を前にして、光り輝く丘に囲まれた剥き出しの高原の真ん中にあるという比類なき風景に接ぎ木されていることを付け加えてもいいだろう。街はこの湾を背にして建てられたために、私たちが常に探し求めなければならない海を見ることができないのは残念でならない。


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私にも日本のある風景に対して「接ぎ木された(s’est greffée sur)」という表現に似た感覚を覚えた経験があります。それは、形的には連続しているが、自然な、有機的繋がりではない、互いに無関係な、あるいは対照的な領域どうしが人工的に繋がっているようなグロテスクな風景との遭遇によるものでした。
 

日本の殆んどの都市の構造や周囲の光景は、たとえそれが近代化によって大きく変貌を遂げたとしても、歴史の盛衰に委ねてゆっくりと変化しながら形成されてきました。そのためか、街の遥か郊外から、街はずれ、そこからまた街の繁華街や中枢部に向かって進んでいくと、自然に、ほぼ連続的になだらかに街や周囲の景観が変化していきます。そうした光景は、多くの人々にとっても当たり前になっていて何の疑問も浮かんでこないのではないかと思います。

 

そうした日常の感覚が当然であるかのように慣れてしまい、疑問すら抱くことのなかった私に大きな違和感を与えた光景があります。それは国家計画によって大規模な予算を投入されて開拓されつつあった筑波研究学園都市です。開発以前は、古代からの常陸の国の象徴とも言うべき筑波山を背景とする、直線距離では東京のほど近くに位置するが、どちらかといえば交通の不便な辺鄙な田舎でした。

 

それまで通りの、平凡で、日常的で、何の変哲もない田舎の国道を、今は亡き自動車好きの父が運転する車の助手席から前方を注視していると、何の前触れもなく、突如、近代都市が出現してきたのでした。その姿は、慣れ親しんできた穏やかで優しい日本の風景とは全く異なり、米国の都市を想起させるものでした。違和感のある風景でした。そこからは無機的で威圧的な、とうてい馴染めそうにない空間が広がっていました。

 

田園の憂鬱のイメージとは違った人工都市の得体のしれぬ憂鬱を想わせるものでした。当時の私はこの人工都市での生活を余儀なくされたとしたら、自分がどのような精神的悪影響を被ることになるだろうか、と想いを巡らさざるを得なかったことを覚えています。

 

 本日は、福島の双葉にある処理施設に出張する日です。福島の復興は日本の復興、隣県の茨城県出身の医師としてささやかながら貢献を続けたいと願っているしだいです。今年は、東日本大震災(2011)からちょうど10年目に当たります。改めて振り返ってみますと、私はこの年に声楽コンクールに入賞していたのでした。

 

第3回東京国際声楽コンクール(2011)入賞(5位、男声1位)の入賞者の副賞として、翌年ガラコンサート(オーケストラ付)出演、ウィーン国立音楽大学研修(2週間)で、クラウディア・ヴィスカ教授から連日のレッスンを受けたのが翌年の2012年だったと記憶しています。

 

オフィシャルサイトで確認したところ、このコンクールは第12回(2020)で終了し、あらたに「国際声楽コンクール東京」が発足したとのことです。

 

そのときの予選通過記念品のデジタル時計(現在も診察室の机の上で活躍中です)、准本選入選記念のメダル、そして本選入賞の盾を御披露いたします。

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声楽愛好者部門での入賞ですが、1位から4位まですべて専門の音楽教育を受けた女性で占められ、辛うじて5位に滑りこんだ男性である私が音大出でない素人ということで、当時、若干の注目を浴びたことを記憶しています。

 

早いもので、それから9年が経ちました。ヴィスカ先生とのご縁により、近年では毎年欧州で開催される医学会に合わせて3月になるとウィーンで個人レッスンを受けさせていただいておりました。それが、生憎、新型コロナパンデミックのため、昨年と今年は欧州行を断念、今後もしばらくは渡欧困難となり、ヴィスカ先生のレッスンを受けることも叶わなくなっていました。

 

半ば、そのように諦めかけていたのですが、幸にそのヴィスカ先生の個人レッスンをお茶の水で受けることができました。

 

