水氣道:コロナ<戒厳令⁉>後の「水氣道」、世界を救う「水氣道」への挑戦No5

7月1日(水)

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水氣道は「明るい農村」で良いのか?

 

皆さんは、『明るい農村』という番組を御存じでしょうか。
毎朝6時台、牧歌的なテーマ曲で始まるNHKの総合テレビ番組で、1963(昭和38)年から1985(昭和60)年の終了まで、22年間、計8030回放送されました。かつてNHKに「農業」の分野を専門とする制作集団が存在していたことを意味します。

製作者たちは当時を振り返って「『明るい農村』が始まったころ、日本中には目いっぱい働こうという意欲がみなぎっていた。

農業は非常に厳しい仕事だが、人々の笑顔は輝いていた」と熱く語ったそうです。私はこの番組の記憶は、懐かしさ以外はほとんど残っていません。

ところで、私が中学生になったころ、『農村』に対するイメージは決して明るいものではありませんでした。そのような『農村』に「明るい」という形容詞が付いていることに違和感を覚えたことを明確に記憶しています。
 

『明るい農村』が始まったころは、たしかに日本中には目いっぱい働こうという意欲がみなぎっていたのだそうです。それは、明るい日と書く明日への希望に満ちていた時代だったことでしょう。

しかし、それがいつになっても実現しないとすれば、あるいは目標や希望を失っていったとすればどうでしょうか。『明るい農村』というタイトル自体には罪はないものの、それは単なる皮肉なキャッチ・フレーズと化してしまうことになるでしょう。

それは、あたかも北朝鮮の国営放送のようなものです。

また、かつての民主党政権が掲げた、根拠と責任を伴わない、地に足がついていないマニフェストのようなものです。なぜ、この番組が終了したのかは把握しておりませんが、何となくわかるような気がします。
 

しかし、こうも言えます。令和の時代になって、農村は昔より遥かに豊かになったかもしれない、ということです。

さだまさし氏の「聖野菜祭(セント・ヴェジタブル・デイ)」の歌詞に出てくる「野菜もち」の豊かな希望と想像力、吉幾三氏の『俺ら東京さ行ぐだ』の「東京でべこ買うだ」の滑稽な逆説の歌詞が、令和の時代の到来を予言していたかのようで、いまさらながら懐かしく思い出します。

 

逆説的と言えば、新型コロナが襲ってきてもびくともしない岩手の農村があります。先週、久しぶりで帰郷した茨城の農村もへこたれていませんでした。思えば東日本大震災の際にも、福島に隣接する茨城県の被害も甚大でしたが、敢えて窮状を全国に訴えようともせず、あるいは、訴える術も知らず、すべての現実を受け入れて粛々と、しかも逞しく誠実に復興を遂げた姿は、誇らしく思います。農村は東京や仙台など全国の大小の都会を支え続けています。
 

さて「水氣道は世界を救う」というフレーズは、ひたすら大げさな一過性のキャッチ・フレーズなのかどうか。

「明るい農村」が22年間続いたのに対して、「水氣道」は命名以来20年、事実上の発足はその数年前です。

水氣道は、世界を救うどころか、自らの団体の運営を維持することだけでも容易でないのが現実です。

しかし、それでも「水氣道」は続いています。メンバーの数ではなく質こそが、財源ではなくインテリジェンスこそが、今後の「水氣道」の発展の鍵を握っていることを確信しています。
 

そこで来週は、水氣道のインテリジェンスについてお話したいと思います。