日々の臨床 7月30日日曜日<ギラン-バレ症候群>

神経・精神・運動器

 

テーマ:ギラン-バレ症候群

 

<風邪を引いた後で、手足が動かなくなる病気>

 

 

私にとって懐かしい方の貴重な症例をご紹介いたします。

 

初診1992年(平成4年)~最終診2008年(平成20年)

 

症例は男性T・O氏(喉頭がんにて死去)

 

 

私が若い頃、W教授(故人)率いる東大医学部の衛生学教室(現、分子予防医学教室)で、

 

微量栄養素の研究<リチウムの必須性の研究>をしていたときの指導者です。

 

衛生学すなわち健康医学を専門としているのにもかかわらず、

 

教室員のほとんどが喫煙者なのには驚きました。

 

W教授は心臓病を患ったため禁煙されたと伺っておりましたが、

 

O博士は相当なヘビースモーカーで大酒家でした。

 

 

O博士との思い出は懐かしいです。

 

私の国際学会デビューはオーストラリアのアデレードでした。

 

それはO博士のご指導により実現したものでした。

 

それ以来のご縁で、私が高円寺南診療所を開設して3年目に来院され、

 

それ以降、主治医を務めさせていただいておりました。

 

当初から禁煙をお勧めしておりましたが実行していただけませんでした。

 

 

そのO博士が、ある日<風邪を引いた後で、手足が動かなくなった>

 

ということで診察いたしました。

 

 

その結果、1995年(平成7年)9月26日にギラン-バレ症候群の診断のもとに、

 

入院加療目的で即座に河北総合病院を紹介しました。

 

この病気は、感染症(急性胃腸炎、呼吸器感染症など)の治癒から数日後に発症する

 

末梢神経障害により筋力低下など運動麻痺をきたす病気です。

 

両下肢から脱力が始まり、上肢、顔面領域、最重症だと呼吸筋麻痺へと進行し、

 

生命の危険すらあります。

 

 

この病気による脱力は上肢から発症するケースもあり、

 

O博士もこのタイプであったため入院後も全く仕事が手に就かず、

 

幸い呼吸筋筋力低下が生じなかったため人工呼吸器は使わずに済んだものの、

 

唇が動かしづらくなり(顔面神経麻痺)、ろれつも回らず、

 

嚥下困難となり(迷走神経運動枝・舌下神経の麻痺)、

 

起床どころか寝返りもままならず、とても辛い経験をされていました。

 

 

その当時は、治療としてステロイドが有効であると信じられていた時代でしたので、

 

河北病院でもステロイドの全身投与が行われましたが、

 

やはりなかなか改善しませんでした。

 

現在ではその治療法の有用性は否定されておりますが、

 

医学の進歩による治療法の変遷には、つくづく隔世の感がします。

 

 

東大第三内科の御出身であるW教授は、初期に精確な診断が下せたということで、

 

私を大いに褒めてくださいました。

 

しかし、肝心の治療との間には大きなギャップがありました。

 

そこで、後輩の専門医が府中の東京都立神経病院にいらっしゃるということもあり、

 

さらなる精密検査と専門的治療からリハビリテーションを目的に

 

転院していただくことになりました。

 

 

 

少し専門的な話になりますが、

 

ギラン-バレ症候群では、脳脊髄液検査では蛋白細胞乖離、

 

血清検査では抗ガングリオシド抗体が陽性となります。

 

つまり、症状は末梢神経の病気ですが、

 

原因は私が専門とする自己免疫病(アレルギー・リウマチ関連疾患)です。

 

現在の神経免疫疾患治療ガイドラインによれば、

 

血漿交換療法(血液浄化療法:抗ガングリオシド抗体という自己抗体を除去する治療法)と

 

γ-グロブリン大量静注療法が推奨されています。

 

 

この2つの治療法について有意差がないことが明らかとなったため、

 

患者状態を考慮して治療法を選択します。

 

簡便性からγ-グロブリン大量静注療法が選択されることが多いです。

 

幸いにO博士は、 当時の段階でγ-グロブリン大量静注療法と禁煙実行が

 

徐々に功を奏し、無事退院し、研究生活に戻ることができました。

 

 

その後、O博士は、<咽喉の違和感が続いている>

 

とおっしゃるので喉頭鏡で拝見したところ、立派な病変が見つかりました。

 

そこで、私はO博士に<先生は、禁煙をされて10年以上絶ちますね>とお尋ねしました。

 

するとO博士曰く

 

<実は、ギラン‐バレが治ってきたころから、また吸い始めちゃってね>

 

と悪びれもせず、茶目っ気たっぷりにお答えになるのでした。

 

残念ながら私の診断は喉頭がんでした。

 

 

念のため河北病院の耳鼻科で確認を済ませ、

 

手術目的で御茶ノ水の東京医科歯科大学に転院しました。

 

しかし、手術の甲斐なく、闘病ののちご他界されました。

 

そのころ、私は東大の研究室に足繁く通っていたため、

 

その道すがら、たびたびO博士をお見舞いしました。

 

手術により声を失ったO博士は、それにめげることなく

 

筆談で私に多くの激励のメッセージをくださいました。

 

その後、私は衛生学教室を離れ、

 

心療内科やリハビリテーションの勉強をはじめたのですが、

 

東大から2つの学位(保健学修士、医学博士)を次々と取得できたのも

 

O博士の叱咤激励の賜物だと思って感謝しています。

 

 

私が禁煙指導に熱心な理由、水氣道®という健康増進法を開発し、

 

さらに近年に至って聖楽院を主宰するに至った動機は、

 

このあたりに源を発するものではないか、と振り返っているところです。