それが先週の土曜日、15日の午後6時過ぎからの1時間でした。遠隔レッスンでしたが、レッスン用ホールには、大きなスクリーンが用意されており、手配していただいた専属のピアニストの伴奏の協力によって、リアルなレッスンを受けることができました。スクリーンには懐かしいヴィスカ先生と日独通訳の女性が大きく映し出され、まじかに会っているよりインパクトがあるくらいでした。

 

毎週金曜日の夜に、杉並区和田の<めいた音楽院>でお世話になっているピアニストのKさんに伴奏を御願いしたのですが、突然の依頼であったため、先約がありアポイントが取れませんでした。そこで、主催のお茶の水のスクール(And Vision)に手配していただきました。

 

ヴィスカ先生はウィーン在住であるためドイツ語話者ですが、米国人であるため、通訳なしで英語でレッスンを受けることも可能です。そこで、通訳は不要である旨を主催側に伝えたのですが、会場や遠隔での聴講生の便宜のため、通訳が必要とのことでした。

 

米国人の先生と日本人の生徒がイタリア歌曲を歌い、日本人のドイツ語通訳者を介してコミュニケーションするという、いま思えばちょっと不思議な環境が誕生したのでありました。

 

私が選曲したのは以下の3曲でした。すべて暗譜できている曲であったため、良い姿勢で歌うことができたように思います。

 

 

#1.Caro mio ben(愛しい人よ)/G.Giordani

 

#2.Spirate,pur spirate(どうか、吹いておくれ)/S.Donaudy

 

#3.Nostalgia(郷愁)/P.Cimara

 

 

 

『カロ・ミオ・ベン(イタリア語: Caro mio ben 愛しい人よ)は、イタリアの作曲家トンマーゾ・ジョルダーニがイギリスで出版した曲。男性の恋心を歌った曲なのでルチアーノ・パヴァロッティをはじめ多くの有名な男性歌手よって歌われています。また女性が歌っても美しい曲であり、これまた多くの女性歌手に歌われています。
イタリア語の歌詞の内容は、愛する女性に自分の想いを伝えるちょっと切ない物語です。

 

 

「カロ・ミオ・ベン」の作曲者トンマーゾ・ジョルダーニ(Tommaso Giordani/1730-1806)はイタリアのナポリ出身で、生涯のほとんどをイギリスで過ごしました。

 

この曲はイタリア歌曲の中でも大変有名なアリエッタですが、作詞者は不明です。

 

近年までこの曲の作曲者は同じくナポリ出身の作曲家ジュゼッペ・ジョルダーニ(Giuseppe Giordani/1751-1798)であるとされてきましたが、1890年にイタリアのリコルディ社から出版された楽譜に、ジュゼッペ・ジョルダーニが作曲者がであると記載され、そのまま世界中に広がってしまったことが原因だそうです。

 

私が愛用している楽譜も、リコルディ版によるものなので作曲者はG. Giordaniと表記されています。またコンサートのプログラムでも相変わらずG. Giordaniと記載されるのが普通です。

 

 


原語(イタリア語)歌詞に日本語訳(訳:飯嶋正広)を添えました。

 

Caro mio ben      愛しい女よ 

 

Credimi almen     せめて僕を信じて

 

Senza di te       きみ無しでは

 

Languisce il cor     心が折れてしまう

 

 

 

Caro mio ben      愛しい女よ 

 

Senza di te       きみ無しでは

 

Languisce il cor    心が折れてしまうよ

 

Il tuo fedel      きみに忠実な男は 

 

Sospiro ognor     いつもため息ばかり 

 

Cessa crudel      つれなくしないで

 

Tanto rigor       あまりにも酷だ

 

Cessa crudel      つれなくしなくしないで

 

Tanto rigor       あまりに酷だ

 

Tanto rigor       あまりにも酷だよ

 

 

 

Caro mio ben     愛しい女よ 

 

Credimi almen    せめて僕を信じて

 

Senza di te      きみ無しでは

 

Languisce il cor    心が折れてしまう

 

 

 

Caro mio ben      愛しい女よ

 

Credimi almen     せめて僕を信じて

 

Senza di te      きみ無しでは

 

Languisce il cor    心が折れてしまうよ

 


それでは、いまから、福島へ行ってまいります。

 

 

 

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複雑性PTSDとは、感情などの調整困難を伴う心的外傷後ストレス障害(PTSD)です。組織的暴力、家庭内殴打や児童虐待など長期反復的なトラウマ体験の後にしばしば見られるとされます。

 

Q3.

