4月12日(日)臨床聖楽法(聖楽療法の理論)

聖楽療法の体系構成

 

第一部では、聖楽療法の理論の背景としての心身医学について概説し、そのうえで新しい心身医学の考え方を明確にしました。

 

前回から「第二部 聖楽療法 理論と実践の性質」に入りました。

 

第二部は、聖楽療法の拠点としての聖楽院とは何かについて、その起源を述べ、いくつかの心身医学的アプローチをどのように応用して発展してきたかを省察します。

 

「第二部 聖楽療法 理論と実践の性質」のアジェンダを示します。

 

 

第3章 臨床聖楽法の起源と基礎

 

第4章 臨床聖楽法における芸術音楽の価値

 

第5章 臨床聖楽法の理論的根拠、実践、意味

 

第6章 音楽療法モデルにおける臨床聖楽法の考え

 

第7章 現代の音楽療法の枠組みにおける臨床音楽法の考え

 

 

それでは本題に入ります。

 

 

第3章 臨床聖楽法の起源と基礎

 

音楽療法はどのように発展してきたのか?

 

そして臨床聖楽法は音楽療法の中でどのような立場と役割をもつのか?

 

「音楽中心」の考え方と臨床聖楽法

 

 

ある実践者が音楽中心であるほど、療法の中で音楽を使うより、音楽を療法として用いる傾向が強くなります。

つまり、音楽中心であるということは、療法として音楽を用いることと密接な相関があるということがいえます。

療法としての音楽の使い方の典型的な例は、特別に選んだ録音音楽をクライエントに聞かせることで免疫機能を改善する方法を引き出し、身体的健康を促進するという目的がある場合です。

これは、音楽を聴くこと以外には他に何の介入も行わす、クライエントは音楽と直接的に係っているからです。

しかし、ここでの臨床的根拠は、免疫機能の変化とか身体的健康といった生理的レベルの反応であって、これを非音楽的反応であると規定してしまうと、音楽体験そのものに正当性の根拠を求める「音楽中心」の考え方とは正反対のものとなってしまいます。

「音楽中心」の立場では、音楽的表現や音楽体験こそがセラピストが求めて働きかけっていくものであり、それを通じて何か別のものを達成するということではないからです。

 

 

たとえば、聖楽院がクリエイトした録音音楽として芸術歌曲集「小倉百人一首」は、免疫機能の変化とか身体的健康といった生理的レベルの望ましい反応を期待するものですが、目的はそれだけではありません。

 

臨床聖楽法の立場は、前述のケネス・エイゲンの論理展開の中には大切なポイントが見落とされているか、気づかれていないものの上に立脚しています。

それは、「音楽中心」の立場は「特別に選んだ録音音楽をクライエントに聞かせる」という手段ではなく、「免疫機能を改善する方法を引き出し、身体的健康を促進する」という目的の吟味に過度にこだわりすぎているからです。

 

 

音楽を聴くこと以外には他に何の介入も行わす、クライエントは音楽と直接的に係っていることが達成できた段階で、すでに「音楽中心」なのであり、それにより「免疫機能を改善する方法を引き出し、身体的健康を促進する」結果が得られようが得られまいが、「音楽中心」の立場から批判するには当たらないはずだからです。

 

また、ケネスは他の多くの音楽療法家と同様に、音楽療法を心理療法に関係づけています。

そのため、音楽による心理的変容と生理的変容を区分し、前者を音楽的効果、後者を非音楽的効果と捉えているようです。

 

臨床聖楽法は、音楽療法を心身医学療法として認識しているため、音楽による心理的変容と生理的変容を区分することなく、むしろ一体的連続的にとらえて、その両面あるいはその総体に及ぼす変容効果をもって音楽的効果と認識するものなのです。

 

 

媒体としての音楽―臨床聖楽法理論の一つの基礎