Mr. NoGucci の懺悔録 No.11 <さらにやせない言い訳>

さらにさらに、「わかっています…でも」Part5

 

 

Mr. NoGucciは振り返りの乏しい人間だと、よく指摘されます。

 

つまり、内省が徹底的に欠如しているようなのです。

 

内省とは「自分の考えや行動などを深く省みること」だそうです。

 

辞書を調べてみると「反省」と同じ意味でも使われています。

 

 

ただし、Mr. NoGucci自身しょっちゅう反省はしているはずです。

 

だから、反省と内省は何となく違うのかな、と感じています。

 

 

Mr. NoGucciの反省の対象の多くは、今さっき、しでかしてしまった失敗です。

 

日常的でささいなものがほとんどで、大抵は周囲の注意で自覚します。

 

否、「日常的でささいなもの」と受け止めていること自体が反省の欠如です。

 

後悔の念には程遠く「今日はツイてなかったな。」という感じに近いです。

 

これは自己憐憫に近いもので、罪悪感は希薄かもしれません。

 

楽しくないので「この状況から早く逃れたい」という気分です。

 

 

「反省はしているが内省に欠ける」のはなぜか、検証してみます。

 

そこでMr. NoGucciの反省の特徴の核心をあぶり出してみます。

 

 

あれれ、浮かんできましたよ。

 

それは、自分自身で気づいて行う積極的な反省ではないことです。

 

指摘を受けて、やむを得ず行う消極的な反省に過ぎなかったことに思い至ります。

 

 

そうなると、反省にも二種類があることがわかります。

 

仮に自主的で能動的に反省することを特別に<内省>と呼ぶとするならば、

 

Mr. NoGucciにそれが欠けているのなら、「内省に欠ける」というのは納得です。

 

徹底的に欠けていたのは、「過去を内省する」習慣だったのかもしれません。