複雑性PTSDの方のために、「周囲が肯定的に対応し、成り行きを優しく見守っていていけば、速やかに回復する」というのは本当ですか?

 

A3.

どなたの御意見かは存じ上げませんが、残念ながら、回復までには、かなりの時間が掛かるものと見込まれます。

 

外傷的解離により自我から分離した体験は、自我の認知処理能力を超えた情報であり、象徴化されない原情報のまま保存されます。自我は分離し、複数の自己状態が作り出され個々に組織化されます。そして、やがて互いに異なった思考、記憶、感情、行動を持ち、それぞれ別々に麻痺と侵入の機能により意識に上るようになります。

 

その際、それらの分離した自己状態は侵入的印象、暴力的再演、極度の悪夢、不安反応、心気的症状、極限的身体感覚等を与えることになって、まるで悪魔に憑りつかれているかのような自己の存在を示します。

 

その状況は心理的外傷を生み出す圧倒的状況が過ぎた後も保持され、自己の本来的な感情、記憶、危機意識を麻痺させ現実検討能力の全般的低下をもたらします。

また、解離の働きが不完全な場合、保障行為としての解離的適応行動としての一時的防衛の一つとして嗜癖行動等をきたします。

 

さらに解離の働きが不完全となりそれらの防衛が突破されると、性的強迫観念に基づく不特定多数との性行為など危険な行動を起こすことがあります。

 

私自身も、かつてこのような状態になった既婚の女性の患者さんの紹介を受け、及ばずながら対応した経験があります。

しかし、一人の医師のみでは、とうてい手におえる状態ではないことを思い知りました。配偶者の方が、愛情に満ちていて、特別に寛容な方であり続けない限り、婚姻関係の継続は難しいのではないか、というケースでした。

 

前回はこちら

 


今回の記事は高齢者や心身虚弱者、あるいは慢性的な基礎疾患を抱えている方など、運動量を最小限に抑えつつ、最大限の成果を得たいと願う皆様を想定して準備しました。

 

その他にも、トレーニングで求める結果を出したい方、より小さな運動量で効率よく成果を挙げたい方、さらにはトレーニング指導で意識の面からアドバイスをしたい方(水氣道では、ファシリテータ、インストラクタ、トレーナーなどの方)にも読んでおいていただきたいと思います。
 

 

日常的な、身近な習慣を変えるだけで心身の状態をコントロールすることができます。

 

無意識的で不健康な習慣を意識的に健康的な習慣に置き換えていくのが水氣道です。

 

心身医学の専門医としては、身体の状態が脳や心の状態に関わっていることや、逆に意識が身体に与える作用について探求することは中心的な課題です。また、同様の関心をもつ心理学には身体心理学という分野があるようです。

 

心や精神と身体の繋がりは今改めて注目されています。生理学のおける古典的な基本法則として、ルー(Roux)3原則 が知られています。

 

「身体(筋肉)の機能は適度に使うと発達し、使わなければ委縮(退化)し、過度に使えば障害をおこす」という法則です。

 

ここで、身体機能の使い方は、意識によって調節されることに注目したいと思います。身体作りをする上でトレーニング、食事、休養は「ルーの三原則」の三大要素にとなっています。ルーの三原則は、現代のスポーツのトレーニングに用いられている「トレーニングの三大原理」にそのまま対応しています。

 

 

 

意識性の原則

 

意識性の原則とは、トレーニングの効果を高める理論上の五原則の一つです。

どのような意識でトレーニングに臨むべきかを示すものです。

 

具体的にはトレーニングの目的、方法、効果などについてよく理解し、常に目的意識と向上心を持って積極的にトレーニングに取り組むこと、そうした意識の持ち方によって高いトレーニング効果を期待できるという原則です。

