認知症を考える「症例は小説より奇なり」No2(笑の巻)

第4週:神経病・内分泌・代謝病    

 

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患者と医師の信頼関係が医療の基本であるといわれていますが、信頼関係が構築されなくても診療を続けていかなければならないことがあります。その場合、患者さんが受診を続けてくださる限り、根源的な「信頼関係」が存在し、法的には準委任の関係が成立していると推定することになります。

 

しかし、笑うに笑えないケースがあり得ます。たとえば、永年にわたり定期的な受診を続けていた患者さんから、「飯嶋先生とは別の先生が診察室にいる」、「あなた(受付職員)があんな先生を連れてきたから、飯嶋先生が辞めてしまった。あなたのせいで飯嶋先生の診察が受けられない」と職員を詰るようになった。診察室に入るのは別の医師ではないことを説明しても、「確かに顔も背格好も声は同じかも知れない、でも飯嶋先生とは違う」と飯嶋先生とは似ている点は認めるが、あくまで別人だと主張するようになったら、どうしたらよいでしょうか。

 

結果は明らかです。通常の外来医療の枠組みでの診療継続は不可能です。その患者さんのご家族と相談の上、まずは、しかるべき神経内科専門医に紹介させていただき、各種の認知症や脳の器質的疾患などの精密検査を行うようにお勧めすることになるでしょう。

 

そこで日本神経学会の神経内科専門医試験問題として出題された症例を提示します。

 

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72歳女性。認知症の診断で通院中であるが、数日前から「娘とは別人の女が家にいる」、「あなた(娘婿)がこんな女性を連れてきたから娘が出て行った。あなたのせいで娘が返ってこられない」と娘や娘婿を叱責するようになった。家にいるのは他人ではなく娘であることを説明しても、「確かに服や声は同じかもしれない、でも娘とは違う」と娘とは似ている点は認めるが、あくまで別人だと主張するようになった。

 

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この症例では顔や衣服、声は認識できています。しかし、別人と主張しています。
身近な人の姿はそのままであるが、実は他人とすり替わっているという妄想がみられています。カプグラ症候群とは、このように近親者などが瓜二つの偽物と入れ替わったと確信する妄想です。

 

これは周囲の他者(通常、親しい関係にある人)が、本来の人物によく似た「替え玉」に置き換えられているという妄想的確信を持つ病態です。

「替え玉」は本物そっくりだが、時に患者は本物とのわずかな「差異」(雰囲気や身体的特徴)を指摘します。すり替えられた対象は、動物や非生物であることもあり、自分自身を含む場合もあります。配偶者、両親など自分が愛着を持つ人物が偽物であることが妄想の主題であり、本物の居場所や偽物の正体は二次的な問題となります。一般的には、被害妄想や誇大妄想と関連して体系的妄想の一部を構成し、入れ替わった対象(偽物)に対して猜疑的、被害的であることが多いです。

 

Vié (1930)は、患者が不在の差異を見いだす(既知の人を未知と誤認)ことから、「瓜二つの替え玉」を意味するソジ―に対して、カプグラ症候群を「陰性ソジー」(sosies négatifs)と呼びました。Vie, J.はCourbon, P. とFail, G.が報告した「フレゴリの錯覚」をカプグラ症候群と合わせ、「人物誤認」というカテゴリーに一括しました。フレゴリの錯覚(Fregoli delusion)とは、誰を見ても、それを特定の人物と見なしてしまう現象です。

 

全くの見知らぬ他人を、よく見知った人物と取り違えてしまう現象です。錯覚という名で知られているが妄想の一種です。1927年、フランスの精神科医 P.CourbonとG.Failによって報告されました。早変わりとモノマネを得意としたイタリアの喜劇俳優、レオポルド・フレゴリ(1867-1936)の名にちなむ名称ですが、笑うに笑えない喜劇です。

 

成因論的には、1960年代までは対象の妄想的否認や感情的判断などと言った心因を重視する見解が支配的でしたが、1970年代以降、器質因を重視する立場が出現し、知覚や相貌認知の障害として解釈しようとする立場が優勢となっています。大脳の右半球や前頭葉の病変との関連が指摘され、カプグラ症候群を認知心理学的に説明する仮説も提唱されています。

 

1979年、Alexander, Stuss & Bensonは、カプグラ症候群が「重複記憶錯誤」(Reduplicative Paramnesia)の一型であり、二つの症状の神経心理学的、脳病理学的基盤が同一であると主張しました。重複記憶錯誤は「今いる場所ないし人物は確かに本物であるが、同じ場所ないし人物がもう一つないしそれ以上存在している」という確信で、一般的には器質性疾患において認められ、神経学的背景として右半球損傷、前頭葉損傷が指摘されています。カプグラ症候群を認める症例においても右半球や前頭葉の損傷が関連するとされているが、重複記憶錯誤ほど明確ではありません。

 

1986年、Christdoulou, G.N.は、「妄想的人物誤認症候群 」(delusional misidentification syndromes) を提唱し、カプグラ症候群、フレゴリ症候群、相互変身症候群、自己分身症候群をその4つの亜型としました。 カプグラ症候群は妄想型統合失調症に多いが、認知症や頭部外傷で見られることもあります。そのために、精神神経科の前に神経内科を受診していただく必要があるのです。