5月26日(火)特集:シリーズ『新型コロナウイルス罹患者の体験から学ぼう』症例6:故郷に戻れず逝った父 ②

特集:シリーズ『新型コロナウイルス罹患者の体験から学ぼう』

 

以下は、取材記事を下敷きとし、加筆や編集部分は緑文字として区別しました。

 

故郷に戻れず逝った父 

 

症例6(その2)

第2節:「退院したら酒を飲もう」回復を信じていた家族 ~息子の話~

 

実家から車で30分ほどの場所に暮らしている息子は、父の感染を聞いて驚いたが楽観していた。

入院直後も元気な様子だったからびっくりしましたね、急なことだったので。でも死亡率っていうのを見ると数パーセントだった(註1:素人の皆さんがそのように考えることは理解できます。ただし、この死亡率というのは、あくまでも感染罹患者全体を分母としたときの数字なのです。入院した患者さんを分母とすると、このリスクはかなり大きくなります。)ので、まあ元気でしたし、まさかね、亡くなるなんて思ってない。

食べるのも年のわりにはすごく食べてたし、本当にひいても風邪ぐらい。どこも悪くなったことがなかったから。お酒もけっこう好きで、たまに会うと一緒にお酒を飲んで。最後に僕が会ったのは2月1日だったんですけど、その時に日本のウイスキーを持って行ったんですけど、「おいしいおいしい」って言って飲んでいたもんですから。


1人で窓もない病室にいる(註2:急性の劇症感染症の場合は、心身共に顕著に不安定になります。とくに、事前の情報が乏しく、心の準備ができていない場合は猶更です。このような環境に孤立を強いられると、あたかもアウシュビッツの強制収容所のように、免疫力や生命力を大きく損なってしまうことが知られています。)って言うので、交代でみんなで電話をかけてあげようと(註3:素晴らしい家族愛です。患者さんの余力がある間は、大切で有効なケアです。)

会うこともできないし、何もしてあげられないので、せめて電話だけはっていうことで、僕ら家族が交代で毎日電話をしてましたね。電話かけると「熱下がった」って言ってるものですから、むしろ良くなったときすぐ動けるように「病院の中で歩いとらんと、足の筋肉とか落ちちゃうんじゃない?」「そうなんだ、せっかく鍛えたのに筋肉落ちちゃうから、ちょっと運動しようかな」って言ってたんです。本当に元気でした。


一度父がですね、「みんなで頑張って元気でやってくれ」(註4:この方は、気づきに優れた方なので、この時点で、自身の心身の衰弱を感じ取っていらした可能性があるように思われます。)とお別れみたいなことを言うので、どうしてそんなこと言うの?と、熱も下がってきていたものですからね。

「大丈夫だよ」と、「出てきたら、また一緒にお酒飲もうよ」と。ちょっと高い酒をね買ったんですが、それを飲もうって言ったら、「ああ、そうか。ありがとな」(註5:この時まで、運動愛好家らしく弱気を見せずに強頑張っておられたのではないでしょうか。豊かな家族愛に触れて安心されて力が抜けたのかもしれません。)って。

実はそれが最後の会話で。その日の夜には酸素濃度が急に下がって(註6:仮に酸素濃度の数字ばかりをモニターしていて、同時にご本人の呼吸運動の状況を観察していないとすると、このような事態に成り易くなります。同じ酸素濃度でも努力性呼吸による代償が長引いてしまうと、いずれ過労状態に陥って急性呼吸不全に至ってしまいます。人工呼吸器の取り付け準備の手配も遅れがちとなることが危惧されます。呼吸状態の観察が必要です)

翌日だったですかね、もう人工呼吸器を取り付けるっていうところまで急に容体が悪化(註7:実は、突然ではなく、とっくに限界に達していたのかもしれません。ふだん運動習慣があって、辛抱強い方は、かえって気づきにくく、また気が付いてもらえない可能性があるので、要注意です)してしまいました。

 

<明日へ続く>