 

そのため「積極性の原則」と呼ぶことも可能かもしれません。それは、行おうとしている練習やトレーニングの目的はなにかを意識することです。たとえば、どこの部位を鍛えているのか意識しながら行うとトレーニング効果がアップします。
 

意識性の原則に基づき、目的を明確にしてトレーニングを行うことの意義は、多くのトレーニング指導者の共通理解であると思います。

この場合の「意識性」とは、トレーニングの内容、意味、ターゲットの部位や理想のイメージ像を持つことを意味します。また「原則」とは、トレーニングの 効率、効果を高めるための条件という意味でもあります。

 

 

実際に運動をする際、動かしている筋肉や目的に意識を集中すると、パフォーマンスや成果が変化していきます。

 

『意識性の原則』に関わる研究は多く、たくさんの学術論文があります。次回は、そのような研究の中から、水氣道の稽古で実際に応用しているものを紹介したいと思います。

 

前回はこちら

 

 

Användningen av Modernas vaccin mot covid-19 pausas för alla som är födda 1991 och senare

 

1991年以降に生まれたすべての人を対象に、モデルナ社のCovid-19ワクチンの使用を中止する

 


<先週からの続き>

 

Data pekar mot en ökad förekomst också i samband med vaccination mot covid-19, främst hos ungdomar och unga vuxna och främst hos pojkar och män. För den enskilda individen är risken att drabbas väldigt liten, det är en mycket sällsynt biverkan.

 

データによると、主に青年と若年成人、そしてほとんどが少年と男性で、covid-19ワクチンの接種に伴う発生率の増加も指摘されています。本人にとっては、影響を受けるリスクは非常に低く、非常に稀な副作用です。

 

 

<コメント❸>

この段落では、前段落とは対照的に、副反応が発生するのは、ほとんどが少年と男性である、と限定付けを行い、絞り込みを示したうえで、最後に「本人にとっては、影響を受けるリスクは非常に低く、非常に稀な副作用です。」と締めくくるという表現レトリックを採用しています。

 

しかし、これはとても不思議な論理です。読み手本人が、少年や男性に該当しない、という前提でのメッセージになっています。読み手が少年もしくは男性に該当するならば、前段落までのデータを踏まえるならば、「影響を受けるリスクは非常に低く、非常に稀な副作用です。」という結論には至らないはずです。

 

 

Nya preliminära analyser från svenska och nordiska datakällor pekar mot att sambandet framförallt är tydligt när det gäller Modernas vaccin Spikevax, i synnerhet efter den andra dosen. Riskökningen ses inom fyra veckor efter vaccinationstillfället, främst inom de två första veckorna.

 

スウェーデンと北欧のデータソースから得られた新たな予備的分析によると、モデルナ社のSpikevaxワクチンでは、特に2回目の接種後にその関係が明らかになっています。リスクの増加は、ワクチン接種後4週間以内、主に最初の2週間以内に見られます。

 

<コメント❹>

この段落は、とても示唆に富んだ内容が示されています。信頼に足るデータ分析の結果、ワクチン接種による「リスクの増加」は直後に限定されるのではなく、「主に最初の2週間以内」ですが、「ワクチン接種後4週間以内」であってもみられるということです。

 

ワクチン接種による副反応や死亡例について、従来のように「直接の因果関係は証明できない」との見解のみで事足れり、とすることは甚だ誠意に欠ける無責任な態度だということを示す情報だと思います。

 

 

 

Folkhälsomyndigheten har beslutat att rekommendera paus för all användning av Spikevax till personer födda 1991 och senare. Till dessa åldersgrupper rekommenderas i stället vaccinet Comirnaty från Pfizer/Biontech. Beslutet gäller fram till den 1 december 2021. Folkhälsomyndigheten återkommer med besked om rekommendation efter detta datum.

