<聖楽院>藝術歌曲集「小倉百人一首」No1,No2、CD発売について

10月20日 

藝術歌曲集「小倉百人一首」No1 企画解説(その2)

 

CD藝術歌曲集「小倉百人一首」№1.コンコーネ50番(中声)で歌う

 

歌詞付き「コンコーネ50番(中声)」の誕生秘話と

№1.コンコーネ50番(中声)で歌う藝術歌曲集「小倉百人一首」の功罪

 

さて芸術的な古典日本語より成る和歌は、古来、軽やかな声(レッジェーロ)で、受け手に語り掛けるように(パルランド)、そして流れるように滑らかに(レガート)詠まれてきたもの、つまり、ベルカント唱法のように歌っていたと推測されます。そして、詠み人も、和歌の直接の受け手も、歌集に載せられた和歌を味わう人も、みな繰り返して詠み味わってきたものと思われます。それによって、次第に和歌の修辞技巧(掛詞、枕詞、序詞、縁語、本歌取、句切、係り結び、止め、など)も読み解かれていきます。ソルフェージュ曲に載せた歌詞の繰り返しも、単なる繰り返しばかりでなく旋律の転調などによって、掛詞の別の意味を表現し分けることができることがあります。そもそも言葉によって紡がれる和歌には、言葉自体のアクセントやリズムがあり、句ごとの抑揚があり、さらには和歌全体としての自然な感情表現があったはずであると考えられます。

 

歌人たちは、それぞれ自分の作風や作品にふさわしい歌の朗読法ばかりでなく、朗詠法(厳密には、朗詠は和歌でなく漢詩を対象とする言葉、披講法というべきか)を確立して、折々に触れて歌っていたそうです。歌人の岡野弘彦の著書にも、「和歌はそのまま歌だった」と書かれている通りだと思います。読み手の立場、とりわけ男性か女性か、あるいは男性が女性に仮託して歌った歌なのかは、おのずとそれに応じた歌い方をしたと考えるのが自然ではないでしょうか。  

 

そこで、このシリーズで取り上げた50首のうち、女流歌人によるもの、すなわち、No9小野小町(9番)、No12周防内侍(67番)、No18持統天皇(2番)、No24伊勢(19番)、No31右大将道綱母(53番)、No.37二条院讃岐(92番)、No42右近(38番)、No44小式部内侍(60番)以上の8首による曲はすべてメゾソプラノ望月友美に委ねました。つぎに通説で女性仮託の歌とされるNo23素性法師(21番)、No45俊恵法師(85番)、No50藤原定家(97番)の3首に加えてNo19藤原敏行(18番)のナンバーはカウンターテナー本岩孝之に、他の男性歌人の歌は同時にバリトン歌手としての本岩孝之の他に、すでに<藝術歌曲集「小倉百人一首」No2.トスティ50番(高声)で歌う>の収録を経験したテノール・レッジェーロの志摩大喜をはじめ、今回の企画について終始指導を受けているテノール吉田伸昭氏の紹介により、ソプラノ竹下裕美の応援を得ることができました。編作者である飯嶋自身はバリトンとしてNo16柿本人麻呂(3番)、テノールとしてNo26猿丸大夫(5番)を担当しました。なお、収録までの過程で、歌詞の載せ方やメリスマの扱い等について、それぞれの担当声楽家と協議をすすめながら完成度を高めていったという貴重な作業過程があったことを付記しておきたいと思います。

 

今般の私の試みは、こよなく美しいヤマト言葉の言霊とコンコーネの素直で美しく明るい「しらべ」の音霊とが、互いに共鳴しあい、あるいは溶け合って、妙なる美しい「しらべ」を創造していく試みです。この試みを真に生かしていただくためには、演奏収録の際には、まず現在の「歌会始」の調子のような固定観念や先入観、あるいは単に常識に束縛されることなく、むしろ自由に解放されて、新鮮な気持ちで新曲を演奏するつもりで臨みました。そして、歌詞が日本を代表する古典的な和歌のアンソロジ-であることを踏まえつつも、古語を馴染みのない外国語や死語のようにではなく、現代人にも繋がる今でも生き続けている言葉であることを感じとっていただけるよう、古の芸術家たちの不滅の魂を今の聴衆に伝えていただきたいと思います。(続く)

 

( 編作者 飯嶋正広 )