運動生理学的トレーニング理論の限界と水氣道の可能性No3

水氣道稽古の12の原則(2)心・技・体の原則

 

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前回、心身統合の原則について説明しました。本来一体であるはずの心身がかみ合わなくなった状態で精神と身体を直接再統合させることは簡単ではありません。そこで、両者を繋ぎ一体化させる媒体が必要になってきます。その媒体こそが技なのです。心と体の間に技を置けば、心・技・体になります。逆に、心と体を統合するために役立つことはすべて技である、ということができると思います。水氣道の技とは、そのようなものすべてを指しています。したがって、心身医学療法は水氣道の技に含まれると考えてくださって結構です。


そもそも心・技・体(しんぎたい)とは、心(こころ)技(ぎじゅつ)体(からだ)全てバランスが整ったとき、最大限の力が発揮できるという教訓のこと。

英語でいうとメンタル、テクニカル、フィジカルで、スポーツや武道の世界でよく使われる言葉です。

 

スポーツや武道の世界では、いくら体力と技術力が優っていても、気持ちで負けているスポーツ選手は勝てません。 また、気持ちだけで勝とうとしても、体力や技術力が劣っていてはなかなか上手くはいきません。 つまり、「心・技・体」は、最大のパフォーマンスを発揮するためにとても優れた枠組みであって、そのために必要な3要素というわけです。

 

しかし、水氣道での心技体は、他者との勝負で勝つことを目的とするものではない点で、一般のスポーツや武道とは大きく異なります。

 

 

 

「心・技・体」の正しい解釈のための前提条件

 

「心・技・体」という言葉は、もともと明治時代の柔道家の言葉が語源だといいます。 だから今でも武道の世界では好んで使われていますし、他のスポーツでも広く使われるようになりました。 

 

しかし、実際にその使われ方となると、本質から離れて歪曲されていると感じることがあります。 「心・技・体」と言っている人に限って、その実は根性論による「強いられた努力」による鍛錬法をとるということが多いようです。日本のスポーツ界でも精神的にも肉体的にも厳しく追い込み、それに耐えることで力をつけていこうという「根性を叩きこむ」というやスパルタ主義でのしごきが長年もてはやされてきました。猛烈なしごきと絶対的な上下関係で運営されているチームは、いまだに少なくなさそうです。

 

日本で「精神論」や「根性論」が暴走し始めたのは、無謀で不利な戦いに突入することが回避できなくなり、さらに勝ち目のない戦を終わらせることができない空気の中で起こりました。絶対的に不足している物資や情報(インテリジェンス)を前提とする作戦計画の遂行のために、体(体格)にも技(武器)にも劣った日本人が唯一自負できる心(武士道や大和魂)を軸として最大限に鍛え上げる精神論を奨励する気運が国民の美徳としてもてはやされました。その結果、純粋で従順な精神を持つ、大勢の有為な若者の貴重な命が犠牲になってしまいました。

 

日本は戦争に敗れても、その敗因を理論的に徹底分析することなく、工夫や改良を加える余裕も見いだせないまま戦後75年を経てきました。したがって、敗戦と共に吟味されるべきかつての精神論のままの形で激変した戦後社会を必死で生き抜いてきました。

 

命がけの精神状態と硬く結びついた精神論は目覚ましい経済復興を遂げる原動力として生き残ってきました。国民全体の栄養状態は改善して体格も向上(体)し、学問や科学技術も大いに進歩(技)したため、国民の精神論については一向に進歩しないまま、一時は世界の経済戦争にまで優勝したかに見えました。こうした成功体験を通して確信的に認識されることになった「精神論」は、日本においては、精神文化の一端として色濃く残っています。

 

「24時間戦えますか?」という、かつての某栄養ドリンクのキャッチに象徴されるような根性論を背景とする報道や光景は、いまだにスポーツ界だけでなくビジネスの世界などでも見受けられます。スポーツばかりでなく、勝負を偏重する多くの武道までもがビジネス化してしまったことも、この傾向に拍車をかけてきたのではないでしょうか。

 

水氣道は団体で実践する活動であり、護身術や集団防災訓練に通じるものでもあるため、「軍隊式」も「気合」も「根性」は、これらを単純に否定するのではなく、いつでもいきいきと工夫を凝らし、どこでものびのびと改良に心がけ、水氣道の体系の中に採り入れています。そして団体稽古の推奨と同時に競技性の否定という水氣道固有の稽古方針に基く実践によって、正しい「心技体」の理解に基づく指導方法が前提としての正当性や妥当性が担保されることになります。

 

 

心技体の公式「パフォーマンス=心×技×体」

 

心技体を正しくバランスよく整えるということは、アスリートのみならず普通に暮らす我々にとっても大事な考え方だと言えます。

 

仕事も勉強も、ひいては人生でも、本来の自分の力を発揮できていないのは、この心技体が上手く整っていないからだと考えることができます。 バランスが大きく崩れたり、どれか一つでも大きく損なわれたりすると、私たちは本来持っている能力を十分に発揮できなくなってしまいます。

 

体調を崩したり、悩み事があったり、スキルが足りなければ、どうしてもそこに引っ張られてしまいます。 そこから公式を導き出すなら次のようになるでしょう。

 

【パフォーマンス】=「心」×「技」×「体」

 

「心+技+体」ではなく「心×技×体」。 これら3つは「足し算」ではなく「かけ算」です。 どれか一つでも「0」になれば全てがゼロになってしまうからです。
心技体が整った状態とは?

 

それでは心技体が整った状態とはどんな状態でしょうか?

 

これまでの人生を振り返ってみれば、良かった時期は「心・技・体」が全て整っていたのではないでしょうか。感覚としては、特段の無理をしてないのに全てうまくいく感じではなかったでしょうか。そのような場合は、世俗の雑念が打ち払われ、研ぎ澄まされ突き抜けたような爽快な解放感を伴っていたかもしれません。

 

感覚は人それぞれだと思いますが、共通しているのは「3つの歯車」が噛み合っている状態だということです。「3つの歯車」が噛み合うようになると、エネルギーが損なわれることなく効率よくパフォーマンスに反映されるようになります。そのような状態をしばしば感得できるようになると、日常の生活の中にもそのような状態が生かせるようになります。

 

何か上手くいかない時、どうも自分の持っている実力を発揮できていないと感じるとき、この「心・技・体」のバランスをチェックしてみましょう。

 

3つの歯車は気持ちよく回っているか?無駄な力が入っていたり、いつもと違った違和感を覚えたりということがないかどうか確認してみましょう。これをボディ・スキャンといいます。

 

このような習慣が自然に身についてくる頃には、今の自分に足りないもの、やるべきことの課題がしっかりと見えてくるはずです。

 

このような課題を大切にしながら稽古を続けていくうちに、あらゆる状況において、最大のパフォーマンスを発揮することができるようになっていくことでしょう。

 

 

 

スランプに陥るのは心技体の乱れ

 

スランプに陥ったり、本来の実力を発揮できていなかったりするときは、トップ・アスリートでさえ、「心・技・体」、その3要素のどれかに欠陥があるか、あるいはそれぞれの間でのバランスやハーモニーが崩れるか、などによって負のスパイラルが生まれているようです。 

 

私たちはコミュニケーションや仕事が上手くいかない時、「歯車が噛み合わない」という言葉を使うことがありますが、その噛み合わない歯車とは「心・技・体」の3つのことだとも言えます。 その3つが噛み合っていないから歯車が上手く回らない。だから上手くいかないのです。