 

公衆衛生局は、1991年以降に生まれた人を対象に、スパイクバックスのすべての使用を中断するよう勧告することを決定しました。これらの年齢層には、代わりにファイザー/ビオンテック社のワクチンである「コミナティ」が推奨されています。この決定は2021年12月1日まで有効で、それ以降は公衆衛生局からさらなる情報が提供されます。

 

<コメント❺>

スウェーデンの公衆衛生局の勧告は、12月1日までという時限的なものです。ここで注意すべきなのは、12月1日以降は、<この勧告が解除される可能性がある>ということを示唆するものであると単純に解釈すべきではないということです。

 

常に最悪の事態を考える立場であるならば、12月1日以降は、<モデルナ社のスパイクバックスの中断継続のみならず、ファイザー/ビオンテック社のコミナティ推奨も取りやめる>という新たな勧告もありうるということを想起できなくてはならない、ということだと思います。

 

 

– Vi följer läget noga och agerar snabbt för att vaccinationerna mot covid-19 hela tiden ska vara så säkra som möjligt och samtidigt ge effektivt skydd mot covid-19, säger Anders Tegnell, avdelningschef och statsepidemiolog på Folkhälsomyndigheten.

 

- 公衆衛生局の部長兼国家疫学の専門家であるAnders Tegnell氏は、「我々は状況を注意深く監視し、covid-19に対する予防接種が常に可能な限り安全であり、同時にcovid-19に対する効果的な保護を提供するために迅速に行動している。」と述べています。

 

<コメント❻>

Anders Tegnell氏の発言通りであることを祈ります。

 

前回はこちら

 


<多段階人生のために重要な無形資産とは?>

 

*リンダ・グラットン(ロンドン・ビジネススクール教授、人材論、組織論の世界的権威)

<リンダ・グラットンは、マルチステージの人生では、生涯学習、健康的な高齢化、良好な人間関係など、無形の資産が重要であると唱えている>

 

・And in terms of intangible assets, there are three that are very important. One of them is your health. One of them is your sort of learning and knowledge. And then the third is your social relationships.

 

そして、無形の資産に関しては大変重要なものが3つあります。一つは健康、もう一つは学習や知識です。そして3つ目は社会との関わりです。

 

 

・The assets are really about the amount of time you spend on things. I mean, it’s really about time allocation, fundamentally.

 

資産というものは実は、それにどのぐらいの時間をかけるかです。要するに基本的には時間配分が重要になってきます。

 

 

 

・It’s just that you have to be aware that, if you devote every moment of your day, to making money and to working, you are depleting your other assets. And if you deplete them too much over time, you’ll find it difficult to build them.

 

ただ、気をつけなければならないのは、1日の全ての時間をお金を稼ぐことや働くことに捧げていると、他の資産が枯渇してしまうということです。そして、時間をかけて枯渇したものは再構築が難しくなります。

 

 

<嘱託産業医からのコメント>

無形資産は時間(限られた寿命の有限の一部)という資源を消費して得られる、
消費が投資、浪費になるかどうか・・・

 

各地にて編纂された『風土記』は、現在ではわずかに五つしか残されていません。

 

『常陸国風土記』はその貴重な一つなのですが、残念ながら完本ではありません。

 

省略されたり欠落していたりする箇所も少なくありません。

 

『古事記』や『日本書記』とは異なり、たとえ中央との繋がりが深い官人の手によって編纂されたとはいえ『風土記』は、地方の伝承や物語が中心をなしているため、生き生きとした古代の世界を豊かに表現しています。

 

 

現在の茨城県といえば、首都東京から比較的近くに広がっているにもかかわらず、現在でも地方色が豊かで、どちらかというと地味な土地柄です。

 

長野県が都会人を大いに引き付けるアピール力をもった洗練された田舎であるとすれば、茨城県は地味で不器用で飾り気のない田舎ということが言えるかもしれません。

 

当時の常陸の国は、奈良の都からはるか遠くに隔たった東国の辺境にあったにもかかわらず、常世の国として美しく豊かに描かれていることにミステリアスなロマンを感じます。

 

 

ヤマトの最も優れた勇者とされてきた東国を彷徨された日本武尊(倭建命、倭武天皇とも)は、常陸国風土記の中でも物語を展開させています。

 

 

永遠の時を隔てて古代の姿を今日までとどめているものとしては、自然をおいて他にはないでしょう。

 

