認知症を考える「症例は小説より奇なり」No3(点の巻)

第4週:神経病・内分泌・代謝病    

 

前回はこちら


 
認知症になって施設で生活している老親に久しぶりに会いに行ったところ「あなた誰?」といわれて悲しくなった、という話をときどき聞きます。実の親にそのように言われたらとてもショックだと思います。そして「悲劇が始まった」と感じた方もいらっしゃいました。このように、よく知っている人の顔を見てもその人が誰かわからない病態を相貌失認といいます。

 

前回まで、カプグラ症候群の症例を解説しました。今日は要点を整理してみます。
1990年にEllisとYoungは、カプグラ症候群を相貌失認に妄想的加工が加わったものと解釈する「相貌失認の鏡像」仮説を提唱しました。この仮説では、相貌の情報処理に関わる二経路が仮定されています。

 

① 後頭葉の視覚皮質から下縦束を通り側頭葉へ至る「腹側経路(意識的な相貌の認知に関与)」及び

 

② 後頭葉の視覚皮質から下頭頂小葉を経由して大脳辺縁系へと至る「背側経路(無意識的な相貌の認知に関与)」です。

 

 

 

相貌失認は①腹側経路のみの障害で②の背側経路は健全な場合で、カプグラ症候群は、①腹側経路が健全で、②背側経路のみの障害として説明されます。

 

① 正常な腹側経路によって相貌そのものは正しく意識的に処理されるが、

 

② 背側経路の損傷により、既知の相貌に対する無意識の「親しみ」が感知されなくなため、結果的に「この顔は知人の特徴を備えているが「親近感」が沸かない」といった葛藤が生じることになります。この葛藤を何とか解決しようとする心理的メカニズムが働くために、「瓜二つだが偽物である」という誤判断が生まれるとされます。

 

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頭部外傷後にカプグラ症候群を呈したが、人物誤認は対象を見た場合にのみ生じ、電話で話した場合には生じなかった、という症例をHirsteinとRamachandranが提示しました。このような症状では、障害が聴覚提示では出現せず、視覚提示によってのみ出現している点で、上記のEllisとYoungの仮説と矛盾しません。

 

後頭葉は視覚情報を司り、一次視覚野と視覚前野 によって構成されます。したがって、頭部外傷や脳血管障害あるいは脳腫瘍などの疾患が後頭葉で生じると視覚に関する認知が障害を受けることになります。

 

一次視覚野は、視覚情報から形、色、動き、奥行きなどの情報を抽出し、各情報を、より高次の視覚野へ送ります。この領域が障害されると、同名半盲やアントン症候群を来すことがあります。両側の後大脳動脈遠位部(後頭葉皮質の鳥距野または視放線)が障害されると両側の一次視覚野が広汎に障害されて完全な盲(皮質盲)になりますが、ときに目が見えていないこと(盲)を否認し、「見えている」かのようにふるまったり、腫脹したりすることがあり、これをアントン症候群といいます。

 

視覚前野は、一次視覚野の視覚情報を処理・統合し、物体の認識や空間認知を高次の視覚野です。この領域が障害を受けると、以下のようなさまざまな障害が生じます。

 

・相貌失認:よく知っている人の顔を見てもその人が誰かわからない。

 

・物体失認:聴覚などでは物体の同定が可能だが、視覚だけではが同定できない障害。

 

・色彩失認:色名の呼称、物品と色の照合ができない(塗り絵などができない)

 

・視覚性運動盲:対象の動きを認識できず、静止して見える。
ただし、上記の生涯のうち、相貌失認と物体失認は、後頭葉から側頭葉にかけての部位(側頭後頭葉:舌回、紡錘状回など)が責任病巣と考えられています。

 

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それまで見慣れて親しんできた対手に「親しみ」を感知すること、つまり「近親感」が湧くということは、意識ではなく無意識の働きであるということですが、いかがでしょうか。

 

私が専門とする心身医学は、「意識」の世界ばかりでなく「無意識」の世界にも深いかかわりをもっています。

 

その「無意識」がなせる病をもつ患者さんは、実際には多数を占めています。したがって、心身医学の対象となる患者さんは、常識的に認知されている以上であり、むしろ大多数であるといっても過言ではありません。

 

「無意識」に関わる病気に対して、何らかの説明を「意識」レベルで行っても理解を深めることができません。

そこで「無意識」に働きかけることができる治療法の開発が必要になってきます。

 

自律訓練法をはじめ交流分析や行動療法といった心身医学療法は、そこで役立つのですが限界もあります。そこで私は独自に水氣道®や聖楽療法を開発することになったのです。