水氣道稽古の12の原則(8)全面性の原則(その2)
運動生理学にもとづくトレーニング理論におけるいくつかの原則の一つに「全面性の原則」があります。多くの場合は、筋肉トレーニングに関するもので、筋肉トレーニングはバランスよく行うという法則であると理解されています。またバランスとは、「必要な要素を見落とさない」ということにもつながります。ですから、「全面性の原則」には、概念自体の発展性や成長性が内在しているということができます。
たとえば筋肉トレーニングをする場合には、特定の筋肉や特定の身体部分の筋肉に偏らずに、全身の筋肉のバランスを考えながらトレーニングする必要があります。ただし、筋力トレーニングについていえば、全身の筋をバランスよく鍛えることを前提としつつも、大筋群を優先してトレーニングを実施することは大切です。
つまり、全面性とは、バランスであるとはいっても、それは広範囲に均一ということではなく、目的に応じて、それぞれに比重が異なることがあるということになります。
それから、トレーニングのモードとして持久力(持久力)を高める有酸素運動や筋力強化(パワー)のための無酸素運動がありますが、いずれか一方ではなく、両方のモードでトレーニングを行うことも「全面性の原則」の本旨に適うことになります。
なぜなら「全面性の原則」とは、筋肉トレーニングとはに限った原則ではないからです。
また、筋肉をトレーニングするためには、筋肉以外の体力向上全般に細やかな配慮と工夫が必要になるからです。逆に、筋肉だけに注目しているならば、それは本質的に「全面性の原則」に反して、これと矛盾することになるからです。ですから、筋肉トレーニングはバランスよく行うという狭い意味での解釈ではなく、少なくとも体力トレーニングはバランスよく行うという法則に拡張して理解することが大切です。
ですから体力とは、当然ながら単に筋力を意味するものではありません。筋力の他に、有酸素能力・柔軟性などの体力要素をバランスよく高めることが必要です。それらを、更に具体的に列記するならば、持久力、瞬発力、敏捷性、平行性、柔軟性といったようにいろんな体力要素です。前回説明したことの繰り返しになりますが、これらの体力要素を偏りなくバランスよくトレーニングしていくことが、より本格的な意味での「全面性の原則」ということになります。
そのためには「全面性の原則」の考え方を織り込んだ<準備体操>や<整理体操>を丁寧に実施することが有用だと思います。
水氣道では20年の歳月をかけて独自の<準備体操(通称:イキイキ体操)>と<整理体操(通称:のびのび体操)>を独自に発展・展開させてきました。
いずれの体操も「全面性の原則」に則って体系づけられていますが、それぞれの目的が違います。つまり、「全面性の原則」というのは、目的に応じて柔軟な多様性を示しうるものだということができます。そして、いずれの体操も各自の目的に応じた「全面性の原則」に則って組み立てられているのですが、両方の体操を組み合わせることによって、相互の効用を補完し合い、より完成度の高い稽古の基礎ができあがるのです。つまり、稽古の流れ全体を通して「全面性の原則」がより高度に完成していくものであることを理会していただきたいと思います。
それから、前回は、トレーニングにおいては、トレーニング効果を阻んでいる好ましくない生活習慣や認知・思考や動作・行動などの『悪い癖』の発見と是正も大切だと説明しました。『悪い癖』は行動や運動の偏りをもたらすからです。
ですから、本来の目的を見失わず、正しい方向性をもった行動をとる能力を育む努力と工夫なしには「全面性の原則」に適ったトレーニングの目標を達することはできません。
つまり、「全面性の原則」に適ったトレーニングとともに、トレーニングの方向性の全体を見通す能力育成に心掛けていかなければならないということになります。
そこで水氣道における「全面性の原則」は、筋力トレーニングをはじめとする各種体力要素を対象とするにとどまらず、メンタル面、社会面など、より広範な次元に根ざした原則としてとらえています。
水氣道がトレーニングするのは体力のみならず気力にも及びます。体力と気力をトレーニングするのは水氣道に限らず、多くのスポーツや武道についてもいえることです。
しかし、水氣道における体力と気力の訓練は、他の種目以上に相互の関連性を重視し、より深い洞察へ導くことができるように構成されています。
それは、心身相関という心身医学理論に立脚して稽古プログラムが構成されているからです。体力は主に瞬発力(パワー)と持続力(スタミナ)によって支えられますが、気力もまた瞬発力(決断力)と持久力(忍耐力)によって支えられます。
さて人間が心身共に成長していくためには体力と気力のいずれもが必要となりますが、その鍵となり、明らかに観察できる兆しとなるものが行動変容です。
行動変容のためには、決断力と瞬発力の助けが必要です。今まで経験したことのない活動を開始するためには多少の勇気と覚悟、それから最小限の体力が必要になります。
それらが揃ってはじめて自信が与えられることになります。ですから、水氣道を始めることを勧められた人は、当然生まれて初めての体験をするわけですから、一定の覚悟が必要です。
実際に、それが一番高いハードルになっているようです。逆に言えば、どれだけ時間がかかっても、そのハードルを飛び越えることができた人は、大きな行動変容を遂げ、その結果、初めての体験を味わい、認知にも変容が及ぶことになり、自信が与えられることになります。
しかしながら、自信とは受動的に与えられるものではなく、能動的に獲得していくものです。このことを理解していただく上で有益な概念として「自己効力感」という言葉を紹介させていただくことにします。
自己効力感は、社会的認知理論の中で使用される心理学用語の一つで、スタンフォード大学教授のアルバート・バンデューラ博士によって提唱されました。
同博士がさまざまな恐怖症を克服した人たちにインタビューを行うことによって、恐怖症という極めて困難な病を克服することができた人たちの中に共通点を見出したことがきっかけだとされています。
その共通点とは、「自分は困難を克服できる」そして「自分は現状を変えることができる」と信じるようになれたという変化を体験できたということでした。その後の継続的な研究によって自己効力感を保持する人は、「失敗」、「壁」、「困難」、「難問」に遭遇しても、「チャレンジする」あるいは、失敗しても「比較的早く立ち直る」という傾向にあることが証明されました。
私は20年に及ぶ水氣道の実践の積み重ねによって確信できたことは、まったく想像もつかない水氣道の世界に飛び込んでくることができるくらいに心身の気が熟した方たちにとって、水氣道が提供するハードルは決して高いものではないということです。
水氣道での「失敗」はむしろ楽しいものでさえあります。そして、ことさらに「壁」を意識することなく「壁」を乗り越えることができます。なぜならば、水氣道の稽古で提示する課題の提示の仕方に独自の工夫が施されているからです。
つまり、「困難」な急こう配と思える課題も、小分割して、なるべくなだらかな階段の数を増やすことによって「平面」に見えてくるような道程が用意されています。「難問」ですら水氣道の稽古メソッドに従って実践すれば、「快刀乱麻を断つが如し」であるといえるといって良いでしょう。
このように、水氣道の稽古における「全面性の原則」とは、体力のみならず気力を養い、そこから自己効力感を高めることによって、より健康的な行動変容に繋げ、各人の成長と発展に資するための指針となるものであるということができるでしょう。
水氣道の稽古における「全面性の原則」は、ここまでのお話に留まるものではありません。この原則についての更なる意味、そしてこの原則に基づいて、水氣道では、どのような実践に役立て、何を目標にしているのか等については、次回のテーマにしたいと思います。
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