筑波山は常陸国の象徴であり続け、茨城県のシンボルでもあります。また建造物としては、常陸一之宮である鹿島神宮があります。

 

鹿島神宮は、天智天皇の時代に都から遥か東国の果てにあるにもかかわらず、国家の手で造営したのは、藤原鎌足に対する天智天皇の恩寵のためであるとか、東国鎮圧の願いのためであるとか、種々の説があるようです。

 

神護慶雲二年(768年)には、春日大社が創建され、鹿島の武甕槌(建御雷)神を筆頭に、下総香取の経津主神、河内枚岡の天児屋根神、比売神の四神が、その祭神とされました。

 

それは当時の都の程近くの畿内ではなく、遥かな東国であるにもかかわらず鹿島神宮、香取神宮を擁する常陸国、下総国の地位や重要性が決して低いものではなく、むしろ高く評価されていたことを意味します。

 

この事実を確かめることによって、私は、常陸国および下総国よりなる茨城の古代の姿を想像し、ロマンを感じずにはいられなくなるのです。

<はじめに>

 

前回は「臀部のコリ」に効果のあるツボを紹介しました。

 

 

「丘墟」は外くるぶしの斜め前下のくぼみにあり、

 

 

「束骨」は足の外側の縁を小指に向かってさすって突き当たるくぼみにあり、

 

 

「環跳」はお尻の真ん中よりやや外側でお尻に力を入れたときにできる窪みにある

 

 

というお話でした。

 

 

 

今回は「腕の痛み」に効果のある「腕骨(わんこつ)」「陽溪(ようけい)」「曲池(きょくち)」のツボを紹介しましょう。

 

 

 

<腕骨>

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小指から手首に向かい手の側面をたどってぶつかる骨の切れ目にあります。

 

 

 

<陽溪>

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親指を動かすと浮き出る2本の腱の窪みにあります。

 

 

 

<曲池>

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親指側で肘を曲げてできるシワの一番外側にあります。

 

 

 

杉並国際クリニック 統合医療部 漢方鍼灸医学科 鍼灸師 坂本光昭

 

前回はこちら

 

 

第Ⅰ部(註:訳読者飯嶋が便宜的に区分した)

 

第1章(註:訳読者飯嶋が便宜的に区分した)

 

Les curieux événements qui font le sujet de cette chronique se sont produits en 194., à Oran. De l’avis général, ils n’y étaient pas a leur place, sortant un peu de l’ordinaire. À première vue, Oran est, en effet,une ville ordinaire et rien de plus qu’une préfecture française de la côte algérienne.

 

この年代記の主題となっている不思議な出来事は、194x年にオランで起こった。 誰が見ても、それは場違いで、ちょっと普通ではなかった。 オランは、一見すると普通の町で、アルジェリア沿岸のフランスの一県に過ぎない。

 

 

La cité elle-même, on doit l‘avouer, est laide. D’aspect tranquille, il faut quelque temps pour apercevoir ce qui la rend différente de tant d’autres villes commerçantes, sous toutes les latitudes. Comment faire imaginer, par exemple, une ville sans pigeons, sans arbres et sans jardins, où l’on ne rencontre ni battements d’ailes ni froissements de feuilles, un lieu neutre pour tout dire? Le changement des saisons ne s’y lit que dans le ciel. Le printemps s’annonce seulement par la qualité de l’aire ou par les corbeilles de fleures que des petits vendeurs ramenent des banlieuses; c‘est un printemps qu’on vend sur les marchés. Pendant l’été, le soleil incendie les maisons trop sèches et couvre les murs d’une cendre grise; on ne peut plus vivre alors que dans l’ombre des volets clos. En automne, c’est, au contraire, un déluge de boue. Les beaux jours viennent seulement en hiver.

