診察室から 12月11日:スピリチュアルな健康とは健全な習慣のことです②

先週からの続きです。

 

temporalと時間との関係で、temporalを時間的と訳すとき、しばしば、これと一対を形成するのがspacial(空間的)です。しかし、spiritualが空間的かと言うと、どうもそうではならないのが言語の難しい所です。spiritualとはむしろ、空間的制約や時間的制約を受けない、すなわち「時空を超えた」世界での生き方ということにはならないでしょうか。

 

 

「時空を超える」何か尊いことを求めるとしたら、どうしたらよいのでしょうか?

 

私は、これを「時間や空間から解放される」という意味で受け止めています。

 

それでは、私自身が実際に「時間や空間から解放されている」のか、という検討課題が発生します。ホームページで公開している私のスケジュールを見てくださっている方は、むしろ、私が時間や空間の拘束を受けて、雁字搦め(がんじがらめ)になっているように感じられるかもしれません。

 

しかし、実際にはそうではないのです。私の24時間を知っている家族や身近な人々は、私が奴隷のように強いられているとは考えないはずです。

 

それどころか、いつも私が意味のある好き勝手な生き方を自由に謳歌していることを知っているからです。

 

 

 一見して、いつも時間に追われ、居場所を拘束されているかのようでいて、なぜ「時間や空間から解放されている」といえるのでしょうか。

 

その答えは実に簡単です。ヒントは無意識の世界にあります。半ば無意識で行っている好ましくない習性は悪癖といいますが、逆に、正しい認識をもって意識的に行動を反復的に繰り返せば好ましい習慣を形成することができるからです。

 

しかし、一旦完成させた習慣は簡単には壊れません。

 

なぜならば、習慣は半ば無意識で、つまり、さしたる努力を払うことなく反復し、継続させることができるからです。

 

ただし、油断は禁物です。毎日、少しずつでも油をさしておく必要があるからです。

 

これはほんのわずかな油(意識的努力)で済むのですが、怠け心が生じると、これを怠ります。これが、文字通りの油断です。油断大敵とはよく言ったものです。

 

 

高円寺南診療所は平成元年(1989)から約30年間、水氣道は平成12年(2000年)から約18年間、聖楽院は平成26年(2014年)から4年間、ライフワークとして継続しています。

 

長期にわたって継続できているということは、習慣になっていることを証明します。

 

 

私は、幸いなことに良い習慣によって支えられています。

 

良い習慣は良い出会いと、気づきの場を提供し続けてくれます。

 

いわば、人生を耕す生命の畑のようなものです。

 

スピリチュアルな生き方というのは、普段は特別に宗教性を意識しなくとも、与えていただける恩寵です。

 

ですから、健全な習慣を持つことはスピリチュアルな全人的健康への橋渡しになるものと思います。