運動生理学的トレーニング理論の限界と水氣道の可能性No5

 

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水氣道稽古の12の原則(4)環境創造の原則

 

水氣道においては、稽古の環境が果たす役割は大きいです。

それは水氣道という呼称が示す通り、稽古実践が陸上や床上ではなく水場という環境の中で行うことには固有の意義があるからです。

 

水氣道の稽古の場、すなわち、道場は水場に他なりません。


水氣道における環境とは、まずは身体の「外部」とみることから理解できます。

 

実際に20世紀の環境学は「環境」を人間社会の「外部」と見立てて、人類はその環境に自らを含む人類社会を委ねる背景あるいは前提と考えてきたようです。

たしかに、人間の諸活動は環境によって支えられもすれば制限を受けることもあります。

そのような環境は太古においては母なる自然であり、神そのものであったといえるかもしれません。

 

しかし、「神は細部に宿る」という言葉がありますが、自然や神は私たちの身体の内部にも宿っています。私たちの体内の器官や臓器、組織や細胞もそれぞれのレベルにおいて環境の中に存在しているからです。それから、私たちの感覚や心の働きは単純に私たちの身体の内部に収納されているのではありません。

 

これらは絶えず私たちの外部環境と内部環境とを橋渡ししています。そして、身体にせよ精神にせよ、私たちが全人的に健康であるというためには、私たちの内部環境が良好に維持されていなければなりません。そして、外なる環境も内なる環境も、現象面では変化するものであり、揺らぎのあるものであります。しかし、その本質は保持されていて不変であり、また、不規則のようでいて、何らかの法則によって秩序が維持されています。

 

環境によって育まれた生物は、環境によって絶えず影響を受けている一方で、生物自体も環境に影響を及ぼしています。

つまり、環境と生物とは相互に影響を及ぼし合って変化し続けていくのです。その最たる生物が人類です。そして、人間自身の諸活動が環境に大きな変化をもたらし、大いに環境を破壊し、不可逆的な変化をもたらしかねなくなってきている一方で、環境を修復し創り出そうともしている21世紀は、「環境の21世紀」とも呼ばれます。

 

そのように人間自身が環境を創造することで新たな社会経済システムが誕生しています。

したがって、人類の社会的営みである環境創造活動においては人類社会が進むべき道筋を見出していかなければならなくなってきました。

 

その指針となるモデルが「持続可能な循環型」環境の保全に向けての具体的実践です。そのような意味において、人間は「環境を創造する動物」であるということができます。

 

 

水氣道はとりもなおさず身体活動です。

ですから、水氣道の道場は一つの「人間環境」ということができます。

そして、水氣道は同志が集まって行う活動であることから共同体が形成されていくことになります。

 

これは新しい形での市民社会を形成する精神的文化的営みでもあり、さらに言えば芸術的な営みでもあります。

そして水氣道は同時に人間環境創造の進路を具体的に指し示す社会活動として成長を続けている道程の上にあります。

水氣道は、水場という環境が与えられていることが不可欠であるということです。

そして、後で述べますが、水氣道は道場である環境に委ねて稽古を実践することに留まらず、道場を含めて環境全体を創造していく活動であることを水氣道の沿革を振り返りつつ明言しておきたいと思います。

 

 

水氣道の揺籃期(水氣道という名称もなく、その基本骨格も形成途上にあった2000年までの数年間)は、個人的な稽古形式でした。

それは道場としての杉十温水プールにおいては、登録団体参加者ではない個人利用者としての指導行為が禁じられていたためでした。

初期の参加者には無言のまま模倣していただく他に稽古の方法がありませんでした。

稽古活動を規定する環境とは自然環境や施設設備などの物的環境ばかりではなく、施設管理者が設計する規則など社会的な環境が含まれます。

 

さて、基本的なルールを順守していても災難に巻き込まれることがあります。

あらゆる社会的存在には名称と意義と目的を明確にすることが求められるのが人間社会の現実です。

当時私は、プールでの他の利用者に十分配慮しながら、控えめな稽古を続けていました。

しかし、私たちの目新しい動作に対しては、どうしても冷ややかで批判的な視線が浴びせかけられます。

ときとして、残念なことではありますが、施設利用者は理不尽にも他の利用者の個人攻撃をすることがあります。

また、施設職員に対して不合理な密告や虚偽の申し立てをする方もいました。

そのたびに、施設職員から注意や勧告を受け、ときには施設長が私の自宅を訪れ事情聴取されたことがありました。

 