 

街自体が、みすぼらしいと言わざるを得ない。外観は静かで、あらゆる緯度にある他の多くの商業都市と何が違うのかを理解するには時間がかかる。例えば、ハトのいない、木や庭のない、羽ばたきも葉っぱのざわめきもない、いわばニュートラルな街を想像してみてはどうだろうか。季節の移り変わりも、空でしか見ることができない。春を告げるのは、空気の質や、幼い売り子たちが郊外から運んでくる花籠だけではなく、市場で売られている春もある。 夏になると、太陽は乾燥しすぎた家屋を焼き、壁を灰色の灰で覆い、人々は閉じた鎧戸の日陰でしか生きられなくなる。秋になると逆に泥の洪水になる。良き日は冬にしか訪れない。

 

 

 

Une manière commode de faire la connaissance d’une ville est de chercher comment on y travaille, comment on y aime et comment on y meurt. Dans notre petite ville, est-ce l’effet du climat, tout cela se fait ensemble, du même air frénétique et absent. C‘est-à-dire qu’on s’y ennuie et qu’on s’y applique à prendre des habitudes. Nos concitoyens travaillent beaucoup, mais toujours pour s’enrichir. Ils s’intéressent surtout au commerce et ils s’occupent d’abord, selon leur expression, de faire des affaires. Naturellement ils ont du goût aussi pour les joies simples, ils aiment les femmes, le cinéma et les bains de mer. Mais, très raisonnablement, ils réservent ces plaisirs jours de la semaine, de gagner beaucoup d’argent. Le soir, lorsqu’ils quittent leurs bureau, ils se réunissent à heure fixe dans les cafés, ils se promènent sur le même boulevard ou bien ils se mettent à leurs balcons. Les désirs des plus jeunes sont violents et brefs, tandis que les vices des plus âgés ne dépassant pas les associations de boulomanes, les banquets des amicales et les cercles où l’on joue gros jeu sur le hazard des cartes.

 

ある都市のことを知るには、その都市で人々がどのように働き、愛し、死んでいくのかを知るのが手っ取り早い。 私たちの小さな都市では、気候の影響なのか、これらすべてが一緒になり、おしなべて熱狂的でありながら放心した空気が流れている。つまり、退屈で惰性的な場所なのだ。私たち市民はたくさん働いているが、いつも金持ちになろうとして働いている。彼らは主に取引に関心があり、彼らが言うところの「事業をすること」に主眼を置いている。もちろん、女性や映画、海水浴など、素朴な楽しみも大切にしている。しかし、非常に合理的に考えれば、彼らは、一週間のうちの楽しい数日を確保するために、たくさんの金銭を稼いでいる。夕方、仕事場を出た彼らは、決まった時間にカフェに集まり、同じ大通りを歩いたり、自宅のバルコニーに座ったりする。 若者たちの欲望は強烈で束の間なものだが、年配者たちの悪癖とて、ボーリングゲームの集まりや懇親のための宴会、賭けトランプの危険性を冒して大勝負をする集まりの域を超えるものではない。

 

 

 

On dira sans doute que cela n’est pas particulier à notre ville et qu’en somme tous nos contemporains sont ainsi. Sans doute, rien n’est plus naturel, aujoud’hui, que de voir des gens travailler du matin au soir et choisir ensuite de perdre aux cartes, au café, et en bavardages, le temps qui leur reste pour vivre. Mais il est des villes et des pays où les gens ont, de temps en temps, le soupçon d’autre chose. En général, cela ne change pas leur vie. Seulement, il y a eu le soupçon et c‘est toujours cela de gagné. Oran, au contraire, est apparemment une ville sans soupçons, c’est-à-dire une ville tout à fait modern.
Il n’est pas nécessaire, en conséquence, de préciser la façon don’t on s’aime chez nous. Les hommes et les femmes, ou bien se dévorent rapidement dans ce qu’on appelle l’acte d’amour, ou bien s’engagent dans une longue habitude à deux. Entre ces extrêmes, il n’y a pas souvent de milieu. Cela non plus n’est pas original. À Oran comme ailleurs, faute de temps et de reflexion, on est bien obligé de s’aimer sans le savoir.

