5月17日(日)臨床聖楽法(聖楽療法の理論)

<聖楽院>

 

臨床聖楽法(聖楽療法の理論)

 

聖楽療法の体系構成

 

第一部では、聖楽療法の理論の背景としての心身医学について概説し、そのうえで新しい心身医学の考え方を明確にしました。

 

第二部は、聖楽療法の拠点としての聖楽院とは何かについて、その起源を述べ、いくつかの心身医学的アプローチをどのように応用して発展してきたかを省察します。

 

それでは、「第二部 聖楽療法 理論と実践の性質」のアジェンダを示します。

 

第3章 臨床聖楽法の起源と基礎

 

第4章 臨床聖楽法における芸術音楽の価値

 

第5章 臨床聖楽法の理論的根拠、実践、意味

 

第6章 音楽療法モデルにおける臨床聖楽法の考え

 

第7章 現代の音楽療法の枠組みにおける臨床音楽法の考え

 

今月は引き続き第3章 臨床聖楽法の起源と基礎

をすすめていきます。

 

 

前回までは媒体としての音楽―臨床聖楽法理論の一つの基礎

というテーマでした。

 

今回から新しいテーマに入ります。

 

 

第3章 臨床聖楽法の起源と基礎

 

音楽中心の実践の核としての芸術音楽活動

 

音楽中心アプローチの主な焦点は、クライエントをミュージッキング(音楽を演奏すること)の状態に導くことにあります。エリオットは、音楽演奏におけるミュージッキングは、意図的な人間の活動の一つの特定な形であるとし、また、音楽を演奏するということは、注意深い意図的な活動であると述べています。そして、エリオットの信念では、「音楽は多様性を持った人間の活動であり、直接的な意味でも間接的な意味でも、聴覚的・時間的なパターンを構成し、主に喜び、自己成長、自己を知ることの価値を創り出すものであり、自己の成長、自分を知ること、楽しみの時間を持つということが、人間が音楽をする主要な理由であり、ミュージッキングとは人間の体験の中でも最も価値のあるものだ」とします。

 

ミュージッキングには、自己を組織し強化する活動が含まれており、人間としてこのような欲求を反映する活動に係ることを私たちは目標とします。その背景には、わたしたちが自己を成長させるという基本的な欲求と一致する活動に、楽しみや意味を見出だそうとすることが考えられます。

 

アイゲンは、音楽とは一つの体系的な知識の「情報に基づいた」活動であり、ミュージッキングには知識を行動に移すことが含まれ、しかもその知識は内在的なもので「行動の中の知識」というシェーンの表現を借用したうえで、ミュージッキングしているという意味は、他の方法では確認することのできないクライエントの認知的能力が存在することであるとしています。これは、クライエントが音楽に対して何らかの意味のある関わりをしている状態を意味します。アイゲンは、音楽療法も音楽を創り出し体験することを目的としているとしたうえで、臨床的な技とは、「クライエントがミュージッキングの状態を体験できるように援助する方法」であり、「非臨床的な状況で音楽家がミュージッキングするのと同じようにクライエントがミュージッキングを体験できるよう、その障害となるものをうまく取り除いてやること」なのである、とまとめています。この考え方は、臨床聖楽法の立場と全く一致しています。

 

音楽中心の実践では、セラピストは音楽の流れ(フロー)に従います。それはフロー体験あり、自己の発展をより複雑なレベルの自己の組織化に導くことによって達成します。そしてアイゲンはミュージッキングをフロー体験の一つの例であると指摘します。それは「音楽を創造すること自体が、そこに内在する情報化された知識の産物である」という信念があるからです。そして音楽中心の立場は、音楽的な活動の中に知的プロセスを見出そうとします。

 

臨床聖楽法は水氣道の稽古実践の中での着想にはじまるものですが、水氣道の稽古のプロセス自体が音楽のような流れ(フロー)に従うものであることが想起されます。