どうやら私を新興宗教の指導者、とりわけ当時の日本全体を騒がせていたオウム真理教との繋がりを疑われていたようでした。

しかし、それが契機となって、勧めに従い、2000年(平成12年)12月、奇しくも20世紀末に私たちの小集団を杉並区の登録団体にすることにしたのです。

その際に、はじめて「水氣道」を団体名としました。

 

「継続は力なり」、「禍は転じて福、ピンチはチャンス」、「硬直した努力より、柔軟な工夫」という3つの教訓は、水氣道の歴史において、その後も度々繰り返されることになりました。
 

その後、水氣道は水曜日の午前9時からの2時間を定例稽古として少しずつ参加者が増え、後に月曜日の午後3時からの2時間の稽古を増設し、20年後の令和2年の新型コロナの感染拡大を受けて施設が閉鎖(およそ2カ月以上に及ぶ活動中止は水氣道20年の中で最大の危機でした)されるまでの間、水氣道の中心的道場の役割を果たしてきました。

 

しかし、施設の団体利用のためには相応のコストが掛かります。それでも参加者が徐々に増えていく過程で、ようやくバランスが取れたかに見えた頃に、およそ2年間で数次にわたる料金の引き上げが行われ、利用料金が倍額となってしまいました。

慢性的な赤字状態に転落し、私自身が毎月補填することによって運営を続けざるを得ない時期が長く続きました。

それに加えて、長期継続者と新規参加者、年長者と若年者、体格や体力の優劣など、多様な参加者を束ねていくことの困難に直面することもありました。

また、稽古日や時間帯、夏季の団体使用不能など、稽古の継続を困難とする諸条件も水氣道の発展を阻害していました。

 

しかし、この困難も、参加者や施設の特性に応じた柔軟な稽古プログラムの編成、水氣道の技法の整理・体系化ならびに早期から導入していた「段級制」の弾力的な運用、新たな道場の開拓(新宿ハイジア会場:土曜日稽古開始/三鷹スバル会場:日曜日稽古開始/中野鷺宮会場:火曜日夜間稽古開始)によって、近年ようやく克服しつつあります。

 

このようなことから、水氣道における環境とは、水場(標準的な屋内プール施設に限らず、温泉水プール、湖水などの自然水も含みます)の物的環境だけではなく、人的環境や社会環境、あるいは経済的な環境など多様性に富む多次元の要素から成り立っていることがご理解いただけるのではないかと思います。

しかし、この環境の中にあって環境に適合しつつ、環境を変えていくこと、発展的に創造していくことが水氣道の発展にとって不可欠の要素であったということが言えます。

 

翻って、現代社会では、領域を越えた感性、知識、表現技術を活用できるしなやかでしたたかな生き方と、それを可能とする鋭敏で優れた時代感覚とがますます求められています。

 

水氣道では、テクノロジーや社会環境の変化に柔軟に対応し、領域横断的な発想を具現化できる能力を養うべく、理論と実践の両面から稽古に取り組んでいます。

そのために「健康志向キャリア」、「連携・協働に支えられたリーダーシップ」、「グローバル化に支配されない自己実現」という3つのマインドを涵養して、現在と未来を主体的に生き抜く力を養成する自己超越実現支援プログラムを提供するのが水氣道であるといえます。

 

以上より、水氣道における環境とは、まずは人間活動の環境を意味しますが、これは同時に共生の環境であり、また健全で持続可能なエネルギー・資源循環を支える環境をも意味します。

 

水氣道は共同体の活動を通して社会との関係に関する感性と技術を磨き、身体運動のみならず精神活動芸術やそれを取り巻く環境を総合的に学習することを基本としています。

そして、水氣道の実践者には21世紀の新しい生活・文化・芸術創造や水氣道の組織運営の現場はもとより、人類全体の環境の発展と創造を具体的に実践するために社会全般でのさまざまな分野で活躍することが期待されます。
 

こうした新たな時代の中で、水氣道の稽古実践と技法研究とを通して自らの全人的な健康と同時に、世界環境をより健康的・文化的・芸術的なものに発展させ創造させることに資する人材育成を皆と目指していきたいと願っています。