 

これは私たちの都市に限ったことではなく、同時代の都市は皆そうだと言われるに違いない。朝から晩まで働いて、残った生活時間をカードゲームやコーヒー、ゴシップに費やすことが当たり前のようになっているのではないだろうか。しかし、人々が時折、何かの疑念をいだく都市や国がある。一般的には、これで彼らの生活が変わることはない。しかし、疑念をもったからこそ、常に得られるものがあるのだ。一方、オランはどうやら疑念が生まれない街、つまり完全な近代都市のようだ。そのため、ここでは人の好き嫌いを明記する必要はない。男と女は、いわゆる愛の行為としてすぐにお互いを貪り求めるか、あるいは長い間一緒にいる習慣ができるかだ。この両極端の間の中途の点はないことが多い。これも目新しいことではない。オランでも他の場所でも、時間と内省の不足のために、人は知らず知らずのうちに愛し合うことを余儀なくされる。

 

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前回、カミュの『ペスト』の冒頭には、デフォーの引用が載せられていることについて触れました。

 

そのデフォー(Daniel Defoe)の英文の作品のタイトルはA Journal of the Plague Yearであり、直訳すれば「ペストの年の日誌」ですが、一般的な邦訳では「ペスト」や「疫病流行記」とされています。

 

2020年9月のNHKテキストEテレ「100分de名著」で採りあげられていて、英文学者であり、東大准教授の武田将明による「デフォー ペストの記憶」という番組が放映されています。

 

テキスト表紙には、<見えざる恐怖に立ち向かう><先が見通せない不安を支え得るものは何か?>という象徴的で示唆的なメッセージが書かれています。

 

カミュの『ペスト』を訳読していくうえで、興味深いヒントを与えてくれそうなテキストなのではないかと期待しているところです。

10月15日(金)

 

銀座・王子ホールでのリサイタル

 

日本を代表するオペラ歌手の一人であるテノール上原正敏さん。一昨年前、杉並国際クリニックがオフィス・アミーチからリリースした2組のCDの第2弾:「芸術歌曲集⁻小倉百人一首No2.トスティ50番(高声)で歌う」では、その才能を遺憾なく発揮してくれました。

 

日本の代表的な和歌を、邦楽ではなく、イタリア歌曲のメロディーで歌う、などという試み自体が、保守的なクラシック界では異端とされ、また忌避されるであろうことを、私は予め覚悟していました。上原さんから「合うはずがない」と一笑に付されることも覚悟でした。ところが、彼は何と「合わないはずがない」とまで言ってのけてくれたのです。そのときの彼の頼もしさが印象的でした。しかも、その時は、私がどの和歌とどの曲をマッチングさせているのかを御存じない段階でのことだったのです。

 

その上原さんは、緊急事態宣言解除以前から、積極的かつ創造的な音楽活動を展開していました。音楽のパートナーであるピアニストの北村晶子さんと共に「大人のための芸術歌謡集(ポプラシック:Poplassic)を今年の3月25日にオフィス・アミーチからリリースしています。ポップスとクラシック音楽のマリアージュです。このような自由な発想のもとに、新たな音楽づくりを開拓し、しかも成功を収めてしまうあたり、上原さんの器量や度量の大きさというものが顕著に表れているといえるでしょう。

 

上原さんは、信州諏訪のご出身。そこで、私は是非とも彼に歌っていただきたい曲を準備しているところです。その曲の歌詞は、万葉集の巻14に収められている東歌(あずまうた)中の信濃国の和歌です。作曲は私自身が担当しています。私自身が伴奏ピアニストのK.Mさんの助けを借りながら試演して、一連の吟味を済ませた後、上原さんに提案したい企画なのです。

 

そうしたテノールの上原さんから、コンサートのお知らせが届きました。11月9日(火)銀座王子ホールにて19:00開演(18:30開場)、タイトルは、Interpretare(インテルプレターレ)と銘打ち、エンターテイメント・クラシック(特別編)と紹介されているチラシが入っていました。

 

出演は他にソプラノ天羽明惠、ピアニスト大須賀絵里、しかも女優の壇ふみ、

とかなりの豪華版です。

 

 

火曜日の夜は、白鷺プールで水氣道に参加していますが、偶々、この日は、プールの施設の側の調整日であるため、ためらうことなく銀座王子ホールへ直行できそうです。

 

 

チラシの表と裏を添付しておきます。

 

おもて 31591