特集:シリーズ『新型コロナウイルス罹患者の体験から学ぼう』感染者 実名で証言 その思い ④

6月26日(金)

 

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症例12(その4)

第4節:恐れたのは家庭内感染 

症状が出てから入院までの9日間。2LDKのマンションで妻と幼い子どもたちと、家庭内感染の不安を抱えながらの生活だった

 

 

大きい一軒家とかでもないですし、自分の仕事のものが置いてあったり趣味のものが置いてある部屋で過ごしていました。1個だけ布団が敷けるのでそこに逃げていました。6畳くらいあるんですかね。

2歳の子どもと1歳の子どもがいるんですけど、引き戸で子どもが開けちゃうんですけど、でも同じ所にいるよりは、ましなのかなっていう感じですね。やっぱり子どもは分からないから、こっちが避けてても向こうが寄ってきちゃうので。

 

具合が悪いのは何となく分かるみたいで「大丈夫?」とか聞いてきたりはあったんですけど。よくない状態というのは何となく分かっていて、子どもたちにもストレスはかかってくると思いますね。トイレとかお風呂とかは、どうしても一緒のものを使わないといけないのでちょっと怖いなとは思っていたんですけど。

なるべく隔離というか、近寄らないようにはしていました。やっぱり怖いです。トイレを使ったあとには掃除をしていましたけど、コロナウイルスかもしれないというのもあって具合が悪い時点ですごい怖かったので。自分が感染源になっていないかというのももちろん不安ですし、とにかく自分が感染しているということより、それを広げていないかというのがすごい心配で。

 

保育園ってみんな1年中かぜをひいているようなところがあって、みんな鼻をたらしているようなところがあって、だからそれが本当にかぜなのかコロナウイルスなのか、判断がつきづらいと思ったので、それもだいぶ怖かったですね。小さい体で感染した時に本当に生きていけるのかって気持ちでいっぱいでした。

 

妻は冷静に受け止めてくれて。自分はかかっているだろうと妻は不安に思っていたと思うんですけど普通に接してくれました。ぼくが陽性なので家を空けなきゃいけないのは確実だったので、子どものこととかは話しましたけど。

 

結構早めに保健所の方に相談をして、両方がなったらどうするのかと。「なった時にならないと分かりません。その時に考えましょう」という答え(註:予防は医学でないというのが日本の健康保険医療の考え方であり、保健所は臨床的な個別判断ができないところである、ということを広く周知すべきでしょう!)をもらって、保健所の担当の人も妻も冷静にいてくれた(註:保健所の担当者が「冷静にいてくれた」と小島さんは感想を述べられていますが、冷静でいられた保健所職員は限られていたのではないでしょうか。ある意味で、保健所職員も制度上の制約の中で過度な無理を強いられた被災者だったとも言えます。)ことは、ぼくは心強かったのかなと思います。

どっちにしろ両親のところには行きづらいなって。うつすということを念頭に置いたら(子どもを)預けられないなと思って。やはり母も具合が悪いというのもあったし、妻の両親も70代半ばの高齢なところもあるので預けられないなというのもありまして。

 

妻の陰性は本当かなと思いましたよ。でもまあよかったなとも思いました。こんなにつらい思いをするのは最小限でいいなと思ったので。ぼくはかかってしまいましたけど本当、1人でよかったです。

 

 

頭に浮かんだのは店のスタッフや常連客のことだった

 

一緒に働いているアルバイトのスタッフとかお客さんのことを考えましたね。そこまで責任がとれない関係だし。家族は「ごめんね」で済むかもしれないけど、アルバイトのスタッフやお客さんには「ごめんね」ではすまないし、何か賠償することもできないし、家族よりそっちのほうが心配でした。

 

もしかしたら自分のせいで死んでしまうかもしれないということを考えました(註:小島さんは大切なことに気づかれたようです。お客さんを大切にするためには、それは、ご自分自身を大切にすることが前提であるということだと思います。)

 

<明日へ続く>