第一部 心身医学療法における聖楽療法理論のコンテクスト(その1)
理論の性質
心身医学療法における理論
前回は、従来の心身医学療法における理論の役割ということで、知識には(知的知識と行動の中の知識)の2種類あること、技能の習得のためには、その両方の知識の相互作用が必要であることについて述べました。
いずれにしても知識を身につける「知る」という人間の行為に立ち戻って考えるようになったのは、フランス語の「知る」という意味の2つの動詞を学んだことがきっかけだったかもしれません。
フランス語の「知る」には、connaître(コネートゥル)とsavoir(サヴヮール)という2種類の動詞があります。この2つには文法的に使い分けがあり、connaître +名詞、通常 savoir は+不定詞(または節)です。両方とも使い方が違うだけで同じ意味だと主張するフランス人もいますが、どうやらそうではないようです。つまり、connaîtreは、単に知っているだけの意味ですが、savoirには能力の意味が含まれていて、 savoir + 不定詞で、「〜することができる」,「〜するすべを心得ている」という意味になります。これは、「行動の中の知識」です。一方、知識として、あるいは単に情報として「~をしっている」connaître は、「知的知識」ということになるかもしれません。
そして、聖楽院で修得する技能はこれら二つのタイプの知識(知的知識と行動の中の知識)の相互作用の中で育まれるものであることを述べました。
さて、今回のテーマは
聖楽療法理論の概念的枠組み
です。ここでは聖楽療法理論をどこに見出すか?という課題について考えてみます。
聖楽療法は新しい心身医学療法であり、人間の活動の二つの異なる領域(身体・藝術活動とヘルスケア)に根をもつ学問です。新しい心身医学という言葉には多くの異なった意味合いが含まれてきます。そうすると、そこにはいくつかの重要な疑問が残されます。
まず、聖楽療法は音楽の専門職による学問であるのか、あるいはヘルスケアの専門職による学問であるのか、どちらがその実態をより正確に示しているのか、という疑問です。これは聖楽療法の社会的または学問的属性についての課題です。もとより、学問の領域をあるカテゴリーに分類しようとするときには、たいていは、当事者の都合によって便宜的に決めているに過ぎません。
アルフレッド・ノース・ホワイトは、「この世界を様々な分野に分割することはできない」とコメントしています。そこで聖楽療法は本質的にハイブリッドな領域であるとみなされるかもしれません。ただし、単純にハイブリッドな領域とみなされると固有の理論が見失われがちとなることが問題になります。
聖楽療法の創始者としての筆者は、聖楽療法をヘルスケアの分野とみなす方が理に適っていると考えます。
なぜなら、聖楽療法は心身医学療法の特別な応用法であり、セラピーのための特別な方法として開発してきたからです。聖楽療法における声楽体験は臨床における主要な焦点となってはいるが、その理論と実践は主に心身医学的な基盤に立っているからです。
そして、そもそも人類は声楽を通して音楽や言葉(歌詞)を味わうことを体験することによって健康な個人や健全な社会文化の発達や発展を促進してきたという事実があります。
聖楽療法は、これを前提として人間にとっての音楽や言葉の意味や、音楽や言葉が人間の生活を豊かにすることで全人的な健康に繋げていくことを研究していこうとするものだからです。
すべての学問は、その領域に固有の性格を持っており、理論の展開もその領域に固有の問題をより良く解明していこうという方向へ進んでいます。
ノードフ・ロビンスによる「ミュージック・チャイルド」という概念を提唱していますが、この概念は、何年にもわたって何百人という障碍を持つ子どもとの関わりの中で、そこで起こった現象を説明する方法として考え出されたものです。
新しい専門的職業の最前線における理論の発展・前進を目指すために最もふさわしい理論は、特定の学問分野の既存の理論のみに依拠するものではなく、臨床現場での体験の積み重ねによる概念の特有性、また共有体験をベースにした固有理論であると考えることができます。
ただし、固有であるということは、自身の領域以外にどこにも起源をもたないということではなく、聖楽療法の実践の中では、心身医学を基礎とした固有の概念を発展させるために外部の要素を用いることを禁じるものではありません。
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