運動生理学的トレーニング理論の限界と水氣道の可能性No14

 

 

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    • 水氣道稽古の12の原則(8)全面性の原則(その3

前回は、水氣道における「全面性の原則」は、筋力トレーニングをはじめとする各種体力要素を対象とするにとどまらず、メンタル面、社会面など、より広範な次元に根ざした原則としてとらえている、ということをご紹介しました。そして、この原則についての更なる意味、そしてこの原則に基づいて、水氣道では、どのような実践に役立て、何を目標にしているのか等について、今回解説いたします。

 

繰り返しになりますが、水氣道がトレーニングするのは体力のみならず気力にも及びます。体力と気力をトレーニングするのは水氣道に限らず、多くのスポーツや武道についてもいえることです。しかし、水氣道における体力と気力の訓練は、他の種目以上に相互の関連性を重視し、より深い洞察へ導くことができるように構成されています。それは、心身相関という心身医学理論に立脚して稽古プログラムが構成されているからです。体力は主に瞬発力(パワー)持続力(スタミナ)によって支えられますが、気力もまた瞬発力(決断力)持久力(忍耐力)によって支えられます。

 

また、体力は筋肉だけでなく運動器全体が関与しています。運動器というのは具体的には骨格、骨格筋や腱、関節および軟骨、骨格筋と脳を連結する神経系などのすべてを含みます。そして、骨格筋と脳を連結する神経系には運動神経系(脳から骨格筋へ)と感覚神経系(骨格筋から脳へ)の二方向性での密接な繋がりがあります。水氣道では、従来軽視されがちであった、骨格筋以外の運動器を構成する要素に対しても配慮の行き届いた稽古プログラムを構築しています。

 

まず、安全面で大切なのは関節の保護です。関節軟骨は不適切あるいは過剰なトレーニングによって傷つきやすく、しかも修復が難しい組織です。水氣道は、水中運動であるため骨格筋ばかりでなく関節の軟骨や腱にも優しい運動を継続することができる前提が事前に与えられています。したがって、水氣道では安全性においても「全面性の原則」が活かされていることになります。

 

また、水氣道が水中運動であるもう一つの利点は、日常の陸上生活とは違った環境に身を置くことによって、運動神経系のみならず、感覚神経を刺激し、訓練することができることです。身体と触れているのが空気だけでなく、水によって包まれているという環境は、その分だけ多くの環境情報を皮膚の感覚器や深部感覚器を通して脳に伝えることになります。つまり、日常生活ではあまり刺激を受けず、用いられていない心身の諸能力が水氣道の稽古によって覚醒し、活性化させることができます。水氣道における「全面性の原則」は、こうした領域にまで及ぶものであることを是非心に留めておいてください。

 

一般のトレーニング理論は、運動生理学にもとづいて構築されていますが、「全面性の原則とは、その一環としてのみ用いられてきたことは既に説明してきたとおりです。これに対して、水氣道におけるトレーニング理論は運動生理学のみならず運動心理学、さらにいえば両者を統合した運動心身医学(註)を基礎としています。

 

(註)運動心身医学:

水氣道における独自の稽古理論。心身医学とは、患者を身体面とともに心理面、社会面(生活環境面)をも含めて、総合的、統合的に見ていこうとする医学を言います。そして、現代の心身医学の分野は医療、保健、福祉など多方面にわたりますが、基本的には人間の身体面、心理面、社会面の相互作用に関する科学的な研究成果をもとに、患者中心の生活の質を重視した全人的な医学医療のありかたを目指しています。そこで、「水氣道」という画期的な健康法の実践方法を確立して、心身医学に基づいた健康づくりを目的とする独創的な考え方によって体系的に運動理論を構築していこうとするのが「運動心身医学」なのです。

 

 

こうした運動心身医学を背景とする新しい概念である「全面性の原則」も従来の概念と基本的には相互に矛盾することはありません。ただし、水氣道での「全面性の原則」は、筋肉トレーニングのみならずメンタルトレーニングや、さらに、それらの相互関係にも及ぶ原則ことになります。ですから、水氣道における「全面性の原則」の概念には、身体面のみならず、心身両面に及び、このことだけでも従来の概念の時限を超えた発展性や成長性の可能性が内在しているということができます。

 

 

 

「全面性とは、バランスのことである」

 

とはいっても、それは広範囲に均一ということではなく、目的に応じて、それぞれに比重が異なることがあるということになります。たとえば水氣道には様々な技法(航法)が準備されていますが、すべての技法は心身両面での訓練になっています。しかし、体力面のトレーニングとメンタル面でのトレーニングの比重は一定ではなく、航法の種類やトレーニングの目的によって多種多様です。

 

繰り返しになりますが、水氣道の「全面性の原則」が、従来の「全面性の原則」と異なるのは、この原則が、単に筋肉トレーニングに限った原則ではなく、筋肉以外の体力向上全般に加えて脳神経系に細やかな配慮と工夫が必要になるからです。逆に、筋肉や身体面ばかりに注目しているならば、それは本質的に「全面性の原則」に反して、これと矛盾することになるからです。ですから、筋肉トレーニングはバランスよく行うという狭い意味での解釈を超越して、少なくとも水氣道の稽古においては、心身の統合的トレーニングは、全体のバランスよく考慮して行うという法則に拡張して理解することが大切です。

 

そのためには心身医学的アプローチに適う「全面性の原則」の考え方を織り込んだ<準備体操><整理体操>を丁寧に実施することが有用だと思います。水氣道では20年の歳月をかけて独自の<準備体操(通称:イキイキ体操)><整理体操(通称:のびのび体操)>を独自に発展・展開させてきました。いずれの体操も心身医学的な「全面性の原則」に則って体系づけられていますが、それぞれの目的が違います。つまり、「全面性の原則」というのは、目的に応じて柔軟な多様性を示しうるものだということができます。そして、いずれの体操も各自の目的に応じた「全面性の原則」に則って組み立てられているのですが、可能な限り、一回の稽古の中で<準備体操(通称:イキイキ体操)><整理体操(通称:のびのび体操)>両方の体操を組み合わせることによって、相互の効用を補完し合い、より完成度の高い稽古の基礎ができあがるのです。つまり、稽古の流れ全体を通して「全面性の原則」がより高度に完成していくものであることを理会していただきたいと思います。

 

さて人間が心身共に成長していくためには体力と気力のいずれもが必要となりますが、それだけでは不足しています。なぜなら、人間は社会的な存在であり、社会的動物であるともいわれるからです。人間が心身共に成長していくためには、新たな「気付き」が必要なのですが、個々の人間が孤立していたのであれば、多くの「気付き」の機会は失われてしまうことでしょう。そのかわり、身近にいろいろな人々と交流し、同行の友や師を得ることができれば、「気付き」の機会は加速度的に増えていくことになるはずです。

 

水氣道の稽古が個人的な鍛錬でなく「集団」あるいは「団体」として組織だって活動するように構築されているのは、まさに集団力動(グループ・ダイナミクス)によるメリットを最大限に引き出すことの重要性に根ざしているからです。人間が心身共に成長していくためには行動変容が必要であることは前回説明しました。その行動変容のためには、決断力と瞬発力の助け以前に「気付き」が必要です。そのチャンスを与えてくれるのが自分以外の人々の存在です。

 

今まで経験したことのない活動を、今までお付き合いのなかった人々と共に開始し、少しずつ開拓していくためには多少の勇気と覚悟、それから最小限の体力が必要になります。それらが揃ってはじめて質の高い「気付き」と自信が与えられるきっかけが